【杉田水脈の公式ブログ】
国連でのパラレルイベント
ベトナムでの韓国軍の蛮行やライダイハンの問題を指摘
よほど聞きたくなかったのか、韓国人の聴衆はみんな退場
【国連でのパラレルイベント】
いよいよ今日は一回目の講演会。会場が空くのを待っている間にトラブル 発生。
いよいよ今日は一回目の講演会。会場が空くのを待っている間にトラブル 発生。
会場がダブルブッキング!印刷されているハンドブックには向こうのイベントが、インターネットで公開されている日程表にはこちらのイベントが記載されていました。
我々が正統性を主張したら、
国連の係員に「警察呼ぶ」とか言われて。
結局我々の方が正しかったので、事なきを得ましたが、
結局我々の方が正しかったので、事なきを得ましたが、
さすがは国連です。ホント、びっくりしました。
講演会がは始まると会場は立ち見が出るほど
講演会がは始まると会場は立ち見が出るほど
大盛況。
白人、黒人、黄色人種とグローバルな感じ。
と喜んでいたのもつかの間、
と喜んでいたのもつかの間、
観衆は全員韓国、中国に洗脳された桜ばかりという事が判明しました。
どうも同じ時間帯に韓国も講演会を行っていて、
どうも同じ時間帯に韓国も講演会を行っていて、
こちらの会場に参加したのは主に国連職員やプロの活動家。
私以外のスピーカーは男性だったのでまず、その事を「男性が威圧している」と非難。
会場からの質疑応答はルールも時間も守らず言いたい放題。
私以外のスピーカーは男性だったのでまず、その事を「男性が威圧している」と非難。
会場からの質疑応答はルールも時間も守らず言いたい放題。
まるで学級崩壊状態。
私は慰安婦問題からの少し離れてベトナムでの韓国軍の蛮行やライダイハンの問題を指摘。
よほど聞きたくなかったのか、韓国人の聴衆はみんな退場。
改めてなんでこの問題が国連で議論されてないのか?その矛盾を指摘しました。
(中略)
何から何まで驚く事ばかり。中韓の主張はかなり浸透していて、アメリカ人を始め、多くの人々が信じ込んでいます。
まだまだ長い道のりだと改めて感じました。それにしても頭にくる事ばかりの講演会でした。
◎全文は下記からどうぞ(・ω・)ノ
私は慰安婦問題からの少し離れてベトナムでの韓国軍の蛮行やライダイハンの問題を指摘。
よほど聞きたくなかったのか、韓国人の聴衆はみんな退場。
改めてなんでこの問題が国連で議論されてないのか?その矛盾を指摘しました。
(中略)
何から何まで驚く事ばかり。中韓の主張はかなり浸透していて、アメリカ人を始め、多くの人々が信じ込んでいます。
まだまだ長い道のりだと改めて感じました。それにしても頭にくる事ばかりの講演会でした。
◎全文は下記からどうぞ(・ω・)ノ
安倍は、歴代総理として初めて強制連行を否定する国会答弁をして、
河野談話について「 強制連行は無い 」と閣議決定を出して無効化もやった。
( アメリカ誌でも「 日本軍の強制連行は証拠が無い 」と返答 )
更に「 朝日新聞誤報 」を名指しで批判して認めさせたり、岸田外相も「日韓請求権は解決済み」と談話を出した上で日韓合意に繋げて、国連でも正式に強制連行を否定して、その回答文書を外務法HPに掲載させてるよ。
河野談話について「 強制連行は無い 」と閣議決定を出して無効化もやった。
( アメリカ誌でも「 日本軍の強制連行は証拠が無い 」と返答 )
更に「 朝日新聞誤報 」を名指しで批判して認めさせたり、岸田外相も「日韓請求権は解決済み」と談話を出した上で日韓合意に繋げて、国連でも正式に強制連行を否定して、その回答文書を外務法HPに掲載させてるよ。
一方、民主党野田政権はこういう事を全く行わずに韓国と水面下交渉やり始めて国民から見えない所で「首相による新たな謝罪」や、「日本政府予算による補償金」を韓国へ持ちかけて李大統領と大筋合意していた。
(衆院解散で動きは止まるが、韓国は↑を持ち出して日本外務省などへ懐柔工作を劇化)
(衆院解散で動きは止まるが、韓国は↑を持ち出して日本外務省などへ懐柔工作を劇化)
それから、菅政権は「韓国と個人補償を検討する」と日韓条約を無視するし、
鳩山政権も「強制徴用問題で補償する」と意思伝達してたり、
野田政権は「強制連行の証拠はないけど否定できない」と玄葉外相が国会発言・・
岡田代表が「日本は中国韓国とまだ和解できてない!」とドイツ首相に力説して蒸し返す気満々。
鳩山政権も「強制徴用問題で補償する」と意思伝達してたり、
野田政権は「強制連行の証拠はないけど否定できない」と玄葉外相が国会発言・・
岡田代表が「日本は中国韓国とまだ和解できてない!」とドイツ首相に力説して蒸し返す気満々。
韓国軍のベトナムでの性暴力
謝罪を元慰安婦ら会見!
韓国人の元日本軍慰安婦と支援団体代表らが7日、ソウルで記者会見し、ベトナム戦争に参戦した韓国軍による「ベトナム人女性に対する性暴力や民間人虐殺」について、「韓国政府が真相を究明し、公式謝罪と法的責任をとるように」と訴えた。
会見した元慰安婦らは毎週水曜、ソウルの日本大使館前で「日本政府の公式謝罪と賠償」を訴え続けている。支援団体関係者が2月にベトナムを訪れ、ベトナム戦争時に韓国軍から性暴力を受けた女性や、その子供らと面会。女性たちは「社会で蔑視され、苦しい生活を余儀なくされている」と訴えたという。
元慰安婦の金福童(キムボクトン)さんは「同胞が犯したことは韓国政府が解決すべきだし、知らないふりはできない」。支援団体の尹美香(ユンミヒャン)代表は「私たちが望むのは慰安婦の悲劇が繰り返されないことだ。日本政府に求めるだけでなく、我々自ら平和をつくりたい」と話した。
韓国人兵士がベトナム人女性を大量に強姦して
産まれたり、韓国軍の従軍慰安婦として
強制徴用された美しいベトナム人女性が産んだり
ベトナムで結婚した韓国兵との間に産まれた
韓国人との混血児などを総称して
「ライタイハン」という
韓国軍は、強姦した後、女性の容姿で選別を行い、不美人や年寄りの女性は
両手・両足を切断して、火に放り込んで焼き殺したり
殺す前に両手・両足を切断しておいて、死ぬまで強姦する
「だるま」と彼らが読んでいる
強姦・虐殺をしたり川へ投げ入れて強姦と虐殺の証拠を隠蔽しようと
工作したケースもある。
そして容姿が良いベトナム人女性や少女を強制的に従軍慰安婦として
韓国軍は連れ回して、繰り返し強姦を行った。弱ったり病気になった
女性は虐殺して処分した。
韓国人は、ベトナム人「従軍慰安婦を肉便器」と言ったそうだ。これは、出したい時に出せる(射精できる)という意味だとか。
ベトナム戦争が終わり、南北ベトナムが統一して既に四半世紀が通ぎた。
そして韓国ではここ数年、あの戦争をめぐり長らくタブーとされてきた
過去について、かつてない議論が進められている。
その過去とは、ベトナム戦争に参戦した韓国軍による
ベトナム民間人の虐殺問題だ。
最初にタブーを破ったのは、韓国のハンギョレ新聞社が発行する週刊誌
『ハンギョレ21』だった。
同誌は99年、韓国軍がベトナム戦当時に起こした虐殺事件について記事を
掲載したのだ(5月6日号)。
この記事を書いたのは、韓国人歴史研究者のク・スジョン。
彼女はベトナム戦争の韓国軍の残虐行為が記されたベトナム側の資科を
入手し、韓国の市民団体の一行とともにベトナム現地で検証を始めたのだ。
ある地域で、猛虎部隊(韓国軍部隊)等による1か月間の作戦で
1200名もの住民が虐殺されたという66年当時のベトナム側の報告を
紹介しながら、同時に生存者たちの証言に基づき虐殺の様子を
具体的に描いている。
例えば、生存者の証言からは韓国軍による民間人虐殺の方法に
いくつか共通した類型があったようだと、同記事には記されている。
以下、その部分を略して引用すると
以下、その部分を略して引用すると
「大部分が女性や老人、子供たちである住民を
一か所に集め、機関銃を乱射。子供の頭を割ったり
首をはね、脚を切ったりして火に放り込む。
女性を強姦してから殺害。妊産婦の腹を、
胎児が破れ出るまで軍靴で踏み潰す。トンネルに
追い詰めた村人を毒ガスで殺す等々」だ。
日本の戦争責任を追及してきた韓国の人々に
とって、自国軍も虐殺をしていたのだという
告発は、苦いものであったに違いない。
続いて同誌の2000年4月27日号には、住民虐殺を行なったという
元軍人による加害証言が掲載された。
戦争当時、一般住民とゲリラを区別するのは難しく、
我が身を守るためには仕方なかったのだとその元軍人は述壊した。
しかし同時に、今やその行為に罪の意識をもち、韓国政府がベトナムに
謝罪し被害者に補償することを望むという彼の声も、同誌では伝えられた。
これと前後して米誌『ニューズウィーク』が「暴かれた
これと前後して米誌『ニューズウィーク』が「暴かれた
英雄の犯罪」と題してベトナム戦争での韓国軍の虐殺問題を取り
上げた(2000年4月21日号)。
ク・スジョンらの調査を紹介しつつ、「8000人以上の民間人
を殺した韓国軍の虐殺行為の数々」が明らかにされ
つつあると、7ページにわたり大々的に報じたの
だ。
タブーであった虐殺事件についてのこれらの報道に対し、
韓国国内では激しい反撃が起きた。
同年6月27日には、ベトナム戦に従軍した退役軍人ら2000人余りが
ハンギョレ新聞社に乱入しコンピュータなどを破壊した。
彼らは「大韓民国枯葉剤後遺症戦友会」のメンバーで、
国のために闘った戦友を冒涜されたと激しく抗議したのだ。
ベトナムへの韓国人派兵は64年に始まり、延べで30万人以上の
兵士を送り込んだ。米国に次ぐ大派兵であった。
この戦争で約5000人の韓国人が死んだ。ハンギョレ新聞社に乱入した
元兵士たちがそうであったように、アメリカ軍が散布した枯れ葉剤の被害に
苦しむ元兵士らが、今も韓国には多い。
ベトナム戦争当時、韓国軍総司令官だった
蔡命新は、先の『ニューズウィーク』での
インタビューで「誰に対しても償う必要はない。
あれは戦争だった」と明言している。
アメリカ軍によるソンミ事件などの虐殺行為がベトナム戦争当時から
国際的に批判を受け議論の的となったのとは対照的に、韓国軍による
虐殺行為については、こと韓国国内では長く沈黙が保たれてきた。
(中略)
また全斗煥・盧泰愚両大統領がベトナム戦争で武勲を挙げた軍人で
あったという政治事情もあり、ベトナム戦での過去は、
韓国では幾重にもタブーであり続けた。
しかし、冷戦終結と韓国の民主化により、このタブーは破られた。
(中略)韓国の歴史教科書には、ベトナム戦争についてほとんど
記述はされていない。
中学生向けの国定教科書に記されているのは
「そして、共産侵略を受けているベトナムを支援するために
国軍を派兵した」の約1行のみだ。
(佐藤和「被害者史観韓国を揺るがすベトナム民間人虐殺の加害責任」
『SAPIO』2001年9月26日号)
1965年から1966年の間、プウエン省のタオ村で、韓国軍は、
1965年から1966年の間、プウエン省のタオ村で、韓国軍は、
ほとんど大部分が婦人の村人42人を狩り立て、やがて小火器を浴びせ、
全員を殺害した。
1966年1月11日から19日の間、ジェファーソン作戦の展開された
ビンディン省では、韓国軍は300人以上の住民を捕まえ、拷問を加え、
更にまた400人以上のベトナム人を殺した。
1965年12月から1966年1月の間に、韓国軍は、ビンディン省の
プレアン村では数百戸の家々を炎上させ、一方キンタイ村を完全に
掃討した。同じ省の九つの村々で韓国軍は、民間人に対して
化学兵器を使用したのである。
1966年1月1日から同月4日までの間に、ブン・トアフラおよび
ヨビン・ホアフラ地方で、韓国軍は、住民たちの所有物を残らず
略奪したうえ、住民の家やカオダイ教の聖堂を焼き、
さらに数千頭の家畜を殺した。
彼らは、また仏教寺院から数トンもの貨幣をくすね、それから人民を
殺したのである。「ある村が、わが軍の支配下に陥ると、その次の仕事は
ベトコンから村人たちを分け離すことなのだ」こう言ってのけたという
韓国軍将校の話しが引用された。
ナムフュン郡で、韓国軍は4人の老人と3人の妊婦を、防空壕の中へ
押し込め、ナパームとガスで殺した。アンヤン省の三つの村では110人を、
またポカン村では32人以上を、こうしたやり方で、殺したのである。
1966年2月26日、韓国軍部隊は、137人の婦人、それに40人の老人と
76人の子供も一緒に、防空壕の中へ押し込めて、化学薬で殺したり、
全員を盲にさせたりした。
1966年3月26日から28日にかけて、ビンディン省で、韓国軍は、
数千におよぶ農家と古寺院を炎上させ、若い女性や年老いた
女性を集団強姦した。8月までに、勇猛な朝鮮人たちは、
ビンディン省における焦土作戦を完了した。
ブガツ省では、3万5千人の人たちが、死の谷に狩り立てられ、
拷問を完膚なきまで加えられてから全員が殺された。
10月には、メコン河流域では、裸で両手ないしは両足の19人の遺体が
川から引揚げられた。
これらは、いずれも陵辱された少女たちの遺骸であった。
この事件に先立って、同じ地域で共同作戦中の米軍と韓国軍が、
昼日中に結婚の行列を襲い、花嫁を含め7人の女性を強姦した、
との報道もあった。かれらは、結婚式に呼ばれた客の宝石を残らず
奪ったうえ、3人の女性を川の中へ投げ込んだ。
放火、銃剣による突き殺し、拷問、強姦、強奪こんな記事は、
ほとんど毎日のように続いている。母親の胸に抱かれたいたいけな
乳幼児でさえも、非人間的な殺人行為を免れることができないのだ。
これは、たった一都市に起きた南京大虐殺どころの話ではないのだ。
これこそ、アメリカの新聞の力をもってしても、
中国の南京で起こった話を語ることのできない、
今日のベトナム民族大虐殺なのである。
つまり今日では米軍および韓国軍の検閲官が全強権を発動し、
事実が明るみに出るのを妨げているのである。
(中略)
なぜ在ベトナム韓国軍がかくも攻撃的で残酷であるかという理由は
、彼らが、アメリカが与えてくれた援助に対してお返しをするためであり、
さらにまたそれは韓国民に対して彼らが、アジアにおいて平定の役割を
演ずることができるのだという誇りと確信の感情を与えるためである、
と1967年5月、ソウル政府当局は日本人記者に説明した。
(D.W.W.コンデ『朝鮮-新しい危機の内幕-』新時代社、1969年)
ライブドアブログ ひのもとまもるより転載しました
日本の従軍慰安婦問題は 『吉田 清治(1913年10月15日 - )は福岡県(山口県とも)出身の元日本陸軍軍人であり作家。強制連行犠牲者遺骨祭祀送還協会の元会長。清治は筆名で、本名は吉田雄兎。戦後30年を経て慰安婦問題の嚆矢となる『私の戦争犯罪』を上梓したが後に創作であることが判明、本人も認めた』ところから来ています。国会尋問をという声もありましたが、高齢のため無理でしょう。
韓国は自分達のしたことは
「あれは戦争だった」で
片付けておきながら、
日本には謝罪を迫っています。
日本で起きているレイプ事件の
9割は在日コリアの犯行と
言われています。
こんな 嘘つき国家とは
国交を断絶すべきです。