シェアしてね! 日本共産党による殺人の証拠!
日本共産党は白鳥警部のご遺族に謝罪して!
...白鳥警部を殺した日本共産党員が中国で厚遇されたのはなぜなの?
.......鈴木貴子議員に「日本共産党は破壊活動調査対象団体」と政府答弁
.....なでしこりんです。先日、戦後の日本共産党の暴力革命の戦術書とでも呼ぶべき「球根栽培法」という内部文書の写真をご紹介しました。その記事の中で「警察官への殺害事件」として1952年(昭和27年)1月21日の発生した「白鳥事件」のことも書きました。
.......鈴木貴子議員に「日本共産党は破壊活動調査対象団体」と政府答弁
.....なでしこりんです。先日、戦後の日本共産党の暴力革命の戦術書とでも呼ぶべき「球根栽培法」という内部文書の写真をご紹介しました。その記事の中で「警察官への殺害事件」として1952年(昭和27年)1月21日の発生した「白鳥事件」のことも書きました。
..事実を見よ!日本共産党員によって射殺された白鳥一雄警部のご遺体。
....白鳥一雄警部 (36歳)が日本共産党の「中核自衛軍」兵士らによって銃撃され、殺されたのが昭和27年(1952年)1月21日。ですから、白鳥事件は今から数えると64年前の事件なんですが、この事件に関与した日本共産党員10名が事件直後、中国に逃亡しました。その後7人は自主的に日本に戻りましたが、殺害実行犯の3名は中国に残留したまま。殺人で指名手配されていた日本共産党員・佐藤博は中国人女性と結婚し、死後は中国対外連絡部の手によって「革命公墓」に埋葬されました。(http://chikyuza.net/archives/21084 渡部富哉氏から引用)
.....実行犯 の一人であった日本共産党員・鶴田倫也は中国に残留したまま2012年(平成24年)に天寿を全う。今から数えるとわずか4年前のことですよ。では、この殺人犯の60年間の中国での生活を支えたのはいったい誰なのか? 中国の中国対外連絡部に殺人犯への手厚い保護を求めたのはいったい誰なのか? 日本共産党が今もなお「過去を清算していない」のは明らかですよね。 今日の記事は時事通信からです。
...共産「暴力革命」変わらず=政府答弁書 時事通信 3月22日(火)12時25分配信
.....政府は22日の閣議で、共産党について「警察庁としては現在においても『暴力革命の方針』に変更はないものと認識している」とする答弁書を決定した。 鈴木貴子衆院議員(無所属)の質問主意書に答えた。
.....答弁書は、共産党が戦後に合法政党になって以降も「日本国内において暴力主義的破壊活動を行った疑いがあるものと認識している」と指摘。「現在においても破壊活動防止法に基づく調査対象団体だ」とした。https://samurai20.jp/2015/05/aka5/
.....政府は22日の閣議で、共産党について「警察庁としては現在においても『暴力革命の方針』に変更はないものと認識している」とする答弁書を決定した。 鈴木貴子衆院議員(無所属)の質問主意書に答えた。
.....答弁書は、共産党が戦後に合法政党になって以降も「日本国内において暴力主義的破壊活動を行った疑いがあるものと認識している」と指摘。「現在においても破壊活動防止法に基づく調査対象団体だ」とした。https://samurai20.jp/2015/05/aka5/
.....鈴木貴子 衆院議員(無所属)、これはよい仕事をされました。日本のマスゴミが在日汚染されていることは毎度書いていますが、在日汚染以上に古くからあるのが「共産汚染」。なんせ映画界の監督と称する連中の中には「隠れ共産党員とシンパ」が多数いますよね。もちろん、新聞社やテレビ局の中にもいます。マスゴミ系の労働組合の多くは共産党系と見てもかまわないでしょう。テレビでコメンテーターをやっていた有田ヨシフは元日本共産党員。彼は共産党から除名されるまではエリート共産党員でした。
.....昭和27年 (1952年)「暴力主義的破壊活動を行った団体に対し規制措置を定める」ことを目的にして作られた「破壊活動防止法」。この法律を生んだ原因は日本共産党による暴力革命路線とその実行にあります。こういう事実を知っている方たちは、日本共産党の「戦前戦後も平和の党」という共産党の大ウソにあきれておいででしょう。日本共産党は現在進行形の破壊活動防止法に基づく調査対象団体なんです。
.....今でも 日本共産党の中に「防衛」と呼ばれるセクションがあるんだとか。そこに配属されるのは武道経験者。普段は共産党の本部や国会議員の警備をやっているそうですが「暴力装置」の臭いがしないでもありません。実際、共産党は今でもなお「敵の出方論」という立場を堅持しており、「暴力には暴力でやり返す」という装置はお持ちなんでしょう。日本共産党を甘く見るのは危険です。どうかこの事実を共産党支持者にも伝えてください。 By なでしこりん
..... 「白鳥事件は日本共産党による組織犯罪!」
.....毎日新聞 2012年10月27日 22時12分.http://mainichi.jp/select/news/20121028k0000m040113000c.html
.....札幌市で1952年に白鳥一雄警部(当時36歳)が射殺された「白鳥事件」を考える集いが27日、同市中央区であった。事件前の謀議に加わり殺人ほう助罪で57年に有罪判決を受けた元北海道大学生、高安知彦さん(82)=同市西区=が講演、 「白鳥事件は政治テロ。殺人事件に変わりはない。幼稚な考えで標的にしてしまい、白鳥警部やご遺族に申し訳ない気持ちでいっぱい」と謝罪した。 高安さんが公の場で事件を語るのは初めて。
.....高安さんは50年春に北大入学後、共産党に入党し、党が軍事路線を掲げた51年秋に地下組織に参加。 白鳥警部については「無届けデモなどで警官隊を指揮し、党員で顔を知らない者はいなかった」と証言した。 事件から1年半後に逮捕。獄中で党を離れ、党の関与を全面自供し、57年に懲役3年、執行猶予3年の判決が確定した。 「一緒に地下活動した仲間は良いやつ。結果的に裏切ることになる。こんなにつらいことがあるかと思った」 と話した。
.....検察側証人として法廷でかつての仲間と激しい応酬を繰り広げたため 「日本のユダ(裏切り者)」との批判も浴び、裁判後は口をつぐんだ。だが 「仲間たちはみんな死んだ。生き残った人間として、青春時代の行動に向き合う必要がある」と話し、 党の関与を否定したかつての仲間たちには「『党は個人に優先する』が当時の考えで、仕方のないこと」 と思いやった。 集いは、道内の研究者らでつくる「北海道戦後史研究会」の主催。 70~80代を中心に約80人が参加した。【伊藤直孝】
.....【白鳥事件とは】
.....1952年1月21日夜、札幌市内で白鳥一雄警部が短銃で撃たれ即死。 共産党員3人が殺人や殺人ほう助罪で起訴され、当時の党地区委員長(94年死亡)は懲役20年が確定した。 実行役として党員3人が殺人容疑で指名手配されたが中国へ渡り、今年3月までに全員が死亡したとされる。
..... 「白鳥事件は日本共産党による組織犯罪!」
.....毎日新聞 2012年10月27日 22時12分.http://mainichi.jp/select/news/20121028k0000m040113000c.html
.....札幌市で1952年に白鳥一雄警部(当時36歳)が射殺された「白鳥事件」を考える集いが27日、同市中央区であった。事件前の謀議に加わり殺人ほう助罪で57年に有罪判決を受けた元北海道大学生、高安知彦さん(82)=同市西区=が講演、 「白鳥事件は政治テロ。殺人事件に変わりはない。幼稚な考えで標的にしてしまい、白鳥警部やご遺族に申し訳ない気持ちでいっぱい」と謝罪した。 高安さんが公の場で事件を語るのは初めて。
.....高安さんは50年春に北大入学後、共産党に入党し、党が軍事路線を掲げた51年秋に地下組織に参加。 白鳥警部については「無届けデモなどで警官隊を指揮し、党員で顔を知らない者はいなかった」と証言した。 事件から1年半後に逮捕。獄中で党を離れ、党の関与を全面自供し、57年に懲役3年、執行猶予3年の判決が確定した。 「一緒に地下活動した仲間は良いやつ。結果的に裏切ることになる。こんなにつらいことがあるかと思った」 と話した。
.....検察側証人として法廷でかつての仲間と激しい応酬を繰り広げたため 「日本のユダ(裏切り者)」との批判も浴び、裁判後は口をつぐんだ。だが 「仲間たちはみんな死んだ。生き残った人間として、青春時代の行動に向き合う必要がある」と話し、 党の関与を否定したかつての仲間たちには「『党は個人に優先する』が当時の考えで、仕方のないこと」 と思いやった。 集いは、道内の研究者らでつくる「北海道戦後史研究会」の主催。 70~80代を中心に約80人が参加した。【伊藤直孝】
.....【白鳥事件とは】
.....1952年1月21日夜、札幌市内で白鳥一雄警部が短銃で撃たれ即死。 共産党員3人が殺人や殺人ほう助罪で起訴され、当時の党地区委員長(94年死亡)は懲役20年が確定した。 実行役として党員3人が殺人容疑で指名手配されたが中国へ渡り、今年3月までに全員が死亡したとされる。
● 「日共(宮本)リンチ殺人事件言論裁判」で共産党が訴えを取り下げ、 国際勝共連合の言論自由が認められた裁判(1988.12.26) |
日本共産党の宮本顕治議長が昭和8年12月に 小畑達夫・中央委員に対して斧や出刃包丁、硫 酸等でリンチを加えて殺害し、死体を床下に埋 めた事件で、宮本に対して傷害致死罪等の判決 が確定(昭和19年上告棄却)している事実を 「思想新聞」(国際勝共連合の機関紙) 昭和53年6月18日号外紙が報じ、 それを八王子市内で配布した。 これに対し、日本共産党はその行為が名誉毀損に当たるとして東京地裁八王子支部(古川純一裁判長)に配布差止めの仮処分を請求したところ、古川裁判長は国際勝共連合に対する正式な「審尋」を行なわずに同処分の決定を下してしまったので、国際勝共連合はその処分を不服として処分取消しを求める訴えを提起した。 裁判では日本共産党が国際勝共連合に対して名誉毀損であることを主張し、宮本顕治を証人として法定で証言させるとのことであったが、昭和61年に宮本に対する証人申請を取下げてしまい、更に昭和63年(1988年)12月26日、東京地裁八王子支部(山ノ内一夫裁判長)の第49回口頭弁論において、日本共産党が裁判所の勧告を受けて名誉毀損の訴えを取り下げると同時に、仮処分そのものの申請も取り下げた。 その結果、本件はそもそも思想新聞に対する配布禁止の仮処分自体が無かったこととなり、共産党のリンチ殺人事件の事実認定について共産党が争わないことが明確となったため、約10年にわたる「宮本リンチ殺人事件言論裁判」は実質的に国際勝共連合の自由な言論が保護される全面的勝訴となった。 |
▼ 「思想新聞」 1989.1.5 | ||