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Channel: 復活!強い日本へ!
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インドの人たちは「日本軍が来るのをみんな待っていた」といいます。そして、この花を「日本兵の花(ジャパニーズ・ソルジャーズ・フラワー)」と名づけました。

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インドの人たちは「日本軍が来るのをみんな待っていた」といいます。そして、この花を「日本兵の花(ジャパニーズ・ソルジャーズ・フラワー)」と名づけました。


インドに散った日本兵士を讃える

インドに散った日本兵。
photo

 昭和19年(1944年)3月、大東亜戦争ビルマ戦線で日本軍は「インパール作戦」を開始しました。

インパールはインドにあり、インドはイギリスの植民地でした。
インド解放へ日本軍とINA(インド国民軍)が共同でこの作戦を遂行しました。


戦後はこの作戦は最初から無謀とか言われ、インド国民軍が加わっていたことを隠して語られていますが、無謀な作戦ではなく、最初の一撃の成否如何でアッサム地方のディマプールへ進撃する作戦であり、十分根拠のあるものでした。
しかし、軍司令官と師団との意思疎通が悪く、結果的に補給が続かないため武器も弾薬も食糧も尽きて、悲惨な戦いとなりました。

 インパールへ行くにはビルマ側から険しいアラカン山脈を越えていかなければなりません。日本軍は山脈を越えて、インパールに近い、コヒマやビシェンプールでイギリス軍と戦いました。険しい山脈越えで、制空権もありませんから、武器や弾薬、食糧を補給していくのは大変困難なことでした。次第に弾薬や食糧が尽きてきて素手に近いような装備となり、それでも日本兵は必死になって戦いました。
 

 やがてインパール作戦は中止となり日本軍は引き揚げていきました。


その頃、コヒマの野に紫色の花がいっせいに咲きました。


この花は群生で非常に生命力が強く、繁殖力があり、少々のことでは枯れない花でした。

 現地の人たちは敵の圧倒的優位な武力に屈することなく、

 最後まで組織的に立ち向かった日本兵の姿と二重写しになり、

 この花を「日本兵の花(ジャパニーズ・ソルジャーズ・フラワー)」と名づけました。

 
 ソース: 
http://jjtaro.cocolog-nifty.com/nippon/2011/03/post-c3b8.html

 
かつて日本は美しかった

かつて日本人は清らかで美しかった。かつて日本人は親切で心豊かだった。



 
 ビルマのアキャブから飛び立った日本陸軍一式戦闘機「隼」は空から宣伝ビラを撒いたことがあります。

それには
「日本は起てり!アジアの同胞として白人との戦いに決起せよ」と書かれていました。

インドの人たちは

「日本軍が来るのをみんな待っていた」
といいます。

しかしやってきた日本軍はインパールやコヒマで敗れた日本軍傷病兵ばかりでした。現地の人たちは日本兵を治療しますが、日本兵は次々に亡くなっていきました。

そして死んだ日本兵を墓場の一番いいところに埋葬しました。

インパールの北にあるマパオ村では毎年インド独立のために散った日本兵を慰霊する祭りが行われ「日本兵士を讃える歌」が歌われています。

インパール周辺現地の人たちは日本軍が軍規厳粛で特に婦人暴行が全くなかったことを常に称賛するといいます。

イギリス軍は略奪や婦女暴行が相当ひどかったようです。

また日本軍の勇敢さは印象的だったようでコヒマには日本軍が擱座(かくざ)させたイギリス軍のM3グランド戦車が保存されています。

この方面は山脈越えの軽装部隊だったため対戦車兵器がなく、
布団に黄色火薬を詰めた即席対戦車地雷をキャタピラのしたにほうり込み、戦車を破壊していたのです。

現地の住民は来訪者があるたび、

「これは昔、日本のマスターがやったんだ」

と我がことのように自慢しているそうです。


レッドヒルというところでは日本軍第33師団の214連隊
500人が全滅しました。

その霊を弔うために地元のロトパチン村人が慰霊塔を立てました。

村人は戦いの中で傷ついた日本兵のために食べ物を届けていたのです。

「私たちのために戦ってくれた」
と。



参考文献
展転社「世界から見た大東亜戦争」名越ニ荒之助(偏)
WAC「太平洋戦争は無謀な戦争だったのか」ジェームズ・B・ウッド(著)
PHP「日本はどれほどいい国か」日下公人 高山正之(共著)
ワック出版「歴史通」2009.7『神のごとく振舞った英国人が青ざめた』高山正之

参考映像
http://www.youtube.com/watch?v=__7fG0aqJDk

【日本兵士を讃える歌】
作詞作曲  マパオ村村民
日本語訳  古田中 勝彦


一、

父祖の時代より

今日の日まで

美しきマパオの村よ

いい知れぬ喜びと平和

永遠に忘れまじ



美しきマパオの丘に

日本兵来り戦えり

インパールの街目指して

願い果たせず

空しく去れり



二、

日本兵

マパオの丘に来る

それは四日の火曜日

一九四四年のことなりき

我は忘れじ四月のあの日



三、

罪なき民も散り散りに

西に東に追いやられ

再び神の恵を受け

集まり住まん

この地マパオに



四、

広島の悲報

勇者の胸をつらぬき

涙して去れる

日本の兵士よ

なべて無事なる帰国を

われ祈りてやまず


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