NHKの圧力と捏造と判明か
【アパホテル】組織委
具体的な要請はしていないと
主張し、NHK に抗議
「南京大虐殺」などを否定する書籍を客室に備えたとして、中国外務省が日本のアパホテルを批判した問題で、2月19日に開幕する札幌冬季アジア大会の組織委員会が、選手村となっているアパホテルに「選手が快適に過ごせる空間の提供」を要請していることが20日、分かった。
組織委によると、選手村になるのは札幌市南区のアパホテルと中央区の別のホテル。2月16~27日は組織委がアパホテルを借り上げ、31カ国・地域の選手ら約1500~1600人が滞在する。
NHKは19日、組織委が中国側に配慮して、ホテル側に問題となっている書籍の撤去を要請したと報道。組織委は具体的な要請はしていないと主張し、NHKに抗議したことを明らかにした。
ただ、かねてから「偏見や差別がないよう宗教、文化、民族に配慮した対応をすること」を申し入れていることは認めた。最終的には、大会を主催するアジア・オリンピック評議会(OCA)と協議するとしている。
全文はソースで
前スレ
関連スレ
【NHK】アパホテルに本の撤去打診 冬のアジア大会組織委★10 [無断転載禁止]©2ch.net
組織委によると、選手村になるのは札幌市南区のアパホテルと中央区の別のホテル。2月16~27日は組織委がアパホテルを借り上げ、31カ国・地域の選手ら約1500~1600人が滞在する。
NHKは19日、組織委が中国側に配慮して、ホテル側に問題となっている書籍の撤去を要請したと報道。組織委は具体的な要請はしていないと主張し、NHKに抗議したことを明らかにした。
ただ、かねてから「偏見や差別がないよう宗教、文化、民族に配慮した対応をすること」を申し入れていることは認めた。最終的には、大会を主催するアジア・オリンピック評議会(OCA)と協議するとしている。
全文はソースで
前スレ
関連スレ
【NHK】アパホテルに本の撤去打診 冬のアジア大会組織委★10 [無断転載禁止]©2ch.net
「南京大虐殺は自分たちがやった」と告白した国民党少尉
<「南京大虐殺は自分たちがやった」と
告白した国民党少尉>
1月27日に歴史評論がネット
(http://www.kdne.net)で流れた。
開国少将というベンネームの作者は、
外祖父が自分の日で見た南京大虐殺という
文章を発表している。
「私は小さい頃に、外祖父が抗日戦場から
何故逃げ出したのか分からなかった。
逃げたことは秘密で、外祖父が死去する
前年に、よく雑談の中で何時間も話す
ようになっていた。」
外祖父は、妻が早く死去したということだったが、それが逃げた
理由ではないだろう。
私はある日、やつと外祖父から真相を聞き出した。
彼は四川省の貧農の出身で、小さい頃から武術で鍛えていた。
1928年に四川で国民党に捕らえられて兵士にさせられ、
1937年の南京大虐殺前夜に少尉にさせられて、
日本軍の猛烈な攻撃を、
首都を守れ・国父を守れというスローガンで防衛するよう命じられた。
しかし日本軍の進政を食い止めることなど出来ないので、
南京城から撤退した。
部隊は列車を何両か手配して、軍用の荷物と食料を積み込んだ。
その時に周囲から、一般の民衆が老人や子供の手を引きながら列車に乗り込んできた。
大勢が列車の屋根にも乗っていた。日本軍は、すぐ近くまで迫っている。
このままでは、国民党の兵士たちは逃げることが出来ない。
誰かが、日本軍が来たぞと叫び、
国民党指揮官は列車に乗り込んだ民衆に
列車から降りろと怒鳴った。
誰も従わないので、
指揮官は民衆を銃殺しろと命令を出した。
国民党指揮官は列車に乗り込んだ民衆に
列車から降りろと怒鳴った。
誰も従わないので、
指揮官は民衆を銃殺しろと命令を出した。
兵士たちは民衆を銃殺することなど出来ないので、
互いに顔を見合わせていた。
指揮官は兵士たちに、
もうすぐ日本軍が来るのだから、
民衆は日本軍に銃殺されたことにしたら
良いのだと言って、一斉射撃を命じた。
あたりは血の海となり、兵士の足首まで血が溜まったと言う。
ここで約1千人の南京市民は、国民党の兵士たちから
銃弾を浴びて死んで行った。
国民党の部隊が必死で逃げた後には死体の山が血の海の中に残され、
それは日本軍の残虐行為として転嫁された。
外祖父は、こんな部隊に残りたくないので、撤退途中に九江で
夜陰に紛れて脱走し、長江を渡り武漢で列車を乗り換え、
南の小さな山村に逃げ込んだ。
外祖父の記憶では、他の部隊も同様のことをしてきたという。
全ての国民党による民衆大虐殺は、
日本軍の残虐行為として転嫁されたのである。
外祖父は貧農の出身だが、
国民党が貧乏人を虫けらのように扱うことに抵抗があつたという。
外祖父は、国民党の軍隊に残っていれば、出世したかもしれない。
また抗日戦争で戦死していれば、抗日戦闘英雄烈士との美名で
呼ばれたかもしれない。
しかし、逃亡する道を選んだ。
そして裏切り者という悪名で呼ばれて、経歴を隠し通して逃げ回った。
そして裏切り者という悪名で呼ばれて、経歴を隠し通して逃げ回った。
その過去の真実を、外祖父は死ぬ前になって初めて語ったのである。
南京大虐殺は自分自身が犯した罪である。
外祖父は恥ずかしくてたまらなかっただろう。
私は反日・反米の青年であり、ネットによく論評を発表していた。
だが、そんな単純な反日・反米の青年たちは
利用されているだけなのだ。
天国にいる外祖父よ、私を許して下さい」。”
<南京大虐殺の捏造はこの様に始まった><従軍慰安婦の捏造はこの様に始まった>
―――――――――――――――――――――――-
<南京大虐殺の捏造はこの様に始まった>
昭和46年8月~12月まで、
本多勝一記者が「中国の旅」の中で、「南京大虐殺」と言う偽の事実を交え連載を始める。
①、朝日新聞は日本はとんでも無い事をしたと日本に広め、
その重圧の中、日中友好を結ぶ事になた。
しかし、この時点では、中国は南京大虐殺を問題視して無かった。
②、その後、1978年から朝日新聞の記事による圧力の中、
日本中学の教科書で、南京大虐殺を教科書に載せることになった。
(この時点では、中国の教科書には、南京大虐殺の記述は一切無かった)
③、中国の教科書に載せられる様になったのは、
朝日新聞記事「中国の旅」の中での「南京大虐殺」が連載されてからの
1979年からなのである。
④、愛国主義教育実施要綱(1994年)が、施行され
南京大虐殺記念館等が中国各地に出来る。
⑤、反日暴動起きる (2005年)
発端は朝日の本多記者と言う事らしい。クリック拡大 ↓
―――――――――――――――――――――――-
<従軍慰安婦の捏造はこの様に始まった>
従軍慰安婦と言う言葉は朝日新聞の
植村隆記者の造語。
彼は「従軍慰安婦強制連行」を嘘の事実を交え面白おかしく平成3年8月連載する。
それまでは、韓国や韓国メディアも従軍慰安婦問題は知らなかった。
宮沢喜一首相が事実を確認しないまま謝ってしまう。(平成3年12月)
河野洋平が、これで手打ちが出来るんではと、根拠資料の無いまま、確認もせず、
強制性を認める発表をしてしまう。
(平成4年1月)
しかし、その事実を裏付ける事実は全く無かった事がわかった。(以下その説明)
①、政府・軍指示文書があるはずだ。→→→→→日本国内、韓国内でも全く無し。
②、加害者の証言→→→→→たった一人の加害者である吉田清治
(偽名、共産党員)の証言は、嘘であった事を本人も認める。
その他、誰も加害者はいない。
よって無し。
③、目撃者証言→→→→→→裏づけのあるものは全く無し。
④、日韓基本条約締結
(昭和40年)
全ての諸問題をテーブルにのせ、話し合った。→→→→→慰安婦の問題は全く無し。
従軍慰安婦問題の発端は植村隆記者らしい。クリック拡大 ↓
【速報】朝日新聞記者、ついに【 南京大虐殺 】も【 捏造 】と認める!緊急拡散希望《本多勝一氏が『週刊新潮』に「南京大虐殺」派が使っていた象徴的写真を捏造写真と認めました》
【歴史】 日本人虐殺
アパホテル書籍で言及された
「通州事件」
日本のホテルチェーン、アパグループが中国から批判されている。
いわゆるネット炎上事件となったばかりか、 中国外交部報道官がコメントするまでに事態は発展している。
問題は客室に置かれていた書籍だ。
元谷外志雄グループ代表が藤誠志のペンネームで執筆したもので、南京大虐殺の否定や通州事件の陰謀説などが説かれている。
今回の事件に限らず、南京大虐殺や通州事件をめぐる歴史問題は中国との軋轢を生んできた。
近年、日本のインターネットでは「歴史戦」という言葉を見かけることが少なくない。
歴史認識問題や領土問題に関する歴史的主張について、中国や韓国のプロパガンダに日本も対抗しなければならないとの意味合いを持つ。
2015年12月には保守系団体「新しい歴史教科書をつくる会」が通州事件に関する史料を世界記憶遺産に申請すると発表した。
中国が申請した南京大虐殺史料の世界記憶遺産登録に反発し、
「歴史戦」を挑もうとしているわけだ。
こうした動きを私たちはどのように理解すればいいのか。
約10年もの間、通州事件について研究を続け、 昨年12月に著書『通州事件――日中戦争泥沼化への道』(星海社)を出版した広中一成さん
(愛知大学国際コミュニケーション学部非常勤講師)に話を聞いた。
――通州事件とはどのような事件だったのでしょうか。
通州事件は日中戦争勃発後の1937年7月29日、
北京近郊の通州で起きた冀東防共自治政府保安隊の反乱事件を指します。
犠牲者については諸説ありますが、事件後の調査によると、通州に住んでいた日本人と朝鮮人合わせて225人が殺害されました。
「中国は南京大虐殺ばかりを宣伝するが、日本人が虐殺された事件もある」
「きわめて残忍な手法で殺された。 中国人の民族性のあらわれだ」
などなど、中国を批判する材料として近年使われるようになりました。
――アパグループの元谷CEOは著書で通州事件はコミンテルンの陰謀だったと指摘されていますね。
元谷さんのオリジナルではなく、以前からよく言われていた話です。
通州事件に限らずどんな歴史的事件にも、 不明な部分が多いとユダヤ人やコミンテルンが黒幕だとする陰謀説はつきものなんですが(苦笑)。
ただしそれを証明する史料は存在しませんし、コミンテルンが関わったことを示す傍証もないので、現在のところ歴史研究の対象にはなりません。
――著書『通州事件――日中戦争泥沼化への道』は歴史研究者としての抑制的な筆致で、事件の背景、 経過、影響を描写していた点が印象的です。
議論が深まればいいのですが、ほとんどが観念論ばかりで一次史料を丹念に調べた人はいません。保守の側から関係者の証言を集める動きはありました。
そのこと自体は評価するべきですが、どうしても主観に影響されてしまう証言を歴史史料として扱うためには、他の史料との整合性を確かめる必要があります。
言い換えるなら、これまで歴史学的な手続きを踏まえた通州事件研究はほとんどなかったのです。
日中関係の悪化により通州事件がクローズアップされる機会が増えることは予測できましたので、 ちゃんとした歴史学的な研究をする価値はあると考えて取り組みました。非公開史料の収集や分析、現地調査など始めてから10年近い時間がかかってしまいましたが。
【世界記憶遺産】「通州事件」ユネスコ申請へ 中国軍による日本人200人殺害 新しい歴史教科書をつくる会「世界に知ってほしい」★8
いわゆるネット炎上事件となったばかりか、 中国外交部報道官がコメントするまでに事態は発展している。
問題は客室に置かれていた書籍だ。
元谷外志雄グループ代表が藤誠志のペンネームで執筆したもので、南京大虐殺の否定や通州事件の陰謀説などが説かれている。
今回の事件に限らず、南京大虐殺や通州事件をめぐる歴史問題は中国との軋轢を生んできた。
近年、日本のインターネットでは「歴史戦」という言葉を見かけることが少なくない。
歴史認識問題や領土問題に関する歴史的主張について、中国や韓国のプロパガンダに日本も対抗しなければならないとの意味合いを持つ。
2015年12月には保守系団体「新しい歴史教科書をつくる会」が通州事件に関する史料を世界記憶遺産に申請すると発表した。
中国が申請した南京大虐殺史料の世界記憶遺産登録に反発し、
「歴史戦」を挑もうとしているわけだ。
こうした動きを私たちはどのように理解すればいいのか。
約10年もの間、通州事件について研究を続け、 昨年12月に著書『通州事件――日中戦争泥沼化への道』(星海社)を出版した広中一成さん
(愛知大学国際コミュニケーション学部非常勤講師)に話を聞いた。
――通州事件とはどのような事件だったのでしょうか。
通州事件は日中戦争勃発後の1937年7月29日、
北京近郊の通州で起きた冀東防共自治政府保安隊の反乱事件を指します。
犠牲者については諸説ありますが、事件後の調査によると、通州に住んでいた日本人と朝鮮人合わせて225人が殺害されました。
「中国は南京大虐殺ばかりを宣伝するが、日本人が虐殺された事件もある」
「きわめて残忍な手法で殺された。 中国人の民族性のあらわれだ」
などなど、中国を批判する材料として近年使われるようになりました。
――アパグループの元谷CEOは著書で通州事件はコミンテルンの陰謀だったと指摘されていますね。
元谷さんのオリジナルではなく、以前からよく言われていた話です。
通州事件に限らずどんな歴史的事件にも、 不明な部分が多いとユダヤ人やコミンテルンが黒幕だとする陰謀説はつきものなんですが(苦笑)。
ただしそれを証明する史料は存在しませんし、コミンテルンが関わったことを示す傍証もないので、現在のところ歴史研究の対象にはなりません。
――著書『通州事件――日中戦争泥沼化への道』は歴史研究者としての抑制的な筆致で、事件の背景、 経過、影響を描写していた点が印象的です。
既存の通州事件本とは一線を画している印象を受けました。
通州事件は1980年代になって"再発見"されました。
1985年に中国で南京大虐殺記念館がオープンしたことを受け、
「それを言うならば中国人も日本人を虐殺したのではないか」と反論するために通州事件が持ち出されたわけです。
同時に日本国内では「日本の侵略に抵抗するためだったのだから」と、
通州事件を起こした保安隊を擁護する論も登場します。
もともとは論壇の中の議論に過ぎませんでしたが、1998年のベストセラー、小林よしのり『新ゴーマニズム宣言スペシャル 戦争論』によって一気に認知度が高まりました。
通州事件に関連する中国批判と擁護の構図は、1980年代から現在にいたるまでほとんど変化がないと言ってもいいのではないでしょうか。
通州事件は1980年代になって"再発見"されました。
1985年に中国で南京大虐殺記念館がオープンしたことを受け、
「それを言うならば中国人も日本人を虐殺したのではないか」と反論するために通州事件が持ち出されたわけです。
同時に日本国内では「日本の侵略に抵抗するためだったのだから」と、
通州事件を起こした保安隊を擁護する論も登場します。
もともとは論壇の中の議論に過ぎませんでしたが、1998年のベストセラー、小林よしのり『新ゴーマニズム宣言スペシャル 戦争論』によって一気に認知度が高まりました。
通州事件に関連する中国批判と擁護の構図は、1980年代から現在にいたるまでほとんど変化がないと言ってもいいのではないでしょうか。
議論が深まればいいのですが、ほとんどが観念論ばかりで一次史料を丹念に調べた人はいません。保守の側から関係者の証言を集める動きはありました。
そのこと自体は評価するべきですが、どうしても主観に影響されてしまう証言を歴史史料として扱うためには、他の史料との整合性を確かめる必要があります。
言い換えるなら、これまで歴史学的な手続きを踏まえた通州事件研究はほとんどなかったのです。
日中関係の悪化により通州事件がクローズアップされる機会が増えることは予測できましたので、 ちゃんとした歴史学的な研究をする価値はあると考えて取り組みました。非公開史料の収集や分析、現地調査など始めてから10年近い時間がかかってしまいましたが。
【世界記憶遺産】「通州事件」ユネスコ申請へ 中国軍による日本人200人殺害 新しい歴史教科書をつくる会「世界に知ってほしい」★8
『やらまいか-真相はこうだ!』#19 通州事件~中国人の残虐性を知れ~