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【速報】安倍首相と公明党が共産党にブチギレ!共産党が撒いたチラシ「安倍政権が学費値上げ」がデマだと発覚!!(国会動画)

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安倍首相と公明党が共産党にブチギレ!
共産党が撒いたチラシ
安倍政権が学費値上げ」がデマだと発覚!


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安倍首相と公明党が共産党に「デマ」と攻撃 国立大授業料めぐり 
衆院予算委員会2016.2.3 12:42 

安倍晋三首相は3日午前の衆院予算委員会で、共産党が安倍政権が今後15年間で国立大学の授業料を40万円引き上げるとするポスターを配布していることに関し「全くデマだ」と述べ、共産党の主張を否定した。公明党の石田祝稔氏の質問に答えた。 

ポスターは安倍政権が国立大学運営費交付金を大幅削減し、減収分を学生の授業料値上げで賄うとする内容。 

石田氏はこの内容は事実と異なるとして「『たら』『れば』の世界のことを事実のように書いて、若い人に配っている。けしからん。国立大学の自己収入のうち55%は授業料以外だ」と指摘した。 

石田氏はホームページでダウンロードできないようにすべきとも主張し「(共産党は)天下の公党として恥ずかしい」と非難した。 

首相は政権に就いてから国立大学の授業料を3年間引き上げていないことを説明した上で「選挙前に、極めて惑わせるチラシだ。ただちに責任を持って、公党として訂正していただきたい」と要請した。 




産経ニュース




石田祝稔「この黄色の禍々しいチラシ」【公明党 石田が共産党を批判!午前中の最大の盛り上がり】【共産党が撒いたチラシがデマだと発覚】 安倍総理 2016年2月3日【国会 衆議院 予算委員会】



デマに踊らされた被害者の皆さんです 

https://twitter.com/sealds_jpn/status/659268526629228544 ;

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こんなのもあるぞ 

20160203172326_103_1


127 スリーパーホールド(東京都)@\(^o^)/2016/02/03(水) 16:05:05.12 ID:zdEZ3V710.net
共産党の言うこと信じるなんて情弱にも程がある 


115 ムーンサルトプレス(静岡県)@\(^o^)/2016/02/03(水) 15:27:44.34 ID:O5RzMcTr0.net
左翼ってもう嘘しかつかないってイメージだわ 


119 ダイビングフットスタンプ(愛知県)@\(^o^)/2016/02/03(水) 15:31:20.80 ID:U4o75r6o0.net
ブサヨは朝鮮汚染が進行しすぎて99%朝鮮人になってしまった。 
だから息を吐く様に嘘をつく。 


125 ブラディサンデー(やわらか銀行)@\(^o^)/2016/02/03(水) 15:46:24.78 ID:oQ/xHmI+0.net
さすがシールズの親分、やること同じ 


http://hayabusa3.2ch.sc/test/read.cgi/news/1454475424/



なんで日本共産党は嫌われてるの?

設立から振り返ろう


 
なぜ共産党は嫌われているのか?ー設立から振り返る 

共産党が、2015年9月に国会を通過した「安全保障法制」を廃止にするべく、「国民連合政府」構想を打ち上げた。 

民主党をはじめとする全野党に協力を呼びかけ、「安保法制廃止」一点に絞って本年7月の参院選で選挙協力をしようというのである。 

しかし民主党保守派を中心に抵抗感が強く、「あり得ない」(民主党 岡田克也代表)、「シロアリみたいなもの」(民主党 前原誠司元外相)、とまで言われてしまい、構想は進んでいない。 
一体、なぜ共産党はそこまで嫌われるのだろうか?(特に若い世代は知らない人が多いだろう) 

そもそも共産主義とは何か 

共産主義とは、財産の一部または全部を人々の共有のものとし、階級と、階級間の搾取のない社会を作りだすという政治思想である。 
では、どのようにそのような社会を作るのか。 
資本家をはじめとする特権階級は、労働者階級に同情し、自らの財産や特権を話し合いなどの平和的手段によって手放し、抑圧を止めることはあり得ないと考えられた。 
したがって、暴力革命によって労働者階級が特権階級を駆逐するしかないという立場を取るのが共産主義である。 

日本共産党の発足 

日本共産党は1922(大正11)年に「共産主義インターナショナル」(通称コミンテルン)日本支部として結成された。 
戦前・戦中は政府による激しい弾圧を受けるが、戦後合法政党として活動を再開し、「細胞」と当時称された学校や党員の職場等における基礎組織を中心に、党勢を拡大する。 

1951(昭和26)年には「日本の解放と民主的変革を、平和の手段によって達成しうると考えるのはまちがいである」とする「51年綱領」を決定。 

さらに、
「われわれは、武装の準備と行動を開始しなければならない」と「軍事方針を定めている。 

当時共産党が直接・間接的に関与したとされる事件は数多い
が、

一例を挙げると1952(昭和27)年の
「吹田事件」(朝鮮戦争反対に関して暴力的なデモ行進を行った)や、同年の「血のメーデー」(デモ隊1名が死亡、デモ隊・警官隊合わせて約1,000名が負傷)などがある。 

しかしこのような路線は国民の理解を得られず、1952年の衆議院議員選挙と翌年の参議院議員選挙では全ての候補者が落選する。 
困難な状況に直面した日本共産党は、1958年には方針転換を行う。 
それまでの混乱や武装闘争路線は一部の指導層の独断によって行われたものであり、党中央組織とは関係がないとした。この認識は現在に至っても同じである。 

ぬぐえない暴力に対する不信感 
これ以降、徐々に内部抗争や金銭的腐敗を一掃し、クリーンなイメージを打ち出すことになる。

近年では共産党関係の目立った暴力事件は見られず、また党の綱領からも先鋭的な表現はなくなってきている。 

しかしこれは第一段階として資本主義体制の枠内で民主的方法で勢力を伸ばし、第二段階で社会主義・共産主義国家樹立 へと動く戦略に基づくものであり、 将来的に再び暴力的な手段に訴えないとはいえない、という慎重な見方も根強い。 

警察庁では、依然として共産党を「暴力革命の方針を堅持する日本共産党」 として「重大な関心」 を払っている。 
  
http://blogos.com/article/158303/


昭和のニュース

吹田事件


朝鮮動乱2周年記念集会前夜祭が、大阪・豊中市の大阪大学などで開かれ、学生や労働者、朝鮮人ら約900人が参加。翌25日午前零時から吹田操車場方面へデモ行進し、「人民電車」を動かし警官隊と衝突した。朝鮮戦争に加担する在日米軍に抗議する反戦闘争だったが、計111人が騒乱罪容疑で逮捕、起訴された。しかし、大阪地裁と大阪高裁はともに騒乱罪を認めなかった(72年、威力業務妨害罪で有罪が確定)。

<当時の新聞紙面>


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朝鮮進駐軍及びその後の在日本朝鮮人連盟が関わる事件の一覧

大阿仁村事件(1945年10月22日)
生田警察署襲撃事件(1945年12月24日、1946年1月9日)
直江津駅リンチ殺人事件(1945年12月29日)
富坂警察署襲撃事件(1946年1月3日)
長崎警察署襲撃事件(1946年5月13日)
富山駅前派出所襲撃事件(1946年8月5日)
坂町事件(1946年9月22日)
新潟日報社襲撃事件(1946年9月26日~29日)
首相官邸デモ事件(1946年12月20日)
尾花沢派出所襲撃事件(1947年10月20日)
阪神教育事件(1948年4月23日~25日)
評定河原事件(1948年10月11日~12日)
宇部事件(1948年12月9日)
益田事件(1949年1月25日)
枝川事件(1949年4月6~13日)
高田ドブロク事件(1949年4月7日~11日)
本郷村事件(1949年6月2日~11日)
下関事件(1949年8月20日)
台東会館事件(1950年3月20日)
連島町事件(1950年8月15日)
第二神戸事件(1950年11月20~27日)
四日市事件(1951年1月23日)
王子事件(1951年3月7日)
神奈川事件(1951年6月13日)
下里村役場事件(1951年10月22日)
福岡事件(1951年11月21日)
東成警察署催涙ガス投擲事件(1951年12月1日)
半田一宮事件(1951年12月3日~11日)
軍需品製造工場襲撃事件(1951年12月16日)
日野事件(1951年12月18日)
木造地区警察署襲撃事件(1952年2月21日~23日)
姫路事件(1952年2月28日)
八坂神社事件(1952年3月1日)
宇治事件(1952年3月13日)
多奈川町事件(1952年3月26日~30日)
田川事件(1952年4月19日)
岡山事件(1952年4月24日~5月30日)
血のメーデー事件(1952年5月1日)
上郡事件(1952年5月8日)
大村収容所脱走企図事件(1952年5月12日~25日、11月9日~12日)
広島地裁事件(1952年5月13日)
高田派出所襲撃事件(1952年5月26日)
奈良警察官宅襲撃事件(1952年5月31日)
万来町事件(1952年5月31日~6月5日)
島津三条工場事件(1952年6月10日)
醒ヶ井村事件(1952年6月13日)
葺合*長田事件(1952年6月24日)
吹田*枚方事件(1952年6月24日~25日)
新宿駅事件(1952年6月25日)
大須事件(1952年7月7日)
舞鶴事件(1952年7月8日)
五所川原税務署襲撃事件(1952年11月19日~26日)

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毎日フォトバンクに今でも残っている。
https://photobank.mainichi.co.jp/php/KK_search.php 
(引用者注釈:実際に検索してみると確かにあった)

(以下略)

ネット上のアジテーションに注意...

より転載しました。



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