ケント・ギルバート
吉永小百合『報ステ』発言に疑問
「積極的平和主義」で戦争は防げない
吉永小百合氏
漫画家の水木しげるさんが11月30日、93歳で亡くなった。代表作『ゲゲゲの鬼太郎』のほかに、『総員玉砕せよ!』『ラバウル戦記』『敗走記』など、傷病軍人として体験した戦場の悲惨さも、反戦の立場で作品に描いた。
反戦といえば、日本を代表する大女優であり、私も大好きな吉永小百合さんが先日、
テレビ朝日系「報道ステーション」に出演し、
「武器を持たないということが、積極的平和主義だと思います」と発言していた。
古舘伊知郎キャスターは「そうですね」と応じていたが、私はその考え方は間違いだと思う。
もし、その「積極的平和主義」理論で日本が戦争を防げるなら、
家に鍵を掛けない「積極的泥棒撃退主義」の家庭は泥棒に入られず、
痴漢撃退スプレーを持たない「積極的痴漢撲滅主義」の女性は痴漢に遭わないことになる。
あり得ないどころか逆効果だと分かる。
日本人は、人の感情や場の雰囲気を読むことは得意だが、ディベートの訓練を受けないせいか、論理的思考が苦手な人が多い。論理上の矛盾や、すり替えに気付かない。
相手のメンツを重んじ、人間関係の悪化を嫌うあまり、正面から「違う」と言えない面もある。
武器を持たない国がどのようになるかは、近現代史から学ぶべきだ。
中華人民共和国(PRC)は1949年の建国直後から、十分な軍事力を持たないウイグル、チベット、内モンゴルに軍事侵攻した。実行支配し、自国の一部だと言い出した。
同地域の民族虐殺や人権弾圧は現在進行形で行われているが、日本のマスコミではほとんど報道されない。
水木さんは戦場の悲惨さを作品に描いたが、他国に支配され、武器が無いため抵抗できない国民の日常は戦場と同じくらい悲惨だ。
特に女性が最大の被害者となることを日本は経験済みである。
終戦後、大陸から日本に引き上げる途中、
数多くの日本人女性が、ソ連人や中国人、朝鮮人に強姦された。
詳しくは「二日市保養所」や「竹林はるか遠く」で検索してほしい。
米軍も進駐直後から、数多くのレイプ事件を起こした。日本人女性を守るため、政府主導で、東京や横浜をはじめ、全国各地に特殊慰安所(売春施設)が開設された。
GHQ(連合国軍総司令部)の情報統制のため、一連の事実を知らない日本人が多い。
もし、日本が武器を捨てれば、いずれはウイグルやチベットで暴虐の限りを尽くした人民解放軍が、日本でそれを再現するだろう。
■ケント・ギルバート 米カリフォルニア州弁護士、タレント。1952年、米アイダホ州生まれ。71年に初来日。自著・共著に『まだGHQの洗脳に縛られている日本人』(PHP研究所)、『素晴らしい国・日本に告ぐ』(青林堂)など。
あり得ないどころか逆効果だと分かる。
日本人は、人の感情や場の雰囲気を読むことは得意だが、ディベートの訓練を受けないせいか、論理的思考が苦手な人が多い。論理上の矛盾や、すり替えに気付かない。
相手のメンツを重んじ、人間関係の悪化を嫌うあまり、正面から「違う」と言えない面もある。
武器を持たない国がどのようになるかは、近現代史から学ぶべきだ。
中華人民共和国(PRC)は1949年の建国直後から、十分な軍事力を持たないウイグル、チベット、内モンゴルに軍事侵攻した。実行支配し、自国の一部だと言い出した。
同地域の民族虐殺や人権弾圧は現在進行形で行われているが、日本のマスコミではほとんど報道されない。
水木さんは戦場の悲惨さを作品に描いたが、他国に支配され、武器が無いため抵抗できない国民の日常は戦場と同じくらい悲惨だ。
特に女性が最大の被害者となることを日本は経験済みである。
終戦後、大陸から日本に引き上げる途中、
数多くの日本人女性が、ソ連人や中国人、朝鮮人に強姦された。
詳しくは「二日市保養所」や「竹林はるか遠く」で検索してほしい。
米軍も進駐直後から、数多くのレイプ事件を起こした。日本人女性を守るため、政府主導で、東京や横浜をはじめ、全国各地に特殊慰安所(売春施設)が開設された。
GHQ(連合国軍総司令部)の情報統制のため、一連の事実を知らない日本人が多い。
もし、日本が武器を捨てれば、いずれはウイグルやチベットで暴虐の限りを尽くした人民解放軍が、日本でそれを再現するだろう。
■ケント・ギルバート 米カリフォルニア州弁護士、タレント。1952年、米アイダホ州生まれ。71年に初来日。自著・共著に『まだGHQの洗脳に縛られている日本人』(PHP研究所)、『素晴らしい国・日本に告ぐ』(青林堂)など。
【芸能】津川雅彦「左翼思想によって日本映画ダメになった」「テレビ局がつくるのは最低の映画ばかり、あれは紙芝居」
日本映画が質量ともに復調してきたと言われて数年経つ。
1990年代には公開本数、興行収入ともに落ち込むばかりだったが、現在は毎年のように注目のヒット作が生まれ、シネコンが普及し映画館へ足を運ぶ人も増えた。
ところが日本映画の父、マキノ省三の孫で俳優・映画監督の津川雅彦氏は「テレビ局がつくるのは最低の映画ばかり。映画賞もくだらん」と嘆く。作家の山藤章一郎氏が、津川氏の日本映画批判の言葉を報告する。
工藤栄一監督から、聞いたんです。「ぼくはマキノ光雄さんに育てられた」って。 先に系譜をいうと、マキノ光雄は牧野省三の次男。長男がマキノ雅弘。ぼくは、四女・智子の子です。
工藤さんは慶応法科を出て、東映の企画室に入った。のちに、集団抗争劇の傑作『十三人の刺客』や、やくざ映画を作った人です。 で最初に、光雄から「毎日一冊本を読め。1年365本の企画書を出せ」と命じられた。工藤さんは3年間きっちりそれをやる。ほぼ1000冊ですね。「それがぼくの演出力とアイディアになっているんだ」と。映画を全盛に導いたのは、そのバイタリティです。そして基本。
原作を読み漁る。テーマをどうするか。何で客を呼ぶか。キャラクターをどう立てるか。
牧野省三は明治41年、日本初の劇映画『本能寺合戦』で、すでにその基本を打ち樹(た)てている。
ヒーローとヒロインは同じ性格であってはいけない。相反、葛藤して初めてドラマになるといっています。それが〈ドラマチック〉だと。
大映のオーナーだった永田雅一が「このごろのドラマにはチックがない」といったのは有名ですが、〈チック〉とは、匙加減で少し面白くする、派手にする、そういうサービス精神です。
それがまあ、ひとつはテレビによって日本映画はだめになった。もうひとつは左翼思想。 いっとき、左翼にあらずば映画人にあらずの風潮が吹き荒れた。左翼思想は別に悪くないが、反資本になる。
私もマキノ雅彦を名乗って、いくつか監督をやった。叔父である雅弘にマキノを名乗るには条件がひとつあると言われました。
自分でカネを出すな。自分でカネを出すと、客を喜ばそうとせずわがままになる。俺が損すりゃいいんだろうと自分の喜ぶ作品をつくる。
それはダメだ。金主にカネを出させる。そして必ず儲けさせる。これがマキノの鉄則ですね。
ところが左翼は、資本家を儲けさせたらだめだという。
大島渚監督まではなんとかなったが、あとはどんどん芸術映画を作った。
芸術映画も結構ですよ。『舟を編む』本当に地味ですが、いい映画なんです。あれこそ芸術。
奥田瑛二の『今日子と修一の場合』も実にリアルでいい話なんです。まさしく芸術映画、そらぞらしくない。客も入りません。
娯楽映画がたくさんあって、たまにああいう映画がある。これが日本映画の良心です。山田洋次とはえらい違いだ。
『武士の一分』なんて作って〈一分〉を描かない。反対に、武士はだらしないという映画にする。
娯楽映画でも芸術映画でもない。なんだろ、あれは。
しかしまあいま、娯楽映画といえばテレビ局のつくる紙芝居。『テルマエ・ロマエ』を筆頭に、あれは映画ではない。紙芝居。
なぜか。テレビの演出家が映画、ドラマを勉強していない。起承転結、ドラマチック、キャラクターづくり。
最初の掴み、終わりよければすべて良しとかね。テーマも鮮明でない。要するにストーリーだけで運ぶ。
牧野省三が映画について〈1・すじ、2・ぬけ、3・動作〉といった。すじは、脚本、ストーリー、ぬけは、キャメラや現像、撮影のこと。
動作は役者の芝居です。そして長男のマキノ雅弘はこういった。「30%やぞ」と。
〈30%〉とは何か。映画は目で見る。見える部分は〈30%〉にしておけ。70%は観客の想像力を喚起させよと。
想像できる内容ですよね。それがないと映画にはならんと深い所を突いているんです。
ものは、見るだけでは頭脳を発達させない。読むことこそ、想像力を働かさせる。映画に必要なものはこの想像力だと。
だから、見させるだけで終わるのはテレビです。その昔は紙芝居だった。同じ類いのものですね。
マキノ一統は、見えるものだけで勝負したらだめだぞ、といってきたわけです。筋はおもしろおかしくつないでいくが、見た後で、残るものがない。見えていなかったものこそが実は残るんですよ。
ところが、観客のほとんどはテレビで脳みそを薄くされ、30%で満足している。テレビに飼いならされた大衆だ。
そこで、日本の映画はどんどん衰退したんです。