台湾人
「日本当地時代が懐かしいお・゚・(ノД`)」
懐日映画が続々制作され大ヒット
今なぜ台湾で「懐日映画」が大ヒットするのか
戦後70年、無視されてきた「人間の歴史」
台湾で今年最も話題を集めた映画の一つが、終戦後に台湾から日本に引き揚げた人々を追ったドキュメンタリー映画「湾生回家」である。
「湾生(わんせい)」とは、戦前、台湾で生まれ育った日本人のことを指す。
戦後70年、無視されてきた「人間の歴史」
台湾で今年最も話題を集めた映画の一つが、終戦後に台湾から日本に引き揚げた人々を追ったドキュメンタリー映画「湾生回家」である。
「湾生(わんせい)」とは、戦前、台湾で生まれ育った日本人のことを指す。
映画の日本語タイトルは
「故郷-湾生帰郷物語」。
ドキュメンタリーとしては、興行収入1億円を超える台湾で異例のヒットとなり、
来年には日本でも公開される予定だ。
この映画は、「回家」という言葉が示すように、
来年には日本でも公開される予定だ。
この映画は、「回家」という言葉が示すように、
湾生たちは日本に帰った後も、忘れようとしても忘れられなかった「台湾=故郷」に、戦後70年を経て、深い感慨とともに戻っていく物語を描く。
映画のなかでは、高齢に達した湾生たちが、それぞれの「故郷」で懐かしい人々や景色と再び出会い、台湾への愛惜や戦後の人生を語り尽くすところが見どころだ。
「懐日ブーム」を担うのは20代、30代
なぜ、湾生たちを取り上げた映画が台湾でヒットしたのか。
映画のなかでは、高齢に達した湾生たちが、それぞれの「故郷」で懐かしい人々や景色と再び出会い、台湾への愛惜や戦後の人生を語り尽くすところが見どころだ。
「懐日ブーム」を担うのは20代、30代
なぜ、湾生たちを取り上げた映画が台湾でヒットしたのか。
それは、近年台湾で広がる「懐日(日本を懐かしむ)」ブームと深く関係している。
台湾には、 1895年から 1945年にかけての日本統治時代の多くの建築物や産業遺跡が残っているが、これらの保存・再活用を通して、「日式」を台湾に残そうという取り組みが各地で活発化しているのだ。
昨年は日本でも公開された、戦前の日本統治下の台湾から高校野球・嘉義農林チームが日本本土の甲子園に出場し、準優勝する活躍を描いた映画「 KANO」も大ヒットした。
台湾には、 1895年から 1945年にかけての日本統治時代の多くの建築物や産業遺跡が残っているが、これらの保存・再活用を通して、「日式」を台湾に残そうという取り組みが各地で活発化しているのだ。
昨年は日本でも公開された、戦前の日本統治下の台湾から高校野球・嘉義農林チームが日本本土の甲子園に出場し、準優勝する活躍を描いた映画「 KANO」も大ヒットした。
台湾には、戦前に日本語教育を受けた人々もいるが、
いまの「懐日」ブームを担うのは20代、30代の若者だという点が特に興味深いポイントだ。
いまの「懐日」ブームを担うのは20代、30代の若者だという点が特に興味深いポイントだ。
【台湾】「日本を想い続ける台湾人」
~元祖・台湾哈日(日本大好き)族=哈日杏子
2013年現在、みなさんは「哈日(ハーリー、またはハールー)症」と聞いて、どんなことを思い浮かべるでしょうか。懐かしいと思うでしょうか。それとも初めて聞く言葉でしょうか。まずはこの「哈日症」について説明しましょう。
日本が好きでたまらないという造語「哈日」
「哈日」という語は、私が創った言葉です。台湾で話される北京語には従来なかった言葉で、1996年に出版した4コマ漫画『早安日本(おはよう日本)』の中で初めて用い、自分のペンネームにも使いました。「哈」は台湾語(台湾で話される閩南語[びんなんご=中国福建省南部の地方語])の「ha」から来ており、元の意味は「とっても欲しい」「欲しくてたまらない」「我慢できない」などの意味です。「日」は日本を指し、つまり「哈日」とは「日本のことが好きでたまらない」ということです。北京語ではうまく表現できなかった「日本が好き」とか「日本への熱い想い」をこれで表しました。私にとって「哈日」は治療の施しようがない末期症状であり、私は「哈日」の後に、さらに「症」という字を加えました。「哈日症」という言葉はこうしてできたのです。
それでは、「哈日症」はどのように台湾の人々に広まっていったのでしょうか。当時、私はテレビの人気ブックレビュー番組に出演する機会があり、その番組の司会者が、私の『おはよう日本』に出てくる「哈日症」を有名にしました。その後、台湾のメディアでは、日本が好きで「哈日症」になった人々を「哈日族(ハーリーズー、またはハールーズー)」と呼ぶようになっていきます。「哈日族」という言葉は台湾語・北京語・日本語の3言語に縁があり、台湾人にとっては「哈日族」という語を見ただけで意味が分かる、まさに一目瞭然の言葉です(笑)。
私はいまだに日本留学という長年の夢をかなえていませんが、22歳の時に初めて旅行で日本を訪れ、実際の日本を目の当たりにしてからというもの、「哈日」という底なし沼に足を踏み入れてしまい、日本の魅力の虜(とりこ)となっています。漫画の他に、奥深い日本語、和食グルメ、美しき日本の風景、和服、伝統芸能、古い建築物など、どれ一つとして興味をそそられないものはありません。初めての外国旅行だった最初の訪日以来、私の中の「哈日」遺伝子が呼び覚まされ、いつの間にか六十数回の訪日となってしまいました。1回あたりの滞在期間も回を追うごとに長くなり、以前は数日だったのが、いつの間にか数カ月に及ぶようになりました。今ではビザ期限の最後の1日まで滞在し、後ろ髪引かれるように台湾に戻っていきます。
2000年にピークを迎えた「哈日」現象
当初、私は台湾に戻るたびに、またすぐに日本に行きたいという衝動に駆られ、日本に初めて降り立った時や日本で短期研修を行った際に感じたさまざまなことを4コマ漫画にして描いていました。「阿杏」という名の漫画の主人公は重度の「哈日症」で、台湾にいても、日本にいても、常人とは思えない数々の奇妙な行動を取りますが、この主人公は私自身の分身です。1996年の『おはよう日本』の出版のタイミングは釣魚台(尖閣諸島の台湾名)事件の発生と重なり、その後台湾と日本の関係は冷え切ってしまいました。しかし、そんなハードルも、私の日本への熱い想いを消せるものではなく、1998年には、日本が私に与えた文化的なインパクトを1冊のエッセー集『我得了哈日症(私、哈日症にかかりました)』にまとめ、これ以降、作家としても活動を始めました。
「哈日」現象はさまざまなメディアで採り上げられ、2000年は「哈日」の最盛期ともいうべき年になりました。例えばマクドナルドのキティちゃんグッズをわざわざ学校や仕事を休んで入手しようとする人が列を作るほどの熱狂ぶりでした。異常なまでに親日の小さな島である台湾で起きたこのような奇妙な社会現象は、日本のメディアが取材のために次々と来台したことで、少しずつ日本人の目にも触れていきました。このようなムードの中、2001年1月、私は幸運にも日本で1冊目の日本語エッセー『哈日杏子のニッポン中毒』(小学館刊)を出版することができました。この本は今年8月に電子書籍化されます。初版から12年ぶりに再び訪れるうれしい出来事です。
私が「哈日」になった理由
台湾と日本のことを語る上で、政治を抜きにして語ることはできません。1895年から1945年までの50年間、日本は台湾を統治しました。台湾各地には、今でも当時の日本人が建てた建築物や日本人の生活の痕跡などがたくさん残っています。台湾人が日本に抱く感情は実に複雑です。当時の台湾人は日本語学習を強制され、日本人が定めた制度と生活モデルを受容させられました。欧米人にとっての日本のイメージは、刺し身、忍者、相撲に侍、富士山などが多いのでしょうが、(日本と台湾の歴史的経緯により)台湾人はさらに深いところまで読み取ります。
また、「哈日」が台湾で起きた理由を正しく分析するためには、台湾に住む人々の出自から考えなくてはならないでしょう。台湾で生まれ育った本省人、(中国の国共内戦での敗北後に)中国大陸から国民党軍と共に来台した外省人、台湾の先住民、(本省人や外省人の中で客家[はっか]語を母語とする)客家族。それぞれ日本への見方は違います。愛もあれば憎しみもあるでしょう。
(本省人の)私の祖父は1912年生まれで、日本統治時代を経験しました。私が小さかった頃、彼はよく私に日本語で話しかけ、日本の歌を歌って聞かせてくれました。冬は決まって腹巻きをして、普段は下駄を履いて、外出の時は必ず紳士帽をかぶり、外見は日本人そのものでした。彼は日本が憎かったのでしょうか。察するにそんなことはなかったでしょう。彼はあの時代のことをとても懐かしんでいました。大人になって「哈日族」となった私は、毎回彼に日本に行くことを伝えると、日本のどこそこの物を買ってくるように頼まれました。日本の薬、足袋、腹巻き、お菓子などが入った小包が届くと、毎回電話で長々と私にお礼と喜びを伝えました。晩年に病気になるまで、私とは日本語でやり取りをしていました。日本は彼にとって、美しく、そして消すことができない、もう一つの「過去」だったのでしょう。
では、私自身はなぜ「哈日」となったのでしょうか。私は小さい頃から絵を描くのが好きで、将来は漫画家になろうと思い、日本の漫画に魅力を感じていました。1987年以前の台湾は戒厳令下の緊張した時期にあり、日本の情報や品物は民間の闇ルート、つまり海賊版や個人輸入として、静かに広まっていました。日本の品物は台湾のたくさんのショッピングモールで購入できました。街中の本屋さんには日本の漫画があふれ、幼い頃の私と弟は、『ドラえもん』や『ウルトラマン』、『おそ松くん』などは、すべて台湾人の作品だと思っていたくらいでした。節約してためたお小遣いを持って、台北・西門町の「万年大楼」で日本のアイドルのポスターやブロマイド、カセットテープ(当然海賊版です)と日本製の雑誌を買って放課後に楽しむというのが、私たちの最高の娯楽でした。
長く誤解されてきた「哈日族」
「哈日」の行動パターンを一つひとつ分析しようとしても、三日三晩あっても足りないのですが、簡単に言うと、「哈日」には表面的な部分と内面的な部分があります。身なり格好や口調、実際の行動から日本が好きだということを表だってアピールする人もいれば、心と頭の中で静かに日本の企業理念や職人気質などを分析し、日本文化に敬服する人もいます。私は後者です。かつてある記者から、「哈日族はいったいどれくらいいるのですか?」と聞かれ、「恐らく正解など無いでしょう。だって私がいくら『哈日族』だと訴えても、私の身なりは至って普通で、外見からでは分からないでしょう」と答えたところ、残念ながらメディアとして求めていた答えは違っていたようで、撮影の際、私に「必勝」の二文字を記した白い鉢巻きをさせ、浴衣に下駄を履かせ、「日の丸」の扇子を持たせ、日本の記念品の前に立たせたのでした。この写真は後日某大手新聞の紙面に掲載され、それを見た時、私は本当に心が痛みました。なぜなら、本当の「哈日」はそんなことでは断じてないからです。
以前、台湾のメディアでは、「哈日族」は「日本のことなら、見境なく何でも良い、何でもカワイイ(と言う)」と批判的に報道されていました。さらに、「哈日族」は日本の表面的な部分しか見ていない、やみくもに日本に追随し、無駄遣いをする、頭が悪い、薦められない行為などと報道されました。本当にそうなのでしょうか。1人の「老哈日族」として、本当の「哈日」にはきちんと行動原理があることをお伝えしたいと思います。日本人やその事物、流行や精神、和食や商品が好きなのは、何ら悪いことではありませんし、ましてや私たちは、盲目的などでは決してありません。私たちは、本当に憧れに値し、愛(め)でるのに値する事物(あるいは方向)にしか夢中にならず、日本の良くない人物や事物については、初めから興味がありません。きちんと進むべき「哈日」の方向があります。好きだからこそ、努力して理解しようと思い、没頭するのです。
台湾人が日本のテレビドラマに夢中になったために、台湾でも若者向けの洗練されたドラマが作られるようになり、「哈日族」が日本ブランドのファッションに夢中になったために、台湾でもM.I.T(メード・イン・台湾)の人気ナショナルブランドが登場し、台湾にある日系デパートの美しいサービスがあったために、台湾の地元デパートでも従業員の訓練や管理を重視するようになりました。これらは台湾にとって良い刺激であり、「哈日」が良くないなど言えないでしょう。「哈日族」は長らく大変な誤解を受けてきました。私はメディアの間違った批評や報道について、ぜひこの文章を読んで、「哈日」について認識を改めていただきたいと思います。
現在の台湾は史上最高の「哈日天国」
時代や政治環境の変化とともに、台湾人の「哈日」行為も変化しています。昔は隠れてコソコソ、その後は堂々と行うようになり、今では当たり前になりました。日本が好きで、日本を受け入れ、生活の至る所に日本の商品や日本語があふれる環境下にいることは、もはや台湾人にとってはいちいち話題にするまでもないことになりました。
台湾の人口はおよそ2300万人ですが、毎年約120万人が訪日しています。特に2012年は、実に146万6688人(日本政府観光局[JNTO]統計)に達し、平均16人に1人の台湾人が日本を訪れたことになります。1年間に数度訪日する人も少なくありません。21世紀のインターネットと情報の発達は、台湾と日本の距離をいっそう縮めました。もはや日本の情報を入手するのに、かつてのような壁は無くなったと言えるでしょう。
さらに2013年現在の台湾は、史上最高の「哈日天国」になったと言えるのではないでしょうか。近年の日中関係の悪化は、親日的な台湾を日本企業のホットな投資先にさせました。今では「時差ゼロ」の日本のファッション、書籍、食品、日用品、医薬品、電子機器、本場の日本料理、ラーメン、さらに100%純正輸入の日本の温泉旅館、ホテルサービス、日系のボディーサロンでのエステ、日本のトレンドヘアスタイルなどを台湾人は台湾にいながら堪能することができるようになりました。今年4月には、かの有名な宝塚歌劇団までもが台湾公演を行いました。言うまでもなく、半年前にはチケットが完売したそうです。
日本との友好関係の永続を願う
台湾人が心の底から日本を支持しているのは、2年前の東日本大震災後の台湾人の驚くべき行動力と義援金の額から十分に証明できるでしょう。出発点はそれぞれ違いますが、私たちは、みな日本が好きです。たとえラーメンであろうが、日本の歴史であろうが、温泉であろうが、ゲーム、音楽、伝統文化、建築、和食、あるいは日本の風景が好きだったとしても、「哈日族」たちは、みな日本が好きです。だからこそ、日本にはこれからもずっとこの地球上に存在してほしいし、消えてほしくないのです。ただただ1日も早く元気を取り戻し、私たちをこれからも夢中にさせてほしいのです。このような見返りを求めない無償の愛は、当初の私たちの「哈日精神」から大きく昇華したものであり、台湾人の私自身ですら、この変化に心打たれています。
私は「哈日」によって、普通のOLから漫画家、作家となり、日本にいるたくさんの「哈台(台湾大好き)族」とも知り合うことができました。「哈日」は私の人生を変えたのです。また、「哈日」を介して、いっそう台湾を愛することができるようになりました。日本が明日もあり続ける限り、私もまた明日も「哈日」を続けます。日本を永遠に想い続ける台湾人。心から日本との友好関係が永遠に続くよう願ってやみません。
(原文中国語)
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