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【沖縄が危ない】 語られなかった米軍との熾烈な諜報戦。米軍はこの点で、帝国陸軍を自衛隊以上に評価している。

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沖縄が危ない
語られなかった米軍との
熾烈な諜報戦

米軍はこの点で、帝国陸軍を
自衛隊以上に評価している。

【沖縄が危ない】

語られなかった米軍との諜報戦 ★(4)

★(4)2013.03.01


沖縄の地元紙は、米軍軍人が事・事故を起こすと大きく報道するが、



イメージ 1

 防衛省は、

中国軍による沖縄県・尖閣諸島への軍事侵攻のほかに、

宮古島、石垣島、下地島方面への同時侵攻も懸念している。


中国軍がこれらの島々を占領すれば、

核弾頭搭載の原子力潜水艦を、

太平洋にノーチェックで進出させられ、

米国を大きく牽制できる。



下地島には3000メートルの滑走路があり、

日本の南西航路帯を完全に押さえ込むことができる。



 ところが、これらの島々には米軍も自衛隊の戦闘部隊も駐屯していない。

宮古、石垣両島にあった公安調査庁の出張所は2001年3月に閉鎖された。

自衛隊の調査隊は沖縄本島に展開しているが25人弱だ。



 まさに、南西諸島の島々は、防衛、情報の空白地域といえる。

今後、この方面に月間2000人以上の中国人観光客が訪れるといわれる。



 一方、先の大戦における沖縄戦で語られなかった部分がある。

米軍との熾烈な諜報謀略戦である。

米軍はこの点で、帝国陸軍を自衛隊以上に評価している。



 米軍は、沖縄戦の際、艦艇1500隻、人員55万人(日本軍の約5倍)を投入し、
爆弾、榴弾砲、艦砲、ロケット弾合計3800万発以上を撃ち込んだ。


 
同時に、したたかな諜報戦を仕掛けた。


 戦前、沖縄県民が日本社会になかなか融合できなかったことを利用し、

 思想面で沖縄を日本から分離しようとたくらんだのだ。

 要するに「軍と民の離反」を計ったのである。


 工作員には、

(1)中国大陸に住む旧琉球王国官吏の子孫で反日分子

(2)ハワイや北米に移民した沖縄県出身者-らが選ばれた。

1943年後半から防備の手薄な本島北部へ、夜間、ひそかに潜水艦で送り込んだ。

さらに県内居住の校長や議員などの名士を買収した。



 これに対し、

わが国は陸軍中野学校出身の情報戦のプロを、

離島を含む県内各地に配置して防諜に務めたのである。


 結果、米軍のもくろみはもろくも崩れ、

諜報謀略に引っかかった村は、本島中部の1村のみだった。



そして、軍民一丸となった戦闘は米軍を

恐怖のどん底に陥れた。

「沖縄制圧を、2、3週間で完了する」と豪語していた米軍は6カ月も費やし、

 戦死者1万2520人、陸上戦闘のみで戦闘疲労症2万6211人を数えた。 
 


 海上ではさらに打撃を受けた。1500機以上の特攻機が米艦隊を襲ったのである。


 米第5艦隊長官のスプルーアンス海軍大将は、艦隊の損傷に加え、将兵が精神的に参ってしまったため、ニミッツ元帥に撤退を打診していたほどである。



 一方、終戦後、インドネシアから撤退する

帝国海軍陸戦隊士官に、

 中国・国民党軍の将校が近づき、


「残置諜者は配属しないのですか。

 中国では、たとえ戦争に負けても、

次に備えて残置諜者を置いていきます」

と平然と語ったという。


 これを聞いた海軍士官は、

中国漢民族のしたたかさを改めて実感した。



惠隆之介(めぐみ・りゅうのすけ) 

 1954年、沖縄コザ市生まれ。78年、防衛大学校卒業、海上自衛隊幹部候補生学校、世界一周遠洋航海を経て、艦隊勤務。82年に2等海尉で退官し、銀行へ就職する。97年 米国国務省プログラムにて国際金融、国家戦略などを研修。現在、拓殖大学客員教授、八重山日報論説委員長。

著書に「誰も語れなかった沖縄の真実」(WAC)など。3月中旬、「沖縄が中国になる日」(育鵬社)を緊急出版する。




ソース:http://blog.goo.ne.jp/kanayame_47/e/b4ce2ad9ade4c50e3193e7012f40352f
 
管理人注 : 事実、ウィキペディア 沖縄戦 を読めば、
     米軍には発狂者も続出し、米大将クラスも戦死。
     あまりに多くの戦死者が出た為、トルーマン大統領は恐怖したともある。
     しかし、このことがトルーマンに原爆を落とすしかないという思考も与えた。

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付近の陣地から十字砲火を浴びせる戦法です 


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米海兵隊の「バンザイ突撃(ホイッスルでしたが)」が行われたほどです 




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      那覇市街への突破を試みる 精鋭・米第6海兵師団と、 
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打ち込まれた砲弾で地中の白い石灰岩が露出 砂糖パンのようになったことから「シュガーローフヒル」と呼ばれた 

 
シュガーローフを一角とした周囲三つの丘から構成された地下陣地は、 
       どれか一つの丘が攻略されても他の二つの丘から攻勢可能 

姿の見えない日本兵と戦い、その精確無比な狙撃に撃ち倒され 
        歩兵を援護するため丘に接近する米戦車は、ことごとく速射砲の餌食となる 

米海兵隊は2600名を超える戦死傷者に加え、1200名以上が発狂・・・ 


【沖縄が危ない】習近平は福建省にいた17年間に、少なくとも沖縄県を4回訪問している。進めてきた沖縄と日米の分断工作★(2)


【沖縄が危ない】


習近平氏が進めてきた沖縄と日米の分断工作★(2)

 沖縄本島で盛り上がる「反日」「反米」「親中」世論の背後に、

 中国の習近平総書記の存在が見える。
 習氏は1985年から、沖縄県と歴史的に関係の深い中国・福建省に勤務し、2000年に47歳の若さでトップの省長になった。


 
県政関係者によると、習氏は福建省にいた17年間に、少なくとも沖縄県を4回訪問したという。
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 私はこのうち2回を新聞記事などで確認した。
 
 琉球王国時代、北京に向かう王府官吏たちは福建省福州市の「琉球館」をベースに活動した。
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 福建と沖縄は民情が酷似しており、福建には沖縄にある亀甲墓も見られ、王国時代の沖縄人墓も存在する。
 習氏は沖縄を訪問した際、他の共産党幹部のような自己主張はせず、温厚に笑みを絶やさず、謙虚に接したという。

 沖縄県民のノスタルジアと、習氏の性格が相乗して、沖縄政財界の心を捕らえたのである。
 沖縄県福建省は1997年9月、「沖縄県福建省友好省県」を締結した。習氏はこのとき、福建省党委員会副書記であった。
 これに先立ち、94年から2001年まで、沖縄県福建友好サミットが計7回、沖縄県福建省で開催されている。沖縄県で開催された第1回サミットには、福建省の陳明義省長ら170人が訪問したのをはじめ、沖縄開催の3、6、7回サミットには、それぞれ33人、46人、19人の福建省代表団が来県している。
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習近平氏は何度も沖縄を訪れ“親中”ムードを醸成した(AP)【拡大】
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