デタラメ司法取引
片手間弁護
異国でトンデモ冤罪の恐怖
日本人救う〝国境なき弁護団〟結成
言葉の通じない異国の地で、もし警察に逮捕されたら。しかも、まったく身に覚えのない冤罪(えんざい)で-。海外進出の増加に伴い、こんな恐ろしい事態に巻き込まれるケースが少なからず報告されている。でたらめな刑事手続きと不十分な通訳。現地の国選弁護人はやる気がなく、有罪前提の司法取引を迫られる。こうした絶望的状況から日本人を救うため、関西の弁護士らが立ち上がり、一般社団法人「国境なき刑事弁護団」(大阪市北区)を結成した。薬物密輸などをめぐって無罪を勝ち取ってきた彼らが見た海外のトンでも冤罪事件とは。
偽造された許可証
2008年2月、南米アルゼンチンの首都ブエノスアイレス。郊外にあるエセイサ国際空港の税関で、昆虫研究家の日本人男性が現地当局に逮捕された。
男性は現地で収集した希少昆虫を日本に運ぼうとしていた。そのための許可証も持っていた。自身も収集家で現地メディアにも取り上げられたことがあるという男、パブロが用意してくれていたのだ。ところが、このパブロが手配した書類はまったくの偽物だった。
不幸中の幸いというべきか、男性の国選弁護人には大学の法学部で教鞭(きょうべん)をとる著名な弁護士がつき、保釈が認められた。ただ、行動と居住はブエノスアイレス市内に制限された。
一日でも早く帰国したいと願う男性に、通訳を担当した日系人がこう持ちかけた。「自分の娘は日本語も分かる、優秀な弁護士なんだ」
国選弁護人がいくら敏腕でも、裁判でどう転ぶかは分からない。男性にとって日本語で意思疎通できる弁護士の存在はまさに天の助けだった。
こうして男性は国選弁護人を解任し、私選で日系3世の女性弁護士を雇った。報酬は200万円。現地の平均年収に相当するほどの大金という。男性も決して裕福ではなく、日本にいる妻が親戚中を回って用立てた。
しかし、この女性弁護士、カネを受け取るやいなや「無罪は無理です」と言い出した。罪を認め、少しでも軽い刑を、という量刑狙いのみの弁護方針。男性がいくら無罪を訴えても、聞く耳を持たなかった。
異例の無罪求刑
「法学部を出れば、みんな弁護士資格を持っているような状態。日本と同じように考えてはいけない」
こう語るのは「国境なき弁護団」の団長を務める山下潔弁護士(大阪弁護士会)。このアルゼンチンのケースでも、女性弁護士は他の職業も持っており、男性の事件はいわば〝片手間〟だった。
男性の妻から相談を受けた日本の弁護士らはそれから数カ月にわたり、男性とメールでやり取り。事件記録の入手、さらに現状把握に努め、満を持してブエノスアイレスに入った。
現地では女性弁護士と面会のうえ、ただちに解任。最初の国選弁護人に協力を依頼し、大学教授の別の弁護士を紹介してもらった。さらに現地の日本領事館や在留日本人会にも協力を求めた。弁護団は4、5日間の滞在中にできる限りのことをして帰国した。
そして迎えた2009年10月の初公判。男性は「偽造許可証とは知らなかった」と無罪を訴えた。
そもそも男性はスペイン語が皆目分からず、偽造文書そのものも読むことができないのだ。第2回公判で検察側が行ったのは異例の無罪求刑。男性は逮捕から1年8カ月を経て、ようやく自由の身となった。
「弁護士との戦い」
「認めれば懲役8年、否認すれば懲役12年だ」
2002年、オーストラリアのシドニー空港で、覚醒剤密輸容疑で拘束された日本人男性=当時(51)=は弁護人から司法取引に応じるよう迫られた。
男性はタイで事業を起こそうとして失敗、観光ビザも切れかけていた。そんなとき、タイ在住の日本人の知人から「オーストラリアで働いているタイ人と会って、生活状況を聞いてきてほしい」と依頼された。
いったんオーストラリアを挟めば、再びタイのビザが更新できる。男性はタイでの再起を誓っていた。楽な頼まれ仕事だと思ってシドニーに向かった。
ところが、土産として預かった日本酒の瓶の中身は覚醒剤の水溶液だった。空港で発覚し、男性はそのまま拘束される。
弁護に当たったのは「リーガルエイド」で派遣された人物だった。資力のない容疑者への弁護士扶助制度だが、やる気に欠けたり、本人の意に沿わない司法取引で安易に早期終結を図ったりする弊害も指摘されているという。
リーガルエイドの弁護人の言い分にも、理解できるところはあった。オーストラリアでは司法取引が当たり前で、そのうえ薬物事犯に無罪が出る可能性は極めて低い。それでも男性は全面的に争うことを決め、日本の家族に「真実で闘ってみます」と手紙を書いた。
山下弁護士らは家族から相談を受けて現地入り。オーストラリアの弁護士資格を持っていないため、できることはリーガルエイドの弁護人をサポートすることだけだった。
そこでまず説いたのは、文化の違いだ。山下弁護士によれば、オーストラリアには誰かを尋ねる際に、知人から預かった手土産を持参する風習がない。その点について「日本ではよくあること」と説明した。さらに男性に運び屋の動機がないことをその身上経歴から力説し、証拠収集にも協力した。
弁護人もついに重い腰を上げ、無罪主張に方針を転換。結果的に陪審の無罪評決を勝ち取ったが、「現地の弁護士との戦いでもあった」というのが山下弁護士の感想だ。
「弁護に国境なし」
山下弁護士らが最初に携わった海外の事件は1992年のメルボルン事件だった。オーストラリアのメルボルン空港で、日本人観光客5人がヘロインを大量に所持していたとして逮捕された。
弁護団によれば、途中のマレーシアで旅行かばんを奪われ、現地ガイドに代替品として渡されたスーツケースが二重底になっていたという。5人はいずれも無罪を主張したが、懲役15~20年の実刑で刑務所に収監された。
弁護団によれば、捜査や公判をつぶさに見ると、通訳の不備や誤訳が次々と浮上した。そんな誤りの上に築かれた証拠構造に、弁護人も同意していた。山下弁護士は「誤訳が冤罪につながった」と今も無罪を疑っていない。現在は5人とも仮釈放されている。
海外の冤罪事件に共通するのは、裏付けの不十分な捜査に加えて、現地弁護士の〝弁護過誤〟ともいえる状況だろう。無実の叫びを聞いてもらえず、諦めて司法取引に応じた人もいるかもしれない。
現地の日本領事館に助けを求めてもマニュアル通りの形式的な対応が多く、外国で犯罪に巻き込まれた日本人らを支援・救済するシステムは制度的には確立していないのが現状という。
国内の弁護士有志はこうした相談を受けるたびにサポートしてきたが、渡航や滞在、調査の費用などが多額で、弁護士側の負担は大きい。また、日本人の弁護士がいきなり海外に押しかけても、信用されないという事情もあった。
そこで、信用力の向上や寄付の受け入れ体制の強化を目的に、今年に入って一般社団法人を結成。「国境なき刑事弁護団」と名付けた。メンバーは大阪弁護士会と兵庫県弁護士会に所属する6人だ。
メンバーの一人、正木幸博弁護士(大阪弁護士会)は「警察や検察など捜査当局は国境を越えて情報交換している。では、弁護側はどうだろうか」と疑問を投げかけ、「法律に国境の壁はあるが、事件の証拠収集の壁を作ってはいけない」と訴えた。
ハミングバードの精神
万が一、海外で身に覚えのない事件に巻き込まれた場合、まずは日本の在外公館に助けを求めるのが基本だ。そのうえで現地弁護士とコミュニケーションが取れない、通訳が機能しないという事態が出てくれば、同弁護団に相談してほしいという。
同弁護団のロゴマークはハミングバード。南米エクアドルに伝わる物語に由来する。
ある日、山火事が発生し、森の動物たちが逃げ出した。その中で唯一、ハミングバードだけがくちばしで水滴を運び、火を消そうとしていた。
「そんなことをして何になるの?」と嘲笑する動物たちにハミングバードは答えた。「私は、私にできることをしているだけ」
微力であろうと、力を尽くすのがモットーだ。