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安倍政権「支持率急増」のナゾを読み解く~サラバ野党!正義論、理想論が通じる時代は終わった

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安倍政権「支持率急増」のナゾを読み解く~サラバ野党!正義論、理想論が通じる時代は終わった


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安倍政権の支持率上昇は何を意味しているか?

 第3次安倍改造内閣の支持率が上昇している。

 各社の世論調査によれば、おおむね支持が前回調査に比べて4~5ポイント上昇した一方、不支持は5~9ポイント下落した。安全保障関連法をめぐって反対運動が盛り上がったにもかかわらず、なぜ支持が増えたのか。

 世論調査によると、読売新聞が支持46%(5ポイント増)に対して不支持が45%(6ポイント減)、日本経済新聞は支持44%(4ポイント増)、不支持42%(5ポイント減)、毎日新聞は支持39%(4ポイント増)、不支持43%(7ポイント減)、共同通信が支持44.8%(5.9ポイント増)、不支持41.2%(9ポイント減)だった。

 10月13日に発表されたNHKは支持が43%(変わらず)、不支持が40%(1ポイント増)となっている。政党支持率はどうかといえば、自民党支持が35.6%(0.9ポイント増)、民主党は8.6%(1.2ポイント減)だった。自民党支持率が上がって、民主党支持率が下がったのが注目される。

 こうした結果をどうみるか。

 安保関連法の国会採決については、多くて8割、少なくても6割以上の回答者が反対ないし慎重審議を求めていた。それを根拠に野党は「多くの国民が反対している安保関連法を強行採決したのは暴挙」と批判した。

 野党の言い分通りなら、内閣支持率は下がって当然だ。だが結果は正反対で、NHKを除いて支持が上昇している。多くの国民は国会で慎重審議を求めたが、法案が可決成立した後は、結果的に「やむをえない」と容認したようにも読める。

 私は少なくとも、野党は「国民を説得するのに失敗した」と認めるべきだと思う。「戦争法案だ」とか「日本が徴兵制になる」といったレッテル張りの批判が、多くの国民に受け入れられなかったのだ。

 一方で採決に批判があったのもたしかだから、安倍晋三政権が積極的に支持されたというより、野党が支持されていない、とみるべきではないか。問題は野党の側にある。

 なぜ野党が支持されないのか。今回はそこを考えてみる。


野党の「素朴な正義論」vs与党の「現実論」

 私の観察では、野党議員やその支持者は概して真面目で「正しいことは何か」を素朴に考えている人が多いように思う。たとえば「日本が戦争をする国になってはいけない」とか「憲法に反する法律を作ってはいけない」といった具合だ。

 今回の安保関連法についても「そもそも憲法9条は戦争を禁止している」「なのに、ああいう法律ができると日本が戦争をする国になってしまう」などと考える。まず「正しさ」とか「国の理想的なあり方」を先に考えて、そこから政治や政策に対する態度を決めるのだ。

 「それは当たり前じゃないか」と思われるかもしれない。「正しいかどうかを基準に判断しないで、いったいどう考えるんだ」という話である。これを「素朴な正義論」と名付けよう。素朴な正義論に立つ人は野党の反対論を支持しただろう。

 これに対して、現実の安全保障環境を重視する立場がある。安倍晋三政権がなぜ今回、安保法制を見直したかといえば、日本が中国や北朝鮮の脅威にさらされているからだ。ホルムズ海峡の機雷除去とか日本海での米艦防護といった話もあったが、それは「たられば論」だ。いわば傍論である。

 中国が尖閣諸島周辺の領海に侵入したり、北朝鮮が核ミサイルで日本を含む周辺国を威嚇しているのは仮定の話ではなく、現実の脅威である。座視しているわけにはいかないので、脅威に対抗できるように憲法解釈を見直して安保法制を整えた。つまり、安倍政権は「現実論」に立っている。

 素朴な正義論と現実論の決定的な違いは、自分の価値観を優先して考えるか、それとも日本を取り巻く環境評価から出発して政策を考えるか、という点にある。主観的価値観が先か客観的状況が先か、と言ってもいい。

 価値観に基づく正義論にこだわれば「日本は戦争をしてはいけない」という結論になるが、置かれた環境を重視する現実論に立てば「戦争を仕掛けられたら、受けて立たないわけにはいかないだろう」という話になる。

 険しい与野党対立は結局、素朴な正義論vs現実論の争いだったと総括できる。

政治は「倫理」でも「道義」でもない

 素朴な正義論の何が問題か、といえば「正しいことを目指すのが政治であり、国のあり方だ」と思い込んでいる点である。残念ながら、政治の世界では正しいことを目指すのが、いつも必ず正しいとは限らない。政治は倫理でも道義でもないからだ。

 現実には、自国の勢力を拡大したり、自分の権力を増大するためには、正しかろうが悪かろうが、倫理や道義、人の道に外れようがなんだろうが、なんでもするという国がある。中国や北朝鮮だ。イスラム国の残虐さもそれを証明している。

 第二次大戦後、世界は少しでも正しい理想の社会に近づくために、各国が努力した。国連はその象徴だ。国連がなんのためにできたかといえば、領土や主権を無視して乱暴狼藉を働く国が現れたら、みんなで懲罰、制裁を加えるためだ。これは集団安全保障だが、本質的には集団的自衛権もその一環である。

 だが現実には、懲罰を加えるリーダー役であるはずの安全保障理事会の常任理事国自身が公然と乱暴狼藉を働くようになってしまった。クリミアに侵攻したロシアと尖閣諸島や南シナ海の自由航行を脅かしている中国である。

 世界は素朴な正義論だけでは通用しない。無法は現実にある。日本が素朴な正義論を主観的に唱えているだけでは、平和と安全が守れないのだ。

 野党の主張に説得力がなかったのは、自分が正しいと信じることを叫ぶだけで、無法がまかり通る現実の世界でどう日本の平和と安全を確保するのか、具体的な対応策を示せなかったからではないか。

民主党の限界

 振り返れば、かつての民主党政権も「清く正しく美しい」ことを述べ立てる政権だった。

 たとえば、鳩山由紀夫首相は米軍普天間飛行場を「国外、最低でも県外」に移転すると言った。それは理想的だったが、具体的な選択肢を持ちあわせてはいなかった。

 菅直人首相は中国漁船の海上保安庁巡視船体当たり事件で、清く正しくどころか船長を釈放してしまった。

 野田佳彦首相は民主党の公約だった脱官僚の掛け声はどこへやら、財務官僚と二人羽織で消費税増税を決めた。

 いずれも理想的な言葉を並べてみせたが、現実に直面すると対応策を持ち合わせていなかったので、前言を翻すか(鳩山政権)、場当たり対応するか(菅政権)、官僚に丸投げするか(野田政権)しかなかったのだ。

 今回の安保論争では、そんな民主党の本質が一層、浮き彫りになった。

 岡田克也代表はじめ党内には集団的自衛権を容認する議員も少なからずいたはずなのに、いざ安倍政権と対峙すると、現実の脅威を置き去りにしたかのような状態で「清く正しく美しく」の観念論が大手を振ってまかり通った。「徴兵制になる」という馬鹿げたプロパガンダは典型である。

 「素朴な正義論」で言えば、日米安保条約や自衛隊にも首尾一貫して反対している日本共産党のほうがずっとマシと思った国民もいるだろう。実際、NHK調査では共産党支持率が4.2%と民主党の半分に迫り、維新の党(0.7%)をはるか彼方に置いてきぼりにしてしまった。

 維新は少し前まで2~3%台を維持していたのに、いまや政党として風前の灯である。分裂騒ぎの根本理由も、与党につくか野党につくかといった路線の違いというより、素朴な正義論に傾斜するか現実を見据えて政策を考えるかの違いではないか。

 外交であれ安全保障であれ経済であれ、およそ政策は現状認識から出発する。現実に目を向けず、自分の価値観に基づいて「正しいかどうか」で唱える政策は空理空論に陥りやすい。安保論争はまさにそうだった。それで通用するほど世界は甘くない。

 世論調査の結果は、日本がようやく書生論議から脱して、国民が地に足がついた現実主義を身につけ始めた証拠である。

長谷川 幸洋







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