中韓の特異さを浮き彫りにした安倍首相談話
自虐史観を脱却し、世界史的視点からの発信に世界は高評価
安倍首相の談話を受け「戦後の日本は信頼できる友好国」と発言したフィリピンのアルバート・デルロサリオ外相〔AFPBB News〕
安倍晋三首相が2年半で50余か国を歴訪し、地球儀外交を行ってきたことに対し、一部には内政軽視とか世界観光旅行などと揶揄する向きもあった。
序盤戦の集大成は、周辺諸国との関係で言えば侵略や植民地支配を政治の場に持ち込まず、また繰り返されてきた謝罪要求などにけりをつける安倍談話であると言えよう。 しかし、これからも首相は世界を駆け巡るであろう。その点からはこれまでの外交は序盤戦に過ぎなかった。この間に掴んだ積極平和の糸口を中盤で根づかせ、終盤には未来への飛躍につなげるようにすることが必要になってくる。
自虐史観の村山談話
野党に転落していた自民党は自信をなくしていた。そこで政権奪取の切り札として担ぎ出したのが、社会党委員長村山富市氏(当時)であった。氏は「歴史も国際政治も理解することな」く、「首相としての資質をほぼ完璧に欠落させた人物」(桜井よしこ氏「村山談話、その卑しき出自」『WiLL』2015年6月号所収)であった。
だからこそ、違憲としていた自衛隊の最高指揮官を引き受けるに当って、一時的にせよ「合法」の屁理屈をつけて就任したのだ。
氏は半年後に阪神淡路大震災、その2か月後には地下鉄サリン事件に遭遇するが、適切な指揮ができず、「暗愚の宰相」の称号をつけられた。そして4か月余後の8月8日、つまり村山談話発表(8月15日)の1週間前に改造内閣を発足させた。
談話については、「文言について事前の説明はなく、その場(閣議)で読み上げられ、即時の判断を求められた」(同前)ので、平沼赳夫運輸大臣は「〈何かおかしいな〉と感じはしたものの、求められるがままに署名捺印した」(同前)と言うように、十分に根回しすることもなく、どさくさに紛れて発表したのである。
内閣には平沼氏のほかにも、島村宜伸文部大臣、橋本龍太郎通産大臣、深谷隆司自治大臣、江藤隆美総務庁長官、大森理森環境庁長官、江藤征四郎防衛庁長官などもいたが、誰一人として異議を唱える暇もなく即断を求められたようだ。
なぜ、日本が戦争に巻き込まれていったかという視点は全く欠落し、日本が一方的に諸外国に被害を与えたから謝り続けなければならない、という歴史的事実を無視した自虐史観で貫かれた談話であった。
「侵略」を銘記したことについて聞かれた時、外国の国際法の専門家が侵略でないと太鼓判を押していた日清・日露戦争までも侵略とする無知をさらけ出したからである。
日清戦争では国際法学者を同行させ、当時外相の陸奥宗光自身が『蹇蹇録』で、「国際社会で評価を得て光栄に思う」と書いた。実際、フランスの国際法学会会長は「日本ほど国際法をよく守って戦争をした国はない」(同前)と評価している。
日露戦争は、1900年の義和団事件が一段落した後、撤兵の約束を無視して居座り続けるロシアの脅威に対する防衛戦争で、この時も国際法学者を帯同している。
世界に影響を与えた日露戦争
西欧列強によってアジアとアフリカ、さらに南アメリカなどは植民地支配されていた。西欧列強とは白色人種であり、支配されていたのは有色人種である。
「アフリカの黒人やアジア・アラブの諸民族は奴隷か召使としてしか存在を認められず、さらにカリブ海やメキシコなどではインディオが、オーストラリアではアポリジニが動物視され、狩りの対象とされていた」(西尾幹二編『新地球日本史1』)時代である。
こうした時代に、日本が立ち上がりロシアを破ったのである。フランスの植民地となっていたカムラン湾(ベトナム)に日本に向かうロシアのバルチック艦隊が寄港した時、ベトナム人はその雄姿に驚く。
その艦隊を日本が撃沈したと聞いて、ベトナムではとても信じられなかったという。こうした感情は植民地や列強の影響下に置かれていた国々が抱いたものであり、間もなくして有色人種でも白色人種に勝てるという密かな自信に変っていく。
そして、「日本に学べ」という流れが世界のあちこちで滔々と起こってきた。のちに辛亥革命を実現する支那の孫文は、「日本がロシアに勝った。アジア民族のヨーロッパに対する勝利で、アジアの民族は非常に歓喜し、大きな希望を抱くに至った」と神戸で演説する。
日本への留学熱が一気に高まり、蒋介石や汪兆銘など1万2000人がやって来た。留学できない支那人のため、上海や南京に大学を建て、近代化を教える。江沢民も南京中央大学で学んだ1人である。
ベトナムのファン・ボイ・チャウ(潘佩珠)は「米国の虎やヨーロッパの鯨の横暴に対して、黄色人種として初めて歯止めをかけた。なぜ日本がそれをなし得たか。答えは東京にある」として、若者を日本に留学させる「東遊(トンズー)運動」を始め、王子を含む250人を送る。また、ハノイには慶応義塾を模した「トンキン義塾」を創設する。
インドのネール首相は「私が若い頃に日露戦争があったが、大国ロシアに勝った日本を知りたくて、日本に関するあらゆる本を読んだ」と回顧している。
アラブ諸国は自国民を勇気づける書籍などを出版する。イスラム圏では天皇を盟主(カリフ)として求心力を高め、西欧の侵略に対抗しようとする動きさえ高まったという。
アラブ諸国は自国民を勇気づける書籍などを出版する。イスラム圏では天皇を盟主(カリフ)として求心力を高め、西欧の侵略に対抗しようとする動きさえ高まったという。
ロシアの影響下にあったフィンランドやポーランドでも独立運動をしていた民族主義者を勇気づけた。帝政ロシアが崩壊した1917年、あるいは第1次世界大戦が終わる1918年にそれぞれ独立を果たす。
第1次世界大戦後のパリ平和会議で国際連盟が発足する。唯一の有色人種国として参加した日本は、人種平等条項を規約に盛り込むよう提案する。しかし、議長役の米国大統領は黒人問題を抱えており、多数決方式を全会一致に切り替える姑息な手段で却下する。
却下されたが法案提出は有色人種を勇気づけ、アジアやアフリカで、人種平等や独立を求める反植民地闘争が始まる。しかし、強力な軍事力で弾圧され、植民地支配からの脱出は、再び日本が関わる第2次世界大戦でようやく実現することになる。
日本は植民地支配したか
そもそも、日本が明治維新を断行して近代化を図った遠因は、中国大陸や朝鮮半島に押し寄せてきた植民地支配の波(西力東漸)が日本への脅威となってきたからである。
しかし、日本は西洋列強のように植民地の資源や労働力を搾取し、反抗するものは皆殺しするような残虐な植民地支配はしていない。日本の安全を確保する防衛戦略であり、被支配地の国民を同胞として扱い、近代化を奨めたのである。
従って、国内にも負けない巨額の資本を投下して教育施設を整備し、衛生環境を改善するなど、インフラ整備を積極的に行ったのである。
台湾は日本の努力を肯定的に評価し、日本的やり方を「リッペンセッション(日本精神)」として、今も受け継いでいる。しかし、韓国では真逆の搾取する残酷政治を行ったと、あえて歴史を曲解して糾弾し続けてきた。
朝鮮半島では李氏朝鮮が520年間も華夷秩序の下に置かれ、支那を仰ぎ見、日本を蔑む慕華・東夷思想で、日本を正面から見ることができない精神構造が出来上がっていた。
しかし、日韓併合後の日本は、台湾同様に朝鮮の近代化を推進し、4000の学校を創り、東洋一のダムを造って重化学工業を興すなどしている。こうした日本の為政については、幸いにも米英の歴史学者たちが客観的な視点で検証してくれている。
ジョージ・アキタは『「日本の朝鮮統治」を検証する 1910-1945』で、多くの朝鮮研究者の成果を参照しながら、「九分どおり公平(フェア)だった朝鮮統治」と結論づけた。
ジョージ・アキタは『「日本の朝鮮統治」を検証する 1910-1945』で、多くの朝鮮研究者の成果を参照しながら、「九分どおり公平(フェア)だった朝鮮統治」と結論づけた。
ところが、村山氏は日本同様の近代化を目標にして行なった朝鮮統治を、西欧列強が行った酷政と二重重ねにする「植民地支配」や「侵略」という用語で一括りにする自虐的な談話に仕上げたのである。
また、英国のアレン・アイルランドは『THE NEW KOREA』で、朝鮮総督(日本人)は暗殺計画を仕かけられることなどもあったが、軍事色をなくし、また強硬手段も採らずに果敢な改革を推進したことから「誠実で人間味あふれる総督たち」とし、朝鮮統治を「朝鮮が劇的に豊かになった時代」と分析している。
また、英国のアレン・アイルランドは『THE NEW KOREA』で、朝鮮総督(日本人)は暗殺計画を仕かけられることなどもあったが、軍事色をなくし、また強硬手段も採らずに果敢な改革を推進したことから「誠実で人間味あふれる総督たち」とし、朝鮮統治を「朝鮮が劇的に豊かになった時代」と分析している。
氏は自身の回顧録に「私たちは当時の人間じゃないのだから、今、客観的に歴史的事実を見て私たちなりの評価をすればいいわけでしょう」と述べながら、恣意的な見方をする矛盾を犯している。支離滅裂という以外にない。
戦後日本の貢献
村山談話からは戦前の日本は勝手に大陸や半島を侵略し、その挙句植民地支配した悪の権化みたいに読み取れる。その罪は未来永劫消えることはなく、反省と謝罪を続けなければならないという意識が組み込まれている。
暗愚の宰相でしかなかった者が、いつしか高処(たかみ)に立って現政権をなじり、ご意見番のように振る舞う。老害と言うほかないが、言論の自由を尊重する日本の珍現象でもあろう。
戦後の日本は一貫して、消極的ではあったが平和主義を貫き、同時に経済面から国際社会を支援し、アジアの安全と世界の安定に貢献してきた。
例えば国連分担金では米国に次ぎ2位で、その額は英仏露中の常任理事国を併せた額よりも多くを拠出してきた。また、戦後50年を境に国際平和協力活動に自衛隊を派遣して積極的に参加してきた。
特に、日韓間では3億ドル相当の生産物および役務(無償)、有償2億ドル、民間借款3億ドル以上(実際は約6億ドルと言われる)で決着し、基本条約には「両国間の財産、請求権一切の完全かつ最終的な解決」が明記された。
なお、当時の韓国の国家予算は3.5億ドル、日本の外貨準備額は18億ドル程度であった。日本は譲歩して韓国の国家予算の3か年分をも上回る援助をしたことになる。
他方、日中間では国交正常化以降、日本は各種のODA(政府開発援助)を行い、その額は約3.5兆円に上っている。道路や鉄道、空港などのインフラ整備をはじめ、砂漠化防止や水環境整備など広範囲に及んでいる。
しかし、村山談話ではこうした支援の片鱗もうかがえない。 こうした援助をベースに、両国は驚異の経済発展を遂げ、近代国家になり、あるいは軍事大国へと発展してきたのである。
おわりに
安倍談話について、米国防大学国家戦略研究所のジェームス・プリシュタップ上級研究員が「品格と威厳があり、あらゆる側面に触れた大変印象深い談話だ」(「産経新聞」27.8.19付)と評価しているように、自虐史観に根差した村山談話や河野談話、小泉談話をも包含し、かつ超克したものと言える。
その視点は、中国・東南アジア・太平洋の島々やインドネシア・フィリッピン・台湾・韓国等を列挙し、また、謝罪から「友好」に転換していった米・英・蘭・豪等を紹介するなど、全地球的視野に立った談話になっている。
友好に転じた国には寛容の精神があったと述べる一方で、中韓とは必ずしもそうした事がなされていないと率直に述べ、両国が特異な国であることも浮き彫りにしている。
しかも、過去に区切りをつけ、これから10年後、20年後、30年後に向け、どのような日本を作り上げていくかを世界に向けて発信した意欲的なものになっている。
ソース: http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/44620