Quantcast
Channel: 復活!強い日本へ!
Viewing all articles
Browse latest Browse all 4135

女子高生でも分かる憲法問題

$
0
0

 女子高生でも分かる

憲法問題


イメージ 1

イメージ 2
イメージ 3



ここ最近安保法制の改正を進める安倍総理に対して、マスコミが当たりを強くしています。

特に目立つのが憲法学者たち。彼らはしきりに違憲を唱えています。 


常識的な目で考える。

安保法制の改正案が、今の憲法にとって違憲か合憲かの前に


"なぜ、安保法制を改正する必要があるのか""安保法制の改正はどういう意味があるのか"


これを考えることが必要ではないでしょうか。

はじめに、今の日本の状態を分かりやすく説明するために、たとえ話にしたいと思います。

"あなたはそれなりにお金も持っており裕福に暮らしていました。
ある時から、近所で連続強盗殺人事件が多発するようになります。
そんな時あなたはどちらの家に住みたいですか?
 

  • A.鍵が最新式で、警備員が駆けつけてくれる家。
  • B.見た目は立派ですが、鍵が付いておらず、表札のところに"私の家には鍵が付いていません。だから、そんな家には泥棒に入らないで下さい。"と書いてある家。


……。答えは自ずからAになるでしょう。
だから、安倍総理は一生懸命Aの家に住めるよう、つまり国防ができるように安保法制を改正しようとしています。

一方、マスコミに取り上げられて騒いでいる憲法学者たちは、
必死でBの家を勧めてきているのです。

なぜなら、彼らはBの家を売って稼業にしている人たちだからです。
言い換えると、今の憲法で食べてる人たちが必死で今の憲法を押し付けている。"

こういった話です。
 

憲法よりも大事なこと

しかし、マスコミは憲法学者の意見しか取り上げません。
国防に関する問題にも関わらず、国防の専門家の意見はどこに行ったのでしょうか。

そもそも憲法とは変えてはいけないものではありません。
同じ敗戦国のドイツでは、なんと改憲すること59回。
日本人からすると驚きですが、これは国際社会から見れば当然です。時代が変われば、憲法が時代に合わなくなってきます。
第一、憲法というのは国民を幸福にするためにあるものであり
憲法を守るために国民がいるわけではないのです。
憲法守って国滅ぶ。こんな馬鹿げた話はありません。
 

本当の平和主義者とは

マスコミに駆り立てられた正義感溢れる学生が、安倍総理に対して戦争反対と騒いでいますが、


残念ながら見当違いと言わざるを得ません。
もし彼らが本当に平和を望むのなら、人権弾圧を繰り返し、日本やアジアに軍事侵略を迫る中国政府に対して、"戦争反対"と訴えるべきです。


それをせずに、日本が自衛の軍事力を持つことに対して反対をするなら、マスコミや"得をする人たち"に踊らされている偽善活動にしか過ぎません。

考えてみてほしいのです。


もし、武力を持たないだけで万々歳、世界は平和でハッピーなら
どうして日本以外の国はみな武力を持っているのでしょうか。


憲法9条が今までの日本を守っていたわけではありません。


米軍の存在が、中国への抑止力になっていたのです


事実、米軍基地を撤廃したフィリピンでは、撤廃後に中国の侵略行為が激しくなり、現在は国防のため自国の軍事力を高めています。
そして2014年、フィリピンは米軍の再駐留を認める軍事協定を結んでいます。
 

エセ平和主義

警察が事件を解決するときに一番に考えること、それは"誰が得をするか"です。


日本が国防をして困るのはどこでしょうか。


その答えはおのずと、尖閣諸島を"核心的利益"と言う中国になるでしょう。

ここまで議論をすると、戦争をするくらいなら、中国にくっついていけばいいじゃないかと開き直る人もいます。


経済アナリスト森永卓郎氏の「仮に日本が侵略されて国がなくなっても後世の教科書に『昔、日本という心の美しい民族がいました』と書かれればいいんじゃないかと」という発言が彼らの本音のところでしょう。


そもそも日本を守る気などないのです。
しかし、それは奴隷の平和を望む道に他なりません。

彼らは中国の経済という表面的なところだけを見て、目くらましされているのではないでしょうか。
実態を直視しているようには思えません。

連日のように、新聞では中国が他民族に対して人権弾圧をしていることが書かれています。


同じ中国人であっても共産党を非難する人に対しては人権弾圧を繰り返しています。

家族、友人が同じような目にあっても
そんな発言ができるのでしょうか。
無責任極まりない考えです。

一度自由を奪われたら、それを取り返すのは容易ではありません。
大東亜戦争で日本が戦うまで、アジアは欧米の植民地でした。
しかも、500年間です。


もし日本が戦わずに降伏していたら、今も世界は白人が支配していたでしょう。


そして有色人種からは自由が奪われていたと思います。
実際に、中国に侵略されたチベットやウイグル・内モンゴルは独立運動をしているものの、いまだ独立の道筋は見えていません。
 

未来へ

現在日本で活動している多くの平和主義者は奴隷の平和主義です。
人間の尊厳である自由意思を奪われてしまえばそれはただの、生きながらえるだけの動物に過ぎません。
そこに本当の幸福はあるのでしょうか。

私たちが、かつてアジアの独立に命を懸けた日本人であることを誇りに思い日本とアジアの真の平和のために防衛力を高め、毅然とした態度をとることが、未来を明るくする一灯になるでしょう。

憲法学者たちには、せっかく持った優れた頭脳を、憲法を守ることに終始することに使うよりも、自由を守る憲法にするためにはどうしたらよいか考えていただきたいところです。





議論していること自体がナンセンス
「外からの目」で考える安保法案

イメージ 4


安全保障関連法案をめぐって、今週中にも参議院の特別委員会での審議を再開するかどうかで、与野党が協議している。この法案をめぐっては、憲法学者が「違憲」と証言したことを受けて、マスコミや野党が勢いづき、憲法をめぐる問題が議論の焦点となっている。

憲法9条を持ち出して「違憲は明白」などとテレビなどで繰り返し報じられていることで、世論調査でも法案への逆風が吹いていることが明確になっている。一方で、現在の憲法は戦争放棄や戦力の不保持を定めていながら、自衛隊は合憲とされている。それは、国民の安全や幸福な生活を守るための自衛の権利は、憲法が定めているかどうか以前に、自然権として認められるという議論からきているものだ。

そもそも、国が持っていて当たり前の自衛権を、個別的か集団的かで分けて細かく議論すること自体が、日本独特の議論であると言える。政府はこれまで、集団的自衛権は「持っているが行使できない」という、不可解なロジックで認めてこなかった。こうしたことが、世界的な基準から見てどうなのかという視点からの議論も必要だろう。

そうした点について、面白い論考を見つけたので紹介してみたい。テンプル大学・現代アジア学研究所のロバート・デュジャリック所長が、アジア太平洋の安全保障専門誌「ザ・ディプロマット」への7月24日付の寄稿で次のように述べ、安保法案の議論のおかしさについて論じている。



イメージ 5
(Robert Dujarric “Preliminary Lessons From Japan’s Security Debate” The Diplomat 2015/07/24)

野党は「専守防衛」を誇らしげに掲げ、「日本は先に手を出さない戦わない国」なのだとしきりに主張している。しかし、「先に手を出さない」ということの意味は、国民が殺されたり、被害を受けてからでなければ、何もしないということと同義でもある。こうした議論を、「国民の命が大事だ」と主張している国会議員が真顔でしていることは、果たして健全なのだろうか。彼らのスローガンに惑わされることなく、考えていくことが必要ではないのだろうか。

「平和国家としての日本は軍事に関わるべきではない」という「国柄論」が、野党側からしきりに提起されている。だが、そもそも、安全保障は相手がある話であり、国際社会の状況を考えなければ議論できない問題である。村山富市・元首相は先日のテレビ出演の中で「日本が戦争をしないと言っているのに、日本に勝手に攻め込んでくることはあり得ない」と発言したが、それに対して、石原慎太郎・元東京都知事が「ナンセンスだね。止めてもらえないか、こんなバカな議論は」と切り返す場面があった。

憲法を持ち出したり、「日本の国柄はどうか」という議論ばかりを続けているだけでは、何百時間を審議にあてても、見えてこない視点もある。日本国内での議論が、そもそもナンセンスということはないのかという「そもそも論」の視点も、忘れないようにしたい。




安保法案をわかりやすく『るろ剣』で例えてみたwwwwww




【CafeSta特番】「安倍さんがわかりやすくお答えします!平和安全法制のナゼ?ナニ?ドウシテ?」【第4夜】(2015.7.10)





Viewing all articles
Browse latest Browse all 4135

Trending Articles