【花時計通信 309】済南・通州両事件殉難者慰霊祭のお知らせ
花時計会員の皆様
代表の岡です。
いつもご支援、有り難うございます。
皆さんは済南事件や通州事件を知っていますか?
昭和初期、中国大陸で日本人居留民が何の落ち度もないのに残虐に殺された事件です。
教科書にも載っていませんしマスコミも取り上げないので知らない人が多いと思います。
きたる8月1日(土)、靖国神社でこの両事件で殺された日本人を慰霊する催しが行なわれます。
このような催し自体が初めてのことです。
慰霊祭は13時からですので、参加される方は12時半までに受付を済ませていただけますように、お願いします。
参加できない方は玉串料をお送り頂く、という参加の方法もあります。
1人でも多くの方がこの機会に両事件に関心を持っていただければ、と思います。
主催者の1人であり、ジャーナリストの水間政憲さんが両事件の解説をした動画です。
↓
【水間政憲】済南・通州事件から考える平和安全法制[桜H27/7/21]
https://www.youtube.com/watch?v=GHO-FJ1LO_g
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愛国女性のつどい花時計
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さて、通州事件に関する【歴史事実】と【正しい歴史認識】を以下に述べる。
7月29日は、「通州事件」の日だ。
78年前の1937年7月29日、北支の通州で「通州事件」が起こった。
悪獣も及ばぬ猟奇の惨殺劇「通州事件」を日本の教科書に記述して、支那人の残虐性を日本の子供たちに教えておくべきだが、なぜか日本の教科書に当該大虐殺事件についての記述はないに等しい。
1937年7月29日、支那の保安隊が日本人居留民約260人を大虐殺した!
犯人は、支那の国民党軍でも共産党軍でもなく、事件前までは親日的だった「冀東防共自治政府」の保安隊だった。
しかし、支那保安隊が日本人居留民を大虐殺した最大の原因が支那国民党の南京政府の御用放送局(南京放送)によるデマ放送であり、保安隊が国民党軍(支那軍)に寝返るための日本人大虐殺だったので、支那軍による大虐殺といって良い。
【7月27日頃、北京特務機関がキャッチした南京放送ニュース】
日本軍は盧溝橋の戦場に於いて、我が優勢な29軍と交戦の結果、支離滅裂の敗戦に陥り、豊台と郎坊とは完全に我が手に奪還してしまった。
(略)
なお、最近北京における軍事会議の結果、蒋委員長は近く29軍を提げて、大挙冀東を攻撃し、偽都通州を屠り、逆賊殷汝耕を血祭りにして、満州失地恢復の第一声を挙げる事を決議した。
日本軍を撃破した支那軍(宋哲元軍=29軍)が、冀東防共自治政府(通州)に攻め込んで来れば、今まで親日だった支那保安隊は漢奸として処刑される。
そこでの支那保安隊の連中は、日本人を大虐殺し、親日の冀東防共自治政府の殷長官を捕らえ、これを手土産にして北京の宋哲元へ馳せ参ずることを決意した。
通州大虐殺事件の原因については、事件の2日前にあった日本軍による保安隊への誤爆や、事前に国民党と保安隊に密約があった計画的犯行など、今でもいろんな説があるが、最大で直接の原因が支那の蒋介石政府の南京放送によるデマ報道だったことは間違いない。
支那保安隊の連中は、日本人大虐殺を手土産にして意気揚々と支那軍(宋哲元軍=29軍)が居ると思い込んでいた北京へと向かった。
ところが、そこにいたのは支那軍(宋哲元軍=29軍)ではなく、実際には日本軍だった。
日本軍による誤爆が原因なら、支那保安隊が日本人を大虐殺した後に日本軍の居る北京に向かうわけがない。
北京に居るのが支那軍(宋哲元軍=29軍)ではなく日本軍だと知った支那保安隊の連中は慌てて逃げたが、日本軍に捕まった。
中島顧問は「機関銃をくれ、仇をとってやる」と息まいた。
しかし、「それでは暴に酬ゆるに暴を以ってするだけだ。」と止められ、結局、支那保安隊の連中は収容もされず城外に放置されただけとなった。
理由は「収容すると飯を食わさにゃならん。本当は鉛の弾を食わしたいくらいなのに、飯などもったいない。」という事だったが、支那保安隊の連中は後に移動して支那軍に加わった。
これが当時の日本軍であり、お人好しぶりは今の日本人と変わらない。
支那保安隊の連中が通州で大虐殺した日本人を手土産に北京に行ったことは、事件の直接の原因が【支那国民政府の南京放送のデマ報道】だったことを裏付ける。
通州事件では当時日本の外務省が公式声明を発しており、東京裁判で弁護団は通州事件に関する外務省公式声明を証拠として提出しようとしたが、ウェッブ裁判長が却下。
ただ、通州事件の目撃者3人の宣誓口供書は受理された。
その宣誓口供書の一部は次の通り。
「守備隊の東門を出ると、数間ごとに居留民男女の死体が横たわっていた。
某飲食店では、一家ことごとく首と両手を切断され、婦人は14、5歳以上は全部強姦されていた。
旭軒という飲食店に入ると、7、8名の女が全部裸体にされ、強姦射殺され、陰部にほうきを押しこんであるある者、口中に砂を入れてある者、腹部を縦に断ち割ってある者など見るに耐えなかった。
東門の近くの池では、首を電線で縛り、両手を合せて、それに八番線を通し、一家6人数珠つなぎにして引き廻した形跡歴然たる死体が浮かんで居り、池の水は真っ赤になっていた。
夜半まで生存者の収容に当たり、『日本人はいないか』と叫んで各戸ごとに調査すると、鼻に牛の如く針金を通された子供、片腕を切られた老婆、腹部を銃剣で刺された妊婦などが、そこそこの塵箱の中やら塀の蔭から出て来た」
支那駐屯歩兵第2連隊小隊長として7月30日、連隊主力と共に救援に赴いた桜井文雄証人
消された「通州事件」
当時、天津歩兵隊長及び支那駐屯歩兵第2連隊長で、7月28日の南苑戦闘に参加した後、30日午後通州に急行して邦人救援に当たった萱島高証人は凡(およ)そ次の如く証言した。
「旭軒(飲食店)では40から17~8歳までの女7、8名が皆強姦され、裸体で陰部を露出したまま射殺されており、その中4、5名は陰部を銃剣で刺殺されていた。商館や役所に残された日本人男子の死体はほとんどすべてが首に縄をつけて引き回した跡があり、血潮は壁に散布し、言語に絶したものだった。」
まさになぶり殺しではないか。
中でも悲惨を極めた旅館・近水楼での惨劇について通州救援の第2連隊歩兵隊長代理を務めた桂鎮雄証人の供述は次の通り。
「近水楼入口で女将らしき人の死体を見た。足を入口に向け、顔だけに新聞紙がかけてあった。本人は相当に抵抗したらしく、着物は寝た上で剥(は)がされたらしく、上半身も下半身も暴露し、4つ5つ銃剣で突き刺した跡があったと記憶する。陰部は刃物でえぐられたらしく、血痕が散乱していた。
帳場や配膳室は足の踏み場もない程散乱し、略奪の跡をまざまざと示していた。
女中部屋に女中らしき日本婦人の4つの死体があり、全部もがいて死んだようだった。折り重なって死んでいたが、1名だけは局部を露出し上向きになっていた。
帳場配膳室では男1人、女2人が横倒れ、或(ある)いはうつ伏し或いは上向いて死んでおり、闘った跡は明瞭で、男は目玉をくりぬかれ上半身は蜂の巣のようだった。女2人はいずれも背部から銃剣を突き刺されていた。
階下座敷に女の死体2つ、素っ裸で殺され、局部はじめ各部分に刺突の跡を見た。
1年前に行ったことのあるカフェーでは、縄で絞殺された素っ裸の死体があった。
その裏の日本人の家では親子 2人が惨殺されていた。子供は手の指を揃(そろ)えて切断されていた。
南城門近くの日本人商店では、主人らしき人の死体が路上に放置してあったが、胸腹の骨が露出し、内臓が散乱していた」
中村粲著『大東亜戦争への道』惨!通州事件
1937年7月30日、通州事件翌日の通州。南門から北門方面を見る。
被害甚大の近水楼
■動画
通州事件の記録写真と南京大虐殺の捏造.mpg
http://www.youtube.com/watch?v=JZl9wUDt5U4
通州事件については犠牲者名簿があり、当時、日本の外務省も公式声明を発した。
つまり、日本人居留民約260人が大虐殺された通州事件ほどの事件が起これば当たり前のことだが、当時、内外において事件が認知されていた。
一方、所謂「南京大虐殺」の場合、当時、支那政府も日本政府もその他誰も事件の認識がなく、よって当然犠牲者名簿などもなかった。
南京事件というのは当時は加害者側も被害者側も誰も全く認識していなかった不思議な不思議な事件なのだ。
このように通州事件と南京事件の差異を冷静に分析するだけでも、「南京大虐殺」「南京事件」が嘘っぱちのでっち上げであることが明白となる。
◆虐殺事件の証拠(資料)一覧◆
●済南事件
1.日本人犠牲者の名簿 ○あり
2.命令書 ×なし
3.当時の政府の認識 ○あり
(田中外相宛西田領事報告など○)
●通州事件
1.日本人犠牲者の名簿 ○あり
http://homepage1.nifty.com/SENSHI/data/tuusyuu00.htm
http://homepage1.nifty.com/SENSHI/data/tuusyuu20.htm
2.命令書 ×なし
3.当時の政府の認識 ○あり
(外務省の公式声明など○)
●南京大虐殺事件
1.犠牲者の名簿 ×なし
(日本も×、蒋介石政府も×、汪兆銘政府も×、南京安全区国際委員会も×、南京市民も×、誰も作成せず)
2.命令書その他公式文書 ×なし
3.当時の政府の認識 ×なし
(当時、日本にも×、何応欽にも×、蒋介石にも×、毛沢東にも×、国際連盟にも×、事件の認識×なし)
●カチンの森事件
1.ポーランド人犠牲者の名簿 ○あり
2.命令書その他公式文書 ○あり
(スターリンが命令し、内務人民委員部長官ラヴレンティ・ベリヤが命令書に署名○)
3.当時の政府の認識 ○あり
加害者のソ連 ○あり
被害者のポーランド ○あり
濡れ衣を着せられたドイツ ○あり
(事件3年後、収容所にいた元ポーランド軍将校、公務員、警察協力者、情報部員、憲兵隊員、獄吏等の遺骸を発見○)
●ホロコースト
1.犠牲者の名簿 ○あり
(犠牲者や強制労働者ら1750万人の名簿○)
2.命令書その他公式文書 ○あり
(ナチスの強制収容所などの実態が記述された約5千万件の公文書○)
3.当時の政府の認識 ○あり
●原爆投下
1.犠牲者の名簿 ○あり
2.命令書 ○あり
(7月25日、トルーマンの決定を受けてグローブスが作成した「原爆投下命令書」がワシントンの陸軍戦略航空軍司令官カール・スパーツに手渡され、ポツダムにいる陸軍長官スティムソン、陸軍参謀総長マーシャルが承認し、陸軍参謀総長代理トーマス・T・ハンディがサインした公文書○)
その他、膨大な文書○や記録フィルムなどの資料 ○あり
3.当時の政府の認識 ○あり
(日本にも○、アメリカにも○、世界中の政府にも○、認識あり)
●ソ連による日本人拉致・シベリア強制連行・殺害事件
1.犠牲者の名簿 ○あり
(死亡年月日、死因、埋葬地など全員○。犠牲者は50万人超で、ゴルバチョフ来日の際、名簿の一部のみ渡された)
2.命令書その他公式文書 ○あり
(マリク駐日大使がモロトフ外相に宛てた文書で、「1946年12月時点で、まだ生存している抑留日本人が105万人以上居る」と記載○)
3.当時の政府の認識
被害者の日本 ○あり
加害者のソ連 ○あり
第3国の米国 ○あり
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