6月4日の衆院憲法審査会で、自民党推薦の長谷部恭男早大教授ら3人の参考人全員が集団的自衛権の行使は憲法違反としたため、国会の混乱が続いている。
氏は「集団的自衛権の行使は憲法違反である」旨述べているが、その理由については疑問がある。同参考人は違憲の理由として、集団的自衛権の行使は許されないとしてきた「従来の政府見解の基本的な論理の枠内では説明がつきませんし、法的な安定性を大きく揺るがす」と説明しているだけだからである。
このうち、後者の「法的安定性」は当否の問題に過ぎず、違憲理由とはならないから省略する。 問題は前者だが、氏は集団的自衛権の行使が「従来の政府見解の枠を超えるから違憲」としただけであって、「憲法9条の枠を超えるから憲法違反」としたわけではない。それゆえ、違憲というためには、それが「憲法の枠」を超えることを説明する必要があった。
とすれば、国際法上全ての主権国家に認められた「固有の権利」(国連憲章51条)である集団的自衛権を、わが国が保有し行使しうることは当然である(大石眞京大教授も「私は、憲法に明確な禁止規定がないにもかかわらず集団的自衛権を当然に否認する議論にはくみしない」として集団的自衛権の行使を容認している=『ジュリスト』’07・10・15)。
つまり、わが国が主権国家として集団的自衛権を行使できることは明らかだ。ただ、憲法上の制約が一切ないかといえば異論もありえよう。9条2項が「戦力の不保持」と「交戦権の否認」を定めている以上、それに伴う制約がある、と。そこで政府は集団的自衛権行使を「限定的に容認」することになったと思われる。この新見解が「憲法9条の枠内」にとどまることはいうまでもなかろう。
参考人についていえば、学者の見解はあくまで「私的解釈」であって、国会を拘束しない。国家機関を法的に拘束するのは政府見解、国会決議さらに最高裁判例などの「有権解釈」(公定解釈)であり、決定的な意味をもつのが最高裁判例である。なぜなら、憲法について最終的な解釈権を有するのは、最高裁判所だからである(憲法81条)。
しかし、同事件で問題とされたのは米駐留軍と旧安保条約の合憲性であった。同条約は「すべての国が個別的及び集団的自衛の固有の権利を有することを承認し」たうえ、日本国が「これらの権利の行使として」米軍の国内駐留を「希望する」(前文)としている。つまり、旧安保条約締結当時(昭和26年)、わが国政府は「集団的自衛権の行使」を認め、国会も承認したわけである。
「国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、
安全保障理事会が必要な措置をとるまでの間、
加盟国は個別的・集団的自衛権を行使できる」
砂川判決(本文)
「憲法の平和主義は決して無防備、無抵抗を定めたものではない」
「自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために
必要な自衛のための措置をとりうることは、
国家固有の権能の行使として当然である」
砂川判決 田中耕太郎(補足意見)
「自衛はすなわち他衛、他衛はすなわち自衛という関係がある。
自国の防衛にしろ、他国への防衛の協力にしろ、各国は義務を負担している」
*国連憲章
国際連合の基本的性格とその目的・組織を定めた法規
1945年六月サンフランシスコ会議で採択された
*砂川判決
最高裁が自衛権に関する判断を下した唯一の判決
*田中耕太郎
東京帝大教授 歴代最長の10年7か月、最高裁長官を務めた
司法トップとして「集団的自衛権」を容認した
専門バカがいくら屁理屈言っても
「安全保障関連法案」は合憲。