【君が代】
起立したのは
卒業生たった2人
起立したのは
卒業生たった2人
「国歌」着席のまま、国立奈良教育大付属中
入学・卒業式。たまりかねた、
卒業生2人と保護者2人が自主的に起立した。
入学・卒業式。たまりかねた、
卒業生2人と保護者2人が自主的に起立した。
2015年4月2日(木)09:02
国立大学法人・奈良教育大付属中学校(奈良市)の入学・卒業式で、
国歌斉唱が行われていないことが1日、学校などへの取材で分かった。
式典では生徒らを着席させた上で「君が代」の曲のみを流していた。
国は平成11年に国旗国歌法を制定し、学習指導要領でも国旗掲揚と国歌斉唱の指導を明記しているが、同校は過去十数年間にわたり、入学・卒業式での国歌斉唱を実施していない。
教員養成機関でもある教育大のあり方として議論を呼びそうだ。
■式は生徒が企画…
学校側は産経新聞の取材に「式は生徒が企画、準備するものとして定着しており、開式後に座って(国歌を)聴く形で続いてきた」と説明。「今後はきちんとした形に改めたい」とし、8日の入学式では国歌斉唱を行う考えを示している。
関係者によると、今年3月11日に行われた卒業式には約700人が出席。
開式後に全員で起立、礼をして「着席」の号令で全員が席に座り、スピーカーを通じて君が代の曲が流された。
その間、学校側は校長と副校長、
教育大の学長と副学長のみが起立。
生徒2人と保護者2人も、
自主的に起立したという。
同校によると、国旗国歌法の制定前は、式典で国歌を流すことさえなかった。国旗掲揚と国歌斉唱の適切な実施を求める文部科学省の通知などを受けて検討した結果、着席しながら曲を聴く形になったという。
奈良教育大教職大学院教授(国語科教育)で付属中の松川利広校長は「付属中の伝統を継承、尊重するということで現在までの方法で続けてきたが、改める方向で検討したい」と述べた。
文科省が公表している公立学校教職員の処分状況では、昭和60年度から「国旗掲揚、国歌斉唱」に関する項目が新設され、不起立などでの処分者数は平成12年度の265人をピークに25年度は21人にまで減少。
公立学校での教職員の国旗掲揚、国歌斉唱をめぐる対応は是正が進んでいる。国立大付属校は都道府県教委の管轄外のため、対応は各法人に委ねられている。
■アナウンスもなし、唐突に流れる曲だけの国歌
3月11日に行われた奈良教育大付属中学校の卒業式。保護者が撮影したビデオには、異様な光景が写っていた。
午前10時ごろ、卒業生が式典会場の体育館に入場。全員が起立し、一礼した。
「ただいまより卒業式を始めます」
開式を告げるアナウンスの後、「着席」の号令で卒業生が席についた。
式次第には「君が代」と書かれている。通常なら、ここで「国歌斉唱」の号令がかかるはずだ。ところが何のアナウンスもない。唐突に歌のない、曲だけの国歌が流された。
校長ら一部をのぞいて、学校関係者も着席したままだ。たまりかねたのか、卒業生2人と保護者2人が自主的に起立した。学校によると、卒業式で国歌を流した際に生徒が起立したのは今回が初めてという。
一方で「校歌」のプログラムでは「校歌を斉唱します。みなさん起立してください」と号令があった。卒業生は一斉に席を立ち、校歌を歌っていた。
ビデオを撮影した保護者は「入学式でもこういう状況だったのに驚き、(国歌斉唱を行うよう)学校に申し入れたが変わらなかった。教育大付属校でこんなことが続いているとは思っていなかった」と話した。
■いまだにこんな学校が
元大阪府立高校長で、学校現場の国旗・国歌の指導実態をまとめた『学校の先生が国を滅ぼす』著者の一止羊大(いちとめ・よしひろ)さんの話
「学習指導要領で卒業式等における国歌斉唱の指導が盛り込まれて20年以上が経過したが、いまだにこんな学校があるとは驚きだ。
本来、教員は生徒に『国歌は起立して歌うべきもの』だと指導する立場なのに、座って国歌の曲を聴くだけとはひどい話だ。
教育大学がこれでは、良い教員が育つはずがない。教員自ら起立して国歌を斉唱するよう、校長は教員を指導すべきだ」
http://news.goo.ne.jp/article/sankei/nation/sankei-wst1504020016.html
国立大学法人・奈良教育大付属中学校(奈良市)の入学・卒業式で、
国歌斉唱が行われていないことが1日、学校などへの取材で分かった。
式典では生徒らを着席させた上で「君が代」の曲のみを流していた。
国は平成11年に国旗国歌法を制定し、学習指導要領でも国旗掲揚と国歌斉唱の指導を明記しているが、同校は過去十数年間にわたり、入学・卒業式での国歌斉唱を実施していない。
教員養成機関でもある教育大のあり方として議論を呼びそうだ。
■式は生徒が企画…
学校側は産経新聞の取材に「式は生徒が企画、準備するものとして定着しており、開式後に座って(国歌を)聴く形で続いてきた」と説明。「今後はきちんとした形に改めたい」とし、8日の入学式では国歌斉唱を行う考えを示している。
関係者によると、今年3月11日に行われた卒業式には約700人が出席。
開式後に全員で起立、礼をして「着席」の号令で全員が席に座り、スピーカーを通じて君が代の曲が流された。
その間、学校側は校長と副校長、
教育大の学長と副学長のみが起立。
生徒2人と保護者2人も、
自主的に起立したという。
同校によると、国旗国歌法の制定前は、式典で国歌を流すことさえなかった。国旗掲揚と国歌斉唱の適切な実施を求める文部科学省の通知などを受けて検討した結果、着席しながら曲を聴く形になったという。
奈良教育大教職大学院教授(国語科教育)で付属中の松川利広校長は「付属中の伝統を継承、尊重するということで現在までの方法で続けてきたが、改める方向で検討したい」と述べた。
文科省が公表している公立学校教職員の処分状況では、昭和60年度から「国旗掲揚、国歌斉唱」に関する項目が新設され、不起立などでの処分者数は平成12年度の265人をピークに25年度は21人にまで減少。
公立学校での教職員の国旗掲揚、国歌斉唱をめぐる対応は是正が進んでいる。国立大付属校は都道府県教委の管轄外のため、対応は各法人に委ねられている。
■アナウンスもなし、唐突に流れる曲だけの国歌
3月11日に行われた奈良教育大付属中学校の卒業式。保護者が撮影したビデオには、異様な光景が写っていた。
午前10時ごろ、卒業生が式典会場の体育館に入場。全員が起立し、一礼した。
「ただいまより卒業式を始めます」
開式を告げるアナウンスの後、「着席」の号令で卒業生が席についた。
式次第には「君が代」と書かれている。通常なら、ここで「国歌斉唱」の号令がかかるはずだ。ところが何のアナウンスもない。唐突に歌のない、曲だけの国歌が流された。
校長ら一部をのぞいて、学校関係者も着席したままだ。たまりかねたのか、卒業生2人と保護者2人が自主的に起立した。学校によると、卒業式で国歌を流した際に生徒が起立したのは今回が初めてという。
一方で「校歌」のプログラムでは「校歌を斉唱します。みなさん起立してください」と号令があった。卒業生は一斉に席を立ち、校歌を歌っていた。
ビデオを撮影した保護者は「入学式でもこういう状況だったのに驚き、(国歌斉唱を行うよう)学校に申し入れたが変わらなかった。教育大付属校でこんなことが続いているとは思っていなかった」と話した。
■いまだにこんな学校が
元大阪府立高校長で、学校現場の国旗・国歌の指導実態をまとめた『学校の先生が国を滅ぼす』著者の一止羊大(いちとめ・よしひろ)さんの話
「学習指導要領で卒業式等における国歌斉唱の指導が盛り込まれて20年以上が経過したが、いまだにこんな学校があるとは驚きだ。
本来、教員は生徒に『国歌は起立して歌うべきもの』だと指導する立場なのに、座って国歌の曲を聴くだけとはひどい話だ。
教育大学がこれでは、良い教員が育つはずがない。教員自ら起立して国歌を斉唱するよう、校長は教員を指導すべきだ」
http://news.goo.ne.jp/article/sankei/nation/sankei-wst1504020016.html
君が代の本当の意味国歌、君が代は恋の歌だった。
お祝いの歌の代表作として紹介されたのが、「君が代」です。
【君が代の本当の意味とは?】
知っておきたい!! 知らなきゃならない国歌の意味!!
我が国、日本の国歌の本当の意味を皆様ご存知でしょうか?
世の中には席を立たないとか、歌わないとか、間違った解釈で誤解している人が沢山いるようですが、
本当の意味を理解すればその様な態度は取らないはずです。
本当の意味を理解すればその様な態度は取らないはずです。
日本人として我が国の国歌の本当の意味を理解しない訳にはいきません。この動画を観て本当の意味、またこの歌の素晴らしさを御官能下さい。もし共感頂ければ【シェア】お願いします。
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君が代は
千代に八千代に
さざれ石の
巌(いわお)となりて
苔(こけ)のむすまで
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世の中で言われている天皇崇拝の歌であるという説に耳を奪われがちですが、深く探求するとそうではありませんでした。
君が代の本当の意味をお伝えします。
「君が代」は天皇崇拝の軍国主義賛美の歌だと言う人がいますが、じつに程度の低い話です。
そもそも「君が代」の成り立ちは、戦前からのわずか70~80年の歴史の歌ではありません。
いまから千年以上もの歴史のある歌です。
「君が代」の文字としての初出は、平安時代初期の延喜5年(905年)です。
この年に編纂された「古今和歌集」の巻7に、「賀歌」の代表作として納められています。
「古今和歌集」は、醍醐天皇の勅命によって編纂された勅撰和歌集です。
「古今和歌集」は、醍醐天皇の勅命によって編纂された勅撰和歌集です。
いまでいったら日本政府そのものが編纂した公的歌集で、万葉の時代から撰者たちの時代までの140年間の代表的作品を集めたものです。
序文はカナで書かれていて、その執筆者は紀貫之(きのつらゆき)です。
その中に「読み人知らず」として掲載されているということは、すでにこの時点で多くの人に愛された歌だったことを示しています。
後年に書かれた「枕草子」によると、平安貴族たちにとって「古今和歌集」の暗唱は、常識だったのだそうで、その「古今和歌集」で、お祝いの歌の代表作として紹介されたのが、「君が代」です。
つまり「君が代」は、貴族たちの慶賀の歌としても、常識歌だったわけです。
それだけではありません。
「君が代」は、その後に編纂された「新撰和歌集」や「和漢朗詠集」にも転載されています。
つまり、そうしなければならないほど、いまから千年もの昔から多くの人々に愛された歌であったということです。
ではなぜ「君が代」は、そんなに素晴らしい歌とされたのでしょうか。
理由のひとつに「君(きみ)」があります。
「君」は君主をあらわすという人がいますが、それは間違いです。
「君が代」の「きみ」です。
その「きみ」とは、どういう意味の言葉なのでしょうか。
実は、古代日本語で「き」は男性、「み」は女性をあらわす言葉なのです。
日本神話に登場する最初の男女神は、イザナキノミコト「キ」、イザナミノミコト「ミ」であり、「おきな=翁」「おみな=嫗」という言葉もあります。
イザナキ、イザナミ以前の神々は性別がなく、日本の神々で最初に性別を持った神として登場するのが、イザナキ、イザナミです。
その最初の男女神は、イザナキ、つまり「いざなう男」、イザナミ「いざなう女」として登場します。
「いざなう」は、漢字で書けば「誘う(いざなう、さそう)」です。
つまりイザナキ、イザナミの物語は、誘(さそ)いあう男女の物語でもあるわけです。
二人は天つ御柱で出会い、
キ「我、成り成りて、成り余るところあり」
ミ「我、成り成りて、成り足らざるところあり」
と声をかけあい、互いの余っているところと、足りないところを合体させて、子を産みます。
ここで大切なことが、男女が互いに「成り成りて」というところです。
「成り」というのは、完全に、完璧に、という意味です。
その成りが二つ重なっていますから、「成り成りて」は、完全に完璧に成長したことを意味します。
完全です。何の欠点もなく完璧に、ということです。知性も肉体も、まさに完璧に成長し、成熟したのです。
ところが、完璧に成長したら、互いに「余っているところ」と「足りないところ」があった。
これは矛盾です。余ったり、足りなかったりするのは、「完全」ではないからです。
完全体になったら、完全でなくなってしまったのです。
そこで二人は互いの余っているところと、足りないところを合体させて、より完璧になろうとしました。すると「子」が生まれたのです。
このことは、私達にとてもたいせつなことを教えてくれています。
神々でさえ、完全に完璧に成長してから、男女のまぐあいを持ったのです。
ましてや、神々の子孫である我々人間は、男女とも当然に完全に成長してから、交合するものだということを教えているからです。
つまり、親の脛かじりで、まだ勉強中の身上では、男女のまぐあいはするものではない。
もっとしっかり勉強し、体を鍛え、互いに完璧に成長してから、結婚しなさい、というわけです。
つまり「きみ」というのは、男と女、それも「成り成りた男女」をあらわします。
男女が「なりなりた」ことは、本人たちに喜びがあるだけでなく、親や親戚、教師など、周囲の者たちの喜びでもあります。
そしてまた、「完全に完璧な成長」は、尊敬の対象でもあります。
ですから「きみ」は、「完全に成熟し成長した」という、喜びの言葉であり、おめでたい、相手を敬う言葉となったのです。
従って、「きみ」は、「完全に完璧に成長した男女の喜びであり、尊敬し敬愛する人の喜びであり、
「きみが代」は、その「愛し尊敬する人の時代」という意味となります。
「きみが代」は、その「愛し尊敬する人の時代」という意味となります。
その「愛し尊敬する人の代」が、「千代に八千代に」と続くのです。
ここまでだけでも、「君が代」とその背景となっている日本文化の素晴らしさがあるのですが、歌はさらに「さざれ石の巌となりて」と続きます。
「さざれ石」というのは、正式名称を「礫岩(れきがん)」といいます。
細かな石が長い年月をかけて固まって巌となった岩石です。
ですから君が代は、
「きみ」=完璧に成長した男女が、
「代」=時代を越えて
「千代に八千代に」=永遠に千年も万年も、生まれ変わってもなお、
「さざれ石の巌となりて」=結束し協力しあい、団結して
「苔のむすまで」=固い絆と信頼で結びついて行こう
そんな意味の歌である、ということになります。
戦争の象徴だとか、そんな意味ではまったくない。
人の愛と繁栄と団結を高らかに謳い上げた、祝いの歌なのです
世界中どこを探してもこんな国は無いだろうな
ロシア国家を歌う少年少女達
式典(入学式・卒業式)で国歌斉唱をしない大学
東京大 京都大 北海道大 東北大 名古屋大 大阪大 九州大
一橋大 東京工業大 東京芸術大 東京学芸大 東京外国語大
東京医科歯科大 お茶の水女子大 横浜国立大 筑波大 埼玉大
神戸大 金沢大 信州大 岡山大 大阪教育大 札幌医科大
京都府立医科大 大阪府立大 横浜市立大 大阪市立大
早稲田大 慶応義塾大 上智大 国際基督教大 立教大 中央大
法政大 青山学院大 成蹊大 東京理科大 南山大 同志社大 立命館大
関西学院大 津田塾大 東京女子大 日本女子大 神戸女学院大
式典(入学式・卒業式)で国歌斉唱をする大学
石巻専修大 足利工業大 上武大 麗澤大 秀明大 尚美学園大
亜細亜大 拓殖大 大妻女子大 江戸川大 嘉悦大 文京学院大 目白大
洗足学園音楽大 桐蔭横浜大 新潟青陵大 新潟産業大 富山福祉短大
富山国際大 岐阜女子大 名古屋商科大 中部大 愛知工科短大 京都産業大
近畿大 摂南大 武庫川女子大 広島工業大 広島国際学院大 福山平成大
566: 名無しさん@1周年 :2015/04/02(木) 11:59:00.44 ID: /7VlHJ3t0.net
(ノ∀`)アチャー
奈良はググるとこんな高校ばっかじゃねーかw
読んで書いて韓国語◆文化みらいコース - 奈良女子高校
http://nghs.blog62.fc2.com/blog-entry-528.html
奈良はググるとこんな高校ばっかじゃねーかw
読んで書いて韓国語◆文化みらいコース - 奈良女子高校
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