朴槿恵大統領
戦時女性への性暴力は反人道主義
朝鮮戦争米軍慰安婦
ベトナム女性輪姦虐殺
賠償約束
韓国の朴槿恵(パククネ)大統領は24日、国連総会で演説し、
「戦時の女性に対する性暴力はいつの時代、どの地域かにかかわらず、明らかに人権と人道主義に反する行為だ」と述べた。
32年間ねつ造と反日でおなじみの朝日売国新聞
http://www.asahi.com/articles/ASG9T0040G9SUHBI03X.html
■朴槿恵大統領は、国連総会の一般討論演説で
「戦時下の女性に対する性暴力は、いつの時代か、どの地域かを問わず、明らかに人権と人道に反する行為」と述べた。
■ついに、韓国大統領がベトナムでのライダイハンについて謝罪の意志を国連で示した。
今後、ベトナムへの謝罪と賠償をきちんと実行しなければならない。
朴も、失礼ながら、欠陥でいらっしゃるんだね!
自分で言っている発言が、そのままブーメランで
帰ってくることを、想像できないなんて
人間失格でしょ!
【韓国】退役軍人がベトナム戦争の
殺戮暴いた新聞社に突撃し破壊
◆韓国退役軍人 ベトナム戦争の殺戮暴いた新聞社に突撃し破壊
民間人に大量の銃弾を浴びせ、若い女性は強姦後に殺害――。
ベトナムで残虐の限りを尽くした韓国兵の蛮行について、本誌は前号、 前々号と2度にわたって現地からのレポートを掲載し、大きな反響を得た。
日本の読者に衝撃を与えたのも無理はない。
そもそも、当の韓国社会でさえ、その事実が知られるまでには、多くの時間を要した。
きっかけは、ベトナム戦争終結から24年後の1999年5月、
ハンギョレ新聞社が発行する週刊誌『ハンギョレ21』(1999年5月6日号)が行なった報道だった。
ベトナム通信員として活動していた韓国人の女性研究者が、ベトナム当局から資料を入手し現地取材と生存者への接触を重ね、韓国軍による殺戮の実態を白日の下に晒したのである。
この記事が当時、韓国社会に与えた衝撃はすさまじいものがあった。
同誌はその後も定期的に続報を打ちキャンペーンを張ったが、 新聞やテレビなど大メディアによる後追い報道はほぼなかった。
自国の暗部を暴いたことで保守層から大きな反発を招いたからだ。
特に、ベトナム戦争に参加した退役軍人たちは同誌に対し、猛烈な抗議活動を行なった。
彼らの怒りが頂点を迎えたのが翌年(2000年)の6月だった。
迷彩の戦闘服を着た約2400人もの退役軍人が、ソウル市内中心部にある ハンギョレ新聞社の前に集結した。
「ベトナム民間人虐殺の報道が、戦友たちの名誉を失墜させた」と主張し、同新聞社を糾弾するデモと集会を開いたのだ。
だが、集会後も怒りの収まらない一部の軍人たちが暴挙に出た。
角材などを振り回しながら新聞社の社屋に突撃。窓ガラスを割り、デスクやパソコンなど編集部内の物を次々に破壊していったのだ。
韓国人ジャーナリストがいう。
「彼らの狙いは新聞社の制作機能停止でした。
パソコンなどだけでなく、輪転機を破壊し電力供給線も切断。
新聞や雑誌の印刷を停止させた。
さらに新聞を運ぶ貨物車を炎上させたり、
新聞代金の領収書の束を数千枚も積み上げ火をつけたりと暴徒と化していた。
彼らは“ベトコン(南ベトナム解放民族戦線の兵士のこと)を民間人だという ハンギョレ新聞社は赤(共産主義者)だ!”という垂れ幕を掲げていた。
殺した相手は民間人ではなく、ベトコンだったと主張し虐殺を正当化したかったのでしょう。
そこで、新聞社を自由主義の敵と見なし、暴挙に出たのです」
その場にいた新聞社の記者や従業員たちも暴行を受け、10人以上が負傷。
社屋は彼らによって半日間占拠され、同社の幹部らは監禁された。
6000人余りの警察が投入されたことで、ようやく事態は沈静化。
その後、暴力行為で4人が逮捕された。
この暴動の主体となった団体は、主にベトナム戦争の退役軍人で作られる 『大韓民国枯葉剤後遺症戦友会』(以下、枯葉剤戦友会)だった。
この枯葉剤戦友会は朴槿恵(パク・クネ)大統領への絶対的な支持を表明している 有力な政治団体だ。
2011年に開かれた「枯葉剤戦友会14次定期総会」には、与野党の多くの政治家が自ら出席を打診した。
しかし枯葉剤戦友会から拒否され、唯一、招待された政治家が朴氏だった。
ニュースポストセブン 2014年04月04日 07:00(週刊ポスト2014年4月18日号)
http://www.news-postseven.com/archives/20140404_249705.html
民間人に大量の銃弾を浴びせ、若い女性は強姦後に殺害――。
ベトナムで残虐の限りを尽くした韓国兵の蛮行について、本誌は前号、 前々号と2度にわたって現地からのレポートを掲載し、大きな反響を得た。
日本の読者に衝撃を与えたのも無理はない。
そもそも、当の韓国社会でさえ、その事実が知られるまでには、多くの時間を要した。
きっかけは、ベトナム戦争終結から24年後の1999年5月、
ハンギョレ新聞社が発行する週刊誌『ハンギョレ21』(1999年5月6日号)が行なった報道だった。
ベトナム通信員として活動していた韓国人の女性研究者が、ベトナム当局から資料を入手し現地取材と生存者への接触を重ね、韓国軍による殺戮の実態を白日の下に晒したのである。
この記事が当時、韓国社会に与えた衝撃はすさまじいものがあった。
同誌はその後も定期的に続報を打ちキャンペーンを張ったが、 新聞やテレビなど大メディアによる後追い報道はほぼなかった。
自国の暗部を暴いたことで保守層から大きな反発を招いたからだ。
特に、ベトナム戦争に参加した退役軍人たちは同誌に対し、猛烈な抗議活動を行なった。
彼らの怒りが頂点を迎えたのが翌年(2000年)の6月だった。
迷彩の戦闘服を着た約2400人もの退役軍人が、ソウル市内中心部にある ハンギョレ新聞社の前に集結した。
「ベトナム民間人虐殺の報道が、戦友たちの名誉を失墜させた」と主張し、同新聞社を糾弾するデモと集会を開いたのだ。
だが、集会後も怒りの収まらない一部の軍人たちが暴挙に出た。
角材などを振り回しながら新聞社の社屋に突撃。窓ガラスを割り、デスクやパソコンなど編集部内の物を次々に破壊していったのだ。
韓国人ジャーナリストがいう。
「彼らの狙いは新聞社の制作機能停止でした。
パソコンなどだけでなく、輪転機を破壊し電力供給線も切断。
新聞や雑誌の印刷を停止させた。
さらに新聞を運ぶ貨物車を炎上させたり、
新聞代金の領収書の束を数千枚も積み上げ火をつけたりと暴徒と化していた。
彼らは“ベトコン(南ベトナム解放民族戦線の兵士のこと)を民間人だという ハンギョレ新聞社は赤(共産主義者)だ!”という垂れ幕を掲げていた。
殺した相手は民間人ではなく、ベトコンだったと主張し虐殺を正当化したかったのでしょう。
そこで、新聞社を自由主義の敵と見なし、暴挙に出たのです」
その場にいた新聞社の記者や従業員たちも暴行を受け、10人以上が負傷。
社屋は彼らによって半日間占拠され、同社の幹部らは監禁された。
6000人余りの警察が投入されたことで、ようやく事態は沈静化。
その後、暴力行為で4人が逮捕された。
この暴動の主体となった団体は、主にベトナム戦争の退役軍人で作られる 『大韓民国枯葉剤後遺症戦友会』(以下、枯葉剤戦友会)だった。
この枯葉剤戦友会は朴槿恵(パク・クネ)大統領への絶対的な支持を表明している 有力な政治団体だ。
2011年に開かれた「枯葉剤戦友会14次定期総会」には、与野党の多くの政治家が自ら出席を打診した。
しかし枯葉剤戦友会から拒否され、唯一、招待された政治家が朴氏だった。
ニュースポストセブン 2014年04月04日 07:00(週刊ポスト2014年4月18日号)
http://www.news-postseven.com/archives/20140404_249705.html
朝鮮人の猟奇的残虐性
いまから約半世紀ほど前にベトナム戦争という紛争があり、そのベトナムにおいて国が北と南に分かれて内戦状態になった時期があった。
その中心にいたのがよく知られているように米だが、実はこの戦争においてはベトナム兵やアメリカ兵だけでなく南鮮人(韓国人)兵がかなり多く参加していたことはあまり知られていない。
その中心にいたのがよく知られているように米だが、実はこの戦争においてはベトナム兵やアメリカ兵だけでなく南鮮人(韓国人)兵がかなり多く参加していたことはあまり知られていない。
ちなみについ先日維新の橋下代表が例のごとく南鮮ともめたとき、この件(ライダイハン)を発言してさらに向こう(南鮮)のほうで話題になったらしいのだが、にもかかわらずこの国のマスコミはこの件に関して頑なに沈黙している。朝鮮人のイメージを低下させる報道はフィルタにかけ徹底して規制をかけるその様子は、やはり賎業のマスゴミと呼ぶに相応しい行動である。
話を元に戻して、その投入された実際の人員の規模だが、これが米兵に次いで多かったらしくかなりの人員が参加していたと記述されておりその数は述べ約30万人となっている。
なぜそこまでして自国の兵士を他国の戦争に駆り出したのかその理由を探ってみると、どうもその派兵規模に応じてアメリカからの補助金や対米移民枠の拡大という“見返り”があったからなのだという。
今までもそうだったしこれからもそうなのだが、何かにつけて難癖付けて恐喝や恫喝、あるいは日本人(漁民)を直接拉致し虐殺するなどして利益を求めようとするその有り様は、腐敗臭を放つ強烈な境界例国家といった感じだが、さらには自国民を犠牲にしてまでも金銭的な見返りを求めるという相変わらずな醜態ぶりである。
この当時、米兵による強姦虐殺も盛んだったがそれ以上に南鮮軍の横暴が蔓延っていたらしくなんと民間人犠牲者の8割以上が南鮮人部隊による犠牲だったのだという。
南鮮兵は女子供年寄だろうとなんだろうと虐殺していた。上記のモザイク画は女たちを強姦した後燃やしているその様子。
この当時のベトナムの人たちは、ならず者米兵による犯罪行為だけでも相当厄介だったはずだか、よりによって上記の理由による南鮮の参加により民間のベトナム人たち、とりわけベトナム人女性の悲劇と惨劇に更なる拍車をかけることになってしまったのである。
「99年5月256号 ハンギョレ21」より
韓国軍は残酷な大量虐殺を行ったため、南ベトナム民族解放戦線(NLF)さえ、できるだけ直接的な交戦は避けようとした程だったと伝えられる。
前線もなく、敵が誰なのかもわからないベトナム戦でベトコンの根拠地を捜索、破壊するという作戦上の名分が老若男女を区別しない虐殺行為を正当化させた。筆者が持っている記録は、その内容が非常におぞましく、詳細に明らかにするもので、負担がなくはなかったが, その一部をここに紹介する。このような捜索掃討作戦は、一次的にじゅうたん爆撃等で作戦地域を公開して、韓国軍等の地上軍が現場に投入されて村に残っている住民たちを即決処分した後、家を燃やしてブルドーザー等で村全体を押し潰す方式で展開した。生存者の韓国軍に関する証言で共通な点は、無差別機関銃乱射、大量殺戮、妊産婦、女性に対する強姦殺害、家屋への放火などだ。
生存者の証言を土台に韓国軍の良民虐殺方式を整理してみると、いくつかの共通した類型が現れる。
- 住民たち(大部分が女性と老人, 子供たち)を一ケ所に集めた後、あるいはいくつのグループにまとめて、機関銃を乱射して抹殺する。
- 住民たちを一戸に追い詰めて銃を乱射した後、家と一緒に死亡者も生存者も全部燃やす
- 子供の頭を割ったり首をはね, 脚を切ったり四肢を切断して火にほうり込む
- 女性を強姦した後、殺害して, 妊産婦の腹を胎児が破れ出るまで軍靴で踏み潰す
- 住民たちを村のトンネルに追い詰めて毒ガスを浴びせて窒息死させる
韓国軍の大量虐殺が強行された所では、子供たちの口にキャンディやケーキが含まされていた。
老人たちの口にはタバコが咥えられていた場合が多かった。
恐らく、村人を安心させながら一ケ所に集めるための手段だったようだ。(以上、引用終わり)
「私の村は地獄になった」
韓国軍がベトナムで行った残虐行為の被害者たちが真実を語りはじめた
http://megalodon.jp/2010-0817-1927-00/kankoku-020115.tripod.com/vietnam_war/miscellany/watasinomura.html
http://megalodon.jp/2010-0817-1927-00/kankoku-020115.tripod.com/vietnam_war/miscellany/watasinomura.html
ニューズウィーク日本版 2000年4月12日号 P.24 より
このページにUPしてある画像すべてがそうだがとりわけ右の画像は言葉にできないほどの戦慄を覚えるその1枚になる。
女性は左頭部を撃ち抜かれているらしくかなりひどい状況なのだがよく見るとほぼ全裸の状態になっている。何をされたのかは容易に想像がつくがそれにもまして注目すべきは左に並んでいる南鮮軍兵士と思われる連中の表情である。
全員が薄ら笑みを浮かべているのだ。中には犠牲になった全裸の女性遺体を満足そうに見ている者までいる。
上記のモザイク壁画が冗談でもなんでもないことがよくわかるが、正直言うべき言葉がない。
女性は左頭部を撃ち抜かれているらしくかなりひどい状況なのだがよく見るとほぼ全裸の状態になっている。何をされたのかは容易に想像がつくがそれにもまして注目すべきは左に並んでいる南鮮軍兵士と思われる連中の表情である。
全員が薄ら笑みを浮かべているのだ。中には犠牲になった全裸の女性遺体を満足そうに見ている者までいる。
上記のモザイク壁画が冗談でもなんでもないことがよくわかるが、正直言うべき言葉がない。
フォンニィ・フォンニャット村の南鮮軍による虐殺
南鮮軍による民間人虐殺の一部始終
1968年2月2日フォンニイ・フォンニャットの村を南鮮の一個大隊が現地を襲い、村の婦女子を集め集団強姦をしたのち非武装の無抵抗な民間人を妊婦だろうが子供だろうがお構いなく銃殺刺殺するなどして虐殺の限りを尽くし、なおかつその遺体に火をつけてそのまま立ち去ったという事件。
南鮮軍に両胸をえぐり取られた上に銃撃を加えられて瀕死の21歳のベトナム女性
南鮮軍から至近距離で撃たれ前頭部を吹き飛ばされた2名のベトナム人妊婦
南鮮軍に大量殺害されたベトナム人の子供の遺体
南鮮軍に焼かれた住民 強姦後は焼かれたり井戸に落とされ圧死させられた
ライは現地の言葉で“雑種”、ダイハンは“大韓”とのこと
ライダイハン
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%8F%E3%83%B3より引用ライダイハンとは、大韓民国(以下、韓国)がベトナム戦争に参戦した際、韓国人兵士男性と現地のベトナム人女性の間に生まれた二世のこと。ライはベトナムで軽蔑の意味を含めた「混血雑種」、ダイハンは「大韓」のベトナム語読みである。~(中略)~南ベトナムに派兵された韓国軍は、2個師団プラス1個旅団の延べ31万名。最盛期には5万名を数えた。
韓国軍は30万人を超すベトナム人を虐殺したとも言われ、ベトナムでは村ごとに『「ダイハン」の残虐行為を忘れまい』と碑を建てて残虐行為を忘れまいと誓い合っているという。
1966年2月26日、韓国軍部隊は、137人の婦人、それに40人の老人と76人の子供も一緒に、防空壕の中へ押し込めて、化学薬で殺したり、全員を盲にさせたりした。1966年3月26日から28日にかけて、ビンディン省で、韓国軍は、数千におよぶ農家と古寺院を炎上させ、若い女性や年老いた女性を集団強姦した。
8月までに、勇猛な朝鮮人たちは、ビンディン省における焦土作戦を完了した。ブガツ省では、3万5千人の人たちが、死の谷に狩り立てられ、拷問を完膚なきまで加えられてから全員が殺された。
10月には、メコン河流域では、裸で両手ないしは両足の19人の遺体が川から引揚げられた。
これらは、いずれも陵辱された少女たちの遺骸であった。
この事件に先立って、同じ地域で共同作戦中の米軍と韓国軍が、昼日中に結婚の行列を襲い、花嫁を含め7人の女性を強姦した、との報道もあった。
昨今の日本メディアにおいては朝鮮人のイメージが善人に見えるようにマスコミによって操作されているが、現実にはこれほどまでに残忍で凶悪かつ悪辣な存在である。
またテレビなどのマスコミでは報道されないが、ネット上においてはディスクローズされている朝鮮人および朝鮮系によるその犯罪性向(残虐性・異常性)に共通点(世田谷一家惨殺事件や女子高生コンクリ詰めリンチ殺人など)などが数多く見受けられる。
そして戦後の三国人暴動において、かつて日本は占領されていたこともあり治安がまったく機能していない無法状態において、三国人を中心にしていったい何が起こっていたのかは想像の通りなのだろう。
またテレビなどのマスコミでは報道されないが、ネット上においてはディスクローズされている朝鮮人および朝鮮系によるその犯罪性向(残虐性・異常性)に共通点(世田谷一家惨殺事件や女子高生コンクリ詰めリンチ殺人など)などが数多く見受けられる。
そして戦後の三国人暴動において、かつて日本は占領されていたこともあり治安がまったく機能していない無法状態において、三国人を中心にしていったい何が起こっていたのかは想像の通りなのだろう。
例外がない恐ろしい存在
結論として今後この国で生きていくうえで重要なことは連中に対する見方を根本的に見直すこと、さらには成りすましている連中の正体を見抜くことであり、徹底的に区別していく必要がある。これらの行為は差別でもなんでもなくあくまで“区別”なのであって、例えば今後の生活において犯罪に巻き込まれないための、あるいはこの国でよりよく暮らしていくための一種の方法論ととらえたほうがいい。朝鮮人および朝鮮系の本質や真実を、日本人のDNAの中に徹底的に刻んでいかなければ、何れ日本という国が日本でなくなっているという事態にもなりかねないからだ。
ベトナム戦争での韓国軍の悪行
2012/08/27 に公開
韓国は日本に従軍慰安婦などという捏造された過去の嘘を持ち出し謝罪と賠償を請求している、日本の過去においてそのような言葉はなく日本帝国が慰安婦強制連行をしたという証拠も出てきていない、ただの金目当ての志願売春婦だったのだ、しかし韓国はどうでしょう、ベトナム戦争において手当たり次第の強姦、武器を持たない一般市民の大虐殺、1万人を超すライタイハン、謝罪と賠償をしなければならないのは韓国である。
戦争犯罪国家 韓国!
貴様らに日本を批判する資格なし!