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[転載]「日本兵は1000人強姦」「200人が処刑」南京事件で不適切授業・仙台の中学、保護者に謝罪

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「日本兵は1000人強姦」「脇腹蹴って生死判別」 南京事件で不適切授業 仙台の中学、保護者に謝罪
http://sankei.jp.msn.com/life/news/140919/edc14091905000001-n1.htm
「日本兵は1000人強姦」「脇腹蹴って生死判別」 南京事件で不適切授業 仙台の中学、保護者に謝罪
2014.9.19、産経新聞

 仙台市の市立中学校で7月、社会科の50代の男性教諭が、日中戦争時に旧日本軍の南京占領下で起きたとされながら存否でも議論がある「南京事件」について、「1000人の婦人が強姦された」とする真偽不明で残虐性を強調する資料などを使って授業を行い、一部の保護者から抗議を受けていたことが18日、分かった。学校側は「不適切な言動があった」などとして保護者に謝罪した。市教育委員会も報告を受けており、授業内容について校長会で注意を呼びかけるという。

 同校や市教委によると、男性教諭は指導歴約30年のベテランで、3年生(4クラス)の社会の授業で南京事件を紹介。「日本兵は強姦をした」などと説明し、「死体か死んだふりかは、脇腹を蹴って判別した」などと言って教室内のごみ箱を蹴ってみせたという。

 授業では資料も配られ、「南京は日本軍に占領され、恐しい事件の幕が上がった…」と記述。米国での報道や日記などを引用し、「200人の男性が処刑されるのを目撃した」「昨夜から今日にかけて1000人の婦人が強姦されました。ある気の毒な婦人は37回も強姦されたのです」などと書かれていた。

 南京事件は中学の歴史教科書の全てに記述されているが、この教諭が紹介した強姦や生死判別行為を記述している教科書はない。

 校長によると、男性教諭は授業内容について「戦争の悲惨さを伝えるためだった」と説明し、「不快に思った生徒がいたことは申し訳ない」と反省しているという。校長は「PTAの会合で、不適切な言動と、普段から授業が遅れていたことについて謝罪した」と説明。「不適切な指導があったことについては申し訳ない」と話した。

 市教委は「生徒の発達段階を考えると、教諭の言動は不適切。多面的に考察するという文部科学省の学習指導要領に照らしても、資料は中立性と公正さに欠け、別の見解も示すべきだった」としている。

 問題発覚後、同校は再発防止のため、男性教諭に指導する職員を付け、授業計画を確認するなどの対策を実施しているという。

南京事件 1937年12月13日、当時の中華民国の首都・南京陥落後、旧日本軍の占領下にあった最初の6週間に起きたとされる事件。犠牲者数については中国側は「30万人」と主張。日本国内では、近年の研究で誇大との見方が定着している「大虐殺派」(十数万~20万人)、「中間派」(2万~4万人)、「事件否定派」の3説がある。日本政府の公式見解は「非戦闘員の殺害や略奪行為等があったことは否定できない」。


>授業では資料も配られ、「南京は日本軍に占領され、恐しい事件の幕が上がった…」と記述。米国での報道や日記などを引用し、「200人の男性が処刑されるのを目撃した」「昨夜から今日にかけて1000人の婦人が強姦されました。ある気の毒な婦人は37回も強姦されたのです」などと書かれていた。


「米国での報道や日記などを引用」とあるが、その報道や日記の情報源は支那国民党政府の工作員となっていたベイツなどのアメリカ人だった。

米国での報道というのはニューヨークタイムズのダーディン記者とシカゴ・デイリー・ニューズのスティール記者の記事のことだと考えられる。(それ以外に南京事件に関する当時の米国での報道は無いに等しい)

しかし、ダーディンもスティールも2人とも、南京事件について書いた記事は、国民党工作員のベイツ教授から手渡されたメモを記事にしたものだった。

ベイツは宣教師で、南京で大学教授をしていた。

南京安全区国際委員会のメンバーであり、当時から日本軍の犯罪を米国領事館へ報告したり日本大使館へ抗議しまくったりしていた。

また、戦後の東京裁判でも、日本軍に不利になる様々なデタラメ証言をして、「南京大虐殺」を作り上げた中心的人物の一人だ。

ダーディンとスティールの報道は、この支那工作員のベイツからのメモが情報源だった。

――――――――
南京事件調査研究会編訳『南京事件資料集 第1巻』一〇五頁。
一九三八年一月五日、上海のアメリカ総領事ガウスからワシントンの国務長官宛の「祕密扱い」の報告書簡(出典:Record of US Embassy to Chinam Correspondence American Embassy Nanking)には次のように記されている。
「南京大学のシール・ペイツ博士(社会学および歴史学の教授)が書いた日本軍占領後の南京の状況に関するメモを同封する。本メモの写しは、『シカゴ・デイリー・ニューズ』 のアーチボルト・スティール氏が当総領事館の館貞に手渡したものである」
――――――――


ベイツは長く南京に滞在したのだが、ベイツ自身が目撃した虐殺は0件だ。

ところが、ベイツは、「ベイツ・メモ」で4万人大虐殺を主張した1938年に国民政府から勲章を受けた。

また、ベイツは、東京裁判で市民1万2000人大虐殺を主張した1946年にも国民政府から勲章を受けた。

さらに、2001年には、ベイツが「国民政府の顧問」と紹介されていた新聞記事の切り抜きまで、イエール大学で発見された。

BTZベイツは国民政府の工作員
ベイツは国民政府の工作員だった。



そもそもダーディンは、日本軍が南京を占領した1937年12月13日には南京に居なかった!

当日、ダーディンは南京から出かけており、南京に戻ったのは12月14日の夜遅くになってからだ。

12月14日の夜に南京に戻ったダーディンは寝て起きて翌日12月15日の昼には船で南京を離れているため、南京戦を見てもいないし、日本軍占領後の南京について取材をする時間もなかった。

したがって、上述したとおり、ダーディンの記事の情報源は、国民党工作員のベイツから渡されたメモだったのだ。

スティールもダーディンらとともに12月15日の昼に早々と船で南京を離れており、2人の記事は内容が酷似しているため、2人とも12月15日にベイツから渡されたメモを基に記事を書いたことは確実だ。

ダーディン
NYタイムズのダーディン記者




また、「米国での報道や日記などを引用」とあるうち、仙台の市立中学校の社会科教諭が引用した【日記】については、ミニー・ヴォートリンの日記のことで間違いないだろう。(他に南京事件について記述された外国人の日記はない)

しかしながら、このミニー・ヴォートリンの日記にも、ベイツら南京安全区国際委員会メンバーからの伝聞内容が多く記述されている。

「ベイツ教授によると…」と明記されている場合もあるが、そうでない無い場合でも明らかに伝聞と分かる記載が随所にあり、その結果、日記の記載内容は頻繁に食い違っていることが多い。

ミニー・ヴォートリンの日記
ミニー・ヴォートリン


南京安全区国際委員会のメンバーについては、ベイツが支那国民党の工作員だったことは明確に判明しているが、委員長だったラーベ、マギー、スマイスなども言動から国民党の工作員だったことは間違いなく、大半が工作員、あるいは南京安全区国際委員会そのものが工作機関だった可能性が高い。

●詳細記事
南京虐殺は嘘20 嘘吐きダーディン 1 (宣伝工作員のメモを基にした南京の虚報と、当時の米国新聞の反日虚報の数々と、『支那事変日誌抜粋』松井石根)
http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-3304.html
南京虐殺は嘘22...嘘吐きダーディン3...スティールとダーディンの虚報...『南京事件――国民党極秘文書から読み解く』東中野修道著より
http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-3295.html
南京虐殺は嘘23 ...嘘吐きダーディン4...虚報の情報源は宣伝工作員のベイツ
http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-3291.html

南京虐殺は嘘28 嘘吐きベイツ1....嘘吐きベイツの化けの皮
http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-3275.html
南京虐殺は嘘29 嘘吐きベイツ2....嘘吐きベイツのトンデモ証言・文書の数々
http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-3272.html
南京虐殺は嘘30 嘘吐きベイツ3....ベイツは嘘吐き宣伝工作員
http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-3270.html

南京虐殺は嘘31 ベイツとティンパリー、嘘吐き宣伝工作員同士の音信
http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-3266.html
南京虐殺は嘘32 嘘吐き安全区国際委員会、組織ぐるみで嘘を吐いていた背景
http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-3263.html




以上のとおり、仙台の市立中学校の社会科教諭が授業で配ったという米国での報道や日記などを引用した資料は、悉く支那国民党の外国人工作員だった連中の当時のプロパガンダだ。


実際には、南京における不当な市民虐殺は0人で、強姦件数は10件程度だった。

「200人の男性が処刑されるのを目撃した」というのは、おそらく便衣兵(ゲリラ)の処刑のことだと考えられる。

便衣兵(ゲリラ)を発見したら処刑することになっているのは、古今東西の原則(もちろん合法)だ。

戦場においてゲリラ=便衣兵(軍服ではない民間人の服を着た卑怯な兵士)から狙われるほど恐ろしいものはない。
制圧したと思って村や町に入ると、建物の陰から鉄砲の弾が飛んでくる。
敵兵を探しても、いるのは善良そうな顔をした人々だけ…。
あるいは、少年少女だと思って油断していると突然懐から拳銃が出てきて撃ち殺されたりする。
ゲリラ戦・便衣隊戦術は民間人を戦闘に巻き込む。

便衣兵と判明すれば殺すしかない。
便衣兵を殺さなければ、その後も支那軍は癖になって便衣隊戦術をエスカレートさせ、日本軍や一般市民の被害は拡大する一方だ。



安全区内の便衣兵(民間人を装った支那兵)摘出作業は、第十六師団によって慎重かつ正確に行われた。

日本軍は便衣兵摘出の際、体つきの他、坊主頭、鉄帽子の日焼け跡、手の銃ダコ、下着(兵隊服)、市民の証言などをも確認したので、便衣兵と間違えて一般市民を処刑したことはなかった。

上の写真は5000−6000人ということですから、規模的に見て12月16日に歩兵第七連隊が行った便衣兵(私服で偽装潜伏中の中国兵)摘出の光景と考えられます。
兵民分離査問に立会した内田義直氏(陸軍省通訳官・第十六師団警備司令部配属)は、その実態を次のように述べている。
「中国人の言葉には地方訛りがある。南京を守備した中国軍は、広東、広西、湖南の兵隊で南方訛りであって、言葉で兵隊と市民の区別は難しかった。しかし、体つきを見れば兵隊と一般市民とは、直ぐ区別がつく。自治委員会の中国人と一緒に相談しながら分離作業をやったので、一般市民を狩り立てることはなかった。上着だけが民間服で、下着が兵隊服のものが多く、すぐ見分けがついた。」
詳細記事


ただ、上記のような日本軍による正確な便衣兵摘出作業などについては良く知られておらず、一般男性が処刑されたと勘違いして見ていた人も少なからず居たようだ。




それと、「昨夜から今日にかけて1000人の婦人が強姦されました。ある気の毒な婦人は37回も強姦されたのです」というのは、完全な作り話であり、少しでも自分で勉強(研究)をすれば分かることだ。

日本軍による強姦事件は約10件で、その10件についても、金を渡して行為に及んだものや和姦と思われるものも含まれており、日本軍将兵の軍紀が非常に厳しかったことが分かる。

――――――――――
(南京安全地帯の記録より強姦の事例を紹介)

そこで、記録者名のある強姦(未遂)事例61件のうち、日本軍に通報された事例を挙げると、それは次のように分類される。

①日本兵逮捕の事例は、右の「事例167」の1件のみであった。
②日本兵が憲兵に引き渡されて事例は、右の「事例227」の1件のみであった。
③憲兵に連絡された事例は、「事例426」の1件のみであった。
④日本兵が連行された事例は、「事例168」と、「事例220」の、2件であった。
⑤被害者が証人として同行を求められたのは、右の「事例146」の1件のみであった。
⑥日本兵と被害者(未遂)が連行されたのは、「事例216」の1件のみであった。

このように日本軍に通報された件数は、合計7件であった。右の計算には、あるいは見落としがあるかも知れない。そこで、東京裁判に出廷した塚本浩次法務部長の証言をも紹介しておく。
法務部とは軍関係の裁判を司る部門であった。塚本法務部長は上海派遣軍法務官として、1937年12月から1928年8月まで南京に在勤した。その間に、何件の事件を扱ったのか。サトン検察官から、そう尋問されて、彼は次のように答えた。
 《10件内外であつたかと思います。(略)10件と申しましたのは1人1件ではございません。1件の中には数人を含む場合も相当あります。》

P261
『「南京虐殺」の徹底検証』東中野修道著
――――――――――


上記のように、日本軍への通報記録や軍関係の裁判を司る法務部の塚本浩次部長(上海派遣軍法務官)の証言によれば、南京における日本軍による強姦事件は約7件~10件だった。

さらに、第十軍法務部長の小川関次郎氏も、1937年11月15日~12月14日に軍紀及び風紀犯で処罰したのは約20件程度と証言している。

以下、竹本忠雄・大原康男著『再審「南京大虐殺」』より。

――――――――
http://www.ne.jp/asahi/unko/tamezou/nankin/alleged/note.html
日本兵による強姦事件が全くなかったわけではない。東京裁判において第十軍法務部長の小川関次郎は宣誓口供書で次のように証言している(検察は反対尋問の機会を与えられたが、行わなかった)。

「自分は南京に着くまでの間(一九三七年十一月五日から十二月十四日まで)に約二十件くらいの軍紀及び風紀犯を処罰した。
風紀犯の処罰について困難を感じたことは和姦なりや強姦なりや不分明なることであった。
その理由は中国婦人のある者は日本兵に対して自ら進んで挑発的態度をとることが珍しくなく、和合した結果を夫または他人に発見せらるると婦人の態度は一変して大袈裟に強姦を主張したからである。
しかし自分は強姦と和姦とを問わず起訴せられたものはそれぞれ事実の軽重により法に照らして処罰した」

(「速記録第三一〇号」『南京大残虐事件資料集 第一巻』二五六頁)
――――――――






>校長によると、男性教諭は授業内容について「戦争の悲惨さを伝えるためだった」と説明し、「不快に思った生徒がいたことは申し訳ない」と反省しているという。


生徒が不快に思うかどうかの問題よりも、教科書にはない事実に反する内容を授業で教えたことが大問題だ。

わざわざ支那国民党の工作員だったベイツのメモを情報源とした米国の新聞報道や、ベイツらの風説を情報源とした日記を選んで、資料配布し、当時の敵のプロパガンダを今の日本の生徒に事実として教えたことは、重大な問題だ。

学校も教育委員会も厳しい罰則を科していないようだが、他校での再発防止のためにも懲戒処分くらいにはしておくべきだ。

今回の問題は、「一部の保護者から抗議を受けて」学校が知ったらしいが、子供が学校でどのような授業を受けているのか、たまには子供と話してみると良いだろう。



【告知】
http://calendar.zaitokukai.info/skantou/scheduler.cgi?mode=view&no=548
朝日新聞不買デモIN鶯谷
今回実施するのは朝日新聞不買運動のデモです

【日時】
2014年9月20日(土曜日) 
15:30集合16時00分出発

【集合場所】
 鶯谷公園

JR鶯谷を降りて南口改札を出て左折します
降りてまた左折します。
途中、橋から公園が見えます。


■『脱法移民』に日本が壊される
維新政党・新風広島県本部時局講演会

講師:鈴木信行(維新政党・新風 党代表)

日時:平成26年9月21日(日)18:00開始
場所:広島市東区民文化センター(区役所前・広島市東区東蟹屋町10-31)
http://www.cf.city.hiroshima.jp/higashi-cs/
【参加費】 無料
【主 催】 維新政党・新風 広島県本部
【問合先】 新風広島県本部事務局(082-556-7810)


http://calendar.zaitokukai.info/skantou/scheduler.cgi?mode=view&no=582
朝日新聞を許さないデモ!

日時 平成26年9月21日(日) 
集合 12時30分 出発 13時00分

場所 水谷橋公園
東京都中央区銀座1-12-6
東京メトロ有楽町線「銀座一丁目」駅・銀座線「京橋」駅

問い合わせ 朝日新聞を許さないデモ!実行委員会
prettymaids8@gmail.com

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旗は日章旗のみでお願いします。

 
 
 
 
 
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