韓国軍によるベトナム大虐殺で新事実!
神奈川大名誉教授ら現地調査
『韓国の戦争犯罪』を告発するため渡米へ!
韓国軍が、ベトナム戦争で民間人を虐殺したことを伝える慰霊廟が、ベトナム国内に多数建てられている。
神奈川大学名誉教授の北岡正敏氏(工学博士)と、「シンクタンク戦略大学」主宰の北岡俊明氏の兄弟は昨年9月と今年2月、現地調査を行い、膨大な資料と遺族の恨みと怒りに満ちた証言を持ち帰った。
中部3省だけで2700人を超える犠牲者名を確認したが、その数倍の犠牲者がいる可能性が高いという。
2人は来週から「韓国の戦争犯罪」を告発するため渡米する。
「慰霊廟の地図はなく、各地の戦争博物館に行き、写真や証言をもとに探し回った。廟にたどり着くと、遺族らが次々に集まってきて『親兄弟が皆殺しにされた』『女性や子供もやられた』『韓国人が憎い』と訴えきた。ベトナム人が証言した韓国軍の所業は鬼畜そのものだった」
北岡俊明氏は夕刊フジの取材にこう語った。
朴槿恵(パク・クネ)大統領率いる韓国が、日本の地位を低下させる「ディスカウント・ジャパン運動」を世界中で展開するなか、日本が情報戦で勝ち抜くために、北岡兄弟は自費でベトナにわたった。
調査結果の詳細は、2人の著書
『韓国の大量虐殺事件を告発する-ベトナム戦争「参戦韓国軍」の真実』(展転社)として先月出版した。
韓国は1964年にベトナム戦争に参戦し、73年まで8年間で、延べ約32万人を派兵した。「最精鋭部隊を投入した」と伝えられてきたが、実態はまったく違ったようだ。
北岡兄弟の調査は、ベトナム南部のビンディン省とクアンガイ省、クアンナム省を中心に行われ、慰霊廟など19カ所を調べた。そこには、「憎悪の碑」「恨みの碑」「怒りの碑」などの言葉や、虐殺を伝える壁画・像とともに、犠牲者名などが刻まれていた。
ビンディン省・ビンアンの大虐殺は1966年1月23日~26日に起き、1004人が犠牲となった。2006年に建立された慰霊廟には、韓国軍の虐殺を描いた高さ約3メートル、長さ約20メートルの壁画が設置されていた。
俊明氏は「火に焼かれる裸の女性。強姦されて横たわる女性。累々と横たわる死体。
まさに壁画は地獄絵図だった。遺族の証言によると、韓国軍は、女性や子供、老人などの弱者を中心に殺し、妊婦の腹を裂いたり、子供の手足を切断したケースもあったという。
『韓国人に復讐したい』『世界に伝えてほしい』と迫る人もいた」と語る。
クアンガイ省・フォックビン村の虐殺は66年10月9日に起き、68人が犠牲となった。慰霊塔には、犠牲者名と性別、年齢が記してあり、それによると1歳児から75歳まで殺された。68人のうち46人が女性(約68%)で、10歳未満が23人(約34%)いたことが分かったという。
俊明氏は「死体の山に埋もれて助かったグンさんは『韓国軍は慰霊塔がある場所に住民を集めて、突然、小銃や機関銃、手榴(しゅりゅう)弾で虐殺を始めた。私の両親と兄弟の8人が殺された』『韓国軍の行為は子々孫々まで語り伝えていく』と証言した。
話を聞いていて、私も怒りが込み上げてきた。ベトナム政府は韓国との経済協力を考慮しているようだが、末端の人々の怒りは抑えきれない」と振り返る。
韓国軍というと、虎のマークをつけた精強な「猛虎部隊」で知られるが、実際はどうだったのか。北岡兄弟は、複数の元解放軍兵士にも取材している。その1人、クックさんは、俊明氏の「韓国軍は強かったのか?」との問いに、「フフン」とせせら笑ったという。
俊明氏は「ほかの元兵士らの反応も同じだった。『十数人で百数十人の韓国軍を殲滅(せんめつ)させた』と豪語する人もいた。そして、異口同音に『米軍は残虐ではなかった』と証言した。米軍はソンミ事件のイメージがあるが、現地の感覚では違った。
一連の調査から、強い軍隊は虐殺はしない。韓国軍は弱いから、恐怖にかられて虐殺したのだろう」と分析した。
2回の調査で確認できた犠牲者名は約2700人だが、3省にはまだ未確認の慰霊廟がある。
さらに、近隣のフーイエン省やカインホア省、ニントゥアン省などでも韓国軍による虐殺があり、慰霊廟も建てられているという。
現地関係者の証言などを合わせると、韓国軍による虐殺はベトナム全土で約100カ所、犠牲者は1万人から3万人と推計されるという。
このため、北岡兄弟は調査を続行するとともに、民間人の大量虐殺という「韓国軍の戦争犯罪」を世界に発信するため、英訳した資料と証拠写真などを持って、来週15日から渡米する。
米国の軍事関係者や報道関係者、日系人などと接触する予定だ。
俊明氏は「人道に対する罪に時効はない。韓国に日本を批判する資格はない」と語っている。
http://www.zakzak.co.jp/society/foreign/news/20140711/frn1407111820008-n1.htm
【韓国】退役軍人がベトナム戦争の
殺戮暴いた新聞社に突撃し破壊
◆韓国退役軍人 ベトナム戦争の殺戮暴いた新聞社に突撃し破壊
民間人に大量の銃弾を浴びせ、若い女性は強姦後に殺害――。
ベトナムで残虐の限りを尽くした韓国兵の蛮行について、本誌は前号、 前々号と2度にわたって現地からのレポートを掲載し、大きな反響を得た。
日本の読者に衝撃を与えたのも無理はない。
そもそも、当の韓国社会でさえ、その事実が知られるまでには、多くの時間を要した。
きっかけは、ベトナム戦争終結から24年後の1999年5月、
ハンギョレ新聞社が発行する週刊誌『ハンギョレ21』(1999年5月6日号)が行なった報道だった。
ベトナム通信員として活動していた韓国人の女性研究者が、ベトナム当局から資料を入手し現地取材と生存者への接触を重ね、韓国軍による殺戮の実態を白日の下に晒したのである。
この記事が当時、韓国社会に与えた衝撃はすさまじいものがあった。
同誌はその後も定期的に続報を打ちキャンペーンを張ったが、 新聞やテレビなど大メディアによる後追い報道はほぼなかった。
自国の暗部を暴いたことで保守層から大きな反発を招いたからだ。
特に、ベトナム戦争に参加した退役軍人たちは同誌に対し、猛烈な抗議活動を行なった。
彼らの怒りが頂点を迎えたのが翌年(2000年)の6月だった。
迷彩の戦闘服を着た約2400人もの退役軍人が、ソウル市内中心部にある ハンギョレ新聞社の前に集結した。
「ベトナム民間人虐殺の報道が、戦友たちの名誉を失墜させた」と主張し、同新聞社を糾弾するデモと集会を開いたのだ。
だが、集会後も怒りの収まらない一部の軍人たちが暴挙に出た。
角材などを振り回しながら新聞社の社屋に突撃。窓ガラスを割り、デスクやパソコンなど編集部内の物を次々に破壊していったのだ。
韓国人ジャーナリストがいう。
「彼らの狙いは新聞社の制作機能停止でした。
パソコンなどだけでなく、輪転機を破壊し電力供給線も切断。
新聞や雑誌の印刷を停止させた。
さらに新聞を運ぶ貨物車を炎上させたり、
新聞代金の領収書の束を数千枚も積み上げ火をつけたりと暴徒と化していた。
彼らは“ベトコン(南ベトナム解放民族戦線の兵士のこと)を民間人だという ハンギョレ新聞社は赤(共産主義者)だ!”という垂れ幕を掲げていた。
殺した相手は民間人ではなく、ベトコンだったと主張し虐殺を正当化したかったのでしょう。
そこで、新聞社を自由主義の敵と見なし、暴挙に出たのです」
その場にいた新聞社の記者や従業員たちも暴行を受け、10人以上が負傷。
社屋は彼らによって半日間占拠され、同社の幹部らは監禁された。
6000人余りの警察が投入されたことで、ようやく事態は沈静化。
その後、暴力行為で4人が逮捕された。
この暴動の主体となった団体は、主にベトナム戦争の退役軍人で作られる 『大韓民国枯葉剤後遺症戦友会』(以下、枯葉剤戦友会)だった。
この枯葉剤戦友会は朴槿恵(パク・クネ)大統領への絶対的な支持を表明している 有力な政治団体だ。
2011年に開かれた「枯葉剤戦友会14次定期総会」には、与野党の多くの政治家が自ら出席を打診した。
しかし枯葉剤戦友会から拒否され、唯一、招待された政治家が朴氏だった。
ニュースポストセブン 2014年04月04日 07:00(週刊ポスト2014年4月18日号)
http://www.news-postseven.com/archives/20140404_249705.html
民間人に大量の銃弾を浴びせ、若い女性は強姦後に殺害――。
ベトナムで残虐の限りを尽くした韓国兵の蛮行について、本誌は前号、 前々号と2度にわたって現地からのレポートを掲載し、大きな反響を得た。
日本の読者に衝撃を与えたのも無理はない。
そもそも、当の韓国社会でさえ、その事実が知られるまでには、多くの時間を要した。
きっかけは、ベトナム戦争終結から24年後の1999年5月、
ハンギョレ新聞社が発行する週刊誌『ハンギョレ21』(1999年5月6日号)が行なった報道だった。
ベトナム通信員として活動していた韓国人の女性研究者が、ベトナム当局から資料を入手し現地取材と生存者への接触を重ね、韓国軍による殺戮の実態を白日の下に晒したのである。
この記事が当時、韓国社会に与えた衝撃はすさまじいものがあった。
同誌はその後も定期的に続報を打ちキャンペーンを張ったが、 新聞やテレビなど大メディアによる後追い報道はほぼなかった。
自国の暗部を暴いたことで保守層から大きな反発を招いたからだ。
特に、ベトナム戦争に参加した退役軍人たちは同誌に対し、猛烈な抗議活動を行なった。
彼らの怒りが頂点を迎えたのが翌年(2000年)の6月だった。
迷彩の戦闘服を着た約2400人もの退役軍人が、ソウル市内中心部にある ハンギョレ新聞社の前に集結した。
「ベトナム民間人虐殺の報道が、戦友たちの名誉を失墜させた」と主張し、同新聞社を糾弾するデモと集会を開いたのだ。
だが、集会後も怒りの収まらない一部の軍人たちが暴挙に出た。
角材などを振り回しながら新聞社の社屋に突撃。窓ガラスを割り、デスクやパソコンなど編集部内の物を次々に破壊していったのだ。
韓国人ジャーナリストがいう。
「彼らの狙いは新聞社の制作機能停止でした。
パソコンなどだけでなく、輪転機を破壊し電力供給線も切断。
新聞や雑誌の印刷を停止させた。
さらに新聞を運ぶ貨物車を炎上させたり、
新聞代金の領収書の束を数千枚も積み上げ火をつけたりと暴徒と化していた。
彼らは“ベトコン(南ベトナム解放民族戦線の兵士のこと)を民間人だという ハンギョレ新聞社は赤(共産主義者)だ!”という垂れ幕を掲げていた。
殺した相手は民間人ではなく、ベトコンだったと主張し虐殺を正当化したかったのでしょう。
そこで、新聞社を自由主義の敵と見なし、暴挙に出たのです」
その場にいた新聞社の記者や従業員たちも暴行を受け、10人以上が負傷。
社屋は彼らによって半日間占拠され、同社の幹部らは監禁された。
6000人余りの警察が投入されたことで、ようやく事態は沈静化。
その後、暴力行為で4人が逮捕された。
この暴動の主体となった団体は、主にベトナム戦争の退役軍人で作られる 『大韓民国枯葉剤後遺症戦友会』(以下、枯葉剤戦友会)だった。
この枯葉剤戦友会は朴槿恵(パク・クネ)大統領への絶対的な支持を表明している 有力な政治団体だ。
2011年に開かれた「枯葉剤戦友会14次定期総会」には、与野党の多くの政治家が自ら出席を打診した。
しかし枯葉剤戦友会から拒否され、唯一、招待された政治家が朴氏だった。
ニュースポストセブン 2014年04月04日 07:00(週刊ポスト2014年4月18日号)
http://www.news-postseven.com/archives/20140404_249705.html
朝鮮人の猟奇的残虐性
いまから約半世紀ほど前にベトナム戦争という紛争があり、そのベトナムにおいて国が北と南に分かれて内戦状態になった時期があった。
その中心にいたのがよく知られているように米だが、実はこの戦争においてはベトナム兵やアメリカ兵だけでなく南鮮人(韓国人)兵がかなり多く参加していたことはあまり知られていない。
その中心にいたのがよく知られているように米だが、実はこの戦争においてはベトナム兵やアメリカ兵だけでなく南鮮人(韓国人)兵がかなり多く参加していたことはあまり知られていない。
ちなみについ先日維新の橋下代表が例のごとく南鮮ともめたとき、この件(ライダイハン)を発言してさらに向こう(南鮮)のほうで話題になったらしいのだが、にもかかわらずこの国のマスコミはこの件に関して頑なに沈黙している。朝鮮人のイメージを低下させる報道はフィルタにかけ徹底して規制をかけるその様子は、やはり賎業のマスゴミと呼ぶに相応しい行動である。
話を元に戻して、その投入された実際の人員の規模だが、これが米兵に次いで多かったらしくかなりの人員が参加していたと記述されておりその数は述べ約30万人となっている。
なぜそこまでして自国の兵士を他国の戦争に駆り出したのかその理由を探ってみると、どうもその派兵規模に応じてアメリカからの補助金や対米移民枠の拡大という“見返り”があったからなのだという。
今までもそうだったしこれからもそうなのだが、何かにつけて難癖付けて恐喝や恫喝、あるいは日本人(漁民)を直接拉致し虐殺するなどして利益を求めようとするその有り様は、腐敗臭を放つ強烈な境界例国家といった感じだが、さらには自国民を犠牲にしてまでも金銭的な見返りを求めるという相変わらずな醜態ぶりである。
この当時、米兵による強姦虐殺も盛んだったがそれ以上に南鮮軍の横暴が蔓延っていたらしくなんと民間人犠牲者の8割以上が南鮮人部隊による犠牲だったのだという。
南鮮兵は女子供年寄だろうとなんだろうと虐殺していた。上記のモザイク画は女たちを強姦した後燃やしているその様子。
この当時のベトナムの人たちは、ならず者米兵による犯罪行為だけでも相当厄介だったはずだか、よりによって上記の理由による南鮮の参加により民間のベトナム人たち、とりわけベトナム人女性の悲劇と惨劇に更なる拍車をかけることになってしまったのである。
「99年5月256号 ハンギョレ21」より
韓国軍は残酷な大量虐殺を行ったため、南ベトナム民族解放戦線(NLF)さえ、できるだけ直接的な交戦は避けようとした程だったと伝えられる。
前線もなく、敵が誰なのかもわからないベトナム戦でベトコンの根拠地を捜索、破壊するという作戦上の名分が老若男女を区別しない虐殺行為を正当化させた。筆者が持っている記録は、その内容が非常におぞましく、詳細に明らかにするもので、負担がなくはなかったが, その一部をここに紹介する。このような捜索掃討作戦は、一次的にじゅうたん爆撃等で作戦地域を公開して、韓国軍等の地上軍が現場に投入されて村に残っている住民たちを即決処分した後、家を燃やしてブルドーザー等で村全体を押し潰す方式で展開した。生存者の韓国軍に関する証言で共通な点は、無差別機関銃乱射、大量殺戮、妊産婦、女性に対する強姦殺害、家屋への放火などだ。
生存者の証言を土台に韓国軍の良民虐殺方式を整理してみると、いくつかの共通した類型が現れる。
- 住民たち(大部分が女性と老人, 子供たち)を一ケ所に集めた後、あるいはいくつのグループにまとめて、機関銃を乱射して抹殺する。
- 住民たちを一戸に追い詰めて銃を乱射した後、家と一緒に死亡者も生存者も全部燃やす
- 子供の頭を割ったり首をはね, 脚を切ったり四肢を切断して火にほうり込む
- 女性を強姦した後、殺害して, 妊産婦の腹を胎児が破れ出るまで軍靴で踏み潰す
- 住民たちを村のトンネルに追い詰めて毒ガスを浴びせて窒息死させる
韓国軍の大量虐殺が強行された所では、子供たちの口にキャンディやケーキが含まされていた。
老人たちの口にはタバコが咥えられていた場合が多かった。
恐らく、村人を安心させながら一ケ所に集めるための手段だったようだ。(以上、引用終わり)
「私の村は地獄になった」
韓国軍がベトナムで行った残虐行為の被害者たちが真実を語りはじめた
http://megalodon.jp/2010-0817-1927-00/kankoku-020115.tripod.com/vietnam_war/miscellany/watasinomura.html
http://megalodon.jp/2010-0817-1927-00/kankoku-020115.tripod.com/vietnam_war/miscellany/watasinomura.html
ニューズウィーク日本版 2000年4月12日号 P.24 より
このページにUPしてある画像すべてがそうだがとりわけ右の画像は言葉にできないほどの戦慄を覚えるその1枚になる。
女性は左頭部を撃ち抜かれているらしくかなりひどい状況なのだがよく見るとほぼ全裸の状態になっている。何をされたのかは容易に想像がつくがそれにもまして注目すべきは左に並んでいる南鮮軍兵士と思われる連中の表情である。
全員が薄ら笑みを浮かべているのだ。中には犠牲になった全裸の女性遺体を満足そうに見ている者までいる。
上記のモザイク壁画が冗談でもなんでもないことがよくわかるが、正直言うべき言葉がない。
女性は左頭部を撃ち抜かれているらしくかなりひどい状況なのだがよく見るとほぼ全裸の状態になっている。何をされたのかは容易に想像がつくがそれにもまして注目すべきは左に並んでいる南鮮軍兵士と思われる連中の表情である。
全員が薄ら笑みを浮かべているのだ。中には犠牲になった全裸の女性遺体を満足そうに見ている者までいる。
上記のモザイク壁画が冗談でもなんでもないことがよくわかるが、正直言うべき言葉がない。
フォンニィ・フォンニャット村の南鮮軍による虐殺
南鮮軍による民間人虐殺の一部始終
1968年2月2日フォンニイ・フォンニャットの村を南鮮の一個大隊が現地を襲い、村の婦女子を集め集団強姦をしたのち非武装の無抵抗な民間人を妊婦だろうが子供だろうがお構いなく銃殺刺殺するなどして虐殺の限りを尽くし、なおかつその遺体に火をつけてそのまま立ち去ったという事件。
南鮮軍に両胸をえぐり取られた上に銃撃を加えられて瀕死の21歳のベトナム女性
南鮮軍から至近距離で撃たれ前頭部を吹き飛ばされた2名のベトナム人妊婦
南鮮軍に大量殺害されたベトナム人の子供の遺体
南鮮軍に焼かれた住民 強姦後は焼かれたり井戸に落とされ圧死させられた
ライは現地の言葉で“雑種”、ダイハンは“大韓”とのこと
ライダイハン
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%8F%E3%83%B3より引用ライダイハンとは、大韓民国(以下、韓国)がベトナム戦争に参戦した際、韓国人兵士男性と現地のベトナム人女性の間に生まれた二世のこと。ライはベトナムで軽蔑の意味を含めた「混血雑種」、ダイハンは「大韓」のベトナム語読みである。~(中略)~南ベトナムに派兵された韓国軍は、2個師団プラス1個旅団の延べ31万名。最盛期には5万名を数えた。
韓国軍は30万人を超すベトナム人を虐殺したとも言われ、ベトナムでは村ごとに『「ダイハン」の残虐行為を忘れまい』と碑を建てて残虐行為を忘れまいと誓い合っているという。
1966年2月26日、韓国軍部隊は、137人の婦人、それに40人の老人と76人の子供も一緒に、防空壕の中へ押し込めて、化学薬で殺したり、全員を盲にさせたりした。1966年3月26日から28日にかけて、ビンディン省で、韓国軍は、数千におよぶ農家と古寺院を炎上させ、若い女性や年老いた女性を集団強姦した。
8月までに、勇猛な朝鮮人たちは、ビンディン省における焦土作戦を完了した。ブガツ省では、3万5千人の人たちが、死の谷に狩り立てられ、拷問を完膚なきまで加えられてから全員が殺された。
10月には、メコン河流域では、裸で両手ないしは両足の19人の遺体が川から引揚げられた。
これらは、いずれも陵辱された少女たちの遺骸であった。
この事件に先立って、同じ地域で共同作戦中の米軍と韓国軍が、昼日中に結婚の行列を襲い、花嫁を含め7人の女性を強姦した、との報道もあった。
昨今の日本メディアにおいては朝鮮人のイメージが善人に見えるようにマスコミによって操作されているが、現実にはこれほどまでに残忍で凶悪かつ悪辣な存在である。
またテレビなどのマスコミでは報道されないが、ネット上においてはディスクローズされている朝鮮人および朝鮮系によるその犯罪性向(残虐性・異常性)に共通点(世田谷一家惨殺事件や女子高生コンクリ詰めリンチ殺人など)などが数多く見受けられる。
そして戦後の三国人暴動において、かつて日本は占領されていたこともあり治安がまったく機能していない無法状態において、三国人を中心にしていったい何が起こっていたのかは想像の通りなのだろう。
またテレビなどのマスコミでは報道されないが、ネット上においてはディスクローズされている朝鮮人および朝鮮系によるその犯罪性向(残虐性・異常性)に共通点(世田谷一家惨殺事件や女子高生コンクリ詰めリンチ殺人など)などが数多く見受けられる。
そして戦後の三国人暴動において、かつて日本は占領されていたこともあり治安がまったく機能していない無法状態において、三国人を中心にしていったい何が起こっていたのかは想像の通りなのだろう。
例外がない恐ろしい存在
結論として今後この国で生きていくうえで重要なことは連中に対する見方を根本的に見直すこと、さらには成りすましている連中の正体を見抜くことであり、徹底的に区別していく必要がある。これらの行為は差別でもなんでもなくあくまで“区別”なのであって、例えば今後の生活において犯罪に巻き込まれないための、あるいはこの国でよりよく暮らしていくための一種の方法論ととらえたほうがいい。朝鮮人および朝鮮系の本質や真実を、日本人のDNAの中に徹底的に刻んでいかなければ、何れ日本という国が日本でなくなっているという事態にもなりかねないからだ。
ベトナム戦争での韓国軍の悪行
2012/08/27 に公開
韓国は日本に従軍慰安婦などという捏造された過去の嘘を持ち出し謝罪と賠償を請求している、日本の過去においてそのような言葉はなく日本帝国が慰安婦強制連行をしたという証拠も出てきていない、ただの金目当ての志願売春婦だったのだ、しかし韓国はどうでしょう、ベトナム戦争において手当たり次第の強姦、武器を持たない一般市民の大虐殺、1万人を超すライタイハン、謝罪と賠償をしなければならないのは韓国である。