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[転載]安倍カジノ視察「成長戦略の目玉になる」・安倍と在日~総理の金脈を支える知られざるコリアンパワー

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シンガポールの統合型リゾート施設を視察し、記者の質問に答える安倍首相=5月30日(共同)
シンガポールの統合型リゾート施設(カジノ)を視察し、「成長戦略の目玉になる」などと発言した安倍首相=5月30日

http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/ann?a=20140531-00000001-ann-pol
安倍総理カジノ視察で 「成長戦略の目玉になる」
テレビ朝日系(ANN) 5月31日(土)0時5分配信
安倍総理カジノ視察で 「成長戦略の目玉になる」

 安倍総理大臣は、シンガポール到着後、すぐに世界有数のカジノを持つリゾート施設を視察し、「成長戦略の目玉になる」として、日本へのカジノ誘致に強い期待感を示しました。

 安倍総理大臣:「カジノによる利益を文化的な施設につぎ込み、新たな雇用や文化への投資を生み出している。統合リゾートは、日本の成長戦略の目玉になる」

 安倍総理は、2カ所のカジノ施設などを視察し、関係者らから説明を受けました。カジノを巡っては、ギャンブル依存症や治安の問題が指摘されていますが、安倍総理は「シンガポールでは相当検討を重ねた対応がされている」として、解決は可能だとの認識を示しました。


もう安倍は、カジノをやる気満々だ!

カジノ法案というのは、名前を「特定複合観光施設区域の整備の推進に関する法律案」としているので非常に分かり難いが、これは朝鮮玉入れ屋(パチンコ屋)とフジテレビのための法案だ。

つまり、在日朝鮮人と反日テレビ局のための法案なのだ!

カジノ法案の目的は、主に次のとおり。


1.最近落ち目になっているパチンコ屋(朝鮮玉入れ屋)に、カジノ事業への商売替えのチャンスを与え、在日特権を確保させる。

2.これまで表向き非合法とされていたパチンコの換金行為を晴れて合法と認め、在日特権を巨大化させる。(ソース:「選択」2013年09月号、「ビジネスジャーナル」2013.11.15 、「日経ビジネス」2014年2月28日

3.今でも副業三昧のテレビ局に、更なる副業拡大の利権を与える。

4.「2大特権階級」の「在日朝鮮人」と「テレビ局」の特権を確固たるものにして、政治との癒着を強化する。



●関連記事1
カジノ事業に朝鮮人も参入!パチンコ屋やフジテレビのためのカジノ法案・国営ではない!反対しよう
http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-5392.html

【要旨】
パチンコ大手「マルハン」 カジノ解禁へ向けて大手全国紙と連動企画
安倍とパチンコ業界の「蜜月」カジノ実現は「利益誘導」換金合法化で莫大な利益
テレビ局、公共電波を使って副業三昧「電波利権ビジネス」
安倍「カジノ解禁」 日枝フジテレビグループ「ウチがお台場で引き受けますわw」
日枝会長との蜜月さらに深まり…「安倍首相の甥」フジ入社へ

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●関連記事2
在日特権が拡大一途!生活保護、公務員、カジノ・賭博施設はもういらない!換金合法化を許すなデモ
http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-5446.html

【要旨】
パチンコ屋(朝鮮玉入れ屋)最大手のマルハンが、「カジノ事業」の中心の座に就こうとしている。
カジノ法案を成立させる際には、パチンコ換金の合法化も同時に行おうとしている!
パチンコ換金という不当な闇の【在日特権】を、正当な権利として認めようとしている【カジノ法案】






「週刊ポスト」(2014年5月9.16日号)に『安倍と「在日」~ 総理の「金脈」を支える知られざるコリアンパワー』という記事があった。

週刊ポスト  2014年 5/9-16号 安倍【三代】と「在日」総理の「金脈」を支える知られざるコリアンパワー
――――――――――
『安倍と「在日」~ 総理の「金脈」を支える知られざるコリアンパワー』
週刊ポスト(2014年5月9.16日号)

靖国を参拝し、河野談話見直しに触れた安倍晋三は、しばしば、隣国のことを嫌うタカ派といわれる。だが、その見方はあまりにも表層的すぎる。安倍は祖父の代から、地元・下関で在日コリアンから「人脈」と「金脈」で多大な支援を受けてきた。知られざる安倍三代と「在日」の交流をジャーナリスト・李策氏が現地リポートする。

(前略)
岸と晋太郎、晋三は三代にわたり、朝鮮半島、そして在日の人々ときわめて密接な関わりを持ってきた。下関の街を歩くと、その縁の深さを示す手掛かりが数多くみつかる。

JR下関駅から車で5分。関門海峡に面した所に、室町から江戸時代にかけ日本を訪れた朝鮮通信使の記念碑が建っている。2001年、地元政財界の有志が建立したもので、碑の裏には晋三の名が刻まれている。「朝鮮通信使上陸淹留之地」と揮毫した韓国の元首相・金饉泌は岸や晋太郎と親交を結んでいた。

父親が晋太郎の支援者だったという在日2世のパチンコ店経営者は、「金首相が下関を訪れたときには、私の父や地元の民団幹部と並んで、晋太郎さんがいっしょに食事していました」と懐かしむ。

下関駅前のコリアンタウン「グリーンモール商店街」には、63年間営業を続ける食堂「アリアン」がある。晋三が常連で、店内には「福」と墨書した色紙や、昭恵夫人といっしょに訪れた際の写真が飾られている。
(中略)
中選挙区時代、岸は生家のあった山口市を含む旧山口2区を、晋太郎は郷里・油谷町(現長門市)や下関市などからなる旧山口1区を選挙区としていた。1994年、小選挙区制に移行してからも、下関と長門(山口4区)は晋三の地元だ。

下関の地名は、在日韓国・朝鮮人にとって特別な響きを持っている。戦前戦中には関釜連絡線が年間200万人を運び、朝鮮半島から労働力として送り込まれた人々が、後に在日コミュニティーを築いたからだ。

現在、下関市に暮らす在日外国人のうち、韓国、朝鮮籍の人は約2900人。大多数が戦前に渡ってきた人とその子孫だ。下関市の全人口(約27万人)に占める在日の比率は1%で、全国平均(0.4%)の倍以上。日本国籍を取得した人とその家族を加えれば、下関の在日人口は万を超える。
今回の現地取材で見えてきたのは、岸から晋三に至る3代の政治家が、「単なる近所づきあい」ではくくれないほど、在日社会と深い因縁を結んでいる事実だった。


■「東声会」町井久之

日韓国交正常化は来年で50周年を迎える。この間、韓国経済は世界でも稀に見る高度経済成長を遂げた。その元手となったのが、国交正常化に際して日本が提供した無償3億ドル・有償2億ドルの経済支援であったことは論をまたない。援助を主導したのは岸。つまり、韓国経済にとっての大恩人ということになる。

しかしその一方、岸が日韓国交正常化を踏み台に、地元・山口と韓国にまたがる「王国」を作り上げたことはあまり語られない。
(中略)
そして、国交正常化と同時に、李承晩ラインが撤廃されると、下関を母港とする漁船団の漁場は一気に拡大。1960年代、下関漁港の水揚げ量は日本一を誇り、地域経済は繁栄をきわめた。そのきっかけになったのが、日韓国交正常化だったのだ。そして、そのことが岸の「金脈」を太くする。

地元財界人がいう。

「当時、下関に本社のあった大洋漁業(現マルハニチロホールディングス)は、東大卒の新入社員を取り放題というほど、勢いがあった。関連企業も潤い、巻き網やウインチの製造で世界のトップクラスを占めた会社もある。それらの業者がことごとく岸さんの応援団になった」

国交回復後、岸はさらに対岸の韓国政界の中枢と関係を深めていく。そのとき、岸に韓国人脈をつないだキーマンのひとりが町井久之だった。

町井は本名を鄭建永という。1923年、東京に生まれた町井は戦後、在日を中心に1500人の無頼漢を糾合し、暴力団「東声会」会長として名をはせた。政界の黒幕・児玉誉士夫とはとくに親しく、その政界人脈を足掛かりに、日韓国交正常化交渉の水面下で橋渡しを果たした。
この時、岸と町井は児玉を介して接近。岸は町井が主催するパーティーにちょくちょく顔を出し、町井が東京・六本木に巨大な複合ビル「TSK・CCCターミナル」を建てると、主賓として竣工式に招かれている。

岸は国交正常化後、ソウル市地下鉄開発など巨額の日韓ビジネスを差配した。町井にとっては利権に食い込むためた最重要パートナーでもあった。
その両者の協力関係は、下関で結実する。

■パチンコマネー

岸が山口と韓国に築いた王国と人脈は、彼の秘書官を経て政界に打って出た晋太郎に受け継がれた。その上、晋太郎は在日とのパイプをさらに太くしていく。

かつて晋太郎が住み、いまは晋三名義となっている敷地面積2000平方メートルの豪邸は、下関市街を見下ろす高台に建っている。
この家のかつての持ち主の名は、吉本章治という。福岡市に本社を置くパチンコ店チェーン・七洋物産の創業者。彼は、日本に帰化した在日1世である。
晋太郎は長らく、自宅と地元事務所を七洋物産の子会社から格安で賃借していたほか、福岡事務所をタダで借り、スタッフの提供まで受けていた。

(中略)
安倍家と吉本家が家族ぐるみで付き合っていたのは間違いない。
(中略)
興味深いのは、晋太郎が在日の支援を受けなければならなかった理由だ。地元政界の事情通が話す。

「旧山口1区の定数は4議席で、3つを自民党候補が分け合い、残りを社会党が取る構図が定着していました。岸さんをバックにした晋太郎さんは余裕で当選していましたが、次期総理をねらうには、トップ当選が至上命題だった。しかも晋太郎さんには林善郎元蔵相という強力なライバルがいました。(略)それに勝つために、晋太郎さんは中小企業を幅広く糾合する必要があった。その中でも資金力があり、多くの従業員を抱える在日の企業の存在は大きかった」

晋太郎は地元での票の取り合いに加え、中央財界での権力闘争でも勝ち抜かなければならなかった。時は、派閥政治の全盛期。総理の座をつかむには、カネはいくらあっても足りない。
(中略)
バブルの追い風を受け、地元の在日のパチンコマネーは拡大を続けた。総理の座を目指す晋太郎が、前述の吉本しかり、パチンコマネーに頼らないわけがなかった。
また晋太郎は、岸による国交正常化で潤った在日の水産業者にも手を伸ばす。晋太郎は1974年、農林大臣として初入閣した。晋太郎に接近し、漁獲や水産物輸入枠の割り当てで便宜を図ってもらおうと考える水産業者は多く、彼らは晋太郎の有力スポンサーになった。
「貧しかった頃の韓国では日本製の腕時計がたいへんなステータスで、安いモノでも高く売れた。しかし普通に輸出したのでは高率の関税がかけられる。そこで、船員たちの下着に時計をいくつも縫いつける方法で密輸した」(同前)
そうした「副業」でも莫大な収入を得たある水産業者は、晋太郎の地元有力支援者として知られる。

受け継がれる人脈と金脈。下関の古株の在日の間では、こんな話も聞かれた。

「晋太郎さんが林家に勝つため、岸さんが町井さんに晋太郎さんへの支援を要請したと聞いています。民団草創期の大幹部だった町井さんは、下関の仲間にいくらでも号令をかけることは、できましたから」(同前)

(中略)

晋三が初めて立候補したのは、自民党が下野した1993年の衆院選だ。地元では晋太郎の系列だった県議が反旗を翻して対立候補となり、突然の逆風に見舞われた。

そんな中でも、父の代から安倍家を支えた在日は晋三の応援を続けた。
経営するホテルの従業員とともに街頭に繰り出し、「エイエイオー」とエールを送った在日の経営者もいた。

「あの時は、秘書や支援者の一部も反対陣営に回ってしまった。すでに安倍家にとって欠かせない票田であり、金脈だった在日の義理堅さはありがたかったでしょう」(地元紙記者)


晋三の下関にある地元事務所は、晋太郎時代のまま、在日1世が創業したパチンコ店チェーンの子会社から借りている。また、晋太郎の助力で業績を伸ばした前出の在日の水産業者は、晋三の代になっても支援を続けている。もちろん、日本に帰化していれば、晋三が献金などの形で彼らを頼ることに問題はない。実際そうした後援者はいつまでも数多くいる。
(以下略)


ブログ「創価学会と極左動向」より
――――――――――


「在日朝鮮人と反日テレビ局の特権拡大のためのカジノに反対!」

 
 
 
 
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転載元: 正しい歴史認識、国益重視の外交、核武装の実現


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