日本は弱い、その自覚がなければ
中国に負ける
集団的自衛権の行使はなぜ必要なのか
「日米同盟は,地域の平和と安全の礎であり、グローバルな協力の基盤である。国際協調主義に基づく『積極的平和主義』という日本の政策と米国のアジア太平洋地域へのリバランスは、共に、平和で繁栄したアジア太平洋を確かなものにしていくために同盟が主導的な役割を果たすことに寄与する」
置き去りにされている集団的自衛権の本質論議
特に日本側にとっては、米国が日米安全保障条約の下、尖閣諸島を含めた日本の施政下にあるすべての領域でコミットメントを果たすことを大統領が明言したことは大きな成果であった。また集団的自衛権行使に関しても、日本が検討していることを歓迎、支持するとした意義は大きい。
今後急がねばならないのは、共同声明を具現化である。まずは、今年末までに予定されている日米防衛協力の指針(ガイドライン)の改定であろう。そこで核心となるのが集団的自衛権行使の問題である。これを前提とした改定でなければ、中国に対する有効な抑止力とはなり得ず、日米共同声明の政治的意義は半減する。
現在までの国内議論を見る限り、枝葉末節の議論に終始し、本質論が忘れ去られているように思える。議論の中心が憲法解釈変更の是非になっているが、これは手段の議論に過ぎない。現在の安全保障環境をどうとらえ、なぜ集団的自衛権行使が必要なのかという本質的な議論が置き去りにされている。
報道によると、オバマ大統領訪日前の21日、民主党の小西洋之参院議員や社民党の吉田忠智党首ら両党の有志19人は在日米大使館を通じてオバマ大統領に対し「集団的自衛権行使を可能とする憲法の解釈変更は、日本の立憲主義や法の支配の存立に関わる問題だ」と訴える書簡を送ったという。
「自国が直接攻撃されていない場合には集団的自衛権の行使は許されないとする確立した政府解釈は、憲法尊重擁護義務(憲法第99条)を課されている国務大臣や国会議員によってみだりに変更されるべきではない。また、下位にある法律によって憲法の解釈を変更することは、憲法に違反する法律や政府の行為を無効とし(憲法第98条)、政府や国会が憲法に制約されるという立憲主義に反するものであって、到底許されない」
中国と韓国で世論調査した朝日新聞
反対派メディアの急先鋒、朝日新聞はこともあろうに、中国と韓国で日本の集団的自衛権について世論調査を実施した。「泥棒」に対し、「戸締りを厳重にすることに賛成か」と問うようなものであり、またぞろ外国勢力を使って反対の空気を作り出そうとする「御注進ジャーナリズム」には嘆息が漏れる。
昨年12月に公表された国家安全保障戦略(以下「NSS」)でも述べているように「日本の平和と安全は一国では確保」できない。力を背景にした現状変更を試みる中国と対峙するのに、残念ではあるが日本一国では対応できない。この事実はしっかりと押さえておかなければならない。安全保障は、何より冷静に「弱さを自覚」することが第一歩である。
(中略)
日本海には米人非戦闘員(婦女子)を乗せた航空機が数珠つなぎになるだろう。当然、自衛隊も警戒態勢を上げる。日本海には武装した空自F15戦闘機が空中哨戒を実施しているはずだ。その時、日本海を飛行する米輸送機の後方に接近する北朝鮮空軍MIG-29戦闘機を空自F15が発見したとしよう。
米民間人を見殺したその瞬間、崩壊する日米同盟
米国は空自F15がMIG-29を撃墜して、米人婦女子を護ってくれると信じているだろう。空自の能力からすると十分可能だ。だが、空自パイロットはMIG-29を撃墜し、米人婦女子を守ることはできない。平時にあって公海上空を飛行する米軍輸送機を守るための行動は、集団的自衛権に該当し、禁じられているからだ。
ミサイル防衛もそうだ。2012年12月、北朝鮮は人工衛星打ち上げと称し、ミサイルを打ち上げた。米国にも届く核ミサイルとなる可能性がある。自衛隊は我が国に飛来する弾道弾ミサイルは破壊できる。だが、米国に飛来する弾道弾ミサイルは集団的自衛権に抵触するから撃ち落とすことはできない。
北朝鮮から米本土に撃たれたミサイルは、カムチャッカ半島からベーリング海方面を飛行するため、日本からは物理的に迎撃することはできない。だが、グアムやハワイに撃たれたミサイルは日本の本土上空を飛行する。幸か不幸か現在の自衛隊はその迎撃能力を有しない。だが日米共同開発中の弾道弾迎撃ミサイルが完成すれば、これを迎撃できる可能性が出てくる。
習近平政権が発足して1年、不動産バブルの瓦解、地方政府の債務不履行、経済的苦境、汚職、腐敗、海外への資産逃避、貧富の格差などの問題を抱え、内政は決してうまくいっていない。国内に問題を抱える時、対外的に強い姿勢を示し、求心力を高めようとするのは独裁者の常道である。
戦いに備えよと強調する習近平主席
力の信奉者である中国の台頭に対し、我が国を守り、アジアの平和と安定を確保するには、日米同盟の緊密化を図り、米国を「巻き込む」ことが欠かせない。「親米」でも「反米」でもない、日本の国益のために米国を活用するという「活米」の知恵が求められている。このために集団的自衛権の行使は欠かせない。
現下の情勢を正しく認識しないまま、集団的自衛権行使容認の手段について、「やれ憲法解釈の見直しだ、いや改憲だ」と議論しても国民には理解が難しい。世論調査を見ても、「集団的自衛権が認められれば、米国と一緒に地球の裏側まで行って戦争するようになる」といったデマゴーグに惑わされていることが分かる。
情勢認識と集団的自衛権行使の必要性の議論、そして行使を可能にする手段の議論は分けて実施すべきである。非武装中立論者と防衛力整備について議論できないのと同様、イデオロギー的に集団的自衛権に反対する人たちと、「憲法解釈か憲法改正か」といった方法論を議論しても混迷が深まるだけである。
力の信奉者である中国が冒険的行動の誘惑に駆られないようにするには、自らの国は自らで守るとの原点に立ち返り、自衛隊が効果的に能力発揮できる体制整備を実施すると共に、集団的自衛権行使を可能にし、目に見える形で日米同盟緊密化を演出することが今何より求められている。
マッカーサーが当時の日本人に絶大な人気を得たのはなぜですか?
マッカーサーが当時の日本人に絶大な人気を得たのはなぜですか。
絶対的な権力者ということが人気につながったのでしょうか。
昭和天皇を戦争犯罪者として起訴しなかったからですか?
当時の一般国民は天皇はGHQに起訴されると思っていたのですか?
天皇を起訴しなかったことは空港に何十万人も見送りにくるほどのことだったのでしょうか。
アメリカがマッカーサーの偉大さを知らしめる為の誇張話ということを聞きましたがどうなんでしょうか。
歴史に「もしも」がないことは承知ですがもしもGHQ総司令官がマッカーサーでなかったら今の日本はありませんでしたか。
無知で申し訳ありませんが一つでも回答いただければ嬉しいです。
よろしくお願いいたします。
ベストアンサーに選ばれた回答
マッカーサーが人気が有る訳がありません 敗戦で無理やり押し付けられただけですよ。
アメリカ万歳思考を押し付けられて、その反対勢力は弾圧された事をよく理解できてない日本人がたくさんいるのは悲しい事ですね。
マスコミを使った情報操作は今も昔も変わりません。
負けたら理不尽な事も何でも受け入れなくてはならないなんておかしいね。
そんなものに洗脳されないでね。
我々の親やおじいちゃんの時代の日本は世界に胸を張れる国だったのです。
マッカーサーが「太平洋戦争は日本の自衛戦争だった」と議会証言したことは、東京...
マッカーサーが「太平洋戦争は日本の自衛戦争だった」と議会証言したことは、
東京裁判の無効性を訴えたことになるのですか?
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マッカーサーが上院軍事外交合同委員会で証言したのが1951年5月3日のことです。
1950年6月25日北朝鮮軍が韓国へ侵攻したことを発端とする「朝鮮戦争」真っ只中のことです(停戦は1953年7月27日)。
朝鮮戦争においてソ連の支援を受けた北朝鮮軍および中国共産党の援軍により北朝鮮側優勢の勢いで迫り来るところをまざまざと見せつけられたマッカーサーは、戦前に日本が置かれていた状況を初めて悟ったようです。日本の行動は全ての国に認められている「自衛権」の行使であり、アジアにおける共産化に対する防波堤の役割をも果たしていたことを痛感させられた模様です。
その後マッカーサーは中国人民志願軍の補給路を断つため中国国内(旧満州)への攻撃を命じ、さらに放射能物資の散布までをも検討したようです。当時米国大統領のトルーマンは、共産化の発信源であるソ連以外にもヨーロッパ各国から米国への非難が湧き上ることを恐れマッカーサーの解任を決意しました。
ちなみにマッカーサー証言後、米国を始めとする連合国は、日本の置かれた立場を理解したのか「サンフランシスコ講和条約」において日本に対する請求権を全て放棄し調印を急ぎました。ソ連・中国共産党政府以外は。
なお日本は律儀にも戦場となった国々に対しては、個々に二国間協定等を結び賠償等の責任を果たしたことを追記しておきます。
昭和天皇を心から尊敬し讃えたマッカーサー
終戦直後の1945年9月27日、昭和天皇はGHQ最高司令官ダグラス・マッカーサーと会談。「全ての戦争責任を負う」との陛下の発言にマッカーサーは大いに感動し、「私はその瞬間、私の前にいる天皇が、個人の資格においても日本の最上の紳士であることを感じ取ったのである。」と後年、語った。
1945(昭和20)年8月15日、昭和天皇(1901-1989)による玉音放送をもってポツダム宣言受諾を表明し、日本は敗北を受け入れ、大東亜戦争は終結した。
8月30日、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ) のダグラス・マッカーサーが日本に進駐した。
マッカーサーは第一生命ビル(千代田区有楽町1-3-1)にGHQ総司令部を設け、皇居を見下ろす6階の執務室で、日本の占領政策に着手した。
9月27日、敗戦国の国王となった昭和天皇は、敵将マッカーサーに会うために、アメリカ大使館公邸を訪れた。
大使公邸の玄関で昭和天皇を出迎えたのは、マッカーサーではなく、わずか2人の副官だけだった。
マッカーサーに会った昭和天皇は、こう語ったと伝えられている。
「私は、日本の戦争遂行に伴ういかなることにも、また事件にも全責任をとります。また私は日本の名においてなされたすべての軍事指揮官、軍人および政治家の行為に対しても直接に責任を負います。自分自身の運命について貴下の判断が如何様のものであろうとも、それは自分には問題ではない。構わずに総ての事を進めていただきたい。私は全責任を負います」
この言葉に、マッカーサーは驚いた。彼は、昭和天皇が命乞いにくるのだろうと考えていたからだ。
自らの命と引き換えに、自国民を救おうとした国王が、世界の歴史上あっただろうか。
マッカーサーはこの時の感動を、『回想記』にこう記している。
「私は大きい感動にゆすぶられた。死をともなうほどの責任、それも私の知り尽くしている諸事実に照らして、明らかに、天皇に帰すべきではない責任までも引受けようとされた。この勇気に満ちた態度に、私の骨の髄までもゆり動かされた。私はその瞬間、私の眼前にいる天皇が、個人の資格においても日本における最高の紳士である、と思った」
この時マッカーサーは、次のように返答したという。
「かつて、戦い敗れた国の元首で、このような言葉を述べられたことは、世界の歴史にも前例のないことと思う。私は陛下に感謝申したい。占領軍の進駐が事なく終ったのも、日本軍の復員が順調に進行しているのも、これ総て陛下のお力添えである。これからの占領政策の遂行にも、陛下のお力を乞わねばならぬことは多い。どうか、よろしくお願い致したい」
(中略)
1955年、重光外相(当時)は安保条約改定に向け、ダレス国務長官と会談するためにアメリカへ渡った。
重光外相は訪米前に、昭和天皇に拝謁した。
重光外相は訪米すると、ニューヨークにいたマッカーサーを訪ね、昭和天皇の御言葉を伝えた。
マッカーサーは、「私は陛下にお出会いして以来、戦後の日本の幸福に最も貢献した人は天皇陛下なりと断言するに憚らないのである」と語った。
「私は、これを聞いて、興奮の余り、陛下にキスしようとした位です。もし国の罪を贖うことが出来れば進んで絞首台に上がることを申し出るという、この日本の元首に対する占領軍の司令官としての私の尊敬の念は、その後ますます高まるばかりでした。陛下は御自身に対して、いまだかつて恩恵を私に要請したことはありませんでした。とともに決して、その尊厳を傷つけた行為に出たこともありませんでした。どうか日本にお帰りの上は、自分の温かいご挨拶と親しみの情を陛下にお伝え下さい。その際、自分の心からなる尊敬の念をも同時に捧げて下さい」
参考資料
「昭和天皇」(出雲井晶/日本教文社)
「大東亜戦争と被占領時代」(名越二荒之助/転展社)
日本政策研究センター – アーカイブス 昭和天皇・マッカーサー会談の「事実」