【反論】パク・クネの火病に対し
菅官房長官
河野談話検証するけど
踏襲してるよ
矛盾は全くないから
菅義偉官房長官は3日の記者会見で、慰安婦募集の強制性を認めた平成5年の「河野洋平官房長官談話」の作成経緯の検証を韓国の朴槿恵(パククネ)大統領が批判していることについて、「検証は必要だ」と反論した。
安倍晋三政権は河野談話の継承を表明しているが、菅氏は談話の継承と検証の矛盾を指摘する質問に対し「(矛盾は)全くない」とも強調した。
河野談話は、当時官房副長官として事務方の責任者だった石原信雄氏が2月20日の衆院予算委員会で、作成過程で日本と韓国との間ですり合わせがあった可能性を指摘。これを受け、政府は検証チームの設置を表明した。
菅氏は「石原氏は韓国に配慮する形ですり合わせが行われたのではないかと推測した。どのような形で行われたかどうかを含め、さすがに検証する必要がある」と述べた。
一方、安倍首相は3日の参院予算委員会で、過去の植民地支配と侵略を認めた7年の 「村山談話」や河野談話について「歴代の内閣の立場を引き継いでいる」と述べ、踏襲する意向を重ねて示した。
「侵略や植民地支配を否定したことは一度もない」とも語った。
ソース(MSN産経ニュース):
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140303/plc14030322540016-n1.htm
「従軍慰安婦の真実」
従軍慰安婦の証拠を検証するページです (図解入り)
従軍慰安婦と聞くと「かわいそうな人たち」をイメージする方も多いようですが
戦争中は慰安行為(売春)によって収入を得る女性が多く存在しました。
通称「慰安婦」と呼ばれる人たちです。(慰安婦が存在した証拠はいくらでも残っています)
慰安婦の中には親に売られてしまった人や借金を背負っていた人もいました。
本人が望まずにそのような仕事についた人達は現在、日本に謝罪と賠償を求めています。
さらに言えば、問題にされているのが軍による強制が本当にあったのか?の点です。
なぜなら彼女達は、慰安所から高額な収入を得ていたことが分かっているからです。
大卒の初任給が月収「約20円」の時代に、
慰安婦は15倍に当たる「月収300円」以上で公募集をかけられていました。
慰安婦の女性たちは、現代でいえば「風俗店で働く女性」と同じ仕事をしていました。
「売春婦」と呼ぶ人もいますが、女性に失礼な表現であるため、そのような言葉は使いません。
現代との決定的な違いは、「戦時中、売春は合法であった」という部分です。
「従軍」とは軍に同行する人を指します。
従軍記者、従軍カメラマン、従軍看護師などは存在が確認されています。
上の写真のような「従軍(追軍)慰安婦」はいくらでもいましたが
強制によるもの?がいたかどうかは証言以外に証拠がありません。
(当時は、公募集すればいくらでも慰安婦が集まる時代です)
慰安婦を募集する広告
「月収300円以上(3000円前借可)」
新聞「京城日報(キョンソンイルボ)」 1944年7月26日
自称従軍慰安婦の証言
慰安婦問題の、有力な証言者として積極的に公演を行っているのが「黄錦周」「李容洙」さんの2人
(1)従軍慰安婦と戦後補償 / 著者:高木健一
「生活は貧しく、12歳のときに100円で売られた。ソウルの金持ちの家で小間使い。
1938年に威鏡南道ハムン郡で女中をしていた時に、その家の娘の身代わりとなって満州に連行され従軍慰安婦となった」
(2)国連・経済社会理事会クマラスワミ報告 / 1996年1月4日
「17歳のとき、日本人の村の指導者の妻が、未婚の朝鮮人少女全員に、日本軍の工場に働きに行くように命じました。そのとき私は労働者として徴用されたのだと思いました。」
(3)日本TV企業"TBS"「ここが変だよ日本人」というTV番組より(従軍慰安婦問題)
「私は19歳で学校を卒業する25日前に、日本軍に引っ張り出され、仕方なく慰安所に行ったんだ」
(4)「日韓社会科教育交流団韓国を訪問/1997夏期
「満18歳になったある日、男がやって来て、村から娘を提供するように言いました。」
(5)旧日本軍「従軍慰安婦」の証言を聞く集会 / 1997年12月5日
『村の班長(日本人)に「一家に一人は行かなくては」と脅され、1941年、韓国を離れましたが、到着した場所は、慰安所でした。』
(6)黄錦周さんの証言を聞く会 / 2001.07.17 / 東京大学にて
「14歳のとき、いわゆる「少女出」で満州に連行され、皇軍兵士のセックスの道具にされた。つらい体験だった。」
公演するたびに、証言が変わるのが特徴
しかし彼女は、日本軍に従軍慰安婦を強制された有力な証言者とされており
歴史学者達に長い間引用されてきた。
「文玉珠」さんという(自称)従軍慰安婦女性は、平成4年に日本の郵便局を訪れ、
2万6145円(当時の金額)の預金返還の訴訟を起こしています。
千円もあれば故郷の大邱に小さな家が一軒買えると体験記で述べていますが、
現在の価値なら、4000万~5000万円程度の大金を、
彼女が(自称)性奴隷であった約3年間で貯めていたことが分かります。
(クリックで拡大) |
当時、家が20~30件買えるほどの金額
ナヌムの家に住む(自称)従軍慰安婦 「李容珠(イ・ヨンス)さん」の証言
1944年、16歳の時に強制連行され台湾へ。
旧日本軍の従軍慰安婦としての生活を3年間強制された。(1947年まで)
(※終戦により日本軍がいなくなった後も、現地で2年間ほど働いていたことになる)
↓
このことを指摘され、従軍慰安婦の期間を 3年間→1年間に修正
2007年さいたま浦和の公演の配布資料
(クリックで拡大)
チョン・ソウンさん
証言内容
「13歳(1937年)の時にインドネシアに強制連行され、従軍慰安婦として
7年間(~1946年まで)性奴隷にされた。」
2004年他界。享年80歳
(日本のインドネシア攻略は1941年。それ以前はオランダの植民地です)
以下略
【韓国】日本に慰安婦問題の解決を要求する
国連人権理事会で外相が演説
「過去だけでなく現在の問題でもある」
5日に演説
(写真)
▲ 尹炳世(ユン・ビョンセ)外交部長官
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尹炳世(ユン・ビョンセ)外交部長官が国連国連人権理事会の高官級会議に参加、日本軍慰安婦問題を国際社会に直接訴えることで最終決定した。
尹長官は当初、国連人権理事会に参加して直接慰安婦問題を国際社会に訴える方案を検討していて終盤にこれを撤回したが、日本軍慰安婦問題などに対する日本の態度の変化がないと判断して、再び立場を変更したと見られる。
外交部は4日、尹長官がこの日から6日までスイスのジュネーブを訪問して、『第25回・国連国連人権理事会』に参加、国際人権問題に対する我が政府の立場と貢献の意志を表明する計画であると明らかにした。
我々の外交トップが国連国連人権理事会に参加したのは、2006年の潘基文(パン・ギムン)外交部長官以降約7年ぶりで、尹長官は演説を通じて日本軍慰安婦問題と北朝鮮の人権問題など、人権懸案に対する立場を具体的に明らかにすると思われる。
今月3~28日に行われる今年の国連人権理事会の高官級会議は6日までで、尹長官は5日(現地時間)に演説する予定だ。
尹長官が再び人権理事会に参加する事にしたのは、過去史を否定する日本の最近の態度と密接に関連していると分析される。
特に朴槿恵(パク・グンヘ)大統領が3・1節の記念演説を通じて日本の『河野談話』修正の動きを強く批判したが、日本は逆に文部科学省の副大臣が「日本軍慰安婦は嘘、実は捏造」という主張まで繰り広げるなど、過去史挑発を続けている。
尹長官は今度の演説を通じて、日本軍慰安婦被害者に対する日本の賠償など、必要な措置を取らなければならないという点を強調することが見込まれている。
尹長官はまた、北朝鮮内の反人道犯罪に対する国連の北朝鮮人権調査委員会(COI)の最近の報告書と関連、北朝鮮の人権状況の深刻さを憂慮して、人権改善のために努力しなければならないという点を取り上げることが分かった。
外交部は、「尹長官の今度の参加は、北朝鮮の人権改善のための国際社会の努力を強調しながら、日本軍慰安婦被害者の問題解決の緊急性を対外的に浮上させる契機になることが期待される」と明らかにした。
ソース:NAVER/ソウル=聯合ニュース(韓国語)
http://news.naver.com/main/read.nhn?mode=LSD&mid=sec&sid1=100&oid=001&aid=0006787710
日本はきちんと資料各種取りそろえて
満座の前で「売春婦でした、あとジープってなにさ」ってことを訴えるべき
よし、ベトナムを焚き付けようぜ。
狂ってるのはそれすらわからんのかw
缶国政府は慰安婦へ謝罪すべきWWWWWWWW
はよ日本が提訴を!
82: (´・ω・`)(`ハ´ )さん 2014/03/04 12:34:28 ID:EAIFa+Ef