【中国紙】「尖閣問題はカイロ宣言を順守しない日本が悪い」「(中国に)脅されているという雰囲気」作ってる。だが当日三人の巨頭はいずれも「カイロ」にはいなかったことを証明する
「カイロ宣言」は日時や署名がなく、
AはBではない、よってBによって否定されたAはCではありえない。
★「現状変更し、秩序を変えたいのは日本」 尖閣諸島問題で新華社論評
2013.12.1 17:09 [日中関係]
中国国営通信の新華社は1日、論評を配信し、日中が対立する沖縄県・尖閣諸島(中国名・釣魚島)をめぐる問題で「現状を変更し、東アジアの秩序を変えたいと思っているのは中国ではなく、日本だ」と主張。
論評は第2次大戦中に米英中3カ国首脳が対日方針を定めたカイロ宣言から1日で70年となるのを受けて配信された。
中国は、台湾などを中国に返還することを定めた同宣言を尖閣領有権の根拠の一つにしており、 論評は「日本がカイロ宣言などの文書を順守すれば、島をめぐる紛争が起こるだろうか」と強調した。
さらに安倍晋三政権の歴史認識について「(第2次大戦中の)日本の侵略の罪状」に無関心だと批判。
安倍政権は島の争いを通じ「(中国に)脅されているという雰囲気」をつくりだし、平和憲法の改正と軍備増強を推進していると指摘した。(共同)
http://sankei.jp.msn.com/world/news/131201/chn13120117130008-n1.htm
2013.12.1 17:09 [日中関係]
中国国営通信の新華社は1日、論評を配信し、日中が対立する沖縄県・尖閣諸島(中国名・釣魚島)をめぐる問題で「現状を変更し、東アジアの秩序を変えたいと思っているのは中国ではなく、日本だ」と主張。
論評は第2次大戦中に米英中3カ国首脳が対日方針を定めたカイロ宣言から1日で70年となるのを受けて配信された。
中国は、台湾などを中国に返還することを定めた同宣言を尖閣領有権の根拠の一つにしており、 論評は「日本がカイロ宣言などの文書を順守すれば、島をめぐる紛争が起こるだろうか」と強調した。
さらに安倍晋三政権の歴史認識について「(第2次大戦中の)日本の侵略の罪状」に無関心だと批判。
安倍政権は島の争いを通じ「(中国に)脅されているという雰囲気」をつくりだし、平和憲法の改正と軍備増強を推進していると指摘した。(共同)
http://sankei.jp.msn.com/world/news/131201/chn13120117130008-n1.htm
「カイロ宣言」は日時や署名がなく、
公文書も存在しておらず
宣言として扱うことが適切かについては議論もある。
カイロ宣言は捏造、1972年の
日中共同声明の再検証を
一般的に「カイロ会談」は第二次世界大戦中の1943年(昭和18年)11月22~26日、エジプトのカイロで開かれた。ルーズベルト、チャーチル、蒋介石のアメリカ・イギリス・中国の三国首脳会談。11月27日に「調印された」といわれる。「12月1日」に発表された声明が「カイロ宣言」と称される。 |
「台灣國」さんのサイトより抜粋。
統一白書。1993年8月31日一中白書。2000年2月21日、中国總理談話。2004年3月14日中国北京。
(1)中国は、「カイロ宣言」によって台湾は中国に返還されたと強調しており、1972年(昭和47年)に行われた日本、中国の国交回復に伴い発表された「日中共同声明」でも、日本はこれを承認した。中国の主張は、上記の白書で詳細に述べられている。要点は以下の通り。
「日中共同声明」三 中華人民共和国政府は、台湾が中華人民共和国の領土の不可分の一部であることを重ねて表明する。日本国政府は、この中華人民共和国政府の立場を十分理解し、尊重し、ポツダム宣言第八項に基づく立場を堅持する。
1. 1945年9月2日、日本が署名した「降伏文書」には、中国、アメリカ、イギリスの三カ国がポツダムで発表した宣言条項を受諾したことが明記されている。これは、一般に「ポツダム宣言」と呼ばれている。英語の原稿での名称は「Potsdam Proclamation」。
2. 「ポツダム宣言第8項」では、「カイロ宣言の条項は履行され、また、日本国の主権は本州、北海道、九州及び四国並びにわれらが決定する諸小島に局限される」と規定されている。
3. カイロ宣言では「満州、台湾、澎湖島は中華民国に返還される」ことを承諾しており、日本はこれを黙認した。
(2)世界のどこにも「カイロ宣言」を見つけ出すことはできない。
世界のどこを探しても「カイロ宣言」と称する文書を見つけ出すことはできない。このため「ポツダム宣言第8項」の「カイロ宣言の条項は履行される」という条文に含まれている意味を確定することはできない。
しかし中国は、1943年12月1日にルーズベルト、チャーチル、蒋介石がカイロで発表したプレス・コミュニケが「カイロ宣言」であり、「満州、台湾、澎湖島は中華民国に返還される」ことを承諾していると指摘している。(附件 Attachment 1を参照)。「Manchuria, Formosa, and the Pescadores, shall be restored to the Republic of China.(満州、台湾及び澎湖島は中華民国に返還されなければならない。)」
中国が「カイロ宣言」を示さない以上、ここで、中国が根拠とする偽のカイロ宣言であるプレス・コミュニケを検証してみることにする。
(3)偽のカイロ宣言にも、台湾を中国に返すとは述べていない。
1. コミュニケ(公式声明)の内容。「満州、台湾、澎湖島は中華民国に返還される」という字句はあるが、標題には「カイロ宣言(the Cairo Declaration)」とは書かれておらず、新聞公報(Press Communique)とあり、「ポツダム宣言」で指している「カイロ宣言」とは一致しない。(附件 Attachment 1を参照)「Press Communique(プレス・コミュニケ)」 ※ちなみに正式な英語では「Cairo Conference(カイロ会議)」と書かれている。
2. プレス・コミュニケには署名がない。コミュニケの原稿には「満州、台湾、澎湖島は中華民国に返還される」という字句はあるものの、ルーズベルト、チャーチル、蒋介石のうち、一人の署名もない(附件 Attachment 1を参照)。しかしルーズベルト、チャーチル、スターリンはイランでの宣言(テヘラン会談)でいずれも署名している。このことは、二人とも、台湾と澎湖島が中華民国に返還されることに同意していいことを証明している。
3. プレス・コミュニケは三人の巨頭が発表したものではない。原稿には、その発表時間、地点が記されていない。しかし中国は、「1943年12月1日」に「カイロ(エジプト‐アラブ共和国の首都)」で発表されたと指摘している。ところが当日、ルーズベルトとチャーチルは「テヘラン」でスターリンと会議を開いている。(附件 Attachment 2を参照)「Teheran,Iran,December 1,1943」(テヘラン、イラン、12月1日,1943年)(イランの首都テヘラン)。「蒋介石」はすでに中国の「重慶」に戻っていた。(附件 Attachment 3を参照)附件3の「Chungking December 5,1943(1943年12月5日、重慶)」の文書に、「The Generalissimo and I arrived in Chungking on the morning of December 1st.」(大元帥と私は、12月1日の朝に「重慶」に到着した。)
このことは、「1943年12月1日」に三人の巨頭はいずれも「カイロ」にはいなかったことを証明している。
また、カイロで発表されたプレス・コミュニケの原稿に署名されていないことから、この「コミュニケ(陳総統はコミュニケではなくプレスリリース、声明書に過ぎないと指摘した)」は彼らが発表したものではないことが証明できる。
また、カイロで発表されたプレス・コミュニケの原稿に署名されていないことから、この「コミュニケ(陳総統はコミュニケではなくプレスリリース、声明書に過ぎないと指摘した)」は彼らが発表したものではないことが証明できる。
陳総統は「1943年12月1日の『カイロ宣言』についてはっきりしているのは、時間と日付が記されておらず、蒋介石、チャーチル、ルーズベルトの三首脳のいずれも署名が無く、事後による追認もなく、授権もない。」と指摘。
4. チャーチルは、カイロ宣言で台湾、澎湖島の中華民国への返還を承諾したことを否定している。
1955年2月1日、チャーチルはイギリス国会での代表質問に回答した際、カイロ宣言で台湾、澎湖島の中華民国への返還を承諾したことを否定した。(附件 Attachment 4を参照)「Churchill rejected」(チャーチルは拒否した)(中略)「terms of the Cairo Declaration.」(カイロ宣言の条項。) 「Churchill rejected today a Laborite suggestion that Formosa be handed over to Communist China under terms of the Cairo Declaration.」(チャーチルは、「台湾」は「カイロ宣言」の条項の下で、「中国」に引き渡されることを発表したとの労働党員の提議を拒否した。) 「Formosa(台湾の旧称)」・「Laborite(Labourite、主に英国で用いられる。労働党員)」
5. ルーズベルトとチャーチルは、「満州」(「旅順・りょじゅん、中国遼寧(りょうねい)省の大連市の西部地区」、「大連・だいれん、中国遼寧省の工業・港湾都市」)の中華民国への返還をカイロ宣言で承諾したことを否認している。1945年2月11日にルーズベルトとチャーチルは※「ヤルタ」で「密約」に署名し、「旅順」、「大連」を「ソ連」に譲渡することを承認しており、「カイロ宣言で満州、台湾、澎湖島は中華民国に返還されることを承諾した」という中国の主張を否定した。(附件 Attachment 5を参照)「(b) the commercial port of Dairen shall be internationalized the preeminent interests of the Soviet Union in this port being safeguarded and the lease of Port Arthur as a naval base of the U.S.S.R.restored」 「(b) the commercial port of Dairen(大連の商業港)」 「Port Arthur(旅順)」、イギリス海軍のアーサー中尉指揮するフリゲートが寄港したことで、「ポート・アーサー(Port Arthur)」の名称が欧米に知られるようになった。1900年の「北清事変」の後、「ロシア(1917年のロシア革命によって帝政(帝王が行う政治)は崩壊、ソビエト社会主義共和国連邦(ソ連)が成立)」の「租借地」となり、ロシア海軍の太平洋艦隊の根拠地として、軍港・要塞として開発された。第二次世界大戦末期の1945年、ソ連軍が侵攻し、「旅順」を占領した後は、ソ連海軍の太平洋艦隊の軍港として認めさせた。 (大連の商業港は国際化されなければならない。この港でのソ連の利益が保護される。そして、ソ連の海軍基地として旅順のリース(「lease」機械や設備などの、賃貸。一般には長期のものをいう)が返還されます。)
※「ヤルタ会談」とは、第二次大戦末期の1945年2月、ウクライナの都市ヤルタで開かれた、ルーズベルト・チャーチル・スターリンによる首脳会談。ドイツの戦後処理、国際連合設立などについて定めた。このとき秘密協定「ヤルタ協定」も結ばれた。
(4)結論
中国は「カイロ宣言」を捏造して日本を騙した
1972年9月29日に発表された「日中共同声明」第3項で「中華人民共和国政府は、台湾が中華人民共和国の領土の不可分の一部であることを重ねて表明する。日本国政府は、この中華人民共和国政府の立場を十分理解し、尊重し、「ポツダム宣言第八項」に基く立場を堅持する。」とある。
1972年9月29日に発表された「日中共同声明」第3項で「中華人民共和国政府は、台湾が中華人民共和国の領土の不可分の一部であることを重ねて表明する。日本国政府は、この中華人民共和国政府の立場を十分理解し、尊重し、「ポツダム宣言第八項」に基く立場を堅持する。」とある。
日本の外務省はこれに騙され、「カイロ宣言で満州、台湾、澎湖は中華民国に返還されたことを声明した。しかし1972年の日中国交回復以降は、上述の中華民国は中国を指す」と宣言し、台湾は中国の一部であることを認定した。
外務省は直ちにこれを改正し、台湾は中国の内政ではなく、中国にへつらうために台湾の内政に干渉することをやめるべきである。
AはBではない、よってBによって否定されたAはCではありえない。
21: 名無しさん@13周年
書面にすらなってないカイロ宣言なんて物自体が無効、存在してないのと同じ
だからポツダム宣言にカイロ宣言の何たらかんたらとか書いてあっても寝言
仮に万歩譲って有効だとしてやっても、主張する権限があるのは中華民国になる
つまり何をどうしても、中華人民共和国には関係ない
だからポツダム宣言にカイロ宣言の何たらかんたらとか書いてあっても寝言
仮に万歩譲って有効だとしてやっても、主張する権限があるのは中華民国になる
つまり何をどうしても、中華人民共和国には関係ない
25: 名無しさん@13周年
仮にカイロ宣言を根拠にするとしてどこに「尖閣諸島」の文言があるんだ?
台湾島に近いホウコ諸島が明記されているにもかかわらず
台湾島に近いホウコ諸島が明記されているにもかかわらず
30: 名無しさん@13周年
カイロ宣言っていつの話しとんねんボケ
そもそも当時の中国は中華民国だろうが。
そもそも当時の中国は中華民国だろうが。
34: 名無しさん@13周年
カイロで会談したのは米英だろ。
そのアメリカが日本に返還して、今もあの辺りで米軍が演習してんだろ。
またアメリカに喧嘩売ってんの?
カイロ宣言 1943/11/22 米・英・華
右同盟国の目的は日本国より1914年の第一次世界戦争の開始以後において日本国が奪取し又は占領したる太平洋における一切の島嶼を剥奪すること、ならびに満州、台湾および澎湖島のごとき日本国が清国人より盗取したる一切の地域を中華民国に返還することにあり。
ポツダム宣言 1945/7/26 米・英・華
(8) カイロ宣言の条項は履行さるべきものとし、日本の主権は本州、北海道、九州、四国及びわれわれの決定する周辺小諸島に限定するものとする。
Wikipedia 尖閣諸島問題
中国側の主張
・1943年のカイロ宣言では、日本は中国東北部(満州)や台湾、澎湖列島などを含める土地を返還すると規定している。 釣魚台(尖閣諸島)はそれらの地域に含まれているのだから、返還されるべきである。
・中華人民共和国政府は日本国とのサン・フランシスコ平和条約に参加していないのでこの条約に拘束されない(「非合法であり無効」の立場)。
以上より演繹されることは、シナが尖閣を自国領と言いたいのなら「盗取した」という事実を証明することだ。
それは極めて困難であると思われるが如何に。
そのアメリカが日本に返還して、今もあの辺りで米軍が演習してんだろ。
またアメリカに喧嘩売ってんの?
カイロ宣言 1943/11/22 米・英・華
右同盟国の目的は日本国より1914年の第一次世界戦争の開始以後において日本国が奪取し又は占領したる太平洋における一切の島嶼を剥奪すること、ならびに満州、台湾および澎湖島のごとき日本国が清国人より盗取したる一切の地域を中華民国に返還することにあり。
ポツダム宣言 1945/7/26 米・英・華
(8) カイロ宣言の条項は履行さるべきものとし、日本の主権は本州、北海道、九州、四国及びわれわれの決定する周辺小諸島に限定するものとする。
Wikipedia 尖閣諸島問題
中国側の主張
・1943年のカイロ宣言では、日本は中国東北部(満州)や台湾、澎湖列島などを含める土地を返還すると規定している。 釣魚台(尖閣諸島)はそれらの地域に含まれているのだから、返還されるべきである。
・中華人民共和国政府は日本国とのサン・フランシスコ平和条約に参加していないのでこの条約に拘束されない(「非合法であり無効」の立場)。
以上より演繹されることは、シナが尖閣を自国領と言いたいのなら「盗取した」という事実を証明することだ。
それは極めて困難であると思われるが如何に。
103: 名無しさん@13周年
きんぺーは逃亡用意完了
習近平の海外資産は3億7600万ドル 姉夫婦はカナダ国籍
娘の習明澤 米国国籍でハーバード大通ってたのに親父に戻されて中国帰国中
香港資産と特定企業資産は5560万ドル也江沢民と江錦恒親子が上海で米ワーナーと
自分の華人文化産業投資基金が提携した時に200億元着服
江沢民の孫の江志成はアメリカ国籍で海外資産が15億ドル
曽慶紅の息子の曽偉はオーストラリア国籍
28億円相当のオーストラリアの豪邸で贅沢三昧
賈慶林の孫の李紫丹はアメリカ国籍で現地名がJasmine Li
胡錦濤の子供の胡海峰は精華控股有限公司社長で資産126億元 1320万ドルの海外資産
温家宝一族 本人の海外資産が1億2000万ドル
弟の温家宏の海外資産2億ドル 息子の温云松の香港資産が1億ドル
楊潔チの孫の楊家楽は米国国籍
習近平の海外資産は3億7600万ドル 姉夫婦はカナダ国籍
娘の習明澤 米国国籍でハーバード大通ってたのに親父に戻されて中国帰国中
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自分の華人文化産業投資基金が提携した時に200億元着服
江沢民の孫の江志成はアメリカ国籍で海外資産が15億ドル
曽慶紅の息子の曽偉はオーストラリア国籍
28億円相当のオーストラリアの豪邸で贅沢三昧
賈慶林の孫の李紫丹はアメリカ国籍で現地名がJasmine Li
胡錦濤の子供の胡海峰は精華控股有限公司社長で資産126億元 1320万ドルの海外資産
温家宝一族 本人の海外資産が1億2000万ドル
弟の温家宏の海外資産2億ドル 息子の温云松の香港資産が1億ドル
楊潔チの孫の楊家楽は米国国籍
106: 名無しさん@13周年 :2013/12/01(日) 20:16:56.21 ID: SniVVMNK0
脅迫そのものだろ、それでウィグルやチベットを手に入れたんだろ
日本を舐めんじゃねーよ支那人、いつでもかかって来い、張子の虎。
日本を舐めんじゃねーよ支那人、いつでもかかって来い、張子の虎。
111: 名無しさん@13周年
いや、
朝鮮戦争で、国連軍と戦い、現在も休戦中なのは、どこの国かとw
スターリン、毛沢東、金日成の共同謀議による南鮮侵攻が、
戦後秩序への挑戦と認定されたからこそ、
国連=連合国(United Nations)側の国々が、
国連軍を組織して、中共軍と戦ったのだw
サンフランシスコ講和条約を無視してカイロ宣言を振り回し、
朝鮮戦争を無視して、戦後秩序への挑戦をがなり立てるw
情報遮断された中共国内でなら通用するであろうが、
国際社会では、絶対に通用しないぞwwww
Meine Sache ~マイネ・ザッヘ~より転載しました
朝鮮戦争で、国連軍と戦い、現在も休戦中なのは、どこの国かとw
スターリン、毛沢東、金日成の共同謀議による南鮮侵攻が、
戦後秩序への挑戦と認定されたからこそ、
国連=連合国(United Nations)側の国々が、
国連軍を組織して、中共軍と戦ったのだw
サンフランシスコ講和条約を無視してカイロ宣言を振り回し、
朝鮮戦争を無視して、戦後秩序への挑戦をがなり立てるw
情報遮断された中共国内でなら通用するであろうが、
国際社会では、絶対に通用しないぞwwww
ルーズベルトの遺産
中国人たちが尖閣領有の核心として頻繁にあげるのは「カイロ宣言」です。1943年末に連合国より発せられたこの宣言は、日本が「中国人から盗んだ領土」をすべて返還することを要求しています。1945年のポツダム宣言はカイロ宣言の履行を条件としてあげており、日本はこれを受諾したのであるから、尖閣は中国のものだと彼らは主張します。
日本から見れば、これはひたすらに馬鹿げた主張です。尖閣は中国人から盗んだ土地ではなく、琉球諸島の一部であり、連合国の親玉であるアメリカはもちろん、当の中国も1960年代までそう認識していたことは、数々の証拠が示しているからです。
しかし、説得力に欠ける古い宣言を持ちだして悦に入る中国の態度を、ただの底の浅いこじつけと切り捨てて笑うのは生産的な態度ではありません。なぜ中国人たちはこんな隙だらけの根拠をもちだし、それをあたかも葵の御紋のように振りかざすのか、その一見軽薄な行動の裏にあるストーリーを見極め、それを壊さない限り、何も変わりはしないのです。
その鍵は「カイロ宣言」にあります。中国人たちは、尖閣を領有するためにカイロ宣言を持ちだしてきたのではありません。逆です。彼らはカイロ宣言の延長として尖閣領有を主張しているのであり、そう解釈するとすべての辻褄は合うのです。
ではカイロ宣言とは何か?1943年11月にエジプトのカイロおいて、ルーズベルト米大統領、チャーチル英首相、蒋介石中華民国総統の3者間で行われたカイロ会談と、そのコミュニケとしてのカイロ宣言は、初めて日本に降伏条件を示したことで知られています。
しかしカイロ会談には、それより大きな意義があります。東アジアの戦後秩序を討議、決定した場だということです。そしてその秩序とは、東アジアは米英ソと並ぶ4大国として位置づけられた中国の影響圏となり、中国は東アジアの警察を務める、というものでした。
中華民国の後継国家である中華人民共和国は、その契約が現在でも有効であるという願望と幻想と信仰をないまぜにした思いを抱いており、尖閣領有はそれを確認するための手段なのです。
カイロ会談当時、中国を連合国の主要国に列して大国扱いすることには、チャーチルとスターリンは反対していました。イギリスとソ連の最高指導者2人は、中国は対日戦を戦う上で一切頼りにならないのはもちろん、国家としての統治能力さえ疑われる脆弱な存在であり、単独講和をちらつかせては援助を引き出すチンピラと見ていました。
それをゴリ押ししたのはルーズベルトです。筋金入りの親中派として知られたこのアメリカ民主党の大統領は、君は中国を過大評価しすぎだと批判するチャーチルに対し、今はそうかもしれないが、いつの日か必ず経済的、軍事的に強力な同盟国になるだろうとたしなめ、中国をアジアの盟主に任命したのでした。いわばルーズベルトは、成人したら使いなさいと、中国に白紙委任状を残したのです。
だから中国人たちはこう訴えているのです。「ルーズベルトさんが期待した通り、中国は強く豊かに成長しましたよ。ルーズベルトさんとの契約を今から果たします!」。そして尖閣を譲ろうとしない日本にこう言うのです。「カイロ宣言を見ろ。敗戦国のくせに偉そうな口を利くな!」
そういうわけですから、尖閣の問題を日中間の話し合いで解決しようとしてもどうにもなりません。アメリカが乗り出して、「領土に関する日本の戦後処理は、旧ソ連占領地域を除いてすべて完了している。カイロ宣言は歴史的遺物で、現在的価値は一切ない」と、ルーズベルトの発行した手形は無効であることを宣言しないかぎりダメなのです。
アメリカ人は、日中の領土紛争を対岸の火事であるかのように眺めていますが、そうではありません。今もアメリカがカイロ会談で取り決めたように中国に東アジアを任せるつもりならばばともかく、そうでないなら、これは日中の問題ではなく、米中の問題なのです。
日本から見れば、これはひたすらに馬鹿げた主張です。尖閣は中国人から盗んだ土地ではなく、琉球諸島の一部であり、連合国の親玉であるアメリカはもちろん、当の中国も1960年代までそう認識していたことは、数々の証拠が示しているからです。
しかし、説得力に欠ける古い宣言を持ちだして悦に入る中国の態度を、ただの底の浅いこじつけと切り捨てて笑うのは生産的な態度ではありません。なぜ中国人たちはこんな隙だらけの根拠をもちだし、それをあたかも葵の御紋のように振りかざすのか、その一見軽薄な行動の裏にあるストーリーを見極め、それを壊さない限り、何も変わりはしないのです。
その鍵は「カイロ宣言」にあります。中国人たちは、尖閣を領有するためにカイロ宣言を持ちだしてきたのではありません。逆です。彼らはカイロ宣言の延長として尖閣領有を主張しているのであり、そう解釈するとすべての辻褄は合うのです。
ではカイロ宣言とは何か?1943年11月にエジプトのカイロおいて、ルーズベルト米大統領、チャーチル英首相、蒋介石中華民国総統の3者間で行われたカイロ会談と、そのコミュニケとしてのカイロ宣言は、初めて日本に降伏条件を示したことで知られています。
しかしカイロ会談には、それより大きな意義があります。東アジアの戦後秩序を討議、決定した場だということです。そしてその秩序とは、東アジアは米英ソと並ぶ4大国として位置づけられた中国の影響圏となり、中国は東アジアの警察を務める、というものでした。
中華民国の後継国家である中華人民共和国は、その契約が現在でも有効であるという願望と幻想と信仰をないまぜにした思いを抱いており、尖閣領有はそれを確認するための手段なのです。
カイロ会談当時、中国を連合国の主要国に列して大国扱いすることには、チャーチルとスターリンは反対していました。イギリスとソ連の最高指導者2人は、中国は対日戦を戦う上で一切頼りにならないのはもちろん、国家としての統治能力さえ疑われる脆弱な存在であり、単独講和をちらつかせては援助を引き出すチンピラと見ていました。
それをゴリ押ししたのはルーズベルトです。筋金入りの親中派として知られたこのアメリカ民主党の大統領は、君は中国を過大評価しすぎだと批判するチャーチルに対し、今はそうかもしれないが、いつの日か必ず経済的、軍事的に強力な同盟国になるだろうとたしなめ、中国をアジアの盟主に任命したのでした。いわばルーズベルトは、成人したら使いなさいと、中国に白紙委任状を残したのです。
だから中国人たちはこう訴えているのです。「ルーズベルトさんが期待した通り、中国は強く豊かに成長しましたよ。ルーズベルトさんとの契約を今から果たします!」。そして尖閣を譲ろうとしない日本にこう言うのです。「カイロ宣言を見ろ。敗戦国のくせに偉そうな口を利くな!」
そういうわけですから、尖閣の問題を日中間の話し合いで解決しようとしてもどうにもなりません。アメリカが乗り出して、「領土に関する日本の戦後処理は、旧ソ連占領地域を除いてすべて完了している。カイロ宣言は歴史的遺物で、現在的価値は一切ない」と、ルーズベルトの発行した手形は無効であることを宣言しないかぎりダメなのです。
アメリカ人は、日中の領土紛争を対岸の火事であるかのように眺めていますが、そうではありません。今もアメリカがカイロ会談で取り決めたように中国に東アジアを任せるつもりならばばともかく、そうでないなら、これは日中の問題ではなく、米中の問題なのです。
Meine Sache ~マイネ・ザッヘ~より転載しました