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【速報】菅官房長官「慰霊のためであって謝罪は行わない」と明言…真珠湾

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【速報】菅官房長官
慰霊のためであって謝罪は行わない

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安倍総理が今月26日と27日にアメリカ・ハワイを訪れ、オバマ大統領と共に日米開戦の発端となった真珠湾で犠牲者を慰霊すると発表しました。「今回の訪問は戦没者の慰霊のためであって、謝罪のためではありません」(菅義偉官房長官) 

菅官房長官は、安倍総理の真珠湾訪問は戦没者への慰霊が目的であり、謝罪は行なわないと明言しました。また、「総理の訪問は、二度と戦争の惨禍を繰り返してはならないという決意を示すと同時に、日米の和解を発信する機会になると思う」と述べました。

TBS系(JNN)?12/6(火) 12:27配信 
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn?a=20161206-00000071-jnn-pol

関連:安倍首相、今月下旬にハワイへ オバマ大統領と共に真珠湾攻撃の犠牲者慰霊の意向固める
http://hosyusokuhou.jp/archives/48778964.html
【韓国】 安倍首相の真珠湾訪問、韓国メディアが「韓国侵略・慰安婦問題の責任は回避」と指摘 韓国ネット「韓国に来て謝罪は?」
http://hosyusokuhou.jp/archives/48779007.html



安倍首相の真珠湾訪問は慰霊であり謝罪ではないと菅官房長官が明言


真珠湾攻撃は


だまし討ちではない

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ルーズベルトが、だまし討ちだと
捏造した



日本海軍のハワイ真珠湾奇襲攻撃は、日本がアメリカに宣戦布告をする前であった。
『だまし討ち』をされたアメリカ国民は激怒し、「 リメンバー・パール・ハーバー!」 の名の元に、国民が一丸となり、日本との戦争へ突入した。
 
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学校で学び、テレビや新聞・雑誌の特集で確認し、感動的な映画を鑑賞し続けたこの歴史を、私たち日本人は疑うことなく信じ、反省し、戦前の日本人を私たち戦後世代は批判してきました。
 
果たして、本当に、そうだったのでしょうか?
 
真実は、『 だまし討ち 』 など、一切 していなかったと言ったら、どう感じますか?
「何をバカなことを」と一笑に付すでしょう。
 
しかし、「 真実は小説よりも奇なり 」
 
真珠湾攻撃の真実とは、『 宣戦布告が遅れた 』 などということは一切なく、世界の開戦慣例にのっとり、しっかりと、天皇陛下の名の元に宣戦布告がなされていたのです。
現に、パールハーバー攻撃が開始される数時間前、マレーにおいて日本陸軍との戦端が開かれたイギリスでは、「 だまし討ち 」 など一言も触れていません。
私たちが信じてきた、宣戦布告が遅れたなどというのは、実は、笑止千万な話なのです。
 
「宣戦布告」というものは、右往左往して出すものではありません。
戦争前に宣戦布告を書面にして相手国に手交し、その後、戦端を開くなど、どこの国もやったことのない事例です。  「今から開戦します」 「さあお互い頑張りましょう」 という戦争は、現実には起こりえないのです。
それまでの世界の戦争慣例では、一発目をくらわせてから、自国の国民に向かって発表するのが 『 宣戦布告 』 の手続きです。
日本も、真珠湾及びマレー半島の攻撃を開始した後、天皇陛下の名の元に宣戦布告 『 米英両国に対する宣戦の詔書 』 を大本営から出す手順がしっかりとあり、実際そのようになされました。
その文章は、歴史家の徳富蘇峰(とくとみそほう)が起草した立派なものでした。



大東亜戦争の開戦を布告した詔書 開戦時に官公庁や地方の役所に配付されたもの
 
宣戦の詔書(現代語訳)

 天の助けにより万世一系の皇位を受け継いできた大日本帝国の天皇が、忠誠にして武勇である国民に示す。

 私はここに米国及び英国に対し、戦いを宣言する。陸海の将兵は全力をふるって戦いに当たり、武官や役人たちはその職務に励みつとめ、国民もそれぞれの本分をつくし心を一つにし、国家の総力を挙げて、間違いなく戦いの目的を達成するよう期してほしい。

 そもそも、東アジアの安定を確保し、世界の平和に寄与することは、明治天皇から大正天皇へと受け継がれてきた将来への配慮であり、私が常に心に留めてきたことである。そして、各国との友好を大切にし、すべての国がともに栄える喜びを共有することもまた、日本が常に外交の要諦(ようてい)としてきたことである。今、不幸にして米英両国と戦いを始めるに至ったことは、実にやむを得ぬことであり、私の意志であろうはずがない。

 中華民国の政府が先に、日本の真意を理解せず、みだりに事を構え、東亜の平和をかき乱し、ついに日本に戦いを始めさせてから4年余りがたった。幸い、国民政府は新たに生まれ変わり、日本はこれ(汪兆銘政府)と善隣友好の関係を結び、ともに提携するようになった。ところが、重慶に残存する政権(蒋介石政府)は米国、英国の庇護(ひご)に期待して仲間内の争いをやめようとしない。

 米英両国はこの残存政権を支援し、東亜の乱を助長し、平和の美名にかくれて東洋を制覇しようという誤った望みを持とうとしている。そればかりか、その同盟国に働きかけて日本の周辺に軍備を増強して我々に挑戦し、さらには日本の平和的な通商にあらゆる妨害を加え、ついに経済断交まで行い、日本の生存に重大な脅威を与えている。

 私は政府に事態を平和裏に解決させようとし、長く耐えてきたが、彼らはまったく互譲の精神はなく、いたずらに解決を延ばそうとし、経済上や軍事上の脅威を一段と増し、日本を屈服させようとしている。事態がこのまま推移すると、東亜の安定についての日本の長年の努力はことごとく水泡に帰し、日本の存立も危機に瀕してくる。ここに至って、日本は自らの存立と自衛のために蹶然(けつぜん)と起ち、すべての障害を打ち破るほかないのである。

 皇室の祖先や歴代の天皇が、天から見守ってくださるであろう。私は国民の忠誠や武勇を信じ、歴代の天皇の遺業をおし広め、速やかに禍根を取り除き、東亜に永遠の平和を確立し、日本の光栄を守ることを期そうとするのである。

御 名 御 璽
 昭和十六年十二月八日                        各国務大臣副書
 
 
 
何故、宣戦布告が遅れ 「 卑怯なだまし討ち 」 となったのか
 
暗号解読及びタイピングに手間取り、野村吉三郎駐アメリカ大使と来栖三郎特命全権大使が慌てふためきながらアメリカ国務長官コーデル・ハルに手渡した書類は、実は、宣戦布告書などではなく、ハル・ノート(※ 巷では「 実質的な最後通牒 」などともっともらしく語られているが、これも間違いである )に対する、単なる返答でしかない 「 交渉打ち切り通告 」 だったのです。
本来は、渡す必要すらなかった 「 交渉打ち切り通告 」 を几帳面に手渡したばかりに、ルーズベルト大統領によって、厭戦(えんせん)気分が蔓延(まんえん)していたアメリカ国民を戦争に駆り立てるべく、いいように利用されてしまったというのが、歴史の真実なのです。
 
来栖大使
昭和16年12月8日(日本時間)、ハル・ノートに対する『回答書』を手交した。
左から、ハル国務長官、野村大使、来栖大使
 
「 日本に、だまし討ちをされた!」 となったのは、第1次世界大戦で自国とは関係のないヨーロッパの戦場で多くの若者が死に、厭戦気分が蔓延していた当時のアメリカ国民を一気に戦争へと向かわせるため、ルーズベルト大統領が策略した 『  作り話  』 でしかなかったのです。
ルーズベルト大統領は、対独戦で劣勢であったソ連とイギリスを助けるべく、ドイツと開戦する理由作りのため、そして支那(中国)の利権を我が手に奪い取るため、アメリカの若者たちを戦場へ送り込むべく、アメリカ国民の激しい怒り、感情的爆発を起こす「事件」を創り出す必要があったのです。
 
「 日本との戦争は、対独戦に参戦する口実を欲しがっていた 『 狂気の男 』 の願望だった 」
 ハーバート ・ フーバー   第 31代 アメリカ大統領
 
「だまし討ち」をアメリカ政府が言い続け、アメリカ国民が信じることは、アメリカ合衆国の国益にかなうことなので、何の問題もないでしょう。
問題なのは、そのことで国益を損ねる日本人までもが、戦後70年近く経った今でも 『  間違った歴史  』 を学校で教えられ、テレビや映画で放映され続けた結果、「卑怯なだまし討ち」 を信じ続け、過去の日本人は悪かったと反省し、懺悔(ざんげ)し続けていることなのです。
 
加えるならば、アメリカの方が先に、日本に対して宣戦布告をせずに戦端を開いていた事実を、日本人は知らなさすぎます。
 
なお、日本時間の12月8日11時45分、日本政府は、米英加豪4ヵ国の駐日大使を呼び 「 宣戦布告書 」 を手交したとする、歴史学者もいます
また、肝心のアメリカは、第2次世界大戦以降、21回もの戦争もしくは武力行使を仕掛けましたが、戦争開始前に宣戦布告書を手交したなどとは、ついぞ聞いたことがありません。
このような「重要な問題」ですらこの有様ですから、その他、数多(あまた)ある歴史事実についても 『 真実の歴史 』 など、私たち日本人は、知らされていのではないでしょうか。
 
 
 補 足
ハーバート ・ フーバー第31代米大統領 (1874~1964年) が、日本軍が米ハワイの真珠湾を攻撃した時の大統領だったフランクリン・ルーズベルト (第32代、1882~1945年) について、「 対ドイツ参戦の口実として、日本を対米戦争に追い込む陰謀を図った 『狂気の男』 」 と批判していたことを、米歴史家のジョージ・ナッシュ氏が、これまで非公開だったフーバーのメモなどを基に著した 「 FREEDOM BETRAYED (裏切られた自由)」 で明らかにした。
 
 
宣戦布告が無いのは世界の常識
ヨーロッパで繰り返されてきた幾百・幾千という戦争、ヨーロッパ諸国やアメリカ合衆国によるアジア・アフリカ・中東諸国への侵略戦争、第1次世界大戦しかり、第2次世界大戦の端緒となった独ソのポーランド侵攻やドイツのヨーロッパ侵攻そしてドイツのソ連侵攻、連合軍に加盟した多くの国々も、そしてソ連が日ソ中立条約を破り満州への侵略を始めた時も、事前に宣戦布告などありませんでした。
さらに言えば、戦後の朝鮮戦争やベトナム戦争や湾岸戦争も宣戦布告はありません。
 
 
 
正しい日本の歴史より転載しました

「真珠湾奇襲」は嘘だった!! 
アメリカの対日先制攻撃

和16(1941)年12月7日午後1時30分(現地時間 日本の日付では12月8日)、択捉 (エトロフ)島・単冠(ヒトカップ)湾を出撃、長駆6千キロもの大航海をしてきた日本海軍の機動部隊から発進した航空兵力と、特殊潜航艇「甲標的」が、アメリカ太平洋艦隊の基地であるハワイ・オアフ島南岸の真珠湾(パール・ハーバー)を攻撃しました(真珠湾攻撃)。ここに、史上例を見ない程、広大な大洋を戦場とした日米両国による最大の戦争 ── 「大東亜戦争」(太平洋戦争)が幕を切って落とされたのです。しかし、この日本軍による攻撃を、アメリカは「真珠湾奇襲」(騙し討ち)と呼び、


  "Remember Pearl Harbor!!"
            (真珠湾を忘れるな!!)

と言っては、軍を鼓舞してきました。しかし、日本軍による「真珠湾攻撃」は、果たして、本当にアメリカが主張する様な「奇襲」だったのでしょうか? 実は、「奇襲」を掛けてきたのは、むしろ、アメリカの方だったのです。と言う訳で、今回は、アメリカによる「奇襲」 ── 対日先制攻撃を通して、「騙し討ち」の汚名を払拭したいと思います。


故、「真珠湾攻撃」は、アメリカから「真珠湾奇襲」 ── 「騙し討ち」と言われなくてはならないのか? 実は、開戦当日、ワシントンの日本大使館が「大失態」を犯したからなのです。

日本が真珠湾を攻撃したのが、12月7日の午後1時30分(現地時間)。しかし、ワシントンの日本大使館がアメリカ側に「国交断絶通告」 ── 「宣戦布告」を届けたのは、何と真珠湾攻撃から30分後の午後2時(現地時間)だったのです。

つまり、「真珠湾攻撃」が先で「宣戦布告」が後となってしまった訳で、これが後々迄、「騙し討ち」と言われる事となった所以(ゆえん)だったのです。

(ちなみに、「大失態」を犯して日本の名に泥を塗った「国賊」大使館員達は、何の裁きも受けず、戦後、高級外務官僚となった) つまり、昭和天皇・日本政府・大本営・連合艦隊司令長官(山本五十六)共に、アメリカに対して「騙し討ち」をしよう等とは、露とも思ってはいなかったのです。

本来、「国交断絶通告」は、12月7日午後1時(現地時間)に届けられる筈でした。

日本から無電で送られた暗号電報を解読し、成文化した上で、アメリカ側に届ける。

この重要な任務を、ワシントンの大使館員達は、赴任する同僚の送別会を優先した結果、処理に遅れを来たし、攻撃よりも後に届ける羽目となったのです。

致命的です。

これでは、アメリカから「騙し討ち」と言われても仕方がありません。し・か・し、敢えて言います。「騙し討ち」を掛けてきたのは、アメリカの方だと。

12月7日午後0時10分(現地時間)、アメリカ海軍司令部に一つの暗号電報が入電しました。

「ワレ、日本潜水艦ヲ撃沈セリ。」

それは米軍艦が、公海上 ── アメリカの領海外において、日本海軍の潜水艦を攻撃、撃沈した事を報告する暗号電報だったのです。(米国海軍ヒューウィット調査機関提出書類75(1945年6月7日),みすず書房『現代史資料 35巻』)

まり、アメリカは、日本による「真珠湾攻撃」の1時間20分も前に、「宣戦布告」もなしに、日本の潜水艦を攻撃、撃沈した事になる訳で、これこそ、正に「騙し討ち」と言えるのです。それにしても、日本の「真珠湾攻撃」をもって「騙し討ち」と言わしめたのですから、ローズヴェルトも相当の極悪人です。


12月8日 「日米開戦」をめぐる時間の流れ(現地の日付では12月7日)

12:10米軍、「宣戦布告」無きまま、日本潜水艦を攻撃し撃沈(対日開戦)
13:00本来、日本側が「国交断絶通告」をアメリカ側に通達すべきだった時間
13:30日本軍、ハワイ・真珠湾を攻撃(対米開戦)
14:00在ワシントン日本大使館、「国交断絶通告」をアメリカ側に通達

「攻撃を受けた場合を除いて、国民を戦場に送る事は決してあり得ない。」 

こう公約していたローズヴェルトでしたが、内心は戦争がしたくて、戦争がしたくて、堪らなかったのです。

そんなローズヴェルトでしたから、日本に先制攻撃をさせる事に腐心したのは言う迄もありません。

ラニカイ号を含む老朽船3隻に星条旗を掲揚させた上で、日本軍艦に接近させ、日本軍艦から先に砲撃してくるよう、挑発をしたりもしています。

しかし、攻撃命令を受けていない日本軍艦は静観するに留まり、遂に先制攻撃を掛けなかったのです。(米国アナポリス海軍研究所『ラニカイ号の巡洋航海 ── 戦争への挑発』)

「いかに日本を操り、我々の損害は少なくし、いかにして最初の一発を撃たせる様にし向けるかが問題だ、とローズヴェルト大統領は語った。」(スチムソン・米国陸軍長官の日記より)

そんなローズヴェルトでしたから、「真珠湾攻撃」の一報が入った時には、さぞかし狂喜乱舞した事でしょう。

しかし、それは「糠(ぬか)喜び」でした。

「真珠湾攻撃」の1時間20分も前に、「宣戦布告」無きまま、米軍が日本潜水艦に対して「先制攻撃」をしていたのですから・・・。(了)



真珠湾攻撃を知っていたアメリカ







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