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【韓国紙】韓中日の学者、慰安婦問題「『強制連行がなかったため、犯罪ではない』というのはとんでもない主張」

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【韓国紙】韓中日の学者、慰安婦問題
強制連行がなかったため
犯罪ではないと、いうのはとんでもない主張
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2016ハンギョレ-釜山国際シンポジウム 
最終セッション:東アジアの平和と和解 

20161029121137_1_1

第12回2016ハンギョレ-釜山国際シンポジウム二日目の今月28日午後、釜山海雲臺区ヌリマルAPECハウスで、「東アジアの平和と歴史和解のための市民社会の役割」をテーマに、第4セッションの討論が開かれている=釜山/キム・ボンギュ先任記者//ハンギョレ新聞社 

28日午後に開かれた「ハンギョレ-釜山(プサン)国際シンポジウム」の第4セッションでは、東アジアの平和と和解のために必ず乗り越えなければならない、日本軍慰安婦問題が議論された。韓国と日本政府は昨年12月28日「最終的かつ不可逆的解決」だとして、慰安婦問題に合意した。しかし、同日の発表者および討論者として参加した韓中日の学者と市民社会の関係者たちは、慰安婦問題は「終わっていない歴史」という点を明確にした。 

アジア平和歴史研究所のヤン・ミカン理事は、12・28合意をめぐる評価が分かれる現実について指摘し、この合意が政府と市民団体間に深刻な対立と不信感をもたらしたと指摘した。ヤン理事は「この20年間、市民社会は慰安婦問題と関連し、(日本政府が戦争)犯罪を認め、真相を究明して公式に謝罪することなどを要求してきたが、何一つ実現されていない」と明らかにした。彼は「韓国内でも疲労感が累積されたのが事実」だとしながらも、「重要なのは被害者が何人かさえも解明されていない現実」だと述べた。 

ヤン理事は、12・28合意の核心は、日本政府が韓国の「和解・癒やし財団」に10億円を送金してから、これ以上慰安婦問題を取り上げないことにしたのにあると指摘した。さらに、12・28合意が被害当事者が中心となった合意ではなかったことや、法的責任と10億円基金の性格の曖昧であること、少女像の撤去をめぐる両国の立場が食い違っているのも問題だと明らかにした。 
 
また、ヤン理事は市民社会の再交渉要求と国内外的に少女像の建立が拡散する状況のなかで、日本政府の真正性が問題解決に向けて最も重要だと指摘した。彼は歴史の正義と和解のためには「我々自らこの歴史を記憶するための闘争が必要だ」と述べた。 

日本「歴史教科書ネット」熊本事務局の田中信幸局長は、日本内で台頭している歴史修正主義を強く批判した。田中局長は「慰安婦証言」を初めて報道した植村隆・元「朝日新聞」記者に対する日本社会の非難が高まったことを受け、朝日新聞社が「誤報」と認めたのは不適切だと指摘した。植村氏は1991年8月11日、故金学順(キム・ハクスン)ハルモニ(おばあさん)の証言を通じて、韓国人慰安婦被害者問題を初めて報道してから、日本社会で非難を受けてきた。

2014年、朝日新聞は「韓国人女性たちが強制連行された」とした吉田清治氏の証言が「虚偽だと判断した」として、「吉田証言」が掲載された記事を取り消した。田中局長は「当時、産経新聞と毎日新聞も『女子挺身隊と慰安婦』を認める報道をした」として、朝日新聞の謝罪は結局、これらに対する批判者である歴史修正主義者たちに対する屈服」と述べた。 


彼は「安倍晋三首相は、強制連行という言葉が本当に好きだが、『強制連行がなかったため、犯罪ではない』というのはとんでもない主張」だとし、「大審院(現在の最高裁判所)は1933年、静岡女性をだまして満洲に連れて行った被告人らに国外移送を目的とした未成年者に対する誘拐罪を認めた」と述べた。また、これと類似した1937年長崎事件の大審院判決も紹介した。 

田中局長は「日本の中学校教科書からは慰安婦問題がほとんど消えた」として遺憾の意を表明した。また、「(日本)国民が主権者として歴史認識を回復することが重要だと見て、改憲の阻止に乗り出さなければ、日本には未来がない」と付け加えた。 

中国南京師範大学の張連紅教授は、アジアで最大規模の慰安婦施設と推定される中国南京の利済港2号「東雲慰安所」に建てられた慰安婦記念館の設立過程を通じて、中国内の慰安婦の歴史教育における困難を打ち明けた。張教授は「中国では韓国に比べて慰安婦問題に消極的だった」としたうえで、「日本の右翼政府に対応するだけでなく、中国自らが私たちが持っている痛みを直視し、克服していくべきだと思う」と述べた。 


釜山/キム・ジウン記者 
http://japan.hani.co.kr/arti/politics/25525.html


17<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん@\(^o^)/2016/10/29(土) 01:50:09.44 ID:W49cWZKN.net

強制連行はなかったんだな 


24<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん@\(^o^)/2016/10/29(土) 01:53:39.09 ID:tDj5e4rK.net

強制じゃないなら自発的に
慰安婦になったんじゃねーか 
どこが犯罪なんだよ 

72<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん@\(^o^)/2016/10/29(土) 02:42:50.22 ID:zXdX2X20.net
>静岡女性をだまして満洲に連れて行った被告人らに
国外移送を目的とした未成年者に対する誘拐罪を認めた 

自分で被告人言うてるやん。 
悪いのは女騙した個別の犯罪者でしょ。 
国の責任でもなんでもない。 


58<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん@\(^o^)/2016/10/29(土) 02:26:57.30 ID:ym77sUIx.net
もう本当にしつこい 
日本を悪者にしないと気がすまないのね 
もういい加減にしないと経済制裁するよとハッキリ伝えても良いんじゃないですか? 


60<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん@\(^o^)/2016/10/29(土) 02:29:38.15 ID:wguCcF68.net
とにかく金寄越せって事か 



http://awabi.2ch.sc/test/read.cgi/news4plus/1477672399/


「慰安婦問題」で韓国が
日本を責める資格などない!
ライダイハン/韓国がひた隠しにする
不都合な真実

「歴史を直視しない」のはどちらか?「慰安婦問題」よりはるかに残虐非道な韓国による蛮行


『加害者と被害者という歴史的な立場は千年の歴史が流れても変わらない』
これは2013年3月1日に韓国で行われた式典で、朴槿恵大統領が日韓関係について語った発言である。
自らを「被害者」と称し、日韓基本条約により両国間では「完全かつ最終的に解決」している慰安婦問題で日本を「加害者」と永遠に責め続ける韓国。
果たして彼らにはその資格があるのだろうか?
韓国国内でタブーとされているベトナム戦争で犯したあまりに大きな罪とは?
不都合な事実に蓋をし、歴史を直視しようとしないのは一体どちらなのか。

「慰安婦問題」よりひどい?
韓国とベトナム戦争のタブー


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韓国 ライダイハン問題でブーメ.ラン

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明治天皇の玄孫、竹田恒泰氏 米...


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ライダイハン:韓国軍 隠蔽に躍...


あなたは「ライダイハン」という言葉をご存知だろうか?
「ライ」はベトナム語で動物を含む「混血雑種」を意味する蔑称で、ダイハンは「大韓」のベトナム語読み。
つまり韓国人男性とベトナム人女性の間に生まれた混血児のことである。
ベトナム戦争当時、現地のベトナム人女性の多くはアメリカ軍の同盟として参戦してきた韓国軍兵士により強姦され虐殺されたが、辛うじて殺害を免れた女性が出産した子供が「ライダイハン」なのだ。
 
そもそもベトナム戦争とは、インドシナ戦争後に南北に分裂したベトナムで発生した戦争であり、アメリカを盟主とする資本主義陣営と、ソ連を盟主とする共産主義陣営との冷戦を背景とした米ソの代理戦争でもあった。
ベトナム戦争

1975年4月30日、南ベトナムの首都サイゴンが陥落したことで戦争は終結したが、アジアの小国が圧倒的な軍事力を持つアメリカ軍を敗退させ、悲願の民族統一を実現したことは、全世界に衝撃を与えた。
当時の韓国は1961年5月16日に起こった軍事クーデターで政権を掌握した朴正煕らが率いる軍事政権であり、アメリカの歓心を買い、その正当性を認めてもらうことが重要であった。
また朝鮮戦争により壊滅状態であった自国経済を立て直すためには戦争特需が必要であることからベトナムへの派兵を希望していたが、アメリカのケネディ大統領には受け入れられなかった。
ケネディ大統領

しかし、ケネディ大統領が暗殺され、ジョンソン政権に代わると韓国軍の派兵は段階的に認められるようになり、最終的には2個師団プラス1個旅団の延べ約31万名、最盛期には5万名が派兵された。これはアメリカに次ぐ大量派兵であった。
派兵された韓国軍兵士は、現地でベトコンと見なした一般市民を女性や子供も含めて虐殺する事件やベトナムの女性を強姦する事件など、口にするのもはばかられるような蛮行の限りを尽くした。

1965年から1966年の間、フーイェン省のタオ村で、韓国軍は、ほとんど大部分が婦人の村人42人を狩り立て、やがて小火器を浴びせ、全員を殺害した。1966年1月11日から19日の間、ジェファーソン作戦の展開されたビンディン省では、韓国軍は300人以上の住民を捕まえ、拷問を加え、更にまた400人以上のベトナム人を殺した。1965年12月から1966年1月の間に、韓国軍は、ビンディン省のプレアン村では数百戸の家々を炎上させ、一方キンタイ村を完全に掃討した。同じ省の九つの村々で韓国軍は、民間人に対して化学兵器を使用したのである。
 
1966年1月1日から同月4日までの間に、ブン・トアフラおよびヨビン・ホアフラ地方で、韓国軍は、住民たちの所有物を残らず略奪したうえ、住民の家やカオダイ教の聖堂を焼き、さらに数千頭の家畜を殺した。彼らは、また仏教寺院から数トンもの貨幣をくすね、それから人民を殺したのである。
 
「ある村が、わが軍の支配下に陥ると、その次の仕事はベトコンから村人たちを分け離すことなのだ」こう言ってのけたという韓国軍将校の話が引用された。ナムフュン郡で、韓国軍は4人の老人と3人の妊婦を、防空壕の中へ押し込め、ナパームとガスで殺した。アンザン省の三つの村では110人を、またポカン村では32人以上を、こうしたやり方で、殺したのである。
 
1966年2月26日、韓国軍部隊は、137人の婦人、それに40人の老人と76人の子供も一緒に、防空壕の中へ押し込めて、化学薬で殺したり、全員を盲にさせたりした。1966年3月26日から28日にかけて、ビンディン省で、韓国軍は、数千におよぶ農家と古寺院を炎上させ、若い女性や年老いた女性を集団強姦した。8月までに、勇猛な朝鮮人たちは、ビンディン省における焦土作戦を完了した。
 
フーカット郡では、3万5千人の人たちが、死の谷に狩り立てられ、拷問を完膚なきまで加えられてから全員が殺された。10月には、メコン河流域では、裸で両手ないしは両足を縛られた9人の遺体が川から引揚げられた。これらは、いずれも陵辱された少女たちの遺骸であった。この事件に先立って、同じ地域で共同作戦中の米軍と韓国軍が、昼日中に結婚の行列を襲い、花嫁を含め7人の女性を強姦した、との報道もあった。かれらは、結婚式に呼ばれた客の宝石を残らず奪ったうえ、3人の女性を川の中へ投げ込んだ。
 
放火、銃剣による突き殺し、拷問、強姦、強奪こんな記事は、ほとんど毎日のように続いている。母親の胸に抱かれたいたいけな乳幼児でさえも、非人間的な殺人行為を免れることができないのだ。これは、たった一都市に起きた南京大虐殺どころの話ではないのだ。これこそ、アメリカの新聞の力をもってしても、中国の南京で起こった話を語ることのできない、今日のベトナム民族大虐殺なのである。つまり今日では米軍および韓国軍の検閲官が全強権を発動し、事実が明るみに出るのを妨げているのである。
 
(中略)なぜ在ベトナム韓国軍がかくも攻撃的で残酷であるかという理由は、彼らが、アメリカが与えてくれた援助に対してお返しをするためであり、さらにまたそれは韓国民に対して彼らが、アジアにおいて平定の役割を演ずることができるのだという誇りと確信の感情を与えるためである、と1967年5月、ソウル政府当局は日本人記者に説明した。
(D・W・W・コンデ、『朝鮮-新しい危機の内幕-』新時代社、1969年)

生存者の韓国軍の行為に関する証言で共通な点は、無差別機銃掃射や大量殺戮、女性に対する強姦殺害、家屋への放火などである。
これらの虐殺が行われた村では『タイハンの残虐行為を忘れまい』と碑を建てて残虐行為を忘れまいと誓い合っているという。

「慰安婦問題」で日本を責める前に
韓国こそ歴史を直視せよ!

これほどの残虐非道が行われたベトナム戦争への韓国軍の参戦を決定した人物とは?
現在の韓国大統領朴槿恵の実父、大韓民国第5第大統領朴正煕である。
朴正煕

ここで改めて朴槿恵韓国大統領の発言を引用する。
「加害者と被害者という歴史的な立場は千年の歴史が流れても変わらない」
 
彼女自身の言葉を借りれば「加害者」である韓国と、「被害者」であるベトナムの関係も千年の時がたっても変わらないはず。
しかし、実の父親が派遣した自国の兵士たちがベトナム人たちに対して行った筆舌に尽くし難い蛮行の数々に対し、捏造された「慰安婦問題」で日本を糾弾するときにはあれほど饒舌であった朴槿恵大統領の口は固く口を閉ざされている。
 
「戦時の女性に対する性暴力は、どの時代、どの地域を問わず、明確に人権と人道主義に反する行為」
これは2014年9月24日、ニューヨークの国連本部で行われた国連総会における基調演説での朴槿恵大統領の発言であり、日本の「慰安婦問題」を間接的に批判したとされている。
一方、朴大統領の訪米に合わせ、2015年10月15日付のウォール・ストリート・ジャーナルには韓国に謝罪を求める意見広告が掲載されたが、朴大統領はこれも黙殺。

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常々自らが日本を批判するときに言い続けてきた「誠意ある対応」は一体どこへいってしまったのか?
ベトナムで韓国が行った蛮行は気にしないが、日本にされたことは絶対に未来永劫許さぬとは、なんとも自己中心的で虫のいい主張と言わざるをえない。
歴史を直視できない国「韓国」に
慰安婦問題を語る資格はない!


韓国がアメリカに頼み込んで参戦したベトナム戦争において、派兵された約31万人の韓国軍兵士が起こした大量虐殺事件は約100か所、殺害された人数は推計1万人から3万人にものぼると言われており、ベトナム現地での明確な証言・証拠があるにもかかわらず、韓国国内ではこれらの事実について言及することはタブーとされてきた。


ソンミ村虐殺事件


アメリカ軍によるソンミ村虐殺事件などの残虐行為がベトナム戦争当時から国際的に批判を受け議論の的となったのとは対照的に、韓国軍による虐殺行為については、こと韓国国内では長く沈黙が保たれてきた。
ベトナム派兵を決定した朴正煕大統領が暗殺され、その後を継いだ全斗煥・盧泰愚両大統領がベトナム戦争で武勲を挙げた軍人であったという政治事情もあり、これほどの残虐な戦争犯罪を犯しておきながら、その事実は韓国国内では長く隠蔽されてきたのだ。
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そしてそのタブーに触れたものには恐ろしい暴力による制裁が待っていた。
リベラル紙『ハンギョレ』が発行する週刊誌『ハンギョレ21』が「韓国軍が、ベトナムで老人や子ども、女性をたくさん殺していた」との記事を掲載した際には、ベトナム戦に従軍した退役軍人ら2000人余りがハンギョレ新聞社に乱入しコンピュータを破壊するなどの暴力行為に及んだ。
彼らは「大韓民国枯葉剤後遺症戦友会」のメンバーで、国のために闘った戦友を冒涜されたと激しく抗議したのだった。
 
韓国国内では長く隠蔽されてきた韓国軍のベトナム戦争での蛮行だが、世界中にその歴史的事実を隠し通せるはずもなく、米誌『ニューズウィーク(2000年4月21日号)』が「暴かれた英雄の犯罪」と題してベトナム戦争での韓国軍の虐殺問題を取り上げ、「8000人以上の民間人を殺した韓国軍の虐殺行為の数々が明らかにされつつある」と、7ページにわたり大々的に報じた。
しかしながら、このような報道に対しても、ベトナム戦争当時、韓国軍総司令官だった蔡命新は「誰に対しても償う必要はない、あれは戦争だった」と明言しており、韓国政府も自国の過去の蛮行を公式に認めることはなく「このような意図的で組織的な民間人の虐殺を韓国軍が行うことはあり得ない」と全面否定している。
そして韓国の歴史教科書では、ベトナム戦争について、「共産侵略を受けた南ベトナムを支援するために韓国は派兵した」との1行記述があるのみ。
日本に対しては、莫大な戦後補償を受けておきながら執拗に謝罪を要求し続けるにも関わらず、自国の兵士が起こした「負の歴史」には目をつぶり、反省はおろか事実を認めることすらしようとしないのが韓国という国なのだ。
 
「歴史認識はその国が進むべき未来を示す羅針盤だ。過去の過ちを正視せずに新しい時代を切り開くことはできない。過去の過ちを認めない指導者も新しい未来を切り開けない」
2014年3月の「3.1独立運動」の記念式典における朴槿恵大統領の発言である。
日本に向けて発した発言と思われるが、そっくりそのままお返しさせていただく。
「慰安婦問題」で日本に絡む前に、まずは自分たちの過去を見つめなおし、真摯に反省するところから始めるべきなのである。

韓国人が言い逃れ続ける「慰安婦」の嘘

 前回の「韓国人が目を背ける「強制連行」と「強制労働」の真実」に、引き続き日韓双方の主張が大きく異なる主な出来事のうち、今回は「慰安婦」の問題を取り上げます。

 この問題を語るにあたり最初に確認しておかなければならないのは、日本軍が朝鮮の若い女性を従軍慰安婦という名の性奴隷として集め、虐げていたという話は事実ではないということです。そう言うと「慰安婦は一人もいなかったと言うのか」などと咬みついてくる人がいますが、そういう人たちは自分たちに都合の良いように話を、すり替えているにすぎません。

 要は当時、慰安婦と呼ばれた兵士相手に春を鬻(ひさ)ぐ女性がいたことは事実ですが、日本という国が若い女性を拉致監禁し奴隷のように拷問や強姦した事実はないということです。このようなロジックは「虐殺はなかった」と言うと「戦争なのに人が死なない訳がない」と、微妙に言葉を変えて意図的に誤解させようとする悪質なもので、メディアで繰り返し聞かされると予備知識のない人たちはすぐに騙されてしまいます。

ソウル日本大使館前の少女像(中央)の周辺で
開かれた「水曜集会」=6月1日(共同)
 そもそも「従軍」というのは読んで字のごとく軍に従う人たちのことで、軍隊と戦場を共にした記者や看護婦を「従軍記者」「従軍看護婦」と呼びますが、軍隊相手に戦場から遠く離れた場所で商売している人たちに使われる言葉ではありません。「従軍慰安婦」というのは、事実に反して軍との関連性を強調するために戦後に創られた言葉で、その言葉を使うこと自体が虚偽だと言っても過言ではありません。

 彼らは、この「従軍慰安婦」に限らず、状況に応じ巧みに言葉を変えて自己の立場を正当化しようとします。例えば強制連行の嘘がばれるといつの間にか「強制売春」、元慰安婦の年齢が若すぎて辻褄が合わないと指摘されると慰安婦像から「少女像」に、慰安婦ではインパクトが弱いと考え「性奴隷」というふうに、自分たちにとって都合の良い言葉に言い換え嘘を取り繕っています。

 しかし本当は、慰安婦という言葉には別の意味で、ある思いが込められているのではないかと私は思っています。本来、彼女たちは「売春婦」と呼ばれてしかるべき存在でしたが、若い兵士にとっては初めての女性だった人もいたかもしれません。戦場に散った兵士の最後の夜の相手となった人もいたでしょう。そのように彼女たちは兵士の心の支えとなる形で、ある意味、銃を持たなくとも日本のために戦っていたのです。そのような女性たちに対して「売春婦」と呼ぶことに抵抗があったが故に、先人は「慰安婦」なる言葉を生み出したのでしょうが、残念ながらそのような感覚は日本人以外には理解できません。そこを日本に敵意を持つ人間たちが利用して「慰安婦」というのは、ただの売春婦ではなく奴隷のような扱いを受けた女性たちの呼び名であるかのように宣伝した結果、日本のことを良く知らない人たちが「慰安婦」という言葉に対して誤った負のイメージを持ようになったのです。

(以下略)

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