10~20代の女性がわずか7年間に
20人も姿を消していた
不可解な遺留品など数々の共通点が…
北朝鮮による拉致の可能性を排除できない特定失踪者約470人のうち、10~20歳代の若い女性20人がわずか7年の間に謎の失踪を遂げている。8月31日に特定失踪者問題調査会が特別検証を行った山口県でも、2人の女性がその期間に行方不明となった。20人の中には状況が似ているケースもいくつかある。調査会は失踪は偶然ではなく、何らかの組織がかかわっている可能性があるとみているのだが、背景には何が隠されているのか。
不可解な場所に置かれていた遺留品
調査会によると、昭和59年から62年に13人、平成2年から4年に7人の10~20代の女性特定失踪者の行方が分からなくなった。その中には、共通点があるケースもみられる。
例えば、平成2年に山口県でいなくなった河田君江さん(50)=同(23)=と2年に岡山県井原市で消息を絶った清水桂子さん(47)=同(22)、4年に秋田県能代市で失踪した松橋恵美子さん(51)同(26)、の3人については、遺留品として車が残されていた。
車が見つかった場所も不可解だった。いずれも目的地とは逆の方向にある場所に車が置かれていたり、普段立ち寄らない場所に放置されていたりした。
昭和59年に甲府市で行方不明になった山本美保さん(52)=同(20)=と60年に神戸市で消息を絶った秋田美輪さん(52)=同(21)=の2人は失踪した状況も似ている。
山本さんは「図書館に行く」と行って出かけたが、その日図書館は休館日だった。秋田さんについても、「友人宅に泊まる」との電話があったものの、実際には泊まっていなかった。さらに失踪後に、日本海沿岸でバッグが遺留品として見つかったことも、2人の共通点だ。
20人全員についてこうした共通項が明らかになっているわけではないが、調査会の荒木代表は「全体としていえば、この時期に女性が集中しているのは偶然とは思えない」と話す。
工作員教育や日本人になりすまし…北の非道な拉致の目的
調査会は失踪に何らかの組織がかかわっている可能性も考えている。では、 20人の失踪が北朝鮮による拉致だった場合、何のために女性たちを連れ去ったのだろうか。
政府が認定する拉致被害者17人のケースをみると、そのうち13人が連れ去られた1970年代後半には、工作員の教育係にしようとしたり、工作員が日本人になりすましたりする目的などのため、北朝鮮に連れ去られたことが分かっている。
だが、1983(昭和58)年に欧州で拉致された有本恵子さん(56)=拉致当時(23)=について、捜査当局は北朝鮮にいる日本人と結婚させる目的でさらわれたとみている。
若い女性の失踪が相次ぐのは、有本さん拉致事件の翌年からで、荒木代表は「1970年代に手当たり次第に拉致を行って、その結婚させる相手として、女性たちを連れていった可能性が考えられる」と指摘する。
「体だけは壊さないで」「遅う帰ってきたって出会われん」と母の悲痛な叫び
調査会が8月31日に特別検証を実施した山口県では、20人の女性のうち、河田さんと西村京子さん(53)=失踪当時(25)=が行方不明になっている。
調査には、河田さんと西村さんの母も同行。調査会が運営している北朝鮮向け短波ラジオ放送「しおかぜ」で流す娘へのメッセージを収録した。
河田さんの母、奈津江さんは「君江、元気でいたなら、どんなことでもいいから、手紙でも電話でもできないとは思うけど、元気でいてほしいんです。体だけは壊さないでね」と語り、西村さんの母、育代さんは「母さんは毎日あなたのことばかり考えて神様にお願いしているのよ。はよう帰ってきてちょうだい。そうせんと、もう父さんも母さんも年をとってしまって、ぼけ人間になりかけとるからね。遅うになって帰ってきたって出会われんのよ」と訴えた。
母の悲痛な叫びは、北朝鮮の最高指導者、金正恩朝鮮労働党委員長の耳に届くのか。国際社会に向けては核実験と弾道ミサイル発射、国内的には幹部粛清に血道を上げる迷惑な独裁者はいまだ、拉致被害者を返す気配すら見せていない。
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