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ようやく正しい歴史評価がなされる時代になってみれば戦後もっとも偉大な政治家は岸信介だったことがわかる

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戦後もっとも偉大な政治家は
岸信介だった

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ようやく正しい歴史評価がなされる時代になってみれば
 
   戦後もっとも偉大な政治家は岸信介だったことがわかる

  
加瀬英明監修『岸信介 最後の回想』(勉誠出版)


 副題は「その生涯と60年安保」。聞き手は加地悦子氏。
 
 岸信介は『戦後最も偉大な政治家だった』とする監修の加瀬氏の評価を待つまでもなく、世界史的展望にもとづいて日本の独立と主権の回復(日米安保条約改定)に政治生命をかけた岸は、

吉田茂など遙かに上回る歴史的業績をなした。
 
 従属的位置から、やや対等な条約に改定したのが、60年安保。

日本中が大騒ぎとなって「アンポ反対」と叫んでいたが、いま西部遭氏も回想するように、反対派は条文など誰も読んでいなかった。

 
 その岸本人が生前、小田原の居宅において、雑談風にじつに気さくに録音に応じていた。
 
おりしも生誕120年、孫の安倍晋三政権は参議院選挙でも勝利し、

岸の悲願だった改憲の道のりが拓かれた。

 
こうしたタイミングで、岸信介の最後の回想が日の目を見た。

この録音記録は、じつに36年間、お蔵入りしていた貴重な資料でもある。
 
 
 なかでも新鮮な印象をもったのは東条英機への評価や、なぜか岸も「戦犯」として巣鴨に三年半も拘置されたが、不起訴。つまり岸は無罪だから「戦犯」ではないということである。

それなのに不勉強のジャーナリストから「巨魁」とか「妖怪」とかかかれる始末だった。
 
 このことを岸は「新聞は嘘を書く」とわらい、こう言われている。
 
 「週刊誌が書いているようなけしからん男でもなけりゃ、巨魁でも妖怪でも化け物でもなんでもない(笑)。ところが書いている奴はみんな私に会いに来ないんですよね」。
 
 語り口は伝法だが、あまりに気さくに本音をかたるので、別人かと思うほどだ。
 
 60年安保では、数十万のデモ隊が首相官邸突撃をこころみ、官邸から一人、二人と閣僚が退席してゆくなか、岸は討ち死にの覚悟をきめた。

 
最後まで居残り「兄さん、ここで一緒に死のうじゃないか」と励ましたのは弟(佐藤栄作)だった。

 
 解説を書かれた加瀬英明氏の文章を読みながら、評者(宮崎)も回想した。
 
 記憶回路をたどると、評者(宮崎)が岸信介に最初にあったのは1973年だった。

 虎ノ門のオフィスを訪ねて、いろいろな政治的意見を伺った。雑誌『浪曼』のインタビューだった。
 
 顔色も良く、政界を引退した筈なのに、岸のもとには世界中から賓客が絶えなかった。艶々として好々爺という印象を抱いた。

 加瀬氏らの獅子奮迅の努力で、日本で初の国防を研究する民間シンクタンクが発足し、この「日本安全保障研究センター」が米国ヘリティジ財団などと共催するかたちで、「日米安保条約二十年記念 次の二十年を考える」という国際シンポジウムを東京で開催した。1980年8月だった。
 
 米国からフォード元大統領、そして日本側を代表して岸信介。

 このシンポジウムでは広報担当として評者も会場となった東京プリンスホテルに一週間ほど泊まり込んだ。
 
 したがって岸信介とは、このシンポジウム期間中も毎日のように顔をあわせたわけだが、
矍鑠としてステッキも用いずにすたすた歩いておられ、その健脚ぶりは驚きだった。
 
 84年に評者はニューヨークにニクソン元大統領を訪ね、独占インタビューをおこなった。
 
帰り際、ニクソンが「岸さんによろしく言ってくれ」とわらいながら付け加えた。

「それからあの若いのにも」
 
(「若いの」というのは中曽根首相のことだった)。
 
  そうした個人的回想を重ねながら本書を味わった。


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岸首相襲われる

首相官邸で開かれた自民党の池田勇人新総裁就任祝賀会場から出てきたところを暴漢に襲われ、抱きかかえられる岸信介首相(中央)(東京・永田町) (1960年07月14日) 【PANA通信社】


「黙れ兵隊」と一喝

古澤 襄

◆  私にとって一九六〇年七月一四日は生涯忘れられない日となった。この日,岸信介首 相は総理官邸の大広間に足を踏み入れた時に,暴漢に襲われ瀕死の重傷を負った。政 治部の岸番記者だった私はその真横に立っていて、暴漢がふるう短刀の白刃が二度、 三度岸首相の大腿部に刺さるのを目の当たりにした。

 崩れ落ちるように倒れた岸首相 を思わず跨いで官邸の電話に飛びつき、夢中で「岸が刺された。生死は不明」と一報 を入れたが、このことが後々まで「君は人が死んだと思って私の頭を跨いだのだから ・・・」と岸さんから言われるはめになった。頭を跨いだと言うのは岸さんの脚色 で、倒れた岸さんの足を跨いだと言うのが本当のことだが、時の首相の身体を跨いだ のは若気の至りだったと今では反省している。
 
◆ そんな後ろめたさがあったのかも知れない、池田内閣になって岸さんが不遇をかこっ た時代、弟の佐藤栄作氏が首相になって「弟の内閣で外務大臣を引き受けてもいい」 と喜んだのも束の間で、岸嫌いの田中角栄氏が佐藤内閣の実権を握り、「弟は自分の 言うことを聞かなくなった」と愚痴をこぼす岸さんのところに通う数少ない政治記者 になっていた。

 佐藤内閣の末期には、岸さんは御殿場の別邸に引きこもることが多 くなったが、日曜日には朝から御殿場に訪れ、あまり人が訪れることがなくなった応 接間で夕刻まで岸さんと二人切りでとりとめのない話をする機会が多かった。そのお 陰で世間では知られていない岸さんの隠れた一面を知ることが出来た。
 

◆ 岸首相に対するジャーナリズムの評価は今日でも厳しい。日米安保条約の改定と国会 批准でみせた非情な権力者の横顔が今でも印象に強く残っているためであろう。しか し御殿場の岸さんは権力者とはほど遠い一人の老人でしかなかった。

 私ごとになる が、妻は2・26事件に連座して銃殺刑を受けた北一輝の血縁に当たることを何かの 拍子に喋ったら岸さんは思わず身体を乗り出してきて、「私は北一輝の国家改造法案 要綱を全文筆写したことがある」と言った。

 そのついでに「巣鴨に収容されていたと きに弟の栄作が政界に出馬したいと相談にきたので、それなら戦前の政友会や民政党 の流れをくむ保守党には期待が持てないので社会党から代議士に出たほうがいい」と 勧めた昔語りをしてくれた。

 右であれ,左であれ現状打破の革新志向が岸さんの本質 だということを初めて知った。

 
  岸内閣というと「日米安保条約の改定」と「警職法」(警察官職務執行法改正案) がすぐ思い浮かぶが、

 
 「最低賃金制」や「国民年金制度」がこの内閣で創設されたこ とを知る人は少なくなった。
 

◆ 戦前の岸さんの逸話として残っているのは、サイパン玉砕の破局を迎えても徹底抗戦 を唱える東条首相と単身対決し、倒閣に持ち込んだことがあげられる。

 土壇場の最終 閣議で同調してくれる筈だった重光外相と内田農相は約束を破って発言せず、最年少 の岸商工相だけが東条首相に退陣を迫るはめになってしまった。

 閣議が終わって私邸 に戻った岸さんを訪れたのは、

 東条首相の腹心だった四方東京憲兵隊長だった。

 軍刀 をがちゃつかせて恫喝する四方に対して、

「黙れ,兵隊」と一喝したが、その時は斬られることを覚悟したと言う。


 「でも四方は私の頭は跨がなかったよ」と言って私を 指さしながら,楽しそうに笑った岸さんが印象的だった。

 

◆ 岸さんは吉田松陰と交友があって島根県令になった佐藤信寛氏を曾祖父に持ってい る

 信介の「信」は信寛氏から貰ったという。父は官吏をつとめて後に酒造業を営ん だ佐藤 秀助氏で,十人兄弟(男三人、女七人)を生むという子沢山だった。その五番目が岸 さんで、佐藤家から岸家に養子に出された。

 長兄の佐藤市郎氏は海軍兵学校に進み、 海軍中将になったが、兵学校時代の成績は平均点が九七・五点で日本海軍はじまって 以来の秀才と言われた。兄貴に比べると岸さんは旧制第一高等学校の入学試験に失敗 し、予備校に通ってようやく翌年入学している。高等学校時代の成績もあまり芳しく なかった。
 ところが東京大学に入った頃から頭角を現し、我妻栄氏(東大教授)や三 輪寿壮氏(社会党代議士)とトップ争いをしている。
 

◆ 「頭の良さから言うと兄の市郎、私、弟の栄作の順だが、政治力から言うと栄作、 私、市郎と逆になる」と言うのが岸さんの口癖だった。
 岸さんの出っ歯は,よく政治 漫画に描かれたが、弟の栄作氏も最初は出っ歯だった。それを差し歯にしたわけだ が、「栄作さんは出っ歯のほうが愛嬌があった」というのは、総理官邸の床屋の内緒 話である。

 御殿場の頃は政権の中枢から外れていたので、特ダネになるような話は出なかった が、一度真顔で「二十一世紀の日本は石油大国になれる。尖閣列島の海底には中近東 全部を合わせたよりも大きい石油の埋蔵量がある」とつぶやいたことがあった。

 尖閣 列島をめぐる領有権の騒ぎが起こる度に岸さんのつぶやきを思い出すが、事の真偽は わからない。

 仮に真実だとしても、世界の石油利権を一手におさめている国債石油カ ルテルのユダヤ資本があらゆる手を使って妨害してくるだろう。だから「つぶやき」 だったのかも知れない。

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岸信介、瞳が綺麗な人だったんだな。


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