日本の敵は日本人だ!
GHQの魔法が解けない人たちの
自由すぎる言行を断罪する
【阿比留瑠比の偏向ざんまい】
2016.6.12
参院平和安全法制特別委員会で可決された安保法案。鴻池祥肇委員長(左奥下)に詰め寄る野党議員ら=2015年9月17日午後、国会・参院第1委員会室(斎藤良雄撮影)
※この記事は6月15日発売の『偏向ざんまい~GHQの魔法が解けない人たち』(産経新聞論説委員・阿比留瑠比 産経新聞出版)から転載しました。ネットでの購入はこちらへ。
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「日本の報道の独立性は重大な脅威にさらされている」
2016(平成28)年4月に来日した国連人権理事会の特別報告者、デービッド・ケイ氏は記者会見でこう指摘し、政府の圧力がメディアを萎縮させていると批判した。ケイ氏は日本で国会議員や報道機関関係者、NGO(非政府組織)関係者らから話を聴いたのだという。定めし、偏った人たちの意見ばかり耳に入れたのだろう。
また、国会での野党質問や著名なテレビキャスターらの発言をみると、盛んに「報道現場の息苦しさ」「自己規制」などを強調している。安倍晋三首相が「独裁的手法」で「立憲主義を破壊」した結果、現代日本では言論の自由、そして民主主義そのものが危機を迎えているのだそうである。
だが、誰も具体的に政府からどんな圧力がかかったのかは語らない。何もないから語れないのだ。立憲主義も民主主義も、自分に都合のいいように恣意的に解釈して意に沿わぬ相手への攻撃材料にしているだけにみえる。
*恣意的【しいてき】気ままで自分勝手なさま。論理的な必然性がなく、思うままにふるまうさま。
戦後長く、日本の言論空間を主流派としてほしいままにしてきた左派・リベラル派の人たちが、以前は自分たちの主張を傾聴していたはずの国民が思うように操れなくなって慌てている。そして、みんな安倍政権の陰謀だと騒いでいるのではないか。
むしろ筆者は、ようやく当たり前のことを当たり前に言える時代になってきたと、そうしみじみそう感じている。
「事実を述べたものに過ぎず、首相として事実を述べてはならないということではない」
安倍首相が15年3月6日の衆院予算委員会で、こう明言したのは一つの象徴的なできごとだった。過去に産経新聞のインタビューで現行憲法について「連合国軍総司令部(GHQ)の憲法も国際法も全くの素人の人たちが、たった8日間で作り上げた代物だ」と語ったことについて、民主党(現民進党)の逢坂誠二氏の追及を受けてのことである。
翌日の在京各紙で、この発言を特に問題視したところはなかった。一昔前ならば、地位ある政治家が憲法が米国製の即席産物であるという「本当のこと」を指摘したならば、右翼だの反動だのとメディアの批判にさらされ、袋だたきに遭っていただろう。
また、これに先立つ記者会見で東京裁判の法律的問題点について言及した自民党の稲田朋美政調会長が、産経新聞の取材に「以前は東京裁判を批判するなどあり得ない、という状況だった」と振り返ったのも時代の空気が変わってきたことを示している。
文芸評論家の江藤淳氏のいう戦後日本を長く覆ってきた「閉された言語空間」はほころび、自由闊達な議論がかなりの程度、可能になってきたのは間違いない。
現在では、その本質的な虚構性と政治性があらわになってきた慰安婦問題もそうである。かつては「従軍慰安婦」という言葉が戦後の造語であることを指摘するだけで、「慰安婦の存在を否定する人たち」と偏見に満ちたレッテルを貼られたものだった。
軍や官憲による強制連行の証拠は見つかっていないという事実を述べると、元慰安婦の人権を無視する暴論だと反発された。1996年に早大学園祭のシンポジウムを取材した際には、同様の趣旨を述べた藤岡信勝東大教授(当時)に学生らが罵声を浴びせた。
「元慰安婦の前でも同じことが言えるのか」
「教授のその感性が許せない」
まるで議論がかみ合わず、藤岡氏に対する集団による私刑のような雰囲気だったことが強く印象に残っている。
さらに現在では、左派系の野党議員も含めて国会で普通に外交上の「国益」が論じられているが、これも以前は利己的で自己中心的な用語として忌避されていた言葉だ。
「国益を考えない援助はあるのか。ODA(政府開発援助)政策の中に国益の視点があるのは当然だ」
2003年6月の参院決算委員会で、小泉純一郎首相(当時)が中国へのODA見直しに関してこう述べた際には永田町界隈(かいわい)で話題を呼んだ。それまでは国益を堂々と追求することについて、どこかうしろめたく思う風潮があったからだろう。
少しずつではあるが戦後のタブーは破れ、確実に社会は正常化しており、以前はうかつに口にできなかった「本当のこと」を堂々と語れるようになってきている。
戦後の占領期、GHQは新聞、ラジオなどメディアに(1)東京裁判(2)GHQが憲法を起草したこと(3)中国-などへの批判や、「占領軍兵士と日本女性との交渉」などへの言及を禁じ、厳しく検閲していた。
この検閲の後遺症と身に染みついた自己規制から、日本社会は少しずつ回復してきた。ちょっと前までは特に保守系の言論に対し、甚だ不寛容な空気が支配していたが、随分と自由度が増し、風通しがよくなった。
(以下略)
【日本占領】アメリカ占領軍当局GHQが日本に及ぼした影響
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