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舛添要一、蓮舫にプロポーズするも断られるwwwwwwwwwwww

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舛添要一、蓮舫にプロポーズするも断られる


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舛添要一都知事を
望まない女たちの会

(旧・舛添要一を都知事にしたくない女たちの会)「(生理の時に)国政の重要な決定、戦争をやるかどうかなんてことを判断されてはたまらない」こんなことを言う男が都知事になったらこっちがたまらない!立ち上がれ女たち!

元妻へのDVと実子への無関心

各種メディアでの過去の情報をまとめます。テキストはリンク先または明記のソースから一部抜粋させていただきました。
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3度の結婚、2人の愛人、さらに隠された結婚歴

舛添といえば、3度の結婚、2人の愛人、5人の子供で知られるが、実は隠された結婚歴がもう1回あったと週刊文春が報じている。調べてみると、漏れてくるのは、エキセントリックで攻撃的な顔ばかり……。
舛添大臣の最初の結婚相手はフランス人だった。2人目は片山さつき代議士。
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仕事で遅く帰宅の妻を怒鳴る。サバイバルナイフを並べ刃先を向けて脅す。

◉週刊新潮、2010年5/36・13GW特大号
元妻・片山さつき氏インタビューより一部

 妻のキャリアを利用

私との結婚も、大蔵省の女性キャリアという私の肩書き・立場を利用したかっただけなんだろうなと、今改めて思います。
片山氏は、東大法学部卒業後、大蔵省(当時)に入省。女性初の主計官として注目を集め、05年、代議士に転身。
昨年の総選挙で苦杯を嘗めたものの、今夏の参院選で捲土重来を期している。大蔵官僚時代の86年、東大助教授だった舛添氏と結婚。後に離婚している。両者の夫婦関係はわずか2年強で終焉を迎えた。だが事実上、結婚生活は始まりとほぼ同時に「破綻」していたという。
近藤鉄雄先生(大蔵OBの元労働相)に紹介されてのお見合い結婚でした。私が27歳の時のことです。今と違って、当時は27歳にもなれば女性は結婚するものだという風潮があった。
役所は保守的なところですから、なおさらです。そういった時代でしたから、実は彼の前にも2回ほどお見合いの話があったんですが、私は結婚しても仕事を続けたかった。当然、帰りが遅くなることもある。
それを知ると「ちょっと考えさせて」と言われ、二人ともお見合いにまで至らなかった。そんな折に紹介されたのが彼でした。
「自分の同期や教え子には官僚がたくさんいて、生活パターンは熟知している。いくら遅く帰ってきても構わない」
彼はこう言ってくれました。男性の権力が圧倒的に強い時代でしたが、仕事と家庭の両面を支援してくれる人もいるんだな、この人は「希少価値」があると思った。
仕事を大切にしていた私にとって、彼のこの言葉こそが結婚を決意させた要因でした。最初はソフトな印象だったんですが……。
お見合いの場合、特に恋愛の期間がなくても結婚するものだと当時は思っていました。それに、相手が一回り歳上で、一応自分が卒業した大学の助教授、しかも役所のOB政治家の紹介ということで、迂閥にも信用してしまったんですね。
結婚前にこんなことがありました。
ある日、私に何も知らせず、彼は夕刊紙の記者を連れてきたんです。
そして、彼との結婚話が1面で報じられた。保守的な役所の世界で生きていたにも拘らず、関係者への挨拶等の段取りを、私はすっ飛ばす形になってしまったわけです。官僚としての私の立場を全く考えていない。彼は、女性キャリアとの婚約という「ニュース」をやはり利用しようとしたんでしょうね。

 ものを投げる、サバイバルナイフを向けるDV

ただただ、怖かった
慌しく始まった結婚生活でしたが、「平穏」だったのは最初の数週間だけ。
そして彼は2ヵ月で「約束」を反故にしました。
「遅く帰ってきやがって!」突然、彼は怒り始めたんです。
仕事で遅くなっても終電やタクシーで、日付が変わる前には帰宅しようと努力していたんですが……。
いきなりキーッとなって、理由もなく怒鳴る。一方的にまくし立てて、私の言うことは一切聞かない。話し合いにすらなりません。その辺にあるものを、手当たり次第に投げつける。後の話ですが、炊飯器の上蓋が割れていたことも。
またある時は、サバイバルナイフなどいくつものナイフを私の目の前にズラーッと並べた。彼は、ナイフの収集が趣昧だったんです。
しかも、そのうちの一つの刃先を私に向けたことまであります。
充分過ぎるほどの威嚇行為でした。今で言えぱ「DV」ということになるんでしょうか。彼は身体も大きいし、ワーツと大声で責め立でてくるので怖かった。ただただ、怖かった。
着の身着のまま、タクシーで浦和市(現さいたま市)にある実家に戻ったこともあります。
結局、結婚から3ヵ月ほどで、弁護士に離婚を相談しました。
すると、弁護士の調査で彼には愛人が、そして彼女が妊娠中であることも分かった。でも既にその時は、不倫の事実を知っても何も感じませんでした。
とにかく、一日でも早く別れたい、離れなければそれだけを考えていました。「出ていけ、出ていけ」
とギヤーギヤー騒いでいる人の横では、寝ることさえままなりません。
今思うと、愛人ができたから、私を早く追い出してしまいたかったんでしょうね。完全に向こうの都合です。
私から離婚調停を申し立て、正式に離婚が成立したのは結婚の2年3ヵ月後でした。時間を掛けたのは、世間体を考えてのことに過ぎません。実際は、のべ半年も同居していません。
調停にしたのは、籍を抜きたいと言っても向こうが話し合いに応じなかったことと、離婚の原因は彼にあることを、はっきりとさせておきたかったことが理由です。
10歳以上も歳下で、しかも社会での女性の地位が今と比べものにならないほど低かった当時、彼は私にとにかく「暴力的」でした。
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片山さつきさんとの婚姻中に、愛人であった女性への仕打ち

注:愛人であった女性をAさんとします。IWJ記事はとても長いので要約しますが、ぜひ元記事を読んでいただきたく思います。舛添氏の、政治家というより、人として許されないと断じざるを得ない過去を知っていただき、都民の福祉にも関わる重責にふさわしい人物かどうか、ご判断いただきたく思います。取材はAさんと親しいBさんへのインタビューという形で行われています。以下要約です。
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Aさんが大学院生の頃、当時東大助教授だった舛添氏と知り合う。すでに舛添氏は片山さつき氏(現参議院議員・自民党所属)と結婚していた。舛添氏が助教授である立場からAさんは半ば強制的に、内縁のような通婚関係を結ばされた。その期間は約3年間。
1988年Aさんは出産。しかし舛添氏が認知をしたのは2年後、自身が北海道知事選に出ようとしたとき。しかしこの当時舛添氏は、別の女性との間にも子どもをもうけている。
舛添氏が東大解雇されたのち、Aさんは博士課程修了。舛添氏は同僚たちを実名で中傷するなどしたが、相手にするなという総長命令の箝口令が敷かれたという。

 ありえない通知

Aさんは子どもが3歳のときに養育費の取り決めを行い、公正証書を交わした。扶助料の支払いは続けられていたが、22年間のあいだ舛添氏は実子に会うことはなかった。
子どもには重度の障害があるが、舛添氏はいじめや長期入院などが生じても一切関知せず、「自分には家庭があるから、メールもよこすな」と弁護士を通して伝えた。
2012年4月、舛添氏の弁護士からAさん宛に、子どもへの扶助料の減額要求が告げられた。理由は「子どもがある程度自立しており、自分の収入が激減しているから」とのこと。Aさんが不誠実だと拒否したところ、舛添氏は自身では話し合いに応じず調停を申し立てた。
「子どもがある程度自立したから減額せよ」との舛添氏の言であるが、Aさんと舛添氏の間の子どもには重度の自閉症(注)があり、かつ他の精神疾患もあるため、週5回の通院や多量の服薬が必要。また病院に通院できる範囲内に住まいが限られるなどの理由で生活は豊かではなく、Aさんはフルタイムで働いている。
注:自閉症は先天性の脳機能障害が原因とされており、一部で誤解があるような、育て方や環境などに問題があって発症するものではない
 「嫌がらせ」の調停
「自身の収入が激減している」と舛添氏が通知した当時、氏は現役国会議員。2012年の収入は約1700万円で資産は3億であったが、不動産は夫人名義だと調停で述べる。
この調停はすでに2年近く続いている。調停に出席するためにAさんは、仕事や子どもの世話を続けながら有給休暇を取らねばならない。また長く続く調停で舛添氏側の弁護士費用もかさむはずだが、氏は調停を取り下げる様子はなく「嫌がらせ」のようですらある。
ちなみに都知事選において、舛添氏の元妻である片山さつき氏は、安倍総理から応援を依頼されたが、「(東京)五輪は、オリンピックだけでなく、パラリンピックがあり、障害者の問題が非常に重要な中で、現時点で舛添氏は障害をお持ちのご自身の婚外子の扶養について係争になっており、これをきちんと解決していただくこと」と条件を課したが、舛添氏は応じていない。

 収入が「月給10万円」?

2013年11月の調停で、舛添氏は自身の現在の給与を10万円としているが、これは「舛添政治経済研究所」から支給された基本給である。
しかし、「舛添政治経済研究所」を含め3つの舛添氏の政治団体が、家賃名目で舛添氏に支払い金額は、3年間で約800万にのぼる(1月23日付しんぶん赤旗)。さらにはその家賃の資金源が政党助成金であり不正経理ではないかとの指摘もあるが、東京地検が査察が入る様子はない。

 乱脈な女性関係と中絶させたことを得意げに語る残虐な性質

舛添氏の女性関係は乱脈を極め、Aさんは『俺は十代の頃はいくらセックスしても子供ができないから、精子が少ないかと思っていたが、それからぼんぼん出来ちゃって、おろすのが大変だった』と、氏が得意げに語ったのを記憶している。
Aさんが内縁関係にあった間、当時の養育費10万円が滞りなく支払われたわけでもなく、その間も浮気を繰り返し、Aさんは「お前は苦労するように出来ている」などの暴言も受けた。Aさんは大学院卒業まで、自閉症の子どもを抱えながら、アルバイトで学費と生活費を工面していた。
masuzoe.wordpress.com/元妻へのdvと実子への無関心/ - キャッシュ

















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