批判の声、5800件に
「ソウル市への恩返し」
韓国への土地貸与に猛進する舛添知事に
都議会自民が異例のクギ
韓国人学校を増設するため、東京都の舛添要一知事が打ち出した約6千平方メートルの都有地を韓国政府に貸し出す方針に、批判の声がとまらない。
都庁周辺ではデモが相次ぎ、
都議会自民党も「地元や都民の声に十分耳を傾けるべきだ」
とする異例の 談話を出した。
舛添知事は
「政策判断。私の判断だ」
「どんな政策をやっても批判がある」
と一歩も譲らない構えだが、都心を歩けば「日本人も困っているのになぜ?」
と疑問の声が渦巻いていた。
「絶対反対」都庁前でデモ、逮捕者も
「保育所を求める都民の切実な声をなぜ聞けないのか」「保育所をつくれ」「女性の味方をしろ」
3月25日、新宿区の都庁前。抗議デモに集まった男女約60人は「絶対反対」などのプラカードを首からかけ、国旗を掲げて抗議の声をあげた。
デモを呼びかけた「頑張れ日本!全国行動委員会」の水島総幹事長は、「待機児童を抱えた女性や特別養護老人ホームの空きを待つ人など、福祉政策を最も必要としている人々がいるのに、韓国学校をつくる意味が分からない」と声を張り上げた。
批判は舛添知事の政治姿勢にも及んだ。平成26年7月に訪韓した際、朴槿恵(パク・クネ)大統領から韓国人学校増設への協力要請を受けて快諾したことに触れ、「朴大統領に『もう少し後にしてほしい』と説明し、都民を優先するのが当たり前だ。人の心が分からないから、海外出張で1泊20万円も使って心が痛まない」と、「高額すぎる」との指摘がある海外出張費についても皮肉った。
折しもこの日は都議会本会議が開かれた平成28年第1回定例会の閉会日。「この問題に政党は関係ない。都議会一致で撤回を求めてほしい」と訴えた。
翌26日にも都庁周辺で舛添知事のリコールなどを求めるデモがあり、トラブルから暴行事件に発展。逮捕者が出る事態にもなっている。
批判の声、5800件に
都によると、3月16日に貸与を発表して以降、
「政策判断。私の判断だ」
「どんな政策をやっても批判がある」
と一歩も譲らない構えだが、都心を歩けば「日本人も困っているのになぜ?」
と疑問の声が渦巻いていた。
「絶対反対」都庁前でデモ、逮捕者も
「保育所を求める都民の切実な声をなぜ聞けないのか」「保育所をつくれ」「女性の味方をしろ」
3月25日、新宿区の都庁前。抗議デモに集まった男女約60人は「絶対反対」などのプラカードを首からかけ、国旗を掲げて抗議の声をあげた。
デモを呼びかけた「頑張れ日本!全国行動委員会」の水島総幹事長は、「待機児童を抱えた女性や特別養護老人ホームの空きを待つ人など、福祉政策を最も必要としている人々がいるのに、韓国学校をつくる意味が分からない」と声を張り上げた。
批判は舛添知事の政治姿勢にも及んだ。平成26年7月に訪韓した際、朴槿恵(パク・クネ)大統領から韓国人学校増設への協力要請を受けて快諾したことに触れ、「朴大統領に『もう少し後にしてほしい』と説明し、都民を優先するのが当たり前だ。人の心が分からないから、海外出張で1泊20万円も使って心が痛まない」と、「高額すぎる」との指摘がある海外出張費についても皮肉った。
折しもこの日は都議会本会議が開かれた平成28年第1回定例会の閉会日。「この問題に政党は関係ない。都議会一致で撤回を求めてほしい」と訴えた。
翌26日にも都庁周辺で舛添知事のリコールなどを求めるデモがあり、トラブルから暴行事件に発展。逮捕者が出る事態にもなっている。
批判の声、5800件に
都によると、3月16日に貸与を発表して以降、
「外交ではなく保育所や介護施設など、都民のために使うべきだ」など、
都庁に寄せられた批判は
3月31日までに計5800件
(電話1087件、メール4713件)に及んでいる。
以下ソース
都庁に寄せられた批判は
3月31日までに計5800件
(電話1087件、メール4713件)に及んでいる。
以下ソース
韓国人が1万人しか住んでない新宿区に
2000人級の学校が二つも必要なのか?
2000人級の学校が二つも必要なのか?
「ソウル市への恩返し」は
ネットで見つけた後付け理由だった
「ソウル市への恩返し」はネットで見つけた後付け理由だった 韓国への土地貸与に猛進する舛添知事に、都議会自民が異例のクギ
新宿区によると、都が貸し出す予定の旧都立市ケ谷商業高校跡地(約6千平方メートル)がある新宿区矢来町周辺は保育ニーズが高い。区議会でもたびたび指摘され、吉住健一区長は27年6月以降、「最も保育ニーズが高い地域に位置し、(同跡地は)保育園を設置する場所としては最適」とする区議の質問に対し、「東京都にも打診しているが、現段階では要望を受けられないとの回答を得ている」などと2度答弁している。
一方、舛添知事は3月18日の定例会見で「新宿区からそういう話は聞いていない」と発言しており、区側と都側の言い分が食い違っている。
都によると、保育所などに利用できる空いた都有地はリスト化し、市区町村などに提供している。今回の跡地は、29年3月まで新宿区に区立小学校の仮設校舎として貸し出されていたため、リストには載っていなかった。「更地でなく、学校が建っている土地。学校に使いたいという要望があれば、そちらを優先するのが普通の考え方。区からも要望は受けていない」(都財務局)と説明する。
ネットで見つけて根拠後付け? 「トップダウン仕方ない」
だが、都民や新宿区側の考えや要望を十分に吸い上げたかどうかについては疑問が残る。
都は韓国政府への貸与を決めるまでに、保育所や介護施設などに使う希望があるかといった意向調査を新宿区に対して実施せず、文書による要望がないことを根拠に「希望なし」と判断。区の保育所整備の担当者が「寝耳に水。だったら使わせてほしかった」と嘆く事態を招いた。
一方、韓国政府に貸し出す「根拠」を固めるための調査は綿密に実施した。舛添知事は会見で、ソウル市にある日本人学校が老朽化に伴い平成22年に移転した際、同市から用地売買のあっせんを受けたことを挙げ、「こちらもお世話になった。恩返しのためにやる」と発言したが、こうしたエピソードは「インターネットで都職員が見つけた。(海外折衝を担当する都の)外務部を通じて、日本人学校に事実確認を行い、なんとか掘り起こした」(都庁関係者)という。
(以下略)
サイコパス民族とサイコパス都知事のコラボレーション
仕事で遅く帰宅の妻を怒鳴る。サバイバルナイフを並べ刃先を向けて脅す。
◉週刊新潮、2010年5/36・13GW特大号
元妻・片山さつき氏インタビューより一部
妻のキャリアを利用
私との結婚も、大蔵省の女性キャリアという私の肩書き・立場を利用したかっただけなんだろうなと、今改めて思います。
片山氏は、東大法学部卒業後、大蔵省(当時)に入省。女性初の主計官として注目を集め、05年、代議士に転身。
昨年の総選挙で苦杯を嘗めたものの、今夏の参院選で捲土重来を期している。大蔵官僚時代の86年、東大助教授だった舛添氏と結婚。後に離婚している。両者の夫婦関係はわずか2年強で終焉を迎えた。だが事実上、結婚生活は始まりとほぼ同時に「破綻」していたという。
近藤鉄雄先生(大蔵OBの元労働相)に紹介されてのお見合い結婚でした。私が27歳の時のことです。今と違って、当時は27歳にもなれば女性は結婚するものだという風潮があった。
仕事で遅く帰宅の妻を怒鳴る。サバイバルナイフを並べ刃先を向けて脅す。
◉週刊新潮、2010年5/36・13GW特大号
元妻・片山さつき氏インタビューより一部
妻のキャリアを利用
私との結婚も、大蔵省の女性キャリアという私の肩書き・立場を利用したかっただけなんだろうなと、今改めて思います。
片山氏は、東大法学部卒業後、大蔵省(当時)に入省。女性初の主計官として注目を集め、05年、代議士に転身。
昨年の総選挙で苦杯を嘗めたものの、今夏の参院選で捲土重来を期している。大蔵官僚時代の86年、東大助教授だった舛添氏と結婚。後に離婚している。両者の夫婦関係はわずか2年強で終焉を迎えた。だが事実上、結婚生活は始まりとほぼ同時に「破綻」していたという。
近藤鉄雄先生(大蔵OBの元労働相)に紹介されてのお見合い結婚でした。私が27歳の時のことです。今と違って、当時は27歳にもなれば女性は結婚するものだという風潮があった。
役所は保守的なところですから、なおさらです。そういった時代でしたから、実は彼の前にも2回ほどお見合いの話があったんですが、私は結婚しても仕事を続けたかった。当然、帰りが遅くなることもある。
それを知ると「ちょっと考えさせて」と言われ、二人ともお見合いにまで至らなかった。そんな折に紹介されたのが彼でした。
「自分の同期や教え子には官僚がたくさんいて、生活パターンは熟知している。いくら遅く帰ってきても構わない」
彼はこう言ってくれました。男性の権力が圧倒的に強い時代でしたが、仕事と家庭の両面を支援してくれる人もいるんだな、この人は「希少価値」があると思った。
仕事を大切にしていた私にとって、彼のこの言葉こそが結婚を決意させた要因でした。最初はソフトな印象だったんですが……。
お見合いの場合、特に恋愛の期間がなくても結婚するものだと当時は思っていました。それに、相手が一回り歳上で、一応自分が卒業した大学の助教授、しかも役所のOB政治家の紹介ということで、迂閥にも信用してしまったんですね。
それを知ると「ちょっと考えさせて」と言われ、二人ともお見合いにまで至らなかった。そんな折に紹介されたのが彼でした。
「自分の同期や教え子には官僚がたくさんいて、生活パターンは熟知している。いくら遅く帰ってきても構わない」
彼はこう言ってくれました。男性の権力が圧倒的に強い時代でしたが、仕事と家庭の両面を支援してくれる人もいるんだな、この人は「希少価値」があると思った。
仕事を大切にしていた私にとって、彼のこの言葉こそが結婚を決意させた要因でした。最初はソフトな印象だったんですが……。
お見合いの場合、特に恋愛の期間がなくても結婚するものだと当時は思っていました。それに、相手が一回り歳上で、一応自分が卒業した大学の助教授、しかも役所のOB政治家の紹介ということで、迂閥にも信用してしまったんですね。
結婚前にこんなことがありました。
ある日、私に何も知らせず、彼は夕刊紙の記者を連れてきたんです。
そして、彼との結婚話が1面で報じられた。保守的な役所の世界で生きていたにも拘らず、
関係者への挨拶等の段取りを、私はすっ飛ばす形になってしまったわけです。官僚としての私の立場を全く考えていない。彼は、女性キャリアとの婚約という「ニュース」をやはり利用しようとしたんでしょうね。
ものを投げる、サバイバルナイフを向けるDV
ただただ、怖かった
慌しく始まった結婚生活でしたが、「平穏」だったのは最初の数週間だけ。
そして彼は2ヵ月で「約束」を反故にしました。
「遅く帰ってきやがって!」突然、彼は怒り始めたんです。
仕事で遅くなっても終電やタクシーで、日付が変わる前には帰宅しようと努力していたんですが……。