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[転載]「もはや、戦後では無い」3―【Wedge】「靖国参拝を米国が許容できない理由」に見る我が国の為すべき主張

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【Wedge】靖国参拝を米国が許容できない理由  http://wedge.ismedia.jp/articles/-/3484
 
 

.「大御心」の政治利用

 
 上記(1) 「A級戦犯合祀以来、天皇陛下による靖国神社御親拝が実施されていない」 と言うのも、最近良く目にする「日本国首相靖国参拝反対論拠」だ。
 だが、大日本帝国憲法下では陸海軍は天皇陛下の統帥権下にあったが、日本国憲法下の自衛隊三軍は日本国首相を最高指揮官に頂いている。全軍の最高指揮官として英霊達に敬意を明らかにし、以って英霊達に続く者を維持・涵養するする義務は、戦前戦中の天皇陛下から戦後は日本国首相に移っている。その分、日本国首相の靖国神社参拝義務は重くなっているのであり、その分天皇陛下が靖国神社へ御親拝する理由は軽くなっている。戦後この方歴代首相の靖国参拝回数と、天皇陛下御親拝回数を「A級戦犯合祀以前」に限って比べても前者が圧倒的に多い事は、日本国首相と天皇陛下の靖国参拝すべき理由の軽重を反映したものと言い得よう。
 
 従って、天皇陛下の靖国御親拝が無い事を以って、日本国首相の靖国参拝を非難すると言うのは、少なくとも相当な強弁であろう。
 
 かてて加えて、「A級戦犯合祀が為された1978年以降に天皇陛下の靖国御親拝が無い」事を以って「天皇陛下がA級戦犯を忌避して靖国御親拝を取りやめた」とする説の信憑性には、多大なる疑義がある。左様な説を支持する「冨田文書」なるモノがあり、その研究もなされているとはウイキペディアにもある処だが、少なくとも俄かには信じがたい。

 A級戦犯として処刑された人々の内幾人かは昭和天皇陛下と実際に親交があった人々である。さらには大東亜戦争開戦は御前会議で決せられ、開戦に至る経緯も少なくともある程度、昭和天皇ご自身が当事者としてご存知の筈である。A級戦犯なる罪状となった「平和に対する罪」だの「文明に対する罪」だの(*1)の当否・妥当性(*2)も相当程度御承知の昭和天皇陛下が、「大東亜戦争を惹起した者としてA級戦犯を忌避し、A級戦犯が合祀された靖国神社への御親拝をA級戦犯合祀以降取り止めた」なんてのは、俗説としか私(ZERO)には思われない。
 それでも、冨田文書が正しく、昭和天皇陛下が本当にA級戦犯を忌避して以降の靖国神社参拝を取り止めた、と言うのが真実であるならば、私(ZERO)の主張すべき事は、唯一つだ。
 
 誠に恐れ多きことながら、昭和天皇陛下は誤っておられる。
 
 我が国の為にその生命を捧げた人々は、英霊として等しく靖国神社に祀られるべきであり、さあればこそ戦後も30年以上たってからA級戦犯は靖国神社へ合祀されたのです。我が国に生命を捧げた英霊達を、A級戦犯だのB-C級戦犯だのそれ以外だのと分別し区別する事は、為すべきではありません。英霊達を分別し、「A級戦犯」などとしてその一部を忌避する、それも戦後随分たってから分別・忌避すると言う事は、「我が国の為に生命を捧げても、我が国が当然の敬意を表しない事が在る」事になります。左様な事では、例え靖国神社を以ってしても「英霊達に続く者」を涵養・維持する事は適わないでしょう。第一、その「英霊分別法」を以って、そもそもの英霊の数が減らされる事は明らかです。
 
 我が日本国が安泰で、「英霊達に続く者」なぞ不要である状況が続くのは、理想的状態であります。が、そのような状態が未来永劫続くモノと、希望するのは兎も角、期待するのは愚かです。よって靖国神社は、昨日も今日も明日も、英霊達を追悼し、国として当然の敬意を表し、英霊達に続く者を我らや我らの後人に涵養・維持する必要があるのです。そのために、A級戦犯なるレッテルであれ、なんであれ、英霊達を分別・区別するべきではありません。

 

 

<注釈>

(*1) それが事後法に依る処刑である事を別にしても。 
 
(*2) と言うよりも、「不当性」であるが。 
 

新たなる、深化した日米関係の為に

 上記(3) 「靖国神社は「戦前の日本を正当化する象徴的存在」である」と言うのは、恐らくは上記(1)~(5)の中で最大の日米間争点/相違点であろう。何しろアメリカは、先の大東亜戦争では我が国の敵国であり、あの箸にも棒にもかからない前文を持つ日本国憲法を我が国に強制し(*1)、戦前を否定する「戦後平和教育」を開始し、東京裁判史観どころか東京裁判を開催して「A級戦犯」はじめとする数多の「戦犯」を処刑した当事者がアメリカなのだから。
 だが、そうまでして(*2)当時のアメリカが「戦前の日本を否定した」のは、何故か。「日本軍国主義の復活」と言うのがスローガン的な「目的」であろうが、要は「強い日本の否定」であり、精神的物質的含めての「日本の武装解除」にあった事は、恐らくはアメリカ自身も認める処だろう。
 さて、その日本国憲法が我が国に強制され、大東亜戦争に我が国が敗れて約70年。21世紀となって10年以上たつ現代・現状に於いて、アメリカは「日本軍国主義の復活(*3)」を恐れるのか。あるいは、「強い日本」を否定するのか。付け加えるなら「強い日本」は安倍首相のキャッチフレーズでもあれば、その一端は集団的自衛権の真面な適用…「集団的自衛権は保有するが、その行使は日本国憲法で禁じられている」などと言う奇怪な政府見解が正とされる現状の変更…でもある。少なくとも我が国が真面に集団的自衛権を行使できるようにする事は、アメリカにとって利益以外の何ものでもなさそうだが、如何であろうか。
 アメリカが「世界の警察官」を自認し、またそのように行動できた時代が、かつては在った。だが、現代・現状の極東アジアに於いて、アメリカは「極東の警察官」として行動する能力を失い、その為(*4)もあって極東情勢は不安定化している。そんな状況下で、「強い日本」即ち「日本が強くなる事」は、極東情勢の安定化要因であろうか。それとも不安定化要因であろうか。
 大陸は支那、中国共産党政権は「強い日本」を「軍国主義の復活」と呼び、「極東情勢の不安定化要因」と主張している。この主張に、アメリカも賛同するのか。賛同する事で日本を「弱いままにしておく」事が、アメリカの利益になるか。
 Negative.否定。「強い日本」は、極東の安定化要因である、と私(ZERO)は主張する。それは日中冷戦と言うある種の「準安定化状態」に至るかも知れないが、日中熱戦ないしそれすら起こらずに極東全域が中国人民解放軍の軍門に下ってしまうよりは、遥かにマシである。また、米国にとっても利益であろう。
 その上で、「強い日本」の為には、戦前戦中を問わず我が国の歴史・先人に対する正当な評価が必要である。東京裁判に代表され、「靖国神社を戦前日本正当化の象徴として否定する」様な「戦後平和教育」=「戦前・戦中暗黒史観」からの脱却が必要である。
 先人の罪を我らが罪とするならば、同様に先人の名誉は我らの名誉でもある。先人は既に故人であり、死人に口無く、先人の名誉は後人である我らが守る他ない。この意味で、「戦前の日本を正当化する象徴的存在(*5)」靖国神社は、少なくとも否定されるべきではない。それは、この世に数多ある/あるべき歴史観の一つを代表しているというだけである。
 言い換えるならば、極東情勢の安定化のため、日米共通の利益の為には、「強い日本」が必要であり、「強い日本」の為には「戦後平和教育=戦前戦中日本の否定」からの脱却が必要である。「戦後平和教育からの脱却」は、少なくとも部分的に「戦前戦中日本の肯定」が不可欠である。
 従って、今後の日米関係は、「少なくとも部分的に戦前戦中を肯定する日本」が前提になる。それでこそ「真面な日本(*6)」であり、「真面な日米関係」と言えよう(*7)。
 で、漸く(実に当ブログ3本目の記事にして)本記事タイトル「もはや戦後では無い」とつながる訳だ。言うまでも無いだろうが「もはや戦後では無い」と言うのは1956年の我が国経済白書結びの1フレーズで、その年の流行語になったもの。1956年だから、大東亜戦争後11年を経て、朝鮮戦争も戦闘終結してしばらくの頃。朝鮮特需もあって経済が回復し、戦略爆撃で焦土と化した我が国土の復興も緒についた頃。機雷封鎖くらった港湾・航路も帝国海軍よりその任を引き継いだ掃海部隊の活動で、主要航路と100港湾の安全宣言が出されたのが1952年だそうだから(*8)、「もはや戦後では無い」と言うフレーズの意味は重く、流行語となったのも肯けよう。
 だが、「戦後平和教育」=「戦前戦中の否定」と言う意味では、「戦後」は随分長く続いてたことになるし、社民党が政権与党になったり、民主党政権になったりで、「より酷く戦後化した」時代すらあって、「戦後が長引いた」とも言えよう。
 その「戦後」に終止符を打つべき時だ。
 安倍首相の靖国参拝と、今後の対応、特に日米関係の対応によって、「戦後に終止符を打つ」事は、可能である。
 安倍首相のスローガン「日本を取り戻す」や「戦後レジームからの脱却」とも、少なくとも相通じるものであろう。
 如何に、国民。
 如何に、アメリカ。
 如何に…安倍首相。

 

<注釈>

(*1) その強制された憲法を、修正することなく今に至っているのは、相当部分我々日本人の責任だが。 
 
(*2) 戦勝国が敗戦国に憲法を強制するなんて事例は、大東亜戦争敗戦の日本以外にはほとんど例が無い。
 
(*3) 「軍国主義」と言うのも定義が曖昧なモノだが、ここでは「他国を併合する侵略主義」であろうか。「植民地の併合は侵略か?」と言うのは大いに疑問で、この意味でも大日本帝国が「軍国主義」とは断じ難く、逆に中華人民共和国はチベット、モンゴルなどに遺憾なくその「軍国主義ぶり」を発揮しているが。
 もっと言えば、「大陸や半島なんざ、二度と統治してやるモノか!」ってのが、私(ZERO)の私見なのだが。 
 
(*4) 「アメリカの弱体化のせい、ばかりでは無い」事は私(ZERO)も認める。もう一つ大きな要因を挙げるなら、「中国共産党政権と人民解放軍の強大化」であろう。 
 
(*5) であるとしても。
 
(*6) "過去の一時代"とは言え、「戦前戦中を完全否定する」と言うのは異常であり、異様である。またそれは、「村山談話」を破却すべき理由の一つでもある。 
 
(*7) 無論、神ならぬ身の人が為す事。「真面な」と言っても「今よりはマシ」ではあても、理想的とも完璧ともほど遠い事は、当然ではあるが。 
 
(*8) 而して、我が国は島国であり、回路が啓開され安全を確保しない内は海外貿易も物資流通もままならないのだから。 
 
 

転載元: 日出づる処の御国を護り、外国までも率いん心


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