山本みずきからの報告
コストが増えるだけ
ヒゲの隊長が一刀両断!「望まれてもいない徴兵制などありえない」
佐藤正久(参議院議員)
9月19日、平和安全法制関連法案が成立しました。国会において法案の審議が進む中、「徴兵制」に大きな関心が寄せられたのは記憶に新しいところです。徴兵制に関する議論は、元自衛官として極めて強い違和感を持った議論の一つです。何故なら、徴兵制は「必要がなく、望まれてもない」以上、ありえないからです。今回は、何故、徴兵制がありえないのかを、主に軍事的観点と徴兵制の根拠となった自衛官の募集という2つの観点から、説明したいと思います。
日本の防衛政策上の合理性に欠ける徴兵制
現代の戦いは、銃剣突撃を繰り返すような100年前の戦いとは異なります。ハイテク装備を駆使した戦いになります。例えば、ある地上の目標を攻撃することを念頭に置いて考えてみましょう。まずは、斥候や偵察車両、偵察機や偵察衛星をもって情報を収集し、得られた情報を専門家が分析します。その後、それらを基に攻撃目標と攻撃武器を選定し、誘導兵器などに必要情報を入力した上で、目標を攻撃するのです。つまり、隊員には専門知識や専門技術が求められています。徴兵され、一般論として1~2年程度しか在籍しない隊員に担えるようなものではありません。
また、徴兵制を導入すれば、大変なコストが生じることも予想されます。現在、部隊の管理を担う「幹部」でも、部隊の中核を担う「曹」でもない、一般隊員となる「自衛官候補生」ですら、自衛官に任官するまで3カ月の訓練を行っています。仮に徴兵制を導入すれば、志願制の今とは比べものにならないほど多くの数の一般隊員を抱えることになります。そうした隊員を、自衛官として必要な最低限の水準まで教育するには、より多くの施設と、より多くの教官が必要になります。厳しい財政状況の中、新たなコストが大規模に生じることは、現実問題として考えられません。
つまり、日本において徴兵制を導入しても、十分に戦力にならず、新たなコストが生じるだけなのです。その意味で徴兵制は合理性に欠けており、日本においては「必要がない」政策といえます。
ある野党の国会議員は、国会の質疑において徴兵制の可能性について次のように発言しました。
「集団的自衛権の行使をすると、自衛隊員のリスクが高まると。だから、自衛隊に希望する人が減って、徴兵制になるんじゃないかという議論がありますよね」
こうした議論は、少なくとも識者の中では、全く交わされません。そもそも自衛隊員(以後、より狭義の意味で使用するため「自衛官」とする)は、立場上様々なリスクを負っています。市街地や港湾などの浚渫現場で発見される不発弾を処理する自衛官。救難業務に従事する自衛官。PKOなど海外における諸活動に従事する自衛官など。皆、リスクを負いながら厳しい環境の中で勤務しています。
ここで強調しておきたいのは、自衛官はリスクを承知の上で職務に当たっているということです。そうした自覚を持たせるために、全ての自衛官は任官するに当たり、「事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に努め、もって国民の負託にこたえる」ことを、『服務の宣誓』として誓っているのです。リスクが高まるからと言って、またはリスクを負うからといって志願を躊躇するような人は、そもそも、最初から自衛隊を志願しないでしょう。
リスクと募集状況の関連性は説明できない
それでは、先に示した野党の国会議員が言及したように、新たなリスクが生じると、徴兵制が必要になるほど自衛隊を希望する人は減るのでしょうか。過去を遡って検証してみましょう。
例えば、自衛隊がイラクへの人道復興支援部隊を派遣するようになった、平成16年(2004年)の翌年の募集状況です。当時は「死者が出る」との声すら聞かれました。結果、自衛官全体としての応募倍率は、7.1倍ありました。
更に遡り、「国際平和協力法案」が施行され、カンボジアに自衛隊が派遣された、平成4年(1992年)の翌年の応募倍率です。結果は、9.0倍。また、モザンビークPKOに派遣された平成5年の翌年の応募倍率に至っては10.4倍を記録しています。
つまり、新たなリスクが生じるとしても、定員を割り込み、徴兵制を必要とするほど募集が減るということはないのです。少なくとも、我が国では過去に生じたことがありません。ちなみに、過去30年間で最も募集に苦しんだ平成元年(1989年)でも、応募倍率は3.3倍ありました。
ある報道は、将来の部隊の中核を担う「一般曹候補生」の志願者が2割減ったと指摘し、その原因を平和安全法制に求めています。しかし、仮に徴兵制の可能性を論じるのであれば、重要なのは「落ち込み」ではなく、「倍率」です。2割の落ち込みがあったとされる、今回の一般曹候補生ですら、倍率は約5.5倍。5人中4人は、入隊したくても入隊できない状況にあるのです。全くもって、徴兵制の導入が求められるほどの状況ではありません。つまり、徴兵制の可能性に言及する一部の主張は、過剰にして非現実的なものと言えます。
「必要がなく、望まれてもいない」以上、徴兵制が日本で導入されることは考えられません。日本は民主主義国家です。独裁国家ではありませんので、国民の関与なく、政策は進みません。国民が望まない以上、徴兵制は今後もありえないのです。徴兵制の導入を防ぐ最大の術は、国民一人一人が、事実を踏まえない感覚的、感情的な風潮に踊らされないことなのかも知れません。
兵役は苦役か
リスクで自衛官は辞めない
安全保障は国民の合意が生む哲学
安全保障や国際貢献の問題は、国民の幅広い合意を得て、ひとつの新しい哲学を自らが生み出す。それが、これからの不安定化する世界のなかで生き残っていくためには大切になってくると思います。
憲法改正が重要な通過点になるのでしょうが、残念ながら、安倍内閣はその道を閉ざしてしまいました。憲法解釈を恣意的に変え、また法案そのものも抽象的すぎるために、法案の解釈ですら、今回の国会審議中に総理と防衛大臣との解釈の違い、また総理自らの見解が揺れ動くといった事態が起こっていることは、なにか新国立競技場やエンブレム騒動と同じレベルで安全保障が扱われてしまっているのではないかという印象を受けます。
今の内閣は、選挙で選ばれ国民から支持され、正当性があるといっても、日本の場合は安全保障が選挙の争点になることはなく、安全保障政策まで支持されているのかは怪しいのです。また逆に野党の安全保障政策に対する姿勢や中味も問われません。
いっそ、徴兵制度を導入すれば、国民の安全保障への知識や意識も深まり、政権の暴走に歯止めも効くのかもしれませんが、安倍総理が兵役を「苦役」とし、憲法違反になるとして、その可能性を捨てました。確かに海上自衛隊に入って、遠洋航海すればスマホが通じなくなったり、陸上自衛隊で真夏に戦車に乗っても冷房装置がないので「苦役」なんでしょうか。
徴兵制は、国民の合意がなければ成り立ちません。 日本だけでなく先進国では必然性も現実性もないだけです。 ご存知のようにドイツは東西冷戦の最前線であったこと、また再びナチスの暴走が起こることを防ぐために、市民の監視が必要ということで、長らく徴兵制を敷いていました。スイスや北欧の国にも徴兵制があります。
しかし日本の場合は軍事的には必要性はないでしょうし、またその予算もなく、日本にとってもっとも高くなってくるリスクといえばテロであり、その備えでいえば、まずは警察力の増強なのかもしれません。(「大西宏のマーケティング・エッセンス」 2015.09.18)
合理性に疑問符
民主党が「徴兵制」と煽る理由
徴兵制は現実にあり得るのか。首相は「徴兵制の本質は(本人の)意思に反して強制的に兵士の義務を負う。明確に憲法違反だ。憲法解釈で変える余地は全くない」と断言する。
確かに、防衛政策としても現実的ではない。現代戦では兵員に熟達した技能が要求される。高度化した現代の装備品を短期間で習得できるわけがない。労働人口を減少させることにもつながり、徴兵制を採用しないのが国際的な潮流だ。
民主党が政権に就いていた一時期、「政治主導」の名の下に、内閣法制局長官を国会審議で答弁する「政府特別補佐人」から外し、法令解釈の答弁を官房長官らが担っていた。だが、野田佳彦政権になって「憲法など長い法令解釈の歴史を知る人として、最もふさわしい」(当時の藤村修官房長官)との理由で、内閣法制局長官による国会答弁を復活させた。
民主党は安倍政権の集団的自衛権の憲法解釈見直しを批判している。行使容認の必要性は突然出てきたものではなく、安全保障政策の観点から長年、議論されてきた。そしてこの憲法解釈を変更するには、相当の議論と重みがあった。岡田氏はじめ民主党幹部は国民の前で安易に「徴兵制復活」を連呼しているが、憲法解釈を見直す意味や重みをどう考えているのだろうか。憲法解釈を変更するハードルを低く捉えているのではないかとの疑念すら抱いてしまう。
民主党政権時代、北朝鮮が長距離弾道ミサイルを発射した。その際、ミサイルの一部が日本領域に落下した場合に撃ち落とせるよう海上配備型迎撃ミサイル(SM3)を搭載したイージス艦を東シナ海などに展開し、沖縄県などに地対空誘導弾パトリオット(PAC3)を配備した。
弾道ミサイルの迎撃手続きを定める改正自衛隊法は2005(平成17)年7月に成立した。このとき、民主党は改正に反対した。また、現在も継続するアフリカ東部ソマリア沖アデン湾での海上自衛隊による海賊対処活動の法的根拠になっている海賊対処法にも反対していた。自身が政権に就いたとたん、それまで反対してきた法律に基づいて政権を運営していたのだ。
まさか、徴兵制導入の不安をあおっておきながら、再び政権を握ったら自分たちの手で思うがままにできる、とは考えていないと思うが…。
(政治部 峯匡孝)
女性も戦争に行く時代になるの?
これが「経済的徴兵制」?
「貧困層に『経済的徴兵制』?」。2014年9月3日、東京新聞にこんな見出しが躍った。文部科学省の有識者会議「学生への経済的支援の在り方に関する検討会」のメンバーの発言を厳しく批判した記事でのことだ。奨学金の返還困難者対策が議題となった5月26日の会合で、経済同友会の前原金一専務理事(当時)は延滞者が無職の場合、よい就職が出来るため現業部門のある警察庁、消防庁、防衛省などでのインターンシップ(就業体験)を提言した上で「防衛省は、考えてもいいと言っています」と述べた。この提言は8月29日に公表された報告書には盛り込まれなかったが、前原氏の発言を東京新聞は「若年貧困層を兵士の道に追い立てる」として経済的徴兵制や格差社会の助長につながりかねないと批判した。(iRONNA編集部)
ジャーナリストの堤未果さんによると、兵士不足に悩む米国では、軍が独自に高校生のリストを作り、直接携帯に電話をかけて勧誘する。貧しい若者は、大学の学費免除や兵士用の医療保険などの勧誘条件に引きつけられる。
米国市民でない場合は、市民権の取得も大きな魅力だ。堤さんは、若者が生活のために入隊を選ばざるを得ない状況を「経済的徴兵制」と呼んでいる(『ルポ貧困大国アメリカ』岩波新書)。
安全保障関連法案に反対の論陣を張る新聞や識者が、最近同じ言葉をよく使う。日本も米国と同じ道を歩む恐れがある、と危機感をあおっているわけだ。なかには、安倍政権は戦争をするために意図的に貧困層を作り出している、といった暴論まで横行している。
先週23日付の毎日新聞夕刊の記事もそのひとつだった。防衛医科大学校といえば、防衛大学校と同じく、学費は無料で給料も出る。ただし卒業後9年間は、医師として自衛隊に勤務する義務を負っている。「医師、看護師になりたいけど…お金はない!(中略)こんな人を捜しています」。
そんな学校の特徴を前面に打ち出した募集案内のキャッチコピーに、ネット上で批判の声が上がっているそうだ。「経済的徴兵制そのもの」というのだ。一体何が問題なのだろう。学費無料は確かに大きな魅力である。もっとも、それだけが動機とすれば、高い競争倍率を勝ち抜き、入学後の厳しい訓練に耐えられるはずもない。
国際宇宙ステーションに滞在中の油井亀美也(ゆい・きみや)さんは、防大出身の元航空自衛隊パイロット、油井さんと宇宙飛行士同期生の金井宣茂(のりしげ)さんは、防衛医大出身の元海上自衛隊潜水医官である。2人もまた、経済的徴兵制の犠牲者だといいたいのか。(「産経抄」2015.07.27)
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