嘘吐きパックン「日本の皆さんは知らない方が多い。大戦で中国やアジアの方は何人くらい亡くなっているか?」
習近平国家主席が国連総会で初の演説「日本帝国主義との戦いで3500万人の中国人が犠牲になった」戦勝国の立場を強調!
http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye2600699.html
中国・習主席が国連演説 “戦勝国”の立場強調
9月29日05:07、TBS
中国の習近平国家主席は、国連総会で初めての一般討論演説に臨み、第二次世界大戦での戦勝国との立場を強調しました。
「歴史は鏡です。歴史を教訓にしなければ、失敗は繰り返されます」(中国 習近平 国家主席)
習近平国家主席は、「日本帝国主義との戦いで3500万人の中国人が犠牲になった」と主張し、第二次大戦の戦勝国だとの立場を強調しました。その上で、「歴史を記憶することは、憎しみを持ち続けるためではなく、人類が教訓を忘れないようにするためだ」と述べました。
また、国連の平和活動に対して新たな基金設立や即応部隊の派遣を表明しています。
一方、韓国の朴槿恵(パク・クネ)大統領は、日本の安保関連法に言及しました。
「日本の安全保障関連法は透明性をもって、地域の国々の友好関係と、地域の平和と安定に貢献するよう運用されるべきだ」(韓国 朴槿恵 大統領)
また、韓国にとって戦後70年は解放と南北分断の2つの特別な節目という認識を示した上で、旧日本軍の従軍慰安婦問題を念頭に、「被害者の生存中に早期に解決されなければならない」と述べました。(29日05:07)
>習近平国家主席は、「日本帝国主義との戦いで3500万人の中国人が犠牲になった」と主張し、第二次大戦の戦勝国だとの立場を強調しました。
国連総会での初の演説で、堂々とこのような大嘘を吐くのは、如何にも支那人らしい。
支那が主張する支那人犠牲者数については、終戦直後は支那国民党もGHQも132万人と発表していたが、戦後どんどん増加してきた。
3500万人という犠牲者数は、1998年に当時の国家主席だった江沢民が日本に来た時の演説で吐いた大嘘だが、以後この数字が公式数字となって定着しているようだ。
支那事変では一般民衆にも多くの犠牲者が出たが、それは日本軍の殺害によるものではなく、支那軍の殺害によるものだった。
むしろ、日本軍は、支那軍が殺していた支那民衆を救出することが多かった!
各種資料から、支那事変(第二次世界大戦)で犠牲となった支那民間人の99%以上は、支那軍によって殺害されたと推定できる。
ちなみに、国連演説の聴衆の画像は、次のとおり!
ローマ法王(満席)
オバマ(満席)
習近平(空席ガラガラ)
さて、第二次世界大戦における支那人犠牲者数については、8月31日にタレントのパックンが「Newsweek」でやはり「1000万人~2000万人」と尤もらしい真っ赤な嘘を述べていた。
上記8月31日付け「Newsweek」のパックンのコラムに対しては、かなり反論が出たようで、パックンは先日9月24日に同じく「Newsweek」のコラムで一部を修正したが、支那人犠牲者数については相変わらず「1000万人~2000万人」と言い張っている!
残念ながら、パックンは、理解力に難があるようだ。
私がパックンにも理解できるように分かり易く説明するので、次回「Newsweek」のコラムではきちんと修正してほしい。
終戦直後は支那国民党もGHQも132万人と発表していた上、支那民間人の犠牲者は99%以上が日本軍ではなく、支那軍によって殺害されたことを理解すれば済むことだ。
まずは、嘘出鱈目のオンパレードだった8月31日付け「Newsweek」のパックンのコラムを掲載し、一通り嘘出鱈目を添削(嘘の抽出とその訂正)する。
パックン「日本の皆さんは戦国時代は詳しいのに70-100年前の事を知らない方が多い。大戦で中国やアジアの方は何人くらい亡くなっているか」
http://www.newsweekjapan.jp/pakkun/2015/08/post-4_1.php
首相談話についても、アメリカ人なので語りません2015年08月31日(月)18時20分
(前略)
みなさんは安倍総理の首相談話をどう評価しているかな?
8月25日発表の毎日新聞の世論調査では、国民の40%が評価している。評価しない方々は31%。評価する見方が多い(実はおそらく皆さんが想像しているよりも、僕は評価している。言わないけど)。
国民がもっとも共感したのが「子供たちに『謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない』」という主張らしい。そう思っている国民は実に61%。通りすがりに僕を見た人が、厚切りジェイソンだと間違える割合と同じぐらいだね。
次世代どころか、現時点でも「70年間もの間、世界の平和や発展にこんなに貢献しているのに、何でいまだに謝罪を求められるのか」という疑問を持つ方は非常に多いと思う。
そこで僕の出番だ! 謝るべきかどうかではなく、何故お詫びを求められ続けるかということだけについて話そう。
まず挙げられるのは「各国の政府は、内政が厳しいときに反日感情を煽り、国民の怒りの矛先を外に向けさせる作戦を取る」という説明。これは間違いない。その作戦自体は間違っていると思うけどね。やりすぎてだんだん効果が薄れているみたいだし。
その証拠として、反日感情を煽っている国々から来日する観光客数が年々増えていることがあるだろう。2015年上半期には、こうした国々からの来訪者も合わせ、史上最多の訪日外国人数を記録した。煽ることで増えるなんて皮肉なものだ。
でもそれだけではないだろう。もう1つの理由として、日本の「反省が伝わっていない可能性」も考えよう。もちろん、これまでに日本政府が謝ってきたのは事実。少なくとも村山首相、中曽根首相、細川首相、小泉首相、安倍首相が謝罪している。
しかし、各時代の首相が謝っている傍らで、他の政治家たちによる謝罪とは反対の意に捉えられる発言が目立つ。有名な例だと、中曽根内閣時代、藤尾正行文部大臣の韓国併合についての「韓国側にも責任がある」発言。竹下内閣時代、奥野誠亮国土庁長官の日中戦争についての「侵略の意図は無かった」発言。最近だと、「慰安婦制度は必要だった」という橋本徹大阪府知事(当時)のコメントがある。
行動も紛らわしく見える。5名の首相がおわびをしている一方で、靖国神社へ参拝している戦後の首相は14名。国会議員では数百人に上る。靖国神社は、世界のメディアでWar Shrine(戦争神社)と紹介されている。
参拝される人の意図とは関係なく、世界が受ける印象は「お詫び」とは反するものになってしまう。
今回も謝罪の意をこめた総理談話を発表した翌日に、67名の国会議員が参拝をした。安倍総理は参拝しなかったが玉串料を収めた。こういうことは英語でmixed messageという。その行動により、残念ながら「お詫び」が印象に残らない結果となる。
日本がどうしても比較されるのは、同じ敗戦国のドイツ。ドイツの歴代の首相ははっきりとお詫びをしている。85年のワイツゼッカー連邦大統領の演説は、今読んでも泣ける。ドイツ政府は行動でも反省の意を表している。
特に有名なのは、70年にブラント首相がポーランドのユダヤ人ゲットー跡地で跪いて献花したこと。また2004年にシュレーダー首相がフランスのノルマンディー上陸作戦記念式典でシラク仏大統領と抱擁を交わした。これを受けてフランスの新聞は「今日が本当の終戦の日」と書いた。こういうときに、他の政治家から反対の声は出ていなくてmixed messageになってはいない。反省の色はまだら模様ではなく一色の一枚岩だ。
さらに、ドイツの反省は「形」にもなっている。教科書には残酷な歴史をはっきり記してある。ホロコーストの収容所やドイツ軍の歴史博物館などの施設では、ドイツ軍による被害が生々しく伝わる展示になっている。さらに、ドイツの街では小さな金属の板があちこちの歩道などに埋めてある。これらはナチス政権化で連行され、殺された人が住んでいた場所を記す碑なのだ。言葉、行動、形。これらが揃っているドイツが、お詫びしていない、と責められることはない。パンが固いとか、ビールがぬるいとか、文句を言いたいことはいろいろとあるが、謝っていないとは言われない。
お詫びに関しての疑問が出るとき、こんな伝え方の違いを意識すると、もう少し理解しやすくなるのかもしれない。
そして「意識」の他に、もう一つ理解につながるのが「知識」。
僕がいつもびっくりすることだけど、日本の皆さんは、戦国時代にはとても詳しいのに70~100年前のことをあまり知らない方が多い。例えば、一番基礎的な質問:第2次大戦で日本の方は何人ぐらい亡くなっているのか。(もちろんこのコラムの読者は天才だから知っているはずだけど)答えられる方は以外と少ない。
正解は談話にも出た、300万人だ。では、中国ではどれぐらい亡くなっているでしょうか? これが答えられる人はほんの一握りでしょう。正解は1000万~2000万人。歴史家によって計算法が違ったりするが、一番少ない数字でも日本の3倍以上にあたる。インドネシアでも日本と同じぐらいの300万人以上が死亡しているという。ベトナムでは100万~200万人。フィリピンでは50万人だ。
こんな悲惨な数字はほとんどの方の知識にない。敗戦国である日本が甚大な被害を受けたのは事実だが、これらの国々の被害も実に凄まじい。そしてこれらの国々は、日本を「敗戦国」というよりも「開戦国」として見ているのだ。
こういった知識を持つと、またお詫びを求められるときの理解度が変わってくるのではないかと思う。歴史認識は日本の皆さんにお任せします。僕が気にしているのは、認識ではなく意識と知識。その2つを胸にぜひ議論を続けてほしいし、次世代に意識と知識を受け継いでいっていただきたいと思う。僕も子供たちにそうしていくつもりだ。
次世代に残したくないのは謝罪を繰り返す宿命。僕もその気持ちがよくわかる。だって、自分の子供は日本人でもアメリカ人でもある。謝りっぱなしの人生になっちゃう。
あっ、約束を破り、最後に個人的な意見を入れてしまった。
お詫びします。
>しかし、各時代の首相が謝っている傍らで、他の政治家たちによる謝罪とは反対の意に捉えられる発言が目立つ。有名な例だと、中曽根内閣時代、藤尾正行文部大臣の韓国併合についての「韓国側にも責任がある」発言。竹下内閣時代、奥野誠亮国土庁長官の日中戦争についての「侵略の意図は無かった」発言。
第107代 文部大臣 藤尾 正行(ふじお まさゆき)
事実を発言して何が悪いのか?!
多くの朝鮮民衆が地獄から救われて世界の一等国民になりたくて日韓合邦を要望し、大韓帝国の首相も皇帝も了承して条約を「日韓併合条約」を締結したのだから、日韓併合について藤尾正行文部大臣の発言どおり「韓国側にも責任がある」のは当然だ。
朝鮮は7世紀から19世紀まで歴代支那大陸帝国の属領・属藩だった。
日本は日清戦争後の1985年の下関条約で清国に朝鮮の独立を認めさせ、朝鮮は日本のお陰でようやく独立できた。
日本のお陰で清国から独立できた朝鮮(大韓帝国)は日本からカネやヒトの支援を受けたが、あまりにも朝鮮人の能力が欠如していたために国家破綻の危機が続いた。
結局、自分たちの力ではマトモに独立(一人立ち)できそうになかった朝鮮人は、日本との合邦を希望した。
「合邦」を望む、朝鮮半島からの熱意あふれる電報の数々。
大韓帝国で最大の政治団体だった「一進会」は1909年12月4日、「韓日合邦を要求する声明書」を作成し、上奏文と請願書をそれぞれ李完用総理、皇帝純宗、曾禰荒助統監に提出した。
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「韓日合邦を要求する声明書」
日本は日清戦争を通じて韓国を独立させ、日露戦争でロシアに食われかけていた韓国を救ってくれた。
それでも韓国はこれをありがたく思うどころか、あの国にくっつき、この国にくっつきし、結局は外交権を奪われることになったが、これは我々が自ら招いたことである。
丁未条約を締結することになったのも、やはりハーグ事件をおこした我々に責任がある。
伊藤博文公が韓国国民を見守ってくれ、太子を導いて我々韓国のためにご苦労されたことは忘れられない。
にもかかわらずハルピンの事件がおきてしまった以上、こんごいかなる危険が到来するのかわからない。
これもまた韓国人自らそうしてしまったのである。
(中略)
それゆえ劣等国民として保護されるよりは、いっそ日本と合邦し大帝国をつくって世界の1等国民として日本人とまったくおなじ待遇をうけながら暮らしてみよう。
1909年 12月4日 一進会(百万の朝鮮人会員)
――――――――――
しかし、日本側の併合反対派であった曾禰荒助統監は、この合邦案を時期尚早との理由で却下すると共に、新聞社、通信社に働きかけ、反対の論調をとらせた。
それでも、韓国側の併合推進派である一進会は上奏書を却下されてもまた提出し、これを繰り返すこと4回目に桂首相の指示により遂に受け取られた。
1910年8月16日、李完用首相は日本の水害見舞いと称し、趙農相を伴い、寺内の居る統監邸を訪れた。
ここで山県副統監を交えた会談3時間に及び、若干の修正にて日韓併合は合意に達した。
この結果にもとづき李完用首相は8月18日に閣議を開いたがまとまらず、8月21日李完用が皇帝に内奏し、皇帝の了承を取り付けた。
これにより1910年8月22日の韓国の御前会議で韓国は正式に日韓併合を決定した。
第93代 文部大臣 奥野 誠亮(おくの せいすけ)
奥野誠亮国土庁長官の発言どおり、支那事変に「侵略の意図は無かった」ことも事実だ。
支那事変は、「日本軍国主義による侵略戦争」ではない。
支那事変は、支那共産党が日本軍を銃撃して盧溝橋事件を起こし、支那軍が停戦協定を何度も繰り返し破って継続・拡大した戦争。
盧溝橋事件の約3週間後には、支那保安隊が日本人居留民約260人を大虐殺した(通州事件)。
更に2週間後、支那軍は数十万人という大軍で上海の国際租界の日本人居留区を包囲攻撃した。
支那軍機は上海市街地のホテルやデパートを爆撃して民間人や外国人を大量殺害した。
その後も支那は、日本が提出した和平案をことごとく蹴り、戦争を継続し、支那人民を虐め抜いた。
支那軍による徴発・徴用・徴兵は過酷を極めた。
支那軍は、上海市街地爆撃の他、焦土作戦、黄河・揚子江の堤防破壊(決壊)などによって多くの民衆を殺害し、世界で初めて違法毒ガスを使用したり細菌戦を行なったりするなどの暴虐・悪逆の限りを尽くした。
支那が戦争を始めて、日本が何度も何度も「やめよう。やめよう。」と言ったのに、支那がそれを無視して戦争を継続・拡大して暴虐の限りを尽くした戦争なのだから、日本にとっては自衛戦争以外の何ものでもない。
>行動も紛らわしく見える。5名の首相がおわびをしている一方で、靖国神社へ参拝している戦後の首相は14名。国会議員では数百人に上る。靖国神社は、世界のメディアでWar Shrine(戦争神社)と紹介されている。
>参拝される人の意図とは関係なく、世界が受ける印象は「お詫び」とは反するものになってしまう。
このパックン(パトリック・ハーラン)という奴は、想像を遥かに超えて馬鹿な奴だな。
どうして外国のメディアが勝手に靖国神社をWar Shrine(戦争神社)と間違った紹介をしているからと言って、首相や国会議員が靖国神社を参拝しない方が良いという結論に至るのか?!
だったら、日本のメディアが米国のアーリントン国立墓地(Arlington National Cemetery)のことを勝手に「戦争墓地」と紹介したら、米国の大統領や国会議員がアーリントン国立墓地を訪問してはいけないということになるのか?
少しは考えろ!馬鹿!
>日本がどうしても比較されるのは、同じ敗戦国のドイツ。ドイツの歴代の首相ははっきりとお詫びをしている。85年のワイツゼッカー連邦大統領の演説は、今読んでも泣ける。ドイツ政府は行動でも反省の意を表している。
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リヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカー(ドイツ連邦共和国 第6代大統領)
wikipedia
1985年5月8日の演説に対する評価
1985年5月8日の連邦議会での演説の中の「過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります」(永井清彦訳)という有名な一節は、演説が行われた当初は特に注目されていなかった。
この一節を日本で最初に見出しにしたのは、岩波書店の雑誌「世界」1985年11月号で、朝日新聞も同年11月3日にコラムで取り上げている。
岩波書店はさらに、1986年2月に演説全文を掲載したブックレット、1991年には単行本を出版している。
この頃からこの一節が有名になり、歴史認識で韓国が日本を批判するのにも使われるようになった。
しかし、演説の3日前にコール首相とレーガン米大統領がナチス親衛隊も埋葬されているビットブルク墓地を訪れ、ワイツゼッカーもレーガンに謝意を述べている。
また演説の中には謝罪に当たるものはなく、「民族全体に罪があるということはない」「当時に子供だったり生まれていない人達が自分が手を下していない行為に対して罪を告白する事はできない」などと述べている。
伊奈久喜は、これは日本の政治家が語れば「妄言」と批判されるかもしれない内容であり、ワイツゼッカー演説は史実とは異なる「神話」になった、と述べている。
――――――――――
>特に有名なのは、70年にブラント首相がポーランドのユダヤ人ゲットー跡地で跪いて献花したこと。
>……
>言葉、行動、形。これらが揃っているドイツが、お詫びしていない、と責められることはない。
パックン(パトリック・ハーラン)という奴は、無知丸出し、馬鹿丸出しだ!
ドイツは、戦後、戦争について、謝罪せず、講和も締結せず、賠償もしていない。
一方、日本は、戦後、多くの周辺諸国に謝罪し、全ての周辺諸国と和解している。(その後、特アは和解を覆す)
韓国の朴槿恵大統領は2014年3月25日付のドイツ紙、フランクフルター・アルゲマイネ紙が掲載したインタビューで、ドイツが戦後、周辺国に謝罪し和解した歩みを「日本も参考にして学ぶべきだ」と述べた。
パックンも朴槿恵も、事実誤認が甚だしい!
まず、ドイツは、周辺諸国と戦後の講和さえ締結していないため、賠償などの戦後処理を殆ど行っておらず、今でもチェコやギリシャから賠償請求をされている。
次に、ドイツは、ナチスのホロコーストについては謝罪をしたが、戦争については謝罪をしていない。
西ドイツのブラント元首相は1970年12月7日、ポーランドの「ワルシャワ・ゲットー」(ユダヤ人慰霊塔)で跪き、ヒトラーを要したナチスがなした犯罪については謝罪したが、戦争については謝罪しなかった。
ドイツは、ヒトラー率いたナチスドイツとその他である自分たちを同一視していていないこともあり、ドイツの行った戦争については未だに謝罪したことはない。
ブラント元首相は、ポーランドからの帰国後に、「戦後ドイツ人をドイツ領からの追放したという不正はいかなる理由があろうとも正当化されることはない」とテレビで演説し、ポーランド側の加害行為を批判している。
一方、日本は、1952年の「サンフランシスコ講和条約」などで周辺諸国と戦後の講和を締結し、賠償などの戦後処理を行っている。
また、日本は、慰安婦(荒稼ぎした戦時売春婦)についても、「河野談話」などで全く必要のない謝罪を繰り返している。
さらに、日本は、戦争についても「村山談話」などで不必要な謝罪を何度もしている。
つまり、ドイツは、周辺諸国と未だに講和も締結しておらず、賠償などの戦後処理も行っておらず、今でもチェコやギリシャから賠償請求をされており、戦争について未だに謝罪をしていないが、一方の日本は、既に周辺諸国と講和を締結し、賠償などの戦後処理も行い、戦争についても慰安婦についても全く必要のない謝罪を繰り返している。
李明博前大統領も2008年11月に、「ブラント首相の謝罪は、すべてのポーランド人、ヨーロッパ人、ないしは全世界の人々の心を深く動かし、ヨーロッパ各国のパートナー関係の転機となった。」と述べたが、勿論これも李明博の作り話(妄想)だ。
ドイツは、戦争について謝罪せず、講和せず、賠償せずに賠償請求をされている。
朴槿恵をはじめとする韓国人やパックンなどは、全く歴史事実を知らず、正しい歴史認識を持たず、馬鹿丸出しだ。
西ドイツのブラント元首相は1970年12月7日、ポーランドの「ワルシャワ・ゲットー」(ユダヤ人慰霊塔)で跪き、ナチスの犯罪については謝罪したが、戦争については謝罪せず、逆に戦後ポーランドによるドイツ領からのドイツ人追放を批判した。
ドイツは、戦争について謝罪せず、講和も締結せず、賠償もせずチェコやギリシャから賠償請求されている。
>僕がいつもびっくりすることだけど、日本の皆さんは、戦国時代にはとても詳しいのに70~100年前のことをあまり知らない方が多い。例えば、一番基礎的な質問:第2次大戦で日本の方は何人ぐらい亡くなっているのか。(もちろんこのコラムの読者は天才だから知っているはずだけど)答えられる方は以外と少ない。
>正解は談話にも出た、300万人だ。では、中国ではどれぐらい亡くなっているでしょうか? これが答えられる人はほんの一握りでしょう。正解は1000万~2000万人。歴
史家によって計算法が違ったりするが、一番少ない数字でも日本の3倍以上にあたる。
パックン(パトリック・ハーラン)という奴は、正真正銘のアホで、無知丸出しの救いようのない大馬鹿だ!
支那における戦争犠牲者数は、終戦直後、支那国民党もGHQ(アメリカ)も132万人と発表している。
パックンの祖国アメリカが中心のGHQも支那国民党も、終戦直後に発表した数字なのだから、この数字が最も正しいと認定するべきだ。
パックンが正解だと主張した【1000万~2000万人】というのは、マトモな根拠のない出鱈目な数字だ。
▼支那人犠牲者数増加の歴史まとめ▼
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発表年 犠牲者数 調査・出典
終戦時 132万人 GHQ調査・発表
終戦時 132万人 国民党調査・発表
1948年 438万人 国民党政府報告書
1950年代 1000万人 共産党政権発表
1970年 1800万人 共産党政権発表
1985年 2100万人 共産党政権発表(抗日勝利40周年)以後公式数字に
1995年 死傷者3500万人 (抗日戦争記念館)
1997年 死者 3500万人 (抗日戦争記念館改修後)死傷者数を死者数に変換
1998年 3500万人 江沢民発表(来日時の演説)以後公式数字に
2005年 5000万人 卞修躍博士発表(抗日勝利60周年)
―――――
支那事変では一般民衆にも多くの犠牲者が出たが、それは日本軍の殺害によるものではなく、支那軍の殺害によるものだった。
むしろ、日本軍は、支那軍が殺していた支那民衆を救出することが多かった!
例えば1938年6月、開封が日本軍に占領されると、支那軍は日本軍の追撃を断ち、日本軍を水攻めにするため黄河や揚子江の堤防を決壊させ、河南省だけの少ない見積もりでも32万人、記録によれば89万人とも100万人とも言わる支那民衆を大量に殺害した。
ところが、支那は、この犯行を「日本軍がやった」と嘘報道した。
支那軍は自ら堤防を破壊しながら、それを日本軍がしたと逆宣伝したのだ。
1938年6月16日
16日付東京朝日新聞夕刊
【上海特電十五日発】
上海軍当局談
「支那側は目下しきりに黄河堤防決壊は日本軍の所為なりと宣伝に努めつつあるが、決壊地点と称される京水鎮には、まだ、日本軍は進出しておらず…」
事実は、この時、日本軍は濁流に飲まれる支那住民を救っていた。
6月23日同盟ニュースには、ボートで救助作業をしている日本軍の写真があった(冒頭に掲載)。
國史図書刊行会編『支那事変』にも、その時の写真が掲載されている。
濁流に車馬を渡す須磨部隊(第10師団工兵第10連隊)。中下は洪水によって浸水した農村地帯
わが軍の慈愛の手に救はれた黄河氾濫の被害民の群れ
支那事変画報 第33号(毎日新聞 1938年7月11日)
更に支那軍は9月23日にも武穴鎮の下流で揚子江を決壊させた。
支那軍は、自分たちが安全に逃げる、ただそれだけのために、夥しい数の支那人民の生命と財産を犠牲にし、お人好しの日本軍に支那住民を救助させた。
1938年10月21日
日本軍は広東に突入したが、支那軍は街に火を放って退却した。
國史図書刊行会篇の『支那事変』の254頁には、市街はもうもうと上がる黒煙と炎で包まれ、これを、珠江の対岸から見ている日本兵の姿が写っている。
また、255頁には、逃げ遅れた老婆を背負って避難地まで運んでいる日本兵の姿も写っている。
写真は広東で支那軍による放火で「逃げ遅れた老婆を避難地まで背負う日本軍兵士」
写真集『支那事変』国書刊行会P255
11月13日
支那軍は日本軍が長沙に迫っているとの噂を信じ、長沙の街を略奪・放火した。
火は二日間燃え続けたが、日本軍が来なかったため、日本軍に犯罪を転嫁出来なかった。
仕方なく、蒋介石は警備や公安の責任者を銃殺刑に処した。
1938年11月13日、長沙市焼き払い(長沙大火Changsha fire)
以上のように、支那軍は1937年の支那事変勃発から1945年8月の終戦まで同じようなことを繰り返して支那民衆を殺しまくった。
支那軍による徴発、略奪、徴兵等は苛酷を極め、支那軍と支那人民との間で殺し合いが頻繁に起こった。
支那民衆を大量に殺害した犯人が日本軍ではなく支那軍だったことは、ルシアン・ビアンコ著『中国革命の起源』や郭沫若自伝『抗日戦回想録』や劉震雲著『温故一九四二』などにも明確に述べられている。
私はうけ合ってもいい、抗戦八年のあいだにこうしてふみにじられた同胞、いわゆる壮丁から弱丁になり、弱丁から病丁になり、病丁から死丁になって行った同胞の数は、戦死したもの、日本軍に殺されたものにくらべて、最低百倍は超えているに違いない。
『抗日戦回想録』郭沫若自伝
そして、「歴史通増刊」【歴史を見ればこの国の正体がわかる】(2015/1/21)には、支那事変における「支那の悪逆暴虐と卑怯な逆宣伝」について詳しくまとめた私(coffee=佐々木益荒男)の投稿が掲載されている。
「歴史通増刊」【歴史を見ればこの国の正体がわかる雑誌】(2015/1/21)
■佐々木益荒男…反日宣伝を狙った支那軍の人民虐殺(P183-195)
>インドネシアでも日本と同じぐらいの300万人以上が死亡しているという。ベトナムでは100万~200万人。フィリピンでは50万人だ。
インドネシアもベトナムも犠牲者の原因は餓死であり、特にベトナムについては餓死の原因はパックンの祖国アメリカ軍による爆撃だ。
「ベトナムでは100万~200万人。」というのは、その大半が餓死者のことを言っていると推定されるが、それも事実誤認だ。
ベトナムで餓死者が大量に発生したのは、パックンの祖国アメリカがベトナム南部の穀倉地帯へつながる鉄道を爆撃したことが最大の原因だった!
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高山正之帝京大学教授が産経新聞の編集委員時代、ハノイの革命博物館を訪れた際、案内のハノイ人民幹部に
「日本軍がベトナムを支配したのは昭和20年3月、クーデターを起こして仏植民軍を追っ払ってから終戦までの5ヶ月間。どうすればそんな短期間に二百万人を餓死させられたのか」
と訊ねたそうだ。
それに対してハノイ人民幹部はあっさり「政治宣伝だった」と認めたそうだ。
そして
「あの当時、ハノイ大洪水と干魃に交互に見舞われ、多くの餓死者が出た。それを時期的に合うので日本軍と結び付けた。ただ、南の穀倉地帯との鉄道が連合国軍の爆撃で途絶えがちだったことも確かで、だから日本にも五十万、いや五万ぐらいの責任はあったはずだ。」
―――――
以上、田辺敏雄著『検証 旧日本軍の「悪行」』(自由社)より引用。
なお言うまでもないことだが、「五万ぐらいの責任」も当然日本にはない。
それは爆撃をしたアメリカなどの連合国の責任だ。
パックンは、上記8月31日付け「Newsweek」のコラムのうち、何カ所かについて、読者から間違いを指摘されて、先日9月24日付け「Newsweek」のコラムで【世界の見解が間違っていたとしても日本の皆さんはそれを知るべきではないか】という論調に軌道修正した。
そして、第二次世界大戦における支那人犠牲者数については、複数のインチキ学者の主張を根拠として今もなお【1000万人~2000万人】という荒唐無稽な数字について、【世界で受け止められ、「常識」として捉えられている数字】と言い張って訂正しようとはしていない!
http://www.newsweekjapan.jp/pakkun/2015/09/post-5_1.php
アメリカ人だからか、語りきれなかったみたい
2015年09月24日(木)18時00分
(一部抜粋)
■1) 死亡者数に関して:僕が中国の誇張を鵜呑みにしている
「中国が大げさに述べている」という主張はよく聞くよね。僕は歴史学者ではないので、その可能性を頭に入れつつ、いくつか信頼性の高いソースの数字を調べた上でコラムを書いた。下にリンクを張っておくので確認いただけたらと思うが、結論からいうと、各国の学者のデータかれ見ればコラムで紹介した数字は極めて平均的。もちろん、中国が世界の歴史学者や政府をだましきっている可能性はある。しかし、そうであっても、世界で受け止められ、「常識」として捉えられている数字がどのようなものかを「知識」として持っておいた方がいいのではないか。
また、当時の国名や政府が違ったことも、飢餓や内戦も含めた死亡者数になっていることも当然わかっている。それらの書き方はグローバルスタンダードに沿っている。
上述したとおり、終戦直後は支那国民党もGHQも132万人と発表していた上、支那民間人の犠牲者は99%以上が日本軍ではなく、支那軍によって殺害された事実をパックは知るべきだ。
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