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反安保の急先鋒となったあの憲法学者の「いかがわしさ」を明かそう ~わずか2年前は「解釈改憲論者」。だから彼らを信用できない!

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反安保の急先鋒となったあの憲法学者の
「いかがわしさ」を明かそう
わずか2年前は「解釈改憲論者」
だから彼らを信用できない!

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ほんの2年前まで、「解釈変更容認論者」だった!

安全保障関連法案(現在は可決成立)をめぐる議論について、先週のコラム(http://gendai.ismedia.jp/articles/premium01/45392)で「野党や反対派は反省せよ」と書いたら、予想以上の反響をいただいた。多くは私の意見に賛成だった。今回はその続きを書こう。
いただいた反響のツイッターを見ていたら、たまたま日本報道検証機構代表で弁護士でもある楊井人文(やないひとふみ)氏が執筆した記事(http://bylines.news.yahoo.co.jp/yanaihitofumi/20150923-00049770/)を見つけた。記事は慶応義塾大学の小林節・名誉教授の言説に言及している。
小林教授は安保関連法案に反対した代表的な憲法学者として著名である。反対派が法案違憲論で盛り上がったのは、反対派の一人として小林教授が国会で意見陳述したのも大いに寄与している。
ところが、楊井氏の記事を読んでびっくりした。小林教授は、ほんの2年前まで集団的自衛権についてバリバリの解釈変更容認論者だったのだ。これは単に私が知らなかっただけで、ネットの世界ではとっくに知られていた事実でもあった。
「お前はそんなことも知らなかったのか」と言われそうだが、正直に言おう。私は安保関連法をめぐる議論が、問題の核心に迫っていなくて本当につまらないと思っていたから、小林教授の言動にもほとんど関心を払っていなかった。
だいたい野党や反対派が何を言っていたか、過去の発言を詮索するようなことは、私の仕事のスタイルではない。だが、事は重要だし、私のように知らなかった読者もいるだろうから、今回ばかりは書いておこう。

まさに安倍政権が想定したケース

まず2006年11月11日の産経新聞「正論」欄で、教授は次のように書いていた。
「法令解釈というものは、解釈権を有する者(この場合は政府)が、その責任において、条文の文言とその立法趣旨の許容限度内で行う『選択』である以上、時代状況の変化の中で、説得力のある理由が明示される限り、変更されてよいものであるし、これまでもそうであった」
「だから世界史の現実と東アジアの情勢の中で、わが国の存続と安全にとって日米同盟の強化が不可欠である、と政府が考えるならば、その責任において、上述の2例のような場合に、仮にわが国に対する直接的な攻撃がなかったとしても、それをわが国が座視すれば日米同盟が損なわれることが明白である以上、仮に形式上は集団的自衛活動になろうとも、わが国の存続に『不可欠』な軍事行動は、それを許容する憲法9条に違反するものではあるまい」(http://sakura4987.exblog.jp/4527878/
ここで「上述の2例」とは「公海上でわが国の自衛艦と並走している米国の艦艇が他国から攻撃された場合に、自衛艦が米艦を支援したら、それは集団的自衛権になってしまう」というケースと、「わが国の上空を飛んで米国に向かう他国のミサイルをわが国が撃ち落としたとしたら、それも集団的自衛になってしまう」というケースだ。
まさに安倍政権が想定したケースである。
小林教授はそういう場合に「政府が法令解釈を変更してもいいし、これまでもそうだった」と主張し、かつ「政府が不可欠と考えれば、集団的自衛権に基づく軍事行動も9条に違反しない」とも言っている。小林教授が国会やマスコミで展開してきた反対論とは、まったく正反対なのだ。
賛成派の立場からみれば、まったくその通り、お説ごもっともとしか言いようがない。
これは9年前のコラムだったが、つい2年前の13年7月26日に公開されたダイヤモンド・オンラインのインタビュー記事(http://diamond.jp/articles/-/39334?page=9)でも、次のように主張している。「集団的自衛権の考え方については、どうですか」との質問に教授はこう答えた。
「先にも述べた通り、政府は自国の自衛権の存在を認めています。そうなると、自衛権を持つ独立主権国家が『個別的自衛権』と『集団的自衛権』の両方を持っていると考えるのは、国際法の常識です」
「政府は憲法の立法趣旨に照らして、集団的自衛権を自らの解釈で自制していますが、このままだと日本は、他国に攻められたときに自分たちだけで自衛しなくてはいけません。
しかし、『襲われたら同盟国が報復にゆく』というメッセージを打ち出せる集団的自衛権は、他国の侵略を牽制する意味においてもメリットがあります。だから、改めて『日本は集団的自衛権を持っている』と解釈を変更するべきでしょう」
ここでは明確に「憲法解釈を変更すべきだ」と主張している。インタビューはやや長文だが、確認したい方はぜひ原文を参照してほしい。

これなら素人のほうが健全!

インタビューには後日談もある。14年5月26日の参院憲法審査会で和田政宗参院議員(当時、みんなの党)が「最近では、先生は安倍政権が目指している憲法の解釈改憲は大変、危険だと述べている」と発言の変化を指摘したうえで、あらためて集団的自衛権についてどう考えているのか、真意を質した。(https://www.youtube.com/watch?v=VqtRN8TEu7M&feature=youtu.be&t=9m30s
すると小林教授は、
「いまのネットの記事、私が言ったとは、インタビューを受けたんですが、とうてい信じられない。確認のうえ削除します。もちろん私も人間ですから、議論の中で過去35年、変わってきたので、縦で見れば、私の発言に矛盾はありうると思います。宗教じゃないですからね。日々、議論の中で私は変わってきていると思います」
と述べて、堂々と否定したのだ。
9年前に本人が執筆した記事と合わせて考えれば、小林教授はもともと「集団的自衛権は許容できるし、政府は解釈を変更すべきだ」と考えていたとみて間違いない。それが、いつからか知らないが(2年程度の間に)、180度正反対の論者になったのだ。
ついでに言えば、教授は国会でインタビュー記事を「確認して削除する」と発言しているが、現在も削除されていない。「正論」コラムも国会の録画も同様だ。それはそうだ。本人が意見を変えるのは自由だが、だからといって新聞や雑誌の記事、国会の証言録を後から削除できるわけがない。
そんなことをすれば、自由で独立したジャーナリズムと国会の自殺行為である。明白な間違いでもあるなら別だが、記事は新聞や雑誌のものだ。もしも間違った考えを言ったなら、責任は教授自身にある。教授はそんな言論や報道の自由について、いったいどう考えているのだろうか。まるでお分かりになっていないのではないか。
私は小林教授とテレビの『朝まで生テレビ!』で何度かご一緒したことがある。あるときは教授が私に「もっと勉強してから出てこい」という趣旨のご発言をされたので、私は「『素人』の代表として、このスタジオに座っている。勉強してから出てこいなどと言われたら発言できない」と反論した。
その考えはいまも変わらない。ジャーナリストが専門知識を学んでいるにこしたことはないが、けっして専門家そのものではない。ときどき「専門家もどき」のような顔をして得意になっている記者もいるが、大きな勘違いだ。ジャーナリストはいわば「素人のプロ」「どこまでも素人であることの専門家」というのが私の立ち位置である。
それはともかく、私は小林教授の物言いに何とも言えない「上から目線」を感じたものだ。そんな専門家である小林教授はたった2年で考え方を180度変えて、国会やマスコミで平然と発言できる学者だったのだ。これだから、私は「専門家なる人々」を心の底から信用できない。素人のほうがよほど健全である。

「なかったことにする」つもりですか?

かつて賛成していながら反対に意見を変えたのは、小林教授だけではない。実は民主党の岡田克也代表もそうだ。それは国会論議であきらかになった。
自民党の佐藤正久参院議員は9月14日の参院平和安全法制特別委員会で、岡田代表が「いまの憲法はすべての集団的自衛権を認めていないとは言い切っておらず、集団的自衛権の中身を具体的に考えることで十分、整合性を持って説明できる」と03年5月の読売新聞上で発言していたことを指摘した。
さらに、自民党の平沢勝栄衆院議員は、15年6月22日の衆院平和安全法制特別委員会で、参考人の西修駒沢大学名誉教授に対する質疑を通じて、枝野幹事長が13年10月号の文藝春秋誌上で「個別的自衛権か集団的自衛権かという二元論で語ること自体がおかしな話です。そんな議論を行っているのは日本の政治や学者くらいでしょう」と書いていることをあきらかにした。
枝野幹事長はカタログハウスのサイトで「私はこう考える」と題して、こう説明している(https://www.cataloghouse.co.jp/yomimono/140104/index1.html)。
「日本近海の公海上で、日本を守るために展開している米海軍が攻撃された時に助けに行けるのかについて、他国の軍隊が公海上で攻撃されたという面で捉えれば、行使が認められていない集団的自衛権のように見えます。
でも、わが国を防衛するために展開している艦船だという点に着目すれば、日米安保条約に基づいて自衛隊と同じ任務を負っているのだから、個別的自衛権として行使することができます」
これはまさに、小林教授が2年前のインタビューで「集団的自衛権になってしまう」としたケースである。枝野幹事長と小林教授はいま反対の立場で共通しているが、実は小林教授が「枝野解釈」を否定していたのだ。
小林教授と岡田代表に共通しているのは、程度の差こそあれ、集団的自衛権について当初は容認していた姿勢を後になって修正し、否定する。ところが「転向」を外に向けて説明しない点である。
意見を変えてはいけないとは言わないが、少なくとも小林教授や岡田代表はなぜ変えたのか、本人が説明すべきではないか。私はこれほど重要な問題で、小林教授のように正反対に意見を変えておきながら「私が言ったとはとうてい信じられない」と国会で居直る姿勢には、それこそ信じられない思いがする。
発言自体を「なかったことにする」姿勢は政治やジャーナリズムの世界だったら、完全にアウトだ。学者の世界ではそれが通用するのだろうか。そんな学者のいかがわしさを明白な証拠をもって世間に示したのは、間違いなく小林教授の功績である。



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