仕掛けられた「日中戦争」── 盧溝橋事件の真実
昭和12(1937)年7月7日夜半、北京の南を流れる盧溝河に架かる橋 ── 盧溝橋を舞台に「日中戦争」(支那事変・日華事変)が勃発しました。
当時、盧溝橋の近くで、現地に駐屯していた日本軍は夜間演習を行っていたのですが、不意に暗闇から銃撃を受けました。
日本軍駐屯地の近くには、支那・国民党軍(蒋介石軍)も駐屯していたのですが、銃撃を受けた日本軍は、その銃撃が国民党軍によるものと思いこみ、遂に日本軍と国民党軍の武力衝突 ── いわゆる「盧溝橋事件」が起こったのです。
そして、この事件を契機として、日本は広大な支那大陸を舞台に、昭和20(1945)年8月15日の終戦迄、「日中戦争」と呼ばれる終わる事の無い戦争の泥沼へと引きずり込まれていったのです。
戦後半世紀を経た現在でも、支那が事ある毎に「日本軍国主義」の歴史的事実として引っ張り出す「日中戦争」。そして、その発端となった「盧溝橋事件」が、実は支那側によって仕掛けられたものだったと言ったら、皆さんはどう思われるでしょうか? と言う訳で、今回は、「日中戦争」の発端となった「盧溝橋事件」について書いてみたいと思います。
盧溝橋事件。結論から言えば、「日中戦争」の発端となったこの事件は、決して日本軍が仕掛けたものではありません。日本軍が最初に銃撃を受けた際 ── つまり演習をしていた際、日本軍は「丸腰」(演習の為、実弾を携行していなかった)だったのです。
ですから、橋本群・陸軍中将(駐屯軍参謀長)も当時の状況を、「実弾を持たずに発砲された為、応戦出来ず、非常に危険な状況に置かれた」と証言しています。それは、そうでしょう。「丸腰」の所を銃撃 ── しかも、暗闇からの銃撃を受けたのですから、堪ったものではありませんでした。
しかし、支那現政権は日本軍が先制攻撃したと言い、村山富市・元首相も当地を訪れた際、「盧溝橋で往事を反省してきた」等と寝惚(ねぼ)けた発言をしています。その様な事は到底あり得ないのです。考えても見て下さい。
「丸腰」で演習していた日本軍が「銃撃を受けた」と称して、自ら好きこのんで「武装」しているであろう国民党軍と事を構えたでしょうか? これこそ「暴論」と言うものです。
それでは、盧溝橋で先に銃撃したのは、国民党軍だったのか? 実は事件当時、当の国民党軍も、日本軍同様、銃撃を受けているのです。
盧溝橋で銃撃を受けた日本軍は国民党軍によるものと思い込みましたが、反対に、国民党軍は日本軍によって銃撃を受けたものと思い込んだ訳です。
この事件が発端となって、日本軍と国民党軍は交戦状態に突入したのですが、双方共、腑に落ちない点があり、現地解決・事件不拡大方針で交渉、事件発生後5日目に、日支両軍は停戦協定を結んだのです。
つまり、日本軍はこれ以上、事を荒立てたくは無い、と言った訳で、支那との全面戦争等、最初から欲してはいなかった訳です。
しかし、それでは、日本軍・国民党軍双方に「銃撃」を加え、双方を戦わせる様にし向けたのは、一体「何者」だったのでしょうか?
7月8日、つまり、「盧溝橋事件」発生の翌日、支那共産党は「対日全面抗戦」を呼び掛けているのです。これは、どう見ても、お膳立てが良すぎます。
まるで、「盧溝橋事件」が起きる事を知っていたかの様な手際の良さです。と言うよりも、間違いなく共産党は、事件が起きる事を知っていました。
それは、何故か? 実は、「盧溝橋事件」は何を隠そう、共産党による「謀略」だったからです。
つまり、共産党の工作員が夜陰に乗じて、盧溝橋付近に駐屯していた日本軍・国民党軍双方に発砲し、両軍が交戦する様にし向けたのです。その証拠に、共産党軍の兵士向けのパンフレットには、
「盧溝橋事件は我が優秀なる劉少奇同志(後の国家主席)の指示によって行われたものである」
とはっきりと記述されていました。
又、昭和24(1949)年10月1日、「中華人民共和国」成立のその日、周恩来首相も、
「あの時(盧溝橋事件の際)、我々の軍隊(共産党軍)が、日本軍・国民党軍双方に、(夜陰に乗じて)発砲し、日華両軍の相互不信を煽って停戦協定を妨害し、我々(共産党)に今日の栄光をもたらしたのだ」
と発言しています。
共産党自らが「自白」しているのですから、これ以上の証拠はありません。
「盧溝橋事件」は、共産党による「謀略」だった。
当時、国民党に対して劣勢だった共産党は、「起死回生」を図る為、日本軍・国民党軍双方を戦わせて疲弊させ、「漁夫の利」(つまりは、支那全土の支配権)を得ようと考えたのです。
結果的に狙いは的中し、日本はその後、8年間の長期にわたって、広大な支那大陸を舞台に「日中戦争」を戦わされる羽目になりました。
更に、その後、共産党は国共内戦で国民党に勝利し、遂に支那全土の支配権を獲得、「中華人民共和国」を建国(1949年)したのです。
その意味においては、「盧溝橋事件」とは、
日本軍が共産党軍(支那)に「填(は)められた」訳で、
「日中戦争」とは、日本が支那に「仕掛けられた」戦争だった訳です。
余談(つれづれ)
江沢民(支那国家主席)は事ある毎に、日本の「過去の戦争責任」・「正しい歴史認識」等と称しては、「日中戦争」によって「中国を侵略」した日本を糾弾し、「反省とお詫び」を要求しますが、そもそも、「日中戦争」の発端となった「盧溝橋事件」は、
共産党軍が日本軍に仕掛けた訳で、
「正しい歴史認識」と言うのであれば、
先ず、「盧溝橋事件」における共産党軍の
姑息な謀略行為を公式の場で認め、
夜陰に乗じて日本軍に対して銃撃・挑発した事を
「謝罪」すべきです。
そして、「日中戦争」と言う両国の間に横たわる
「不幸な過去」を招いた責任を自己批判すべきでは無いでしょうか?