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【韓国】日帝の植民都市に転落したソウル、農村の貧農が流入し社会問題に… ← 人口増加して、土地ももらえて収穫量も増え、都市に仕事が増えたって、どんな植民地だ

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日帝の植民都市に転落したソウル
農村の貧農が流入し社会問題に

人口増加して、土地ももらえて収穫量も増え、
都市に仕事が増えたって、どんな植民地だ

 京城が植民都市に転落して政治行政業務に従事した朝鮮人らは生活の糧を喪失し、彼らの多くが京城を離れた。また、1910年代、日帝の強圧的武断統治を避けて満州や中国に移住した朝鮮人も多かった。京城に居住した朝鮮人が京城を離れたのに、京城の総人口は1910年の強制合併から1910年代末まで概略25万人を維持しながら大きな変化はなかった。朝鮮人が京城を抜けた場所を日本人たちが満たしたからだ。
1914年から1920年のわずか6年間、日本人は5万9000人から6万5000人と10%以上増えた。

しかし、人口が停滞した1910年代を過ぎて1920年になると京城は新しい変化を受ける。以前と違った次元の産業化と都市化を経験することになったのだ。

京城、10年間で4.5倍に成長1920年、会社令が撤廃され、会社設立が許可制から申告制に変わり、
京城に各種の会社と工場が設立され始めたが、もちろん日本人たちが建設した会社と工場が圧倒的に多かった。

1920年、わずか200余りに過ぎなかった会社の数は

1930年に900余りに達し、10年間で何と4.5倍の成長を達成した。




この成長気流の中で明らかになった最も大きな特徴は消費都市、京城が生産都市に変化し始めたということだ。1928年<朝鮮日報>記事は京城が「消費都市から生産都市に一変」とし、「十数年前と比べれば6倍に増えた」と明らかにしている。

「日本人が経営する工場は大活気を呼び起こし、昨今両年には大資本が入ってきて市内工業地帯をのぞき広く市外まで工業地帯に変わり、京城の将来は我々に関係ない生産的都市になるだろうという。」
(前略)日帝強制合併の結果、京城は植民都市に転落し首都の地位を失った。さらに日帝は朝鮮の首都であった京城の地位を引き降ろそうと1914年、行政区域を改編し、この措置によって京城の範囲は大きく縮小される。 

 

事業体の増加は自然に多くの労働力を必要としたが、これは地方で日帝に土地を奪われた階層が工場の入った都市に移住して充当された。1918年、土地調査事業が完了して産米増産計画が始まり、朝鮮の農民層は土地を奪われて経済的に没落し、彼らは自分たちの労働力で仕事が出来る工場のある都市に移住した。京城が産業都市という特徴を帯び始めながら自然に労働力が必要になり、農村の貧農らが京城に駆せ参じることになったのだ。

それでも京城に集まった貧農らみなが仕事を見つけられる状況ではなかったので、都市居住貧民(乞食)は大きな社会問題になった。「近日、ソウル市内には乞食が多く増加し、今後もより一層増加する勢いだが、これは農村が困窮して田舎で生きられない人が上京したことが理由だ。」

ただ没落した低所得農民層だけ京城に駆せ参じたのではない。1919年、3.1運動以後、実力養成に対する社会意識が高まる中、1924年、京城帝国大学の設立に象徴される高等教育機会の提供は地方富裕層にとって京城を魅力的な住居地とした。ここに保健医療体系の改善で死亡率が減少し出生率が増加して自然増加率も上昇した。これによって京城の人口は25万人(1920年)から35万人(1930年)と10年間に40%急増し、
わずか15年後の1935年、人口は1920年比で60%増加した40万人に達することになる。

京城、ヨーロッパと同じ問題発生したが被害は朝鮮人に集中
1920年代、京城が産業都市に変化する過程に現れた特徴は19世紀ヨーロッパ都市が産業都市に変化する過程と非常に似ている。産業革命を体験しながらヨーロッパ都市内部には数多くの工場が設立され、この工場は多くの労働力を必要とした。そして、この労働力はたいてい農村地域の没落した貧農らの移住で充当された。

これによって中世時代の姿を大事に保管していたこれらの都市は途方もない人口(労働力)流入で新しい問題に直面する。人々が過密になり都市内部の衛生問題が現れることになったし、過密な人口による深刻な住宅不足問題が発生し、都市貧民が量産された。1920年代、産業都市の京城はヨーロッパ都市の産業化過程で明らかになった問題点とそっくり同じに見えた。だが、この問題は被植民階層の朝鮮人に集中した。

「現在の京城の最も切迫した重大問題の一つは京城浮民の住宅問題だ。(…)京城を訪ねる人が驚くのは京城浮民の大半が自分の家を持つことができず(…)日本人は21,034家に個人所有14,222家と官舎2,299家を合わせれば、16,521家で約5,200家が不足している反面、朝鮮人側は49,259家の230,732人が24,044家で暮らしている、…現在の倍以上の家が必要なことになり、朝鮮人側の住宅問題は日本人に比べて一層深刻な状態だ。」


▲「大京城面目の安住 三万戸が家賃細民、総戸数4万9千戸中:住宅難中の京城」
(<中外日報> 1929.11.8)

キム・ギョンミン、ソウル大教授

ソース:プレシアン(韓国語) 植民都市に転落した京城、人口は増えるが…
http://www.pressian.com/news/article.html?no=128987


韓国ネットユーザーの反応 「日本の支配から解放された直後のソウルの姿を見てみよう」 日帝支配の影響を写真比較 
http://blog.livedoor.jp/kaikaihanno/archives/45577482.html 

日帝・使用前 (日韓併合前のソウル市街) 
 
 
 
 
 
↓ 
日帝・使用後 (解放直後のソウル市街※この写真は必見)
わずか35年でこの成果!! 

 
 
 
 
 


【JBpress】データが如実に語る20万従軍慰安婦の嘘 経済発展・生活向上の恩恵には完全に目をつぶる国に信頼を置けるか[2014/10/15]
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1413308754/

日本・朝鮮・台湾の世代別人口減少率(1930~1940~1950年)




 こうした処理の結果、朝鮮人の人口減少数には不自然な特徴ある変動が全くなく、逆に日中戦争・大東亜戦争の期間中、
朝鮮人は実に平和な日々を送っていたのではないか?と推測できる。
 特に性奴隷の対象となる10-35歳の年齢層の女性は男性よりも減少数が少なく、その総減少数が約70~80万人である。
もし、20万人もが性奴隷として戦場に送られ、その多くが殺戮されたとすると、この年代層の女性人口減少率は
もっと多い特徴を示すはずであり、
韓国政府が主張する人的損害が有り得ないことになる。


日本の歳入歳出額。

朝鮮・台湾の歳入歳出額を示した。(日本と朝鮮・台湾の経済格差が大きいので表を2枚に分けて示した)

↑台湾割譲は1895年。日韓併合は1910年。日本がどれだけ朝鮮に投資し経済発展したかがよく分かるグラフ

↑鉄道の営業距離(朝鮮は併合前の1905年は未設(0Km)。台湾は1940年~1944年のデータが欠落)


1910年に大日本帝国が併合する、
その約4年前の朝鮮国見聞録。
土人そのものの暮らしをしていた事が分かる。
朝鮮人は「日帝に文化を奪われた」と言うが、
文化と呼べるような物は何一つ無く
百済人とは関係の無い、ツングース系エベンキの
穢(ワイ)族の子孫であった証拠でもある


■荒川五郎 衆議院議員の見たグックランド。
 そこには文明と呼べるような物は何一つ無いばかりか
 京城 (現在のソウル) ですら未開の土人や乞食のような朝鮮人がうろついており
 風呂に入る事すら知らず、自分の小便で顔を洗う事や大便を食べる事に驚いた様子を綴っている。


★【最近朝鮮事情 ~朝鮮の人々】 1906年5月25日発行  著者: 荒川五郎 衆議院議員

・朝鮮人は一体に男子は顔が長くて、気の長いのを表している。しかし女の顔は短いのが多いようだ。


 口元や顔の按排式は何処と無く無頓着のたちが見えて、実に衛生だの病気だの無頓着千万、そこになると悪く言うようだが人間よりか獣に近いと言ってもよいようである。

・道を歩くにもノソリノソリ牛が歩むように、又わけもなく道ばたの名も知れぬ草の芽など取って食っている。

 大きな棒でなぐられてもシイて痛そうにもせず、あちらに行け邪魔になると追いまくられてもブラリブラリ愚図ついている有様などは、牛に近いと言ってよい。

・朝鮮人の不潔と来たら随分ヒドイ。てんで清潔とか衛生とかいう考えは無いから、如何に不潔な家でも、如何に不潔な所でも一向に平気で、濁った水でも構わないどころか、小便や大便の汁が交じっていても、更に頓着せずにこれを飲む。実に味噌も糞も朝鮮人には一所である。

・更に驚くべく信じがたい程であるのは、朝鮮人は小便で顔を洗い、気目がよくなると言うている。
 又小便は腎虚や肺結核や解熱等に有効だと言ってこれを用い、又強壮剤だと言って無病のものでも飲んでいる。いよいよ病気が重くて生きられまいという時は、 大便を食べさすというとも聞いている。何と驚かしいことでは無いか。

・塵やゴミがばらけてようが、物が腐って臭かろうが、食い物には蠅がたかって汚しても、 更に何とも思わないで、年中風呂に入るの、湯を使うのいうことは無い。

・小便壺は大抵室の中に置いてあって、大人でも子供でも、客の前であろうが、誰が居ても構わず
 ジャアジャアと小便する。又その小便器を口の側に持って寄せて唾を吐き込む。彼らは久しい慣習で、
 別に何とも思わぬらしいが、日本人の眼から見れば如何にも見苦しい、たまったもので無い。

・夏など穴のような家の中はもちろん蒸し暑いものであるから、たいていは家の外に露宿をする、
 その頭元には糞や小便が流れており、悪臭はふんぷんとして鼻をつく程でも、朝鮮人には感じが無いらしい。

【国立国会図書館、近代デジタルライブラリー】
http://kindai.ndl.go.jp/BIImgFrame.php?JP_NUM=40010268&VOL_NUM=00000&KOMA=55&ITYPE=0



真実の歴史・韓国が絶対に見せたくない動画!!



武田鉄矢。教科書で教わらなかった韓国中国の歴史①  


ついに韓国人の本性が現れた!!! 【武田鉄矢】三枚おろし

【日本統治前の朝鮮】
1895年 ソウル






【日本統治後の朝鮮】
ソウル






なわけねえよwww


作家・評論家 黄 文雄(氏)

人民共和国の法律の約80%は日本のものを真似ている。



モンゴル史家・学術博士 宮脇順子(氏)

中国は、江戸末期から近代言語がないので、辛亥革命の時、日本を見習って、中国を近代化しようとした。辛亥革命を起こした中国人は、日本留学組で、(耳で聞いて分かる)共通語がなかったので、日本語で連絡をした。日清・日露戦争から後は、日本の明治時代の教科書を全部、中国は日本から輸入した。なので、現代中国語というのは日本語に非常に近い。古典中国語と全然違う。 問題は、日本を見習って日本のような国をつくろうとしたが、天照おおみ神に対して皇帝の子孫、大和民族に対して中華民族でなければならないとした。 日本人は、とても言葉が統一されていて、非常に均質がとれていてまとまりが大変強い、それで日本のように成功するんだったら、
中国も一つの言葉でみんなで一体になってまとまれば、という強迫観念があった。

評論家 石平(氏)
それが漢民族にだけの適用だったらよかったが、(他の55民族にも適用しようとして誤った)中国人の「大中華意識」の中では国家とはヤクザの集合体みたいなもので、漢民族を親分とし、その他の弱小民族を征服して縄張りを拡張する。これが四千年も続いてきたのである。

蒙古族が中国全土を占領して大帝国を作っても、彼らは蒙古族が一時的に中国で元帝国を作り、蒙古族が親分になっただけであり、満州族が中国大陸を制覇して清朝を作っても満州族が親分になっただけであると言う。

このような言い訳が「大中華」のウソとして「中国の歴史」に組み込まれる。

中国は一つしかない、万世一系である、といったウソを平気で中国の歴史に書いてしまう。中国は一つの国ではない、四千年も続いている乱世である。


271<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん@\(^o^)/ :2015/08/20(木) 16:02:56.99 ID: YCA4a4jz.net
■李栄薫・ソウル大学教授:「私たちが植民地時代について知っている韓国人の集団的記憶は多くの場合、作られたもので、教育されたものだ」

「私が植民地時代のイメージを修正するようになった個人的動機は、1990年、日本の『土地調査事業共同研究』 のために全国を巡回し、土地台帳など原資料を収拾したことだった。

慶南・金海市地域には、大量に原資料が残っていた。それらの資料を参考を検証して、教科書とは余りにも異なる内容に驚いた。

『土地申告をやらせて、無知な農民たちの未申告地を容赦なく奪った』と教科書の記述にはあるが、

実際はまるで異なり、未申告地が発生しないよう綿密な行政指導をしており、

土地搾取が発生することがないよう、
繰り返し、指導と啓蒙を進めていた。



農民たちも自身の土地が測量され、地籍簿に記載されたのを見て喜び、積極的に協力した。その結果、墓や雑種地を中心に0.05%程度の未申告地が残ったに過ぎない。

それを知った時、私が持っていた植民地朝鮮のイメージは、架空の創作物に過ぎないものであったことを自覚した」


ところで李栄薫教授は、『大韓民国の話』の中で、「“土地調査事業により全国土の40%が日本のものになった”“食糧の半分を日本に強制的に持ち去った”というのは、何ら根拠のない話」と主張している。

- 日帝が土地調査事業で土地を収奪し、食糧を強制的に奪ったというのは事実ではないのか。 

「1982 年、金海郡庁で土地調査事業当時に作成された文書が大量に発見された。そこで、この資料を 活用した研究を行ったところ、総督府は国有地を巡る紛争を公正に扱っていたことが分かった。全国 484万町歩(1町歩は約0.99ヘクタール)の国有地のうち、12万7000町歩だけが国有地として残ったが、
 その大部分は朝鮮人農民らに有利な条件で払い下げられていた。食糧を日本に搬出したのも市場を
 通じた商行為に基づくものであり、強奪したわけではない」

- それならば、なぜ日帝が土地調査事業の過程で全国土の大部分を強奪したとされているのか。 

「韓国の学界には厳格なジャッジがいないためだ。先進社会では学界を支配する厳格な審査グループがあり、主張の妥当性について判定を下している。後進社会にはこうした審査を行うグループが存在し ないため、何が正しく何が間違っているのかについて、大衆はもちろん、研究者さえも知ることができない 状況に陥っている」




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