http://www.sankei.com/west/news/150808/wst1508080015-n1.html
「中韓の主張を子供に刷り込まないでほしい」長崎被爆の伝承妨げる“政治の語り部” 島原・有明中の校長に聞く
2015.8.8、産経新聞
有明中学校長の本田道隆氏
長崎は9日、70回目の「原爆の日」を迎える。被爆者は核兵器廃絶を願い、惨禍を伝える「語り部」活動を続けてきた人々もいる。だが、一部の語り部は韓国や中国が主張する旧日本軍の“加害”や、安全保障・原発に関する政治色の強い意見まで子供らに発信する。昨夏、こうした語り部の言動を制止した長崎県島原市の市立有明中学の本田道隆校長(59)に、公教育の現場における「語り部」活動について考えを聞いた。(九州総局、奥原慎平)
制止したことは事実です。語り部の末永浩さんは旧日本軍の加害行為を子供たちに示した。中国、韓国の一方的な主張に沿った内容です。こうした個人の考えを、成長段階の子供に刷り込まないでほしい。教育上、止めざるを得なかったのです。
末永さんは原爆投下直後の長崎市内の様子を語り終えると、突然、リュックサックからラミネートされた写真を4、5枚取り出したのです。韓国・ソウルにある西大門刑務所歴史館の展示物や、マレーシアで日本兵に銃剣で刺されたと主張する男性、中国遼寧省の平頂山殉難同胞遺骨館の展示物などでした。
末永さんはその写真を掲げて、こう語りました。
「マネキンの日本兵が、朝鮮の人を逆さまにつるして、焼きごてを当てています」「日本の兵士に銃剣で刺され、命をとりとめたという男性です。家族はみな日本軍に殺されました」「日本兵は平頂山の村人3千人を殺して、遺体をダイナマイトで爆破して埋めたんです。現在資料館になっていて、この頭蓋骨の写真には銃弾の痕が残っています」
被爆者の体験は非常に貴重なものだと考えています。しかし、話の内容は 被爆体験でもなんでもありませんでした。
こうした話を聞けば、発育段階にある生徒は「日本軍は悪かった」という感想を持つでしょう。さきの大戦中、自分たちの先人が、いかに悪かったかが、刷り込まれてしまうのです。
長崎県内の小・中学校は、長崎に原爆が投下された8月9日を登校日としています。その前から平和学習の場も設けます。
有明中学の場合、担当教員が平和学習の授業内容案を作成します。
当初、教員が示した内容には、日本軍の加害行為の学習として南京事件などが盛り込まれていました。客観的な事実が定まっていないので排除しました。また、語り部については、すでに末永さんに決まっているという話でした。
実は末永さんは、私と同じ元社会科の教員です。末永さんは日教組系の「長崎県教職員組合」の組合員でした。彼らは平和学習に非常に熱心で、かつ教育界での発言力も強いように感じています。
私は、末永さんに対して被爆体験だけを語ってもらうよう、担当教員を通じて事前に何度も念を押しました。しかし、話の内容は心配していた通りだった。
私は、末永さんを招いた立場の人間です。終了後に、制止した理由を説明しようと、末永さんと校長室で話す機会を設けました。
「(資料館の展示写真について)事実かどうかわからないじゃないですか」などと伝えましたが、末永さんは「すいません」を数十回繰り返すだけ。事情を聞こうとはしませんでした。
社会科の教員ならば、真偽のはっきりしない資料を持ち出すのはいけない行為だと分からないのでしょうか。1年が経った今になって、なぜ記者会見してまでこの問題を言うのでしょうか。
戦後70年がたちました。
いつまで韓国や中国に謝り続けるのか。謝り続ければアジアの人々と、日本の子供が未来志向の関係を築けるのでしょうか。フェアな外交ができるのでしょうか。私はそうは思いません。
こうした平和学習のあり方について、文部科学省も県も指針を持っていない。いわば中身に歯止めがない状況です。
各学校の平和担当者が起案し、学校長の責任で作成するのが一般的です。公教育としてふさわしくない内容が出てくるのも、ここに問題があるのかもしれません。
■原爆惨禍、かえって伝わらぬ
平和学習の場で、一部の語り部が被爆体験だけでなく、偏った政治思想・信条を伝えていた問題は、以前から公教育の現場で指摘されてきた。
平成18年1月。語り部を小・中学校などに紹介する長崎市の外郭団体「長崎平和推進協会」は「被爆体験講話では憲法改正や天皇の戦争責任などに触れずに、被爆体験を主に伝えるべきだ」とする指針をまとめ、所属する語り部に伝達した。
修学旅行で長崎を訪れた学校の一部から「被爆体験の話がほとんどなく、個人的な政治的意見ばかりだった」との指摘が上がったためだった。
(以下省略)
長崎被ばくの「語り部」と称して、被爆体験ではなく、日本軍に関する嘘出鱈目ばかりを言い触らす元日教組の反日詐欺師・末永浩
>末永さんは原爆投下直後の長崎市内の様子を語り終えると、突然、リュックサックからラミネートされた写真を4、5枚取り出したのです。韓国・ソウルにある西大門刑務所歴史館の展示物や、マレーシアで日本兵に銃剣で刺されたと主張する男性、中国遼寧省の平頂山殉難同胞遺骨館の展示物などでした。
> 末永さんはその写真を掲げて、こう語りました。
> 「マネキンの日本兵が、朝鮮の人を逆さまにつるして、焼きごてを当てています」「日本の兵士に銃剣で刺され、命をとりとめたという男性です。家族はみな日本軍に殺されました」「日本兵は平頂山の村人3千人を殺して、遺体をダイナマイトで爆破して埋めたんです。現在資料館になっていて、この頭蓋骨の写真には銃弾の痕が残っています」
自称「語り部」・反日詐欺師の末永浩が言っている内容は、全て嘘出鱈目だ!
まず、「韓国・ソウルにある西大門刑務所歴史館の展示物」について説明する。
日本統治時代の西大門刑務所では拷問も虐殺もなく、事実は、日本が李氏朝鮮で行われていた残虐な拷問や刑を廃止したのだ。
李氏朝鮮時代に行われていた残酷な拷問などについては、朝鮮を訪れた外国人が様々な記録を残している。
取り調べ、監獄について
(詳細省略・一部抜粋)
「許されている拷問が、未だ数多く残っている。次に主要なものを挙げてみよう。
1.棍杖(長さ1.6-2メートル、幅20センチ、太さ4.5センチ位の棍杖で殴る)
2.平棒、笞、棒杖
3.骨の脱臼と屈折(3種類ある。その内の1例は、両膝と両足の親指を縛り、その間に2本の棒を入れ、反対方向に引っ張る)
4.吊り拷問
5.鋸拷問或いは足の鋸引き
6.3稜杖(木製の斧若しくは鉞で肉片を切開する拷問」
シャルル・ダレ
(李氏朝鮮の残酷な死刑や拷問に対して)
「こんな状況がまだこの地球の片隅に残されていることは、人間存在そのものへの挑戦である。とりわけ、私たちキリスト教徒がいっそう恥じるべきは、異教徒の日本人が朝鮮を手中にすれば真っ先にこのような拷問を廃止するだろうということだ」
「悲劇の朝鮮」スウェーデン人 アーソン・グレブスト
実際に日本は、大韓帝国を併合する前の保護国としていた時代に、それまで朝鮮にあった残酷な拷問や刑罰などを廃止させた。
「西大門刑務所歴史館」では、拷問室や死刑場などと称される所で人形や悲鳴などを使って、日本の朝鮮人弾圧を宣伝している。
この刑務所は、もともと1908年に日本が「京城監獄」としてつくったものだが、歴史の真実は以下のとおり。
―――――――
李氏朝鮮時代の拷問が酷かったことは世界的に知られていたが、1905年に朝鮮(大韓帝国)が日本の保護国となり、統監統治が始まると、日本と同様にすぐに拷問は廃止された。
朝鮮での拷問禁止は島村忠次郎(1907年、水原の京畿道地方裁判所の「法務補佐官」)が在職中に伊藤博文統監に申し入れて法令となった。
1908年の法令改正によって拷問した取調官は3年以下の懲役と定められた。
これにより、長年続いていた朝鮮での残虐な拷問は廃止となった。
更に、日韓併合前は「1坪に15~16人」詰め込んでいた監獄が、1910年の後半には「1坪当りの収監者数を5人以内」にし、1922年頃には「約2.9人」まで大改善された。
これによって囚人はいつでも横になって寝る事が可能になった。
―――――――
>「日本兵は平頂山の村人3千人を殺して、遺体をダイナマイトで爆破して埋めたんです。現在資料館になっていて、この頭蓋骨の写真には銃弾の痕が残っています」
これも完全な嘘出鱈目だ!
当時の平頂山村の人口は1369人だった!
それなのに、どうして3000人の村人を殺すことができるのか?!
語り部の末永浩は、嘘出鱈目を言い触らすトンデモナイ糞ジジイであり、万死に値する!
平頂山村で日本軍が掃討したのは、「村民」などではなく、「満州国に巣食っていた匪賊」だ。
1932年9月15日深夜から16日早朝にかけて1000~2000人の匪賊(極悪集団の武装盗賊)は、満鉄が経営する撫順炭坑を襲撃し、日本人5名を殺害、炭鉱施設を破壊・掠奪した。
その日(16日)のうちに日本軍が平頂山村を捜索したところ平頂山村の住民が炭坑を襲撃した匪賊だったことが判明したため、日本軍は人口1369人(多くは炭鉱労働者)のうち約400人を掃討した。
日本軍が一方的に無辜の住民を殺害したのではないし、人数も3千人ではない。
最初に炭鉱を襲撃したのは平頂山住民を含む匪賊だ。
語り部の末永浩は、支那の嘘出鱈目を垂れ流しているだけだ!
▽平頂山事件の事実関係▽
――――――――――
1932年9月17日付「満洲日報」
【平頂山事件】
1932年9月、満鉄が経営する撫順炭坑は匪賊襲来の情報を入手し、警備を増強。
守備隊は約80名(200名説あり)しかいなかったため、炭鉱では施設を鉄条網で囲み、従業員の在郷軍人で防備隊を結成し、警察団、青年団、中学生なども非常時には応じる体制をとっていた。
9月15日夕方、郊外に匪賊が集結中との情報を得て、防備隊600名を非常召集、警官約200名を加え、それぞれ配置についた。
15日深夜、1000~2000人と思われる匪賊が撫順炭坑を襲撃し、早朝まで日本の防備隊と戦闘が繰り広げられた。
匪賊は撫順内部の通匪(スパイ)から警備状況を通報されており、防備隊の裏をかいて手薄な個所を狙って来た。
日本側に死者5名を含む11名の死傷者が出た。
(社員の渡辺寛一楊柏堡所長以下、殉職4名・重傷2名。家族の死亡1名・重傷2名、守備隊の負傷2名)
また、施設は、破壊・焼却・掠奪され、その後、炭鉱業務は暫く停止を余儀なくされた。
井上清一中尉は襲撃の足がかりとなった平頂山が最も通匪の嫌疑が濃厚とにらみ、約40名を率いて調査したところ、襲撃現場からの盗品が続々と見つかり、平頂山の住民が匪賊と行動を共にしていたことが明確になった。
平頂山村民の多くが撫順炭坑を襲撃した匪賊の一味だったのだ。
その時「井上中尉の率いる一小隊は、匪賊からの発砲を受け、交戦となった」と武藤関東軍司令官から内田外務大臣に宛てた電報も残っている。
10月2日付満州日報、「匪賊の再襲来や焼討ち事件のため、撫順付近の支那住民の3分の1が撫順を離れ、郷里の山東方面へ避難」
10月15日付満州日報、「匪賊の被害者に撫順県公署が救済開始」との記事を掲載し、平頂山村の人口が1369人で、うち死者は400人とある。
〈 ・・九月十五日夜約二千の兵匪及不良民は撫順市外を攻撃し、且各所に放火せるのみならず、我独立守備隊を襲えり。之等兵匪及不良民の徒は、千金堡及栗家溝を根拠とせるを以て、井上中尉の率ゆる一小隊は、十六日午後一時、千金堡に至り部落の捜索に着手せる処、却て匪賊の発砲を受け我軍は自衛上迫撃砲を以て之に応戦せり。交戦約三十分後村落の掃蕩を終えたるが、村落は交戦中発火し大半焼失し、又匪賊及不良民約三百五十人仆れたり。・・ 〉(1932年11月28日外務省着電、原文カナ)
――――――――――
日本軍の過剰防衛と主張して日本軍を批判する者もいるが、多勢に無勢の防衛戦だったことは間違いない。
いずれにせよ、「日本兵は平頂山の村人3千人を殺して、遺体をダイナマイトで爆破して埋めたんです。」というのは、支那や「反日語り部詐欺師」末永浩の真っ赤な嘘だ!
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(一部抜粋)
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▼まとめ▼
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1.当時8歳だった森口貢は、佐賀の田舎に疎開しており、長崎原爆投下の被爆者ではない。
2.森口貢は、元「日教組」所属の反日教師だった。
3.森口貢は、1時間1万円の「講話謝礼金」のために、「長崎被爆者」と偽称し、語り部となり、伝聞や妄想や反日イデオロギーを語っている。
4.森口貢は、「在韓被爆者訴訟」で、1審敗訴の長崎市が控訴したことを批判した。
5.森口貢は、日本の過去の加害行為と戦後の無責任性を明らかにし、日本政府に真摯な謝罪と補償の実現を求めることを目指している「岡まさはる記念長崎平和資料館」の中心的人物だ。
6.森口貢は、首相の靖国神社参拝を批判している。
7.森口貢を含む「語り部」たちは、生徒たちに対して、「イラクヘの自衛隊派遣」「靖国神社」「天皇の戦争責任」「憲法改正」などの政治的問題について、反日左翼としての個人的意見を語り聞かせている。
8.森口貢は、修学旅行の横浜の中3生から「死に損ないのくそじじい」と言われる前に、先にキレて生徒に対して「出ていけ」と暴言を吐いていた。
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