【台湾】「やさしい日本兵の神様」
が子供たちの歌に/台南市
★「やさしい日本兵の神様」が子供たちの歌に/台南市
(台南 1日 中央社)台湾南西部沿岸の台南市安南区海尾には戦時中、
地元村民を守るために自分を犠牲にした日本人兵士を神として祭る
「飛虎(ひこ)将軍廟」が建てられている。
地元の安慶小学校ではこのほど、この日本兵の精神を郷土教育の一環として物語や歌にし、
先月末、この神様の誕生日に発表会が行われた。台湾紙・聯合報が11月30日付けで伝えた。
太平洋戦争(1941~45年)当時、
日本領だった台湾では各地で米軍機による空襲が頻発。
1944(昭和19)年10月12日午前7時過ぎ、米軍機は海尾にも現れ、
杉浦茂峰曹長が零戦でこれに応戦、だが上空で米軍の攻撃を受け零戦は大破した。
その時、杉浦曹長は落下傘で脱出することもできたのだが、戦闘機が集落に墜落して
村人たちに被害が及ぶのを恐れ、そのまま畑と魚の養殖場まで操縦してから脱出を試みた。
しかしそこで米軍の機銃掃射を浴びて地上に落下、戦死したという。
戦後この場所に亡霊が現れるとの噂から、
海尾の住民が道教の神、保生大帝にお伺いをたてた結果、
大惨事から村民を救おうとした杉浦曹長は将軍神(勇士)としてこの地に祭られることとなり、
1971年道教式の廟が建てられ、以後村民による感謝の参拝は絶えたことがない。
そしてこのほど地元の安慶小学校では、黄俊傑校長が郷土教育の中でこの日本兵の「みんなを思いやる心」を児童らに学んでほしいと、教諭・児童らで絵と漫画、「飛虎将軍の物語」を作成し、さらに「安慶人のおてほん」を作詞・作曲、
11月29日、
飛虎将軍の誕生日(陰暦10月16日)に同校では一同がお廟の前に集まり、
子供たちによる物語の朗読や歌が披露された。
この廟では現在、たばこ好きだった杉浦曹長のために
管理人が朝夕7本のたばこに点火して神像と写真に捧げ、
日本の国歌「君が代」や軍歌の「海ゆかば」を祝詞として歌っている。
中央社日文新聞フォーカス台湾
http://japan.cna.com.tw/Detail.aspx?Type=Classify&NewsID=201212010007
15:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/12/01(土) 22:58:02.74 ID:UqFIqGFA
台湾ありがとうね
本当にありがとうね
65:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/12/01(土) 23:31:40.36 ID:ablZ5ixN
ここ行ったことある
立派な廟だったよ
日本語が話せる人に色々説明してもらった
皇室カレンダーが飾ってあったのがちょっと驚いた
参考画像 飛虎(ひこ)将軍廟
http://blogs.yahoo.co.jp/puydufou2007/11223262.html
http://blogs.yahoo.co.jp/msoul1025/63222630.html
皇軍大捷の歌
作詞 福田米三郎
作曲 堀内敬三
参考動画
国を発つ日の万歳に
痺れる程の感激を
込めて振ったもこの腕ぞ
今その腕に長城を
越えてはためく日章旗
焦りつく雲に弾丸の音
敵殲滅の野に結ぶ
露営の夢は短夜に
ああ泥濘の追撃の
汗を洗えと大黄河
地平か空か内蒙の
砂塵に勝利の眼が痛む
思えば遠くに来たものぞ
朔風既に吹き巻いて
北支の山野敵も無し
江南の空雲燃えて
陸戦隊の陣堅く
逆巻く浪に沿岸の
航路を断てば敵の船
港に島に影潜む
八機二機五機墜ちて行く
敵へ情けの一旋回
機首を返して更に衝く
鉄路トーチカ幾山河
手柄に残る弾の痕
大上海に火は消えて
闇のクリーク星凍る
黒い太湖の北南
見よ戦友の肩の霜
脆くも解けし敵の守備
首都南京は遂に陥つ
焼けた砲銃の手を止めて
にっこり笑えば隊長も
莞爾と見やる城壁に
御陵威輝く朝日影
皇軍大捷万万歳
高雄市紅毛港の保安堂では、名も知らぬ日本軍の艦長のものとされる遺骨が祭られている。
日本軍艦の模型をご神体として、
漁民たちが海の安全や大漁を願って朝晩に祝詞の「軍艦マーチ」にあわせてお祈りをしている。
漁民たちは実に真剣だ。
戦後六十五年を経ても台湾の人たちが手を合わせる廟や祠。日本人こそ感謝せねばならない。
飛虎将軍廟(ひこしょうぐんびょう) :日華(台)親善友好慰霊訪問団HPより
参考動画 軍艦マーチ
親日国インドネシア独立記念パレード
(日本の軍歌を歌いながら、日本刀や竹やりを持ってノリノリでパレードをするインドネシアの人達)
インドネシアの国旗なんて気にした事もなかった、
何故その色なんて事も考えたことなかった、興味持った事もなかった
けどそのビデオの中で、冒頭アップから始まる日本刀、
小柄な日に焼けたアジア人、その手に握られた竹槍、
そして頭や腰に巻かれた国旗の2色、紅と白……まんまあれだよね。
もしかしたら勘違いかもしれない。
単にプラクティカルな理由で選んだだけ、選ぶしかなかっただけ、かもしれないけど、
国旗がどうしてその2色になったのか、その思いが伝わって来た気がした。
特亜以外のアジアでは、
こう言った日本軍人のエピソードが今でも数多く語られている
何年立っても風化しない様に、教科書にし、子供達に教えもしている
支那は日清戦争で戦った事があり、
またこっぴどく負けた卑屈さから様々な嘘で日本を悪くしようと必死だ
だが、朝鮮の反日は全く解せない
ただ支那の万年属国根性から来る右ならえと、
ヒステリーから来る愚かな感情をそのままに表現する低脳民族にしか見えないのだ
参考動画 海ゆかば
(;ω;)ゝ先人の魂には敬服いたします
台湾の皆さんもありがとう
近々日本も復活する見込みです
我々も先人に負けぬよう精進いたします
日台友好!! 台日友好!!
♪太平洋の空遠く♬
なんだかんだ言って善政じゃなければこういう事にはならない
いい方は悪いが、
中国人は恨みがあれば墓を暴き、死者に鞭打つ人達である
バカチ〇ンの言ってる日帝の悪逆とやらがいかに悪意と捏造に満ちているか
こういった事で日本の冤罪が証明されるのはありがたいことだ
台湾人は日本人であった事を誇りにしている
いや、いまだに自分は日本人であると胸はる人もいる
大日本帝国軍人はカッコ良かったのである
どうしようもなくカッコ良かったのである
貧乏ながら、絶対に勝てない大巨人の欧米から次々にアジア諸国を解放する
規律正しく、質素で、それでいて情にもろい日本兵
日本はアジアの憧れであり、目標であったのである
そして、その憧れた事を今も忘れないのである
台湾人の民度は高い
何故なら嘘、妬み、媚びるしかなかったアジアに道を指し示し、
そして自分達の為に、自ら突き進んで死んで見せた、
あの日本兵を姿を瞼にしっかりと焼き付けて、心の目標としているからなのである
我々、日本人はその憧れの日本兵の子孫なのである
我々、日本人は気然とし、誇り高く、
またいつまでも台湾の人達の目標とならなければならないのである
それが命をかけて、この日本を護って下さった英霊の方達に報いる事なのである
学校をつくり、村の子供に読み書きソロバンや歌を教え、
衛生環境の整備まで身を粉にして働いた森川巡査の姿を、村人は忘れられなかったという。
画像追加 森川清治巡査
http://a-eda.net/blogasia/
台南市同安路の鎮安堂飛虎将軍廟。
昭和十九(一九四四)年に村に来襲した米軍機の迎撃に向かった
杉浦茂峰少尉のゼロ戦が被弾。
村に墜落しそうになった。
しかし杉浦少尉はパラシュート脱出を選ばず、
機首を立て直して畑に突っ込み、村人に被害を与えなかった。
が子供たちの歌に/台南市
★「やさしい日本兵の神様」が子供たちの歌に/台南市
(台南 1日 中央社)台湾南西部沿岸の台南市安南区海尾には戦時中、
地元村民を守るために自分を犠牲にした日本人兵士を神として祭る
「飛虎(ひこ)将軍廟」が建てられている。
地元の安慶小学校ではこのほど、この日本兵の精神を郷土教育の一環として物語や歌にし、
先月末、この神様の誕生日に発表会が行われた。台湾紙・聯合報が11月30日付けで伝えた。
太平洋戦争(1941~45年)当時、
日本領だった台湾では各地で米軍機による空襲が頻発。
1944(昭和19)年10月12日午前7時過ぎ、米軍機は海尾にも現れ、
杉浦茂峰曹長が零戦でこれに応戦、だが上空で米軍の攻撃を受け零戦は大破した。
その時、杉浦曹長は落下傘で脱出することもできたのだが、戦闘機が集落に墜落して
村人たちに被害が及ぶのを恐れ、そのまま畑と魚の養殖場まで操縦してから脱出を試みた。
しかしそこで米軍の機銃掃射を浴びて地上に落下、戦死したという。
戦後この場所に亡霊が現れるとの噂から、
海尾の住民が道教の神、保生大帝にお伺いをたてた結果、
大惨事から村民を救おうとした杉浦曹長は将軍神(勇士)としてこの地に祭られることとなり、
1971年道教式の廟が建てられ、以後村民による感謝の参拝は絶えたことがない。
そしてこのほど地元の安慶小学校では、黄俊傑校長が郷土教育の中でこの日本兵の「みんなを思いやる心」を児童らに学んでほしいと、教諭・児童らで絵と漫画、「飛虎将軍の物語」を作成し、さらに「安慶人のおてほん」を作詞・作曲、
11月29日、
飛虎将軍の誕生日(陰暦10月16日)に同校では一同がお廟の前に集まり、
子供たちによる物語の朗読や歌が披露された。
この廟では現在、たばこ好きだった杉浦曹長のために
管理人が朝夕7本のたばこに点火して神像と写真に捧げ、
日本の国歌「君が代」や軍歌の「海ゆかば」を祝詞として歌っている。
中央社日文新聞フォーカス台湾
http://japan.cna.com.tw/Detail.aspx?Type=Classify&NewsID=201212010007
15:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/12/01(土) 22:58:02.74 ID:UqFIqGFA
台湾ありがとうね
本当にありがとうね
65:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/12/01(土) 23:31:40.36 ID:ablZ5ixN
ここ行ったことある
立派な廟だったよ
日本語が話せる人に色々説明してもらった
皇室カレンダーが飾ってあったのがちょっと驚いた
参考画像 飛虎(ひこ)将軍廟
http://blogs.yahoo.co.jp/puydufou2007/11223262.html
http://blogs.yahoo.co.jp/msoul1025/63222630.html
皇軍大捷の歌
作詞 福田米三郎
作曲 堀内敬三
参考動画
国を発つ日の万歳に
痺れる程の感激を
込めて振ったもこの腕ぞ
今その腕に長城を
越えてはためく日章旗
焦りつく雲に弾丸の音
敵殲滅の野に結ぶ
露営の夢は短夜に
ああ泥濘の追撃の
汗を洗えと大黄河
地平か空か内蒙の
砂塵に勝利の眼が痛む
思えば遠くに来たものぞ
朔風既に吹き巻いて
北支の山野敵も無し
江南の空雲燃えて
陸戦隊の陣堅く
逆巻く浪に沿岸の
航路を断てば敵の船
港に島に影潜む
八機二機五機墜ちて行く
敵へ情けの一旋回
機首を返して更に衝く
鉄路トーチカ幾山河
手柄に残る弾の痕
大上海に火は消えて
闇のクリーク星凍る
黒い太湖の北南
見よ戦友の肩の霜
脆くも解けし敵の守備
首都南京は遂に陥つ
焼けた砲銃の手を止めて
にっこり笑えば隊長も
莞爾と見やる城壁に
御陵威輝く朝日影
皇軍大捷万万歳
高雄市紅毛港の保安堂では、名も知らぬ日本軍の艦長のものとされる遺骨が祭られている。
日本軍艦の模型をご神体として、
漁民たちが海の安全や大漁を願って朝晩に祝詞の「軍艦マーチ」にあわせてお祈りをしている。
漁民たちは実に真剣だ。
戦後六十五年を経ても台湾の人たちが手を合わせる廟や祠。日本人こそ感謝せねばならない。
飛虎将軍廟(ひこしょうぐんびょう) :日華(台)親善友好慰霊訪問団HPより
参考動画 軍艦マーチ
親日国インドネシア独立記念パレード
(日本の軍歌を歌いながら、日本刀や竹やりを持ってノリノリでパレードをするインドネシアの人達)
インドネシアの国旗なんて気にした事もなかった、
何故その色なんて事も考えたことなかった、興味持った事もなかった
けどそのビデオの中で、冒頭アップから始まる日本刀、
小柄な日に焼けたアジア人、その手に握られた竹槍、
そして頭や腰に巻かれた国旗の2色、紅と白……まんまあれだよね。
もしかしたら勘違いかもしれない。
単にプラクティカルな理由で選んだだけ、選ぶしかなかっただけ、かもしれないけど、
国旗がどうしてその2色になったのか、その思いが伝わって来た気がした。
特亜以外のアジアでは、
こう言った日本軍人のエピソードが今でも数多く語られている
何年立っても風化しない様に、教科書にし、子供達に教えもしている
支那は日清戦争で戦った事があり、
またこっぴどく負けた卑屈さから様々な嘘で日本を悪くしようと必死だ
だが、朝鮮の反日は全く解せない
ただ支那の万年属国根性から来る右ならえと、
ヒステリーから来る愚かな感情をそのままに表現する低脳民族にしか見えないのだ
参考動画 海ゆかば
(;ω;)ゝ先人の魂には敬服いたします
台湾の皆さんもありがとう
近々日本も復活する見込みです
我々も先人に負けぬよう精進いたします
日台友好!! 台日友好!!
♪太平洋の空遠く♬
なんだかんだ言って善政じゃなければこういう事にはならない
いい方は悪いが、
中国人は恨みがあれば墓を暴き、死者に鞭打つ人達である
バカチ〇ンの言ってる日帝の悪逆とやらがいかに悪意と捏造に満ちているか
こういった事で日本の冤罪が証明されるのはありがたいことだ
台湾人は日本人であった事を誇りにしている
いや、いまだに自分は日本人であると胸はる人もいる
大日本帝国軍人はカッコ良かったのである
どうしようもなくカッコ良かったのである
貧乏ながら、絶対に勝てない大巨人の欧米から次々にアジア諸国を解放する
規律正しく、質素で、それでいて情にもろい日本兵
日本はアジアの憧れであり、目標であったのである
そして、その憧れた事を今も忘れないのである
台湾人の民度は高い
何故なら嘘、妬み、媚びるしかなかったアジアに道を指し示し、
そして自分達の為に、自ら突き進んで死んで見せた、
あの日本兵を姿を瞼にしっかりと焼き付けて、心の目標としているからなのである
我々、日本人はその憧れの日本兵の子孫なのである
我々、日本人は気然とし、誇り高く、
またいつまでも台湾の人達の目標とならなければならないのである
それが命をかけて、この日本を護って下さった英霊の方達に報いる事なのである
学校をつくり、村の子供に読み書きソロバンや歌を教え、
衛生環境の整備まで身を粉にして働いた森川巡査の姿を、村人は忘れられなかったという。
画像追加 森川清治巡査
http://a-eda.net/blogasia/
台南市同安路の鎮安堂飛虎将軍廟。
昭和十九(一九四四)年に村に来襲した米軍機の迎撃に向かった
杉浦茂峰少尉のゼロ戦が被弾。
村に墜落しそうになった。
しかし杉浦少尉はパラシュート脱出を選ばず、
機首を立て直して畑に突っ込み、村人に被害を与えなかった。