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【転載なでしこりん】 「日韓併合時代の真実」~歴史の証言者さえ証言するのが許されない韓国の悲劇

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「日韓併合時代の真実」~歴史の証言者さえ証言するのが許されない韓国の悲劇

日韓併合時代の朝鮮人:「日本人はとても親切な人たちだった」
 私たちが日本人を信用せずに誰が日本の先人たちの名誉を守るですのか?


なでしこりんです。今日は「日本の歴史」の お話です。

と言っても古事記や日本書紀の時代ではなく「日韓併合」時のお話。もちろん、私は生まれていませんから、あくまでも先人たちの証言を皆様にご紹 介するだけ。

その前に「読売新聞」が7月19日付けで報じた「韓国人観光客が増加し、日本の文化財盗難事件が増加している」という記事を伝え聞いた韓国人 が火病(激高)しているんだとか!ww

その時の反応を「Record China」が報じています。韓国人の反応はご想像通りなんですが、その中にあった感想に私は興味が引かれました。いわく、「日本は韓国の国自体を35年 間も盗んでおいて、なんという言い草だ」 。

 こういう発想は、実は韓国人の中では突飛ではなく標準的な思考なんだと思います。こういう韓国人の発言は、韓国における「歴史教育」の一端を私たち日 本人に教えてくれています。要するに韓国人は「日本人は泥棒ニダ!」と教育されているんです。

  さて、話を進めましょう。以下の証言は全て「レムナント」というブログにあるもので、その表題は「日韓併合時代の真実~かつて日本と朝鮮が手を取り合って、仲良く生きていた時代があった~」となっています。もしお時間があれば、ぜひ全文に目を通してほしいです。

  親から聞かされた「日本人は親切だった」 

  日本には今日、悲しい風説が飛び交い、それによって多くの人々が惑わされています。たとえば、「日本はかつて朝鮮を侵略し、朝鮮の人たちを弾圧し、虐待し、搾取し、ひどいことをした」といった類の風説です。学校でも習ったでしょう。あたかも事実であるかのように。

    日本は悪者だ、と教え込まれてきたのです。しかし、こうした主張が本当なのか、それとも事実とは違うのか、私たちは、当時の実体験を持つ長老たちに聞かなければなりません。韓国人の女性で、呉善花(オ・ソンファ)さんというかたがいます。日韓関係についてたくさんの本を書いているかたですが、彼女は小さい頃、親の世代から「日本人はとても親切な人たちだった」と聞かされていました。

    ところが、学校に入学すると、先生から、「日本人は韓国人にひどいことをした」と教わって、すさまじいばかりの反日教育を受けたのです。それでいつしか、学校で教えられるままに、「日本人は韓国人にひどいことをした」という認識が、彼女の中で常識となっていました。

    彼女はその後日本に渡って、日本で生活するようになりました。すると、かつて親から教えられた「日本人はとても親切な人たちだった」という言葉が、再びよみがえってきたのです。それで彼女は、日本と韓国の歴史について、もう一度勉強し直しました。やがて彼女は、韓国で受けた反日教育というものが、非常に偏った、間違いだらけのものであることを知るようになります。そして、反日主義から抜け出したのです。

     彼女はのちに、『生活者の日本統治時代』(三交社)という本を出版しました。これは、かつて日本が朝鮮を統治した時代――つまり日韓併合の時代(一九一〇~一九四五年)を実際に体験した日本人や韓国人にインタビューして、それをまとめたものです。そこには、日本統治下の朝鮮を実際に体験した日韓一五人の証言が書かれています。いずれも、今はかなりお年をめされた方々ばかりです。彼らは貴重な証言を残してくれました。彼らの体験談を通し、あの朝鮮における日本統治時代は実際はどんなものだったか、ということが非常にはっきり見えてきます。私たちは彼らの証言に耳を傾けてみましょう。

 日本による朝鮮統治時代を体験した韓国人の朴承復さんも、こう語っています。「学校では日本人生徒たちからも先生からも、差別されたことはありませんでした。今でも日本人の同期生たちと会うと、彼らは韓国語で話したがります。今なおそれほど親しくつき合っている日本人の同期生が何人もいます。

    商業学校の恩師二人は、とても尊敬できる方でした。一人は松尾先生で、国語の先生でした。この先生は韓国人、日本人にかかわりなく尊敬されていました。もう一人は横尾先生です。この先生は日本人生徒たちからは嫌われていました。めちゃめちゃに厳しくて、過ちを犯せば決して許さない方でした。しかし、私はなぜか特別に可愛がってもらいました。いろいろな相談にものっていただいた大恩師です。

     卒業後、朝鮮殖産銀行に務めましたが、差別的な扱いを受けたことは全くありません。行員家族全員で地方の温泉地へ一泊旅行に行ったりもしました。日本人も韓国人も区別なく、みんな仲良く楽しく遊んで過ごしました。日帝時代にそんなことあり得ないと言われるかもしれませんが、過激な人や極端な人たちの一部での喧嘩や衝突はあっても、一般の日本人と韓国人のぶつかり合いなんか、見たこともありません。…

 多くの日本人は、朝鮮人から家をちゃんと借りて住んでいました。日本人が勝手に韓国人の家を奪い取るなど、そんなことはなかったです。当時の日本人は本当に質素でした。私自身は当時の日本人に対して悪い印象は全く持っていませんでした」(朴承復さん)


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   http://blog.livedoor.jp/kaikaihanno/archives/45577482.html 
  
 ソウルの京城帝国大学で学んだ韓国人の閔圭植さんは、こう語っています。「私は個人的には日本人と仲がよくて、悪い感情はありませんでした。日本人が韓国人に恐怖を与えたとか、韓国人が日本人に殴られたとか、何か嫌がらせをやられたとかいったことは、個人的には見たことも聞いたこともありません。日本人が韓国人の家を奪って勝手に使うとか、土地や財産を搾取するとかいうことも、まったくありませんでした。神社参拝については、何かの日には学生全部が連れて行かれました。行かなくても別に厳しい文句は言われませんでしたが」(閔圭植さん)

 日韓共同映画『愛の黙示録』を作り、三〇〇〇人の韓国人孤児を育てた日本人・田内千鶴子さんの生涯を描いた監督・金洙容さんも、こう語っています。「農場の日本人たちはとても勤勉でした。日本人は早くから科学的で先進的な農法を使っていました。日本人の経営する農場には、韓国人たちもたくさん働いていました。日本人は日当をきちんと計算して渡してくれました。彼らはとても礼儀正しく、日当を支払わないようなことはまずしません」(金洙容さん)

 新義州の中学や高校に通っていた李萬甲さんは、こう語っています。「朝鮮人は私一人でしたが、日本人の同級生みんなに親切にしてもらいました。日本人の先生には立派な方がいらっしゃいました。創氏改名は昭和一五年からのことでした。ほとんどの人が変えていましたね。しかし、官庁に務める人でも、変えないからといって首になるようなことはありませんでした。日本人が韓国人の生活を侵害するとか、略奪するとか、そんな類のことは日本人は全くしませんでした。日本人は法に反することをしないようにと、非常に気をつけていました」(李萬甲さん) 引用ここまで。

原文はこちら→ http://www2.biglobe.ne.jp/remnant/rekishi02.htm
 
         
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  呉善花(オ・ソンファ)さんとはもちろん「拓殖大学の呉善花教授」のことです。呉善花教授が、三交社から『生活者の日本統治時代』を出版されたのは2000年の12月であり、証言採録はそれより以前ですから1990年代の後半でしょう。1998年2月25日に金大中氏が韓国の大統領になっていますから、日本への思いを語りやすい時代であったかもしれません。(次の大統領の盧武鉉(ノ・ムヒョン)の時代には「親日罪(親日反民族行為者財産の国家による没収)」や「親日人名辞典」が作られほど反日教育が強化され、その影響は今も続いている)


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 証言者のいない時代の歴史は歴史的遺物を調べて歴史考証するしか方法はありませんが、韓国には現在でも「日韓併合時代」を語れる証人はいるはずです。

しかしながら、韓国では、盧武鉉(ノ・ムヒョン)時代に強化された反日教育により「日本統治時代を肯定すること」さえ許されない空気が充満しているようです。

「韓国の悲劇」はそこにあります。「日本は韓国の国自体を35年間も盗んでおいて、なんという言い草だ」 。

これが韓国人の常識です。そのことを知らない日本人が多すぎませんか? 私たち日本人が日本の先人たちの名誉を守らなければ誰が守るのですか? 
                    By なでしこりん


































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