古来、中国の言動は嘘塗れであり、日本の善意などが通ずるはずもなかった。端的な一例は、3.3兆円にのぼる日本のODA(政府開発援助)が中国の近代化を促進したが、中国からは日本糾弾しか聞こえてこない。
我々の身近に起きた事象を見ても、中国の主張が矛盾に満ちたものであることが分かる。しかし、一向に謝罪などしないし、逆に報復などの行為で圧力さえかけてくるのが中国流である。
小平の改革開放で経済が発展し、石油資源が必要になってくると見るや、海洋法を定めて勝手に自国領に編入する。2010年9月には尖閣諸島沖で違法操業していた中国漁船が、取り締まりを実施した海上保安庁の巡視船に体当たりする追突事案が発生した。
中国では自国の海域内で中国漁船が操業していたところ、進路に日本の巡視船が突然現れ接触した。漁船は魚釣島海域を離れたが、巡視船が追いかけてきて逮捕したというような報道ぶりであったという。その後は、報復とも思われる民間社員の捕縛などで圧力をかけてきた。
同時に、領海侵犯を頻繁にするようになり、横暴にたまりかねた石原慎太郎・元都知事が都で購入する動きを示すと、ことを穏便に解決したいとする民主党政権が国有化を決定した。
このほかにも、関心を呼んだ毒餃子問題や危機一髪のレーダー照射問題などがあった。 2007年12月から2008年1月の間に、中国・天洋食品の冷凍餃子を食べた千葉、兵庫両県の計10人が下痢などの中毒症状を訴えた。中国での生産過程で毒が混入された疑いがあるという日本の主張に対し、中国は言いがかりと逆に日本を責め立てた(2年後に同会社の元臨時工員を逮捕し、6年後の2014年に無期懲役の判決を出す)。
2013年1月には東シナ海で、中国人民解放軍の海軍艦艇が海上自衛艦の護衛艦に射撃管制用レーダーを照射した。一歩間違えば、交戦に発展しかねない危険極まりない行為である。
日本側は中国の否定を予測して、公表に当っては詳細なデーターを分析・検証し、事実関係を十分に固めたうえで6日後に公表した。
中国側はレーダー使用を認めたが、射撃管制用ではなく監視用レーダーであったと主張した。その後、中国軍の複数の幹部は射撃用レーダーであったことを認めているが、中国国防部(国防省)は依然として否定しているといわれる。
「盗み」を「施し」に転換する
主人が出かけた後、忘れ物を思い出して帰ると、中国人手伝いが貯蔵庫から盗みをやっている現場を見つける。手伝いは咄嗟に貯蔵庫が空に近いので補給しているところでしたと言う。
白々しいウソであるが中国人の常套手段で、恥じ入るとか反道徳的などの意識は全くない。こうした話は聞き飽きるほどある。
今でも中国指導部や政府が堂々と、国家を挙げてやっていることである。当初に挙げた尖閣諸島問題をはじめ、例示に暇がない。こうした逆転の発想というか、相手に罪をなすりつけてなんとも思わないやり方に、日本は致されるだけ致されてきた。
清朝末期の混沌としていた支那が秩序を取り戻すべく、日本人は惜しげもなく支援した。多くの留学生や亡命者も受け入れた。なかでも孫文や蒋介石に日本人は期待した。あまりの入れ込みで身上をつぶした人もいる。しかし、2人とも日本を裏切る。
なかでも、今なお歴史問題として騒がれる南京大虐殺は、蒋介石に端を発している。
日本人の戦争と異なり、中国式戦争では住民を楯にし、中国兵が戦場の住民を虐殺し、また糧食を挑発して餓死させることがしばしば起きている。南京戦でも、中国はあえて住民地区を楯として選んだりした。 新聞記者や大学教師を経て30歳で米国務省に入ったラルフ・タウンゼントは、1931年に上海副領事として中国に赴任する。翌32年、上海事変(第1次)に遭遇、その後福建省副領事となる。
タウンゼントは「兵隊の死者はごく少ない。ほとんどは戦場となった地域の住民である。しかもほとんどが餓死である。米粒一つ残らず『友軍』に奪われるからである」(『暗黒大陸 中国の真実』)と述べる。
ちなみに、タウンゼントが挙げている例を見ると、1931年5月の江西省と湖南省における(国民党)対共産党戦に関する楊将軍の報告では、江西省の戦死は18万6000人であるが、難民の死者210万人、焼失家屋10万棟であり、湖南省では戦死者7万2000人に対し、焼失家屋12万棟となっている。
また、湖北省知事が行った1932年11月の湖北省における共産党の掠奪報告では、死者35万人、家を失った難民350万人、焼失家屋9万8000棟となっている。
近代国家の戦争では、戦場での将兵の戦いで勝敗が決まり、死傷者はほとんどが軍人である。しかし、中国での戦いはおよそ近代戦とは言い難く、兵士が住民を直接間接に巻き込み殺戮することなど、何とも思っていなかった。
江沢民以下の歴代主席が言挙げする30万人の大虐殺や3000万人の犠牲者というのは、日本軍の手によるというよりも中国兵士が自国民を犠牲にする国民性を離れて考えられないことを示唆している。
他人のものを「我がもの」にする
タウンゼントが勤務地で悩まされた一例を見よう。福清(福建省福州)で米国のミッションスクールが持っていた空地を中国人学校に乗っ取られた話である。
中国人学校の偉い人たちが、「お宅は空地をお使いなられていないご様子ですので、当方に貸してもらえないでしょうか。必要となったら無条件で何時でもお返しします」と頼んできた。ミッションスクールの校長は同意したが、これが災難の始まりとなる。
中国側は空地を校庭として使うため、周りに塀を建て始めた。これは中国では「所有権を主張する」ことにつながるので、校長は心配して直ちに抗議する。しかし、何の効果もなく塀は一日一日高くなっていく。
地元の警察に頼んでも何もしてくれない。米国の慈善団体から大きな利益を得ている地域の住民も排外的である。抗議をよそに塀は完成して堂々と所有権を主張する。現地解決は不可能となり、福州の米国領事館に持ち込まれる。
領事館からは「規定に従って、公明正大な調査を望む」旨の要望書が何度も提出されるが、塀は手つかずである。ついに米国政府に連絡して、福建政府へ強硬な要望書が提出される。
同時期は中米の抗日戦への協力とも重なって話は友好裏に進み、責任者から「塀は直ちに撤去する」旨の通達が来る。しかし、塀は一向に撤去されない。「いつ撤去するのか」問い合わせると、「即刻」との返事であるが、事態の進展はない。
こうして領事館は福建政府に、より強硬な要望書を何度も出す。すると、今度は「塀はすでに撤去され、完全復元済み」の書簡が来る。そこで、現場に出向いてみると、「全くの手つかず」。その旨連絡すると、また同じく「撤去済み。現場でご確認願いたし」と手紙が来る。「それなら」と出かけるが何の変化もない。
業を煮やして福建政府に強硬に詰め寄る。そこでようやく責任者は誤りを認め、空地の写真を添えて「復元完了」を通知してきた。この間に不動産譲渡証明書を何枚も添付した文書を何十枚も提出させられたという。
写真には「確かに」空地が写っていた。急ぎ駆けつけた校長は、ここで腰を抜かすほど驚く。その写真は塀に穴を開け、そこから中を撮ったもので、塀は厳然として存在していたからである。
約90年前に行われたことが、現在は国家レベルで南シナ海や東シナ海に再現されている。一寸した工事あるいはガス田の試掘からスタートして、他に目を奪われたり、言い訳で翻弄されている中に月日が経ち、工事がどんどん進み、やがて完成して乗っ取られる図式が展開されているようである。
トラブル・メーカーの中国
タウンゼントは、米国で見る中国関連本が「感傷的でお涙頂戴式の本があふれている」と見ていたので、本当の中国と中国人に関心を持って赴任する。そして感得したのが、中国人は少しも国際法を尊重しないし、トラブルメーカーということであった。
彼が勤務した当時の領事は疲労困憊し、病気を理由に福州を去る。前任者も数年の激務に疲れ、政府の対中政策に無力感を感じ辞職していた。タウンゼントは「優秀でありながら、中国人に振り回され、半狂乱になった人の例は枚挙に暇がない」と書く。本人も福州から帰米して3年そこそこで外交官を辞職する。
「世界の人口の五分の一を占める中国人の頑固さを和らげようとした人は多い。(中略)しかし、中国人の誰もが舶来の高級服を着て高級外車に乗れる時代になったとしても、ずる賢く言い逃れをし、頑固で嘘をつく性格が変わるとは思えない」と述べる。
観察眼の素晴らしさは、人民服から背広に着替えた今日を見通していたかのようである。
布教活動している米国人が襲われ、中国人を無償で教育しているミッションスクールが、そのミッションスクールで教わっている生徒の火付けや手引きによって焼失した例などを示しながら、「中国人は次から次へと試練を与えてくれるものだ。焼き討ちぐらいで済むならまだよい。何百人も殺されている」とも書く。そうした状況は、今日に至っても続いている。
1927年から28年に、国民党は反クリスチャンの行動指示を出している。これにより中国領土にいた8000人にのぼる宣教師のうち、5000人が日本へ退去する。
ところが、支援が打ち切られるのを恐れる宣教師はこうした実態を報告していない。それどころか、「下賜休暇中の宣教師がスライドを上映しながら『大躍進する布教活動』という嘘をばら撒いている。大方(の米国人)は演技とも知らずコロッと騙されているのである」と書いている。
中国人は「表では『正義、公平、協力』を叫び、裏では実に見事に共謀、妨害、暗殺、掠奪を働いている」し、「無知な大衆の指導のために戦う指導者がいない。実情は全く逆で、戦っているのは無知な大衆の方である。(だから)今の政権が消えた方が幸せになれる」とも結論づけている。
近年の中国からは「正義、公平、協力」は聞こえてこないが、小平は「養光韜晦」(能ある鷹は爪を隠す、実力が付くまで隠忍自重する)を語り、大国への準備に専念した。最近の指導者はことあるごとに「平和的台頭」と「大国」を唱え続けている。
その裏で、南シナ海や東シナ海の掠奪を意図していたことが、今や明々白々になってきた。他方で、中国国内では思想統制が強まり、国家主席の暗殺も何回となく発覚したと伝えられている。「今の政権が消えた方が幸せになれる」と、現代中国の人民も思っているのかもしれない。
おわりに
タウンゼントの中国における経験談を題材に、現在にタイム・スリップさせながら検討してきた。
帰米後のタウンゼントは、大学講師の傍ら、著述と講演活動に専念する。その活動を通して中国の本当の姿を米国人に知らせ、満州事変後、米国の対日世論が悪化する中で、本当の米国の極東政策はいかにあるべきかを説く。
結果的には中国に味方するルーズベルト政権を批判することになり、日本の真珠湾攻撃後、治安妨害容疑や反米活動などの理由で1年間牢獄につながれることになる。
ポルトガルはマカオを香港より20年も早く返還しようとした。そうされては立場がなくなる英国が香港返還の時期まで伸ばすようにクレームをつけたが、中国は何一つ抵抗しなかった。
ところが、香港返還が実現した以降の中国のやり方は、どうであろうか。
50年間は一国両制を遵守するとした英中合意を反故にし、英国の議会調査団の香港入りも拒否した。他方で、香港住民の民主化要求に対しても、どんどん介入し圧力を強めている。
そこには「力」しか信奉しない中国の姿が浮かび上がってくる。力しか信奉しない国には、国際法の遵守も話し合いも通じない。
日本は独自に力をつけながら、同盟の深化で抑止力を増大し、国際社会と世界の有力なメディアを味方に付ける努力が不可欠である。