あの元外務官僚も同じ認識
「安保条約は集団的自衛権を容認している」という私の現状認識に同意しながら、自らの政策的主張は正反対なのだ。こういう展開は不思議でもなんでもない。前提となる安保条約と集団的自衛権についての理解が同じでありながら、結論がまったく違うのは十分に理解できる。それは描く将来ビジョンが違うからだ。
逃げる民主党
それを言い出すと、民主党のように「集団的自衛権に反対しながら安保条約は認める」という立場が矛盾に満ちたものになってしまう。民主党は「安保条約は違憲」などと言わない。その一方でもっともらしく集団的自衛権に反対と言い続けるために、安保条約の前提には触れたくないのである。
私は『週刊ポスト』コラムで、集団的自衛権にも安保にも反対と主張しているのは日本共産党だけと書いたが、天木氏は一歩踏み込んで「共産党も口で反対を唱えるだけ。政治家は本質的な議論をせよ」と主張している。私は「本質的な議論をせよ」という主張に全面的に賛成だ。そこで議論を整理しよう。
それから「安保条約にも集団的自衛権にも賛成」という立場がある。まず政府与党だ。ただし、政府は安保条約が集団的自衛権を容認しているかどうか、問われない限り、自分からは言い出さない。反対派を無用に刺激したくないからだ。国会会期に限りがある中、政府案の可決成立を目指すとなると、なおさらである。
いまの国会論議がどうなっているかといえば、2番目と3番目の対決が典型的だ。一見、ガチンコを装いながら、野党は安保条約に触れるのを避けている。そこに触れてしまうと、集団的自衛権を認めている姿が明らかになってしまうので、あえて目を伏せている。国民が核心を理解できないのは、これも一因だ。
奇妙だからわかりにくい
では、そういう後方支援は武力行使でないのか。政府の立場は「武力行使ではない」。なぜかといえば、もしも「後方支援も武力行使」と認めてしまえば、米軍に対する基地提供が武力行使という話になって、朝鮮半島有事で直接、攻撃されてもいない日本が(基地提供の形であれ)武力行使するのは違憲という話になりかねないからだ。
いざ有事になれば、韓国を攻撃した北朝鮮は支援する米軍の沖縄基地をミサイルで直接、狙い撃ちすることもできる。そのとき日本が「ここは後方支援の基地ですから、武力行使はしていません。どうか撃たないで」などと言っていられるか。言えるわけがない。根本の認識が現実離れしているから、カブキのような建前論になる。
左派の矛盾
中には「安保条約は集団的自衛権を認めていない。だから安保賛成で集団的自衛権に反対でもおかしくない」と言い張る向きもある。これは、まったく情けない立場だ。安保が集団的自衛権を認めていないなら、どうして日米が第3者である極東地域の平和と安全にコミットできるのか。「余計なお世話」だし、そもそも条約の内容自体が矛盾してしまう。
日米安保条約を確認する
平和条約は、日本国が主権国として集団的安全保障取極を締結する権利を有することを承認し、さらに、国際連合憲章は、すべての国が個別的及び集団的自衛の固有の権利を有することを承認している。
これらの権利の行使として、日本国は、その防衛のための暫定措置として、日本国に対する武力攻撃を阻止するため日本国内及びその附近にアメリカ合衆国がその軍隊を維持することを希望する。
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日本国及びアメリカ合衆国は(中略)両国が国際連合憲章に定める個別的又は集団的自衛の固有の権利を有していることを確認し、両国が極東における国際の平和及び安全の維持に共通の関心を有することを考慮し、相互協力及び安全保障条約を締結することを決意し、よって次のとおり協定する。
つまり日米安保条約は、生まれ落ちたときから国連憲章で定められた集団的自衛権を容認して成立した。とりわけ旧条約は「権利の行使として」日本が米軍基地を希望した。現条約は「(集団的自衛の)権利を有していることを確認し」て米軍が基地を「使用することを許される」と表現を変えているが、本質は同じである。
戦わない奴は黙ってろ
本当に、ジジババばかりだな
安保関連法案:大勢の市民を前に、
学生ら反対訴え 渋谷
事情など理解できないであろう
子供まで利用する鬼畜