2015年6月6日(土)に兵庫県宝塚市の宝塚西公民館において、朝日新聞元記者 植村隆氏の講演会がありました。会場周辺のみならず市役所周辺にまで完全武装の機動隊が配備される厳戒状態での講演会の開催でした。
講演会の植村氏の発言内容の要旨は、昨日の記事にアップしています。
大きく分けて植村氏の講演会の内容は以下の3部門で構成されていました。
1 激しさを増す植村バッシングの現状について
2 植村氏が報道した内容の弁明と他社報道の非難
3 自身のこれまでの活動(訴訟・海外公演)と支援の訴え
私は、講演を聞いた後「卑怯な人間である」「まったく信頼できない人物」という感想しか持てませんでした。
皆様は、どのように思われましたか?
● 植村バッシングに対して
植村氏の記事の与えた影響と、それ以降に植村氏がとってきた態度によって「怒りに駆られた多くの日本人」が存在することは当然のことです。こうした方々を中心に「植村バッシング」が発生することは、やむを得ない事と考えます。植村氏が真摯にメディアに慰安婦報道の真相を話し、海外で流布されている「強制連行されて殺された20万人の慰安婦」の誤解を解くための行動をとっていたなら、こうした事態には至らなかったはずです。
実際には、植村隆氏は日本のみならず海外においても宝塚市で行われたのと同様の「慰安婦プロパガンダ集会」を実施しています。この宝塚の講演会においてなお「強制連行が問題なのではない。戦場での人権侵害が問題なのだ。強制連行にこだわると日本は孤立する」と主張していました。
「強制連行」を言い始めたのも、「性奴隷」の用語を使い始めたのも、植村氏の仲間の反日日本人達です。こうした欺瞞で、日本を貶めようとし続けているが故に、バッシングを受けているのです。
「白いシーツに黒いシミが広がっていくようだ」とは、お笑いです。慰安婦問題こそ、朝日新聞が白いシーツに黒いシミを広げて国際問題に仕立てあげていきました。
この講演会を通じて感じたのですが植村氏は「朝日新聞は私を守ってくれなかった」という主旨の発言を何度か述べていました。自分自身が「捏造された慰安婦」の虚像を広めるた朝日新聞の一員だったという認識は、どうも希薄であるようです。会場で話を聞いていて大変、違和感を感じました。
朝日新聞のよって、慰安婦問題がどのように拡大していったのかは、以下の図でご確認下さい。
慰安婦問題拡大の経緯(資料1)
● 日本の朝鮮半島支配について
植村隆氏は韓国留学経験のある韓国通。と自己紹介していました。では、その植村氏の朝鮮半島の歴史に対する認識はどうであったかというと、植村氏の歴史知識は、この程度のレベルです。
この植村氏の発言は、植村氏の慰安婦問題や日本の朝鮮半島統治に対するスタンスを理解するのには象徴的な見解です。言わずもがなですが、朝鮮半島は日本が統治する前は中世レベルの文化・生活レベルでした。
「日帝が両班階級による横暴を取り締まったので、民衆の生活は楽になりました。民衆の側から見れば、李朝時代よりも日本統治時代のほうが、生活があらゆる面でよくなったから、対日感情は決して悪いものではなかったんです。だから、独立運動が広範な支持を受けることがなかった」とは、ある韓国人の証言。
《朴泰赫 加瀬英明「醜い韓国人 歴史検証編」》
植村氏は、歴史の事実を「ヘイト・スピーチ」と呼んでいます。全く、理解できません。
● 植村氏が報道した記事の弁明と他社報道の非難
話を聞いていて、一番腹立たしく感じたのが自分の記事への自己弁護の下りです。講演時間の約1/3を上記の内容で何度も繰り返していました。
以下の画像は実際に会場で植村氏が配布した自身の記事(1991.8.11)です。
講演会で植村隆氏が配布した自身の記事のコピー(資料2)
植村氏は「自分は騙されて慰安婦にされたとしか書いていない」と何度も会場で発言していました。植村氏の主張する部分は資料2の②の部分です。しかし、この記事で問題となっているのは①の部分です。
「女子挺身隊として戦場に連行され」
植村氏は「当時は従軍慰安婦を女子挺身隊と呼んでいた。だから、私の記述は問題ない」と何度も繰り返していました。しかし問題は「戦場に連行され」の部分です。
あの朝日新聞よりの第3者委員会ですら、植村氏の記事の記載を以下のように非難しています。
植村記者は「他社は明確に強制連行だと書いている」と主張していました。それは確かにその通りです。
では、肝心の金学順はどのように訴訟当時は主張していたのでしょうか。
おかしいことに、訴訟当時の金学順は「強制連行された」とは一言も言っていません。
では、何故、当時の毎日新聞、読売新聞、産経新聞等が「女子挺身隊として強制連行された」と記事に書いたのでしょうか?
その理由は1つしか考えられません。以下の画像をご覧ください。
吉田清治の最初の証言記事(1982年9月2日) (資料3)
資料1でもお分かり頂けるように、金学順さんの記事が書かれる約10年前から、朝日新聞は吉田清治の証言や著書に基づいて「強制連行された慰安婦」という報道を続けてきました。
当時の新聞社が「強制連行」と書いたのは、朝日新聞が続けていた報道が浸透していた証拠です。
ちなみにこの記事の見出しは「朝鮮の女性 私も連行」です。「連行」も「強制連行」もほぼ同義で朝日新聞で使われていた証拠です。
植村氏の「私は連行と書いた。しかし、強制連行とは書いていない。」という弁明は詭弁です。
● 会場で行われた情報の隠蔽
さらに、植村氏の配布した自身の記事には欠損部分があります。
講演会で植村隆氏が配布した自身の記事のコピー(資料2)
資料2で示した「A」の部分には記事の続きが書かれています。しかし、意図的に削除されています。
では、この隠された部分にはどのような内容が書かれていたのでしょうか。
『朝鮮人慰安婦は5万人とも8万人ともいわれるが、実態は明らかでない。イ代表らは「この体験は彼女だけのものではなく、あの時代の韓国女性の痛みなのです」と話す。9月からは事務所内に、挺身隊犠牲者申告電話を設置する。昨年10月には36の女性団体が、挺身隊問題に関して海部首相に公開書簡を出すなど、韓国内でも関心が高まり、11月に「同協議会」が結成された。10日には「韓国放送公社」の討論番組でも、挺身隊問題が特集された。』
つまり会場で配布された植村記者の記事には続きがあり、実態が明らかでないはずの、慰安婦の数を5万人~8万人と明記していたのです。
これは、取り消された吉田証言の記事(1983.12.24)とほぼ同数の数字であり、少なくとも朝日新聞はこの部分を取り消す義務があるはずです。
こうした朝日新聞の記事からの情報が、後に「慰安婦20万人説」の論拠となっていきます。
韓国系アメリカ人達のロビー活動で設置されたグレンデール市の碑文
● 強制連行を誤魔化すための議論のすり替え
何を言っているのでしょうか。
17歳の少女が慰安婦にされた。その原因は朝鮮人による人身売買です。それは先ほどの金学順さんも当初は証言をしていました。何故、朝鮮人の人身売買で日本人が責められねばならないのでしょうか。
全く理解できません。
このロジックは「強制連行」の証拠が揺らいできた1990年代中盤に朝日新聞が始めた主張そのままです。「強制連行ではなく、広義の強制性が問題だ」というわけです。
この「広義の強制性」への議論のすり替えについて、朝日新聞の第3者委員会も厳しく糾弾しています。
● 新たなる疑惑 ~隠された金学順さんへの報酬の存在~
個人的には一番、驚きました。その理由は、以下の画像からご覧ください。
植村記者の記事(1991.12.25)
数ある朝日新聞の従軍慰安婦の記事の中で「慰安婦達への報酬」に言及しているのは、この植村記者の記事だけです。
世界で「性奴隷」の言葉が浸透したのも「無償で労働に従事させられた」という情報が「奴隷」という表現に結び付いたためだと考えられます。
しかし、実際には金学順さんは慰安婦として給料を支払われていました。
つまり、金学順さんの日本での訴訟目的そのものが「終戦によって無効になってしまった軍票(給料)の補償」であった訳です。しかし、植村記者は「金学順さんが給料をもらっていた」という事実を認識していながら自身の記事には「金はもらっていない」と記載し、職業売春婦であった慰安婦の実態を捻じ曲げようとしたのです。
今回の検証については、ここまでにしたいと思います。
これらの検証をご覧になられた皆様は、植村元記者についてどのような認識を持たれたでしょうか?
残念ながら、宝塚市での講演会場では「そうだ!」「いいぞ!」等の左翼活動家達の絶賛の中でこの講演会が行われました。
そういった方々には何を言っても無駄だと思います。
しかし、何かで植村隆氏の情報に触れて「植村隆氏の言っている事は正しいのではないか」と思っているような方がいた場合には、ぜひ、上記の内容をもって諭して頂ければと思います。
いずれにせよ、宝塚市にはとんでもない連中が巣食っている事を再認識することができました。
宝塚市の正常化には、まだまだ時間がかかりそうです。