韓国ポスコが今
「時効だから情報を公開しよう」
この情報は何者かによって、把握され、日本国側の然るべき機関 及び 新日鉄にも流された。
ひろいもの
71 ご参考までに。もう時効だから情報を公開しよう。
インドネシアのポスコの被害を
朝鮮(韓国)側は日本国の新日鉄に負担させようと目論んでいた。
負担に成功すれば、次の段階で新日鉄を逆に弱ったところを買収或は強い影響力を行使できるようにとする計画があった。
当然、この情報は何者かによって、把握され、
日本国側の然るべき機関及び新日鉄にも流された。
この為に、ポスコの目論みに新日鉄は乗らず失敗となり、
朝鮮(韓国)及びポスコは当てが外れ、国家が傾くぐらいの多額の損害を負うことになり、
苦境に直面している。
このような状況であるから、先日、ポスコの会長が日本国の姿勢に対して恨み節の発言をした。
恩を仇で返そうとして失敗した彼らの悔しさと恨みが先日のポスコの会長発言の真意だ。
残念だったね。朝鮮の諸君!! 諸君らの全ての目論みは見抜いていると言ったはずだ!!
71 ご参考までに。もう時効だから情報を公開しよう。
インドネシアのポスコの被害を
朝鮮(韓国)側は日本国の新日鉄に負担させようと目論んでいた。
負担に成功すれば、次の段階で新日鉄を逆に弱ったところを買収或は強い影響力を行使できるようにとする計画があった。
当然、この情報は何者かによって、把握され、
日本国側の然るべき機関及び新日鉄にも流された。
この為に、ポスコの目論みに新日鉄は乗らず失敗となり、
朝鮮(韓国)及びポスコは当てが外れ、国家が傾くぐらいの多額の損害を負うことになり、
苦境に直面している。
このような状況であるから、先日、ポスコの会長が日本国の姿勢に対して恨み節の発言をした。
恩を仇で返そうとして失敗した彼らの悔しさと恨みが先日のポスコの会長発言の真意だ。
残念だったね。朝鮮の諸君!! 諸君らの全ての目論みは見抜いていると言ったはずだ!!
【コラム】ポスコ初代会長、朴泰俊が見た日本
ポスコが危機に陥ったとき、彼は日本に向かった
過去を忘れない日本人は惜しみなく韓国を助けた
その「大物の時代」を読むと、今の韓日関係はあまりにも貧弱だ
朝鮮日報 2015/03/15 07:06
日本が韓国を統治していた時代に日本で青少年期を過ごした元ポスコ名誉会長・朴泰俊(パク・テジュン)=1927-2011=は「一生忘れられない」思い出を本に記録した。水泳大会で1位になったが、朝鮮人だという理由で非難されて2位に下げられたことや、
米軍の爆撃があった日、防空壕(ごう)で起きたことなどだ。
「防空壕は秩序がきちんとしている。この日はお年寄りたち、特におばあさんたちが立ち上がった。
『若い人は奥に入りなさい。危険な所は私たちが守る。どうして本を持って来なかったんだい? 若者は本を開いて勉強しなさい』。
防空壕の入り口にテントが張られ、若者が集まった一番奥にはろうそく2本がともった」
朴泰俊は1位の座を奪われたとき「はらわたが煮えくり返ったが、我慢して自分自身を落ち着かせた」と書いている。
防空壕でおばあさんに叱られたときは「植民地の大学生の胸に染み入り、故国に対する責任感を呼び覚ました」と述懐した。
日本が与えた怒りには耐える一方で感動は受け止め、祖国のための原動力にしたのだ。
朴泰俊が後に浦項総合製鉄(現・ポスコ)を興すに当たり、「恩人」と呼んだ日本人が数人いる。
その一人は当代日本で最高の思想家と言われた陽明学者・安岡正篤だ。
総合製鉄所プロジェクトが米国・ドイツ・英国・イタリアに断られたとき、韓国は日本に助けを求めるしかなかった。
全責任を負って東京に向かった朴泰俊が真っ先に会ったのが安岡だ。
日本政財界の「見えざる手」とされる大物だったからだ。
安岡は「過去を反省して、韓国を助けることが日本の国益」という韓国観を持っていた。
安岡はまず、技術協力のカギを握っていた稲山嘉寛・日本鉄鋼連盟会長の所に朴泰俊を行かせた。
そして岸信介元首相ら政界の大物とも次々と会えるようあっせんした。
朴泰俊の情熱に安岡の誠意が助けとなり、あいまいだった日本政府や日本企業の態度は熱い支持に変わった。ほかの先進国同様、日本が韓国を無視していたら今のポスコはなかっただろう。
これとよく似た話をサムスン・グループ初代会長の李秉(イ・ビョンチョル)=1910-87=も残している。
留学のために乗った連絡船で1等船室の近くに行ったときだった。
日本人刑事が行く手を遮り「朝鮮人が1等船室に行くカネがあるものか。生意気に」とひどいことを言った。李秉は「後に事業に打ち込んだのは、民族の怒りを胸に深く刻み込んだあの小さな出来事があったからだ」と自伝に書いた。
ttp://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2015/03/14/2015031400953.html (閲覧不可)
2: ダーティプア ★@\(^o^)/ :2015/03/15(日) 09:04:04.44 ID: ???.net
李秉は廃虚となった終戦直後、東京の古びた理髪店での出来事も書き残している。
「この仕事はいつからしているのか」と聞いたところ、
店主は「私が3代目なので、家業としてはかれこれ60年くらいでしょうか。うちの子も継いでくれたらと思うのですが…」と答えたという。
李秉は「『日本は滅びない。絶対に再起するだろう』とそのとき思った」と書いた。
1983年8月、李秉が後輩・朴泰俊を日本の保養地に呼んだ。
「ブーメラン効果」を盾に日本の鉄鋼業界が光陽製鉄所建設への協力を拒んでいたときだった。
その保養地には当時の日本政財界の大物・瀬島龍三や、その十数年前に浦項製鉄所建設を支援した日本鉄鋼業界の父・稲山嘉寛が一緒にいた。
彼らから「協力する」との約束を取り付けた李秉は
「ほかの言葉はいらない。『感謝している』とだけ言いなさい」と朴泰俊に言った。朴泰俊は「胸のつかえが取れたようなスッとした気持ちだった」と述懐している。
李秉もこうした壁を乗り越えていた。
その5カ月前に発表した歴史的なサムスンの半導体投資は、中核技術を提供した日本の半導体メーカー・シャープの果たした役割が大きかった。
日本が海外に半導体技術を提供した初のケースだったのだ。
李秉は「シャープの格別な好意だった」「シャープを国賊だと酷評する企業もあった」と述べている。
韓日の架け橋となった瀬島龍三は回想録に
「韓国は統一される。日本は(過去を)反省し、韓国の感情を受け止め、
自由と民主主義を柱とする統一韓国が誕生できるよう協力すべきだ」と回顧録に記した。
朴泰俊は日本で肉体労働に従事しながら子どもを育てた父の最期を看取れなかった。
日本の首相候補だった有力政治家との夕食の約束を反故(ほご)にできなかったからだ。
マイナス成長にあえいでいた1980年、韓国にとって日本の支援はそれほど切実なものだった。
翌日、朴泰俊は「泣くな。一生懸命に生きた」という父の遺言を知った。
「大物たち」の時代だった。もちろん、当時も確執はあった。しかし、大きな流れは大物たちが胸に抱く「大義」を基準に動いた。
豊かさを手に入れ、切実さがなくなったせいだろうか。国が老いて包容力がなくなったせいだろうか。あの時代の記録を読むと、今の韓日関係は小さく薄っぺら、幼稚で拙劣だ。(文中敬称略)
〈朴泰俊ポスコ初代会長のエピソードは小説家イ・デファン氏『世界最高の鉄鋼人・朴泰俊』(2005年改訂第12刷)によるものです。このコラムに出てくる朴泰俊前会長のエピソードはほとんどこの本から引用し、ソン・ボク延世大学名誉教授ほかの『泰俊イズム』を参照しました。李秉サムスン・グループ初代会長のエピソードは自伝『湖巌自伝』(2014年第2刷)」を引用しました。瀬島龍三・元伊藤忠商事会長の回想録は『幾山河:瀬島龍三回想録』(1995年第2刷)から抜粋・整理したものです。〉
鮮于鉦(ソンウ・ジョン)国際部長
「この仕事はいつからしているのか」と聞いたところ、
店主は「私が3代目なので、家業としてはかれこれ60年くらいでしょうか。うちの子も継いでくれたらと思うのですが…」と答えたという。
李秉は「『日本は滅びない。絶対に再起するだろう』とそのとき思った」と書いた。
1983年8月、李秉が後輩・朴泰俊を日本の保養地に呼んだ。
「ブーメラン効果」を盾に日本の鉄鋼業界が光陽製鉄所建設への協力を拒んでいたときだった。
その保養地には当時の日本政財界の大物・瀬島龍三や、その十数年前に浦項製鉄所建設を支援した日本鉄鋼業界の父・稲山嘉寛が一緒にいた。
彼らから「協力する」との約束を取り付けた李秉は
「ほかの言葉はいらない。『感謝している』とだけ言いなさい」と朴泰俊に言った。朴泰俊は「胸のつかえが取れたようなスッとした気持ちだった」と述懐している。
李秉もこうした壁を乗り越えていた。
その5カ月前に発表した歴史的なサムスンの半導体投資は、中核技術を提供した日本の半導体メーカー・シャープの果たした役割が大きかった。
日本が海外に半導体技術を提供した初のケースだったのだ。
李秉は「シャープの格別な好意だった」「シャープを国賊だと酷評する企業もあった」と述べている。
韓日の架け橋となった瀬島龍三は回想録に
「韓国は統一される。日本は(過去を)反省し、韓国の感情を受け止め、
自由と民主主義を柱とする統一韓国が誕生できるよう協力すべきだ」と回顧録に記した。
朴泰俊は日本で肉体労働に従事しながら子どもを育てた父の最期を看取れなかった。
日本の首相候補だった有力政治家との夕食の約束を反故(ほご)にできなかったからだ。
マイナス成長にあえいでいた1980年、韓国にとって日本の支援はそれほど切実なものだった。
翌日、朴泰俊は「泣くな。一生懸命に生きた」という父の遺言を知った。
「大物たち」の時代だった。もちろん、当時も確執はあった。しかし、大きな流れは大物たちが胸に抱く「大義」を基準に動いた。
豊かさを手に入れ、切実さがなくなったせいだろうか。国が老いて包容力がなくなったせいだろうか。あの時代の記録を読むと、今の韓日関係は小さく薄っぺら、幼稚で拙劣だ。(文中敬称略)
〈朴泰俊ポスコ初代会長のエピソードは小説家イ・デファン氏『世界最高の鉄鋼人・朴泰俊』(2005年改訂第12刷)によるものです。このコラムに出てくる朴泰俊前会長のエピソードはほとんどこの本から引用し、ソン・ボク延世大学名誉教授ほかの『泰俊イズム』を参照しました。李秉サムスン・グループ初代会長のエピソードは自伝『湖巌自伝』(2014年第2刷)」を引用しました。瀬島龍三・元伊藤忠商事会長の回想録は『幾山河:瀬島龍三回想録』(1995年第2刷)から抜粋・整理したものです。〉
鮮于鉦(ソンウ・ジョン)国際部長
693: 名無しさん@おーぷん :2015/03/27(金)07:58:24 ID: Wy3
>>691
騙し罠に嵌めようとした試みが
失敗したらさらに逆恨みとか・・
分かってはいたがどれだけ薄汚い連中なんだよ
奴らの屑振りには底が見えないな
騙し罠に嵌めようとした試みが
失敗したらさらに逆恨みとか・・
分かってはいたがどれだけ薄汚い連中なんだよ
奴らの屑振りには底が見えないな
694: 名無しさん@おーぷん :2015/03/27(金)08:04:26 ID: nsU
クネがこないだ中東にいったのって、
違約金の変わりに奴隷30万人送るから
まけてって話かして?
在日さんご愁傷様っす。
(ムダに長いコラムは見捨てられたことへの恨み節だったと)
違約金の変わりに奴隷30万人送るから
まけてって話かして?
在日さんご愁傷様っす。
(ムダに長いコラムは見捨てられたことへの恨み節だったと)
40: (´・ω・`)(`ハ´ )さん@\(^o^)/ :2015/03/15(日) 09:26:11.59 ID: vsaceDIL.net
「いい加減にしろ、韓国」豊田有恒
浦項製鉄所(後のポスコ)創業の際、新日鉄の惜しみない技術援助により、日本国内のものと全く同等の最新鋭を建てたにも関わらず、韓国側からはただの一言も感謝の言葉が無かった事。
日本の資金技術提供により作られたソウル地下鉄一号線への日本の関与を消去するのに偏執的執念を燃やす韓国人を描いている。
浦項製鉄所(後のポスコ)創業の際、新日鉄の惜しみない技術援助により、日本国内のものと全く同等の最新鋭を建てたにも関わらず、韓国側からはただの一言も感謝の言葉が無かった事。
日本の資金技術提供により作られたソウル地下鉄一号線への日本の関与を消去するのに偏執的執念を燃やす韓国人を描いている。
272: (´・ω・`)(`ハ´ )さん@\(^o^)/ :2015/03/15(日) 12:15:32.16 ID: 8MwJeJ+u.net
ポスコ名誉会長「日本の流行歌を歌って新日鉄の技術移転受けた」(1)
2010年10月25日16時11分
記者は12日から17日まで南京-江蘇省張家港市-上海を順に訪問した朴泰俊(パク・テジュン)元総理(83)を同行取材した。 ポスコ創業者の朴氏は三星(サムスン)と現代(ヒョンデ)の創業者に深い印象を持っていた。
・・・
「物を盗むのは泥棒で悪いことだが、心を盗むのは良いことで戦略的なことだ。 浦項製鉄をしながら、新日本製鉄の稲山嘉寛会長(1987年死去)会長がいろいろと助けてくれた。 心が開かれた方だった。 103万トンの1次高炉が成功した後、その方に会いにいった。 私は当時、日本の最新流行歌をたくさん知っていた。 稲山会長が自分の車に私を同乗させると、流行歌を歌ってみろと言った(※稲山会長は朴元総理の親世代の年齢)。 歌ってみると、『よくやった』と言って大喜びした。 それほど親しかった。 …それほど親しくなってこそみんな持ってこられる。 こうした戦略がなければ技術は導入できない。 このように人間の心を盗んでこそ技術まで、願うものを持ってくることができる」
・・・
http://japanese.joins.com/article/231/134231.html?servcode=300§code=320
「人間の心を盗んでこそ技術まで、願うものを持ってくることができる」
2010年10月25日16時11分
記者は12日から17日まで南京-江蘇省張家港市-上海を順に訪問した朴泰俊(パク・テジュン)元総理(83)を同行取材した。 ポスコ創業者の朴氏は三星(サムスン)と現代(ヒョンデ)の創業者に深い印象を持っていた。
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「物を盗むのは泥棒で悪いことだが、心を盗むのは良いことで戦略的なことだ。 浦項製鉄をしながら、新日本製鉄の稲山嘉寛会長(1987年死去)会長がいろいろと助けてくれた。 心が開かれた方だった。 103万トンの1次高炉が成功した後、その方に会いにいった。 私は当時、日本の最新流行歌をたくさん知っていた。 稲山会長が自分の車に私を同乗させると、流行歌を歌ってみろと言った(※稲山会長は朴元総理の親世代の年齢)。 歌ってみると、『よくやった』と言って大喜びした。 それほど親しかった。 …それほど親しくなってこそみんな持ってこられる。 こうした戦略がなければ技術は導入できない。 このように人間の心を盗んでこそ技術まで、願うものを持ってくることができる」
・・・
http://japanese.joins.com/article/231/134231.html?servcode=300§code=320
「人間の心を盗んでこそ技術まで、願うものを持ってくることができる」
264: (´・ω・`)(`ハ´ )さん@\(^o^)/ :2015/03/15(日) 12:09:55.28 ID: 74qBIkIs.net
>>1
>過去を忘れない日本人は惜しみなく韓国を助けた
もう誰も助けてくれないよ
売国政治家辺りが動いたとしても
本当に怒らせてはいけない金融界を
怒らせてしまったから無理
リーマンショックの引き金を引いた事実から逃避する為に
お前らバカチョンの現実逃避の妄想記事書いたアホマスゴミが
1年前に書いた
『アジア通貨危機は日本が引き金を引いた』
と書いてホルホルしてたの忘れたのか
しかも、それに便乗して政財界まで言い出した挙句に
海外でも『アジア通貨危機は日本が引き金を引いた』
と言触らしてホルホルししてたな
当時、韓国を助ける為に
奔走した金融界、財界が
上はトップの層から下は徹夜して
走り回った現場の層まですげー怒ってるわ
もう売国政治家が動いたくらいじゃ
何の助けにもならない位の次元で終わりだよ
ざまぁw
>過去を忘れない日本人は惜しみなく韓国を助けた
もう誰も助けてくれないよ
売国政治家辺りが動いたとしても
本当に怒らせてはいけない金融界を
怒らせてしまったから無理
リーマンショックの引き金を引いた事実から逃避する為に
お前らバカチョンの現実逃避の妄想記事書いたアホマスゴミが
1年前に書いた
『アジア通貨危機は日本が引き金を引いた』
と書いてホルホルしてたの忘れたのか
しかも、それに便乗して政財界まで言い出した挙句に
海外でも『アジア通貨危機は日本が引き金を引いた』
と言触らしてホルホルししてたな
当時、韓国を助ける為に
奔走した金融界、財界が
上はトップの層から下は徹夜して
走り回った現場の層まですげー怒ってるわ
もう売国政治家が動いたくらいじゃ
何の助けにもならない位の次元で終わりだよ
ざまぁw