常岡浩介氏
あの時政府と協力していれば
湯川さん救えた
後藤健二さん(47才)と湯川遥菜さん(42才)がイスラム過激派組織「イスラム国」とみられるグループに拘束された事件。世界中を巻き込むこの悲劇を招いた“戦犯”として、政府関係者の間で真っ先に名前が上がる人物が安倍晋三首相(60才)である。
「昨年10月に後藤さんが拘束された直後、彼の奥さんに対し、イスラム国から身代金要求のメールが来ており、外務省は秘密裏にずっと交渉していたんです。それを知っていながら、安倍首相は中東訪問中の1月17日に“イスラム国と対峙する周辺国に2億ドル支援する”と発表したわけです。自らの言動がイスラム国を刺激し、彼らが人質を使って日本へ揺さぶりをかけるということは容易に予想できたはずです。彼は人質よりも2億ドルのパフォーマンスで国際的に評価されることを優先したのです」(外務省関係者)
さらに、安倍政権は、湯川さんを解放する大きなチャンスを、自ら捨てていた。昨年9月、イスラム国の幹部から、湯川さん解放の仲介役を頼まれていた日本人がいた。それが、国際ジャーナリストの常岡浩介氏だった。
「私の知人に、イスラム国の司令官がおりまして、8月末に彼からメッセージがスマホに届いたのです。“湯川さんにはスパイ容疑があり、裁判をやるので通訳が必要だ”ということでした。至急、親交のあるイスラム法学者の中田考さんに連絡を取り、9月頭にイスラム国の首都ラッカに入りました。現地で会った司令官は私にはっきりとこう言ったんです。“湯川に関しては、身代金の要求もしないし、見せしめの処刑もしない”と」(常岡氏)
だが、ちょうどこの日から、シリア軍による過去最大規模の空爆が始まり、イスラム国側に混乱が生じる。裁判は延期となり、常岡氏たちは、一度、帰国することになった。
常岡氏は、10月に再度渡航する予定で、すでに9月の時点で現地司令官と直接交渉できる旨を中田氏の知人を通じて、外務省にも伝えていた。しかし、あろうことか、政府は常岡氏を“危険分子”と見なしたのだった。
「出発前日に警視庁公安部の人間が家宅捜索にやってきて、パソコンや携帯電話、パスポートを押収していったんです。結果、イスラム国行きは不可能になり、裁判の仲介役も断念せざるをえませんでした。あの時、政府と協力して再度渡航していれば、湯川さんを救出できた可能性が高い。そうすれば、後藤さんが湯川さんを助けるためにイスラム国入りすることもなかったんです」(常岡氏)
※女性セブン2015年2月12日号
イスラム国の首都ラッカってなんだ?
ISISを国と認めているような発言だな。
イスラム国「参加計画」騒動の内幕を渦中のジャーナリスト常岡浩介氏に聞いた
17年来の付き合いであるジャーナリストの常岡浩介が10月6日にガサ入れを受けた。撮影機材やパソコン、携帯電話などを持って行かれたという。彼はいままでアフガンで半年ほど拘束されたり、モスクワで一週間、取り調べられたり、拘束中にデング熱にかかったりしている。また、最近ではエボラ出血熱が流行している西アフリカへ行った後、シリアのイスラム国へ出かけたりと、今までの過酷な体験に懲りずにガンガン出かけていた。
「10月4日の午後4時半頃、公安部外事三課の7人がうちにやってきた。警察の手帳を見せるので『何事ですか』って驚きながら言ったら『家宅捜査令状が出ている』と言われた。令状を見せてもらうと被疑者の名前が北大生の名前になっていて僕の名前がない。罪名は私戦及び陰謀。僕の名前がないということより、私戦及び陰謀で警察が動いたというのがびっくりした。家宅捜索の内容に関して、令状のページをめくったところに、『この事件の捜査のために常岡の自宅を捜索し、パソコンや航空券などを押収する』という内容で書いてあった。そう書いてあると自分の事件じゃなくても拒否できないことになる。
『これから作業しますけども私たちを撮影したり録音したりすることはできません』と言って、身体検査をしてきた。猛烈な勢いで自分たちが逆取材されることを恐れていたみたい。捜査員は全員男。若いのは30歳のようだったし、親分は警部。所轄の警察でもないということは、完全に国家警察として動いてる。最初に言われたのが家宅捜索令状。家宅捜索をしつつ、任意で同行をお願いしたい、とも言われた。
彼らは夜8時半ぐらいまでいて、ラップトップ2台にタブレット1台。スマートフォンと携帯は、使ってない古びたものまで合計7台ぐらい、段ボールに入れて持って行かれた。その中には、僕がリビングで荷作りしていた機材もあった。ガサ入れの翌日出発の予定だったので、妨害する気だったんでしょう」
「イスラム国で拘束されている湯川遙菜さんに会いに行こうかと以前から計画していた。そしたら10月4日に北大生と会ったとき、同じ日に出発するってことを告げられたんで、じゃあ彼に同行するかと。彼に同行するためにシリア行きを決めたわけではない。だから公安には『デジカメとかビデオカメラは北大生がイスラム国へ行こうとしていたことに直接の関係がない。あなたたちがやっているのは完全な取材妨害です』って家宅捜索に抗議したよ」
「Oという怪しい人物が『シリアで求人募集』と書かれたチラシを悪ふざけでつくった。それを北大生がアキバで見て、電話した。するとその怪しい人物Oがイスラム法学者の中田考先生へ。中田先生はまったく冗談の通じない人なので、僕へ『シリアで戦いたいという学生がいるので取材してもらえないか』とわざわざ連絡してきた。それで北大生とは3回会った。8月初めに2回と10月4日。8月の2回目にVTR回してインタビューした」
「イケメンでしゃきしゃきしてて普通に話すとまとも。北大の大学院生で26歳。数学を研究してたはず。彼にインタビューすると、『もともとシリアにもイスラムにも、あるいはイスラム国にもイスラム革命にも全く関係関心もなく、今も関心がない。日本でない別の常識がある場所へ行きたい』と。
シリアにわざわざ戦いに来たりボランティアに来たりする人はシリアのことが気になってしょうがないという人たち。北大生がシリアに全く関心がないというのが意味不明。彼は結局、シリアが破滅的な場所というイメージでとらえて、その場所を自分の自殺願望か破滅願望の舞台装置として使いたいというだけの人だよ」
常岡はいままで何度も拘束されるという常軌を逸した経験の持ち主である。それだからか、今回のガサ入れについても、「機材がいつ返ってくるかわからない」と言いつつも悲観せず、厚かましいぐらいに毅然と行動している。ガサ入れを受けた翌日からは、マスコミ取材を積極的に受け、自分が不利にならないように立ち回っている。彼はいわば、それこそRPGで言えば防御力最高のモンスターのようなものだ。命の危険を顧みずあちこちに出かけ、そこで培った危機管理能力があるからこそガサ入れにも動じないってことなのだろう。
一方、トラブルに巻き込まれマスコミ対応を受ける彼は、毎回余裕しゃくしゃくで、トラブルそのものをおもしろがっているようにすら見える。もしかすると、取材そのものよりも、注目を受けることそのものが目的なのかもしれない。圧倒的な取材経験があるにも関わらず、本を書いたり記事を書いたりして発表するまでにいつも至らないのは、注目されることで満足してしまうからではないだろうか。
それはともかく、今後、秘密保護法案が施行され、ジャーナリストに風当たりが強くなっても彼は態度を変えないのだろう。だが、彼の動じない態度、トラブルをおもしろがり注目されることに満足しているような行動っぷりが、いつまで通じるのかは不明である。それこそ今回のガサ入れが彼の人生を破滅に追いやるプレリュードにならないとも限らない。そうなった場合は、猫の面倒ぐらいは見てやっても良いが、それ以上はたぶん責任が持てないだろう。
友人のよしみで気安くあれこれ書いてしまったが貶めるつもりは全くない。それどころか困難に負けずこれからますます活躍することを願っている。がんがん発表して儲けまくった暁には何かごちそうしてちょうだいね。よろしく。