そこまで言って委員会
【朝日新聞 慰安婦ねつ造!大検証・大激論SP】
2014年9月21日
↑クリックして番組をぜひ見て下さい!!
【動画開始4分から】
桜井よしこさんが特別に司会です。
元朝日記者・ライバルの産経記者、
従軍慰安婦ねつ造批判本を出してた花田胤紀氏
たかじんの本でバッシングされる前の百田も出てき
ます。
朝日の社長、在日ネームで有名な「木村」伊量
(きむら・ただかず)と名乗っていますが、
東京本部の編集局長時代は本名の「朴 伊量」と名乗っていて、
こいつも朝鮮人でうそつきなので、ねつ造記事で懲戒処分を受けたとテレビでも報道されていたのが
↑上の画像です。
かつての長野総局長も、金(キム)
で、バリバリの朝鮮人で平気でうそをつくから
朴伊量と2人してねつ造記事をでっち上げて処分されてますが、
今じゃあ朝日の幹部になって居座っているんでしょうね!!
2014年10月に東京で開かれた
韓日言論人フォーラムで、
「韓国は日本の兄のようだ」などと
語っていたことが明らかになっている。
朝鮮人の通名禁止にしたら
朝日の記者なんて朝鮮人だらけになるんでしょうね!!
清田 治史(きよた はるひと)や植村隆たち
朝日の売国奴記者によって、
どうやって慰安婦ねつ造が行われたかが分かります
松蔭女子大学の教授就任を拒否された植村と同じく
清田治史も、帝塚山学院大学に売国奴への抗議の嵐が吹き荒れて、
帝塚山大の教授を2013年9月13日に辞職するハメになっています。
↑朝日新聞大阪本社にいた清田治史(はるひと)は1991年にねつ造記事を書いた植村隆よりも前に
1980年代に在日朝鮮人だった吉田清二の慰安婦強制連行の「ねつ造記事」を朝日新聞で最初に書いていた男で、
そのねつ造記事によって、一躍
大阪の朝日新聞社会部の「エース」になったそうです。
消防士や消防団員がわざと放火して、
自分が第一発見者で消火活動もやったと言って
表彰されて出世しようと企んでいたが、
何度もやって放火で逮捕されるのと同じですね!!
朝日がどうしてねつ造を認めたかと言うと、
清田治史が朝日を定年退職したので、
その後は慰安婦ねつ造を否定しなくなっていったそうです。
そこで困ったのが植村隆です!!
売国奴の先輩で、朝日新聞で慰安婦ねつ造のデマ記事によって、強大な力を持っていた清田が朝日を
定年退職してしまったので、
朝鮮人スパイ一家の植村隆をかばう強力な後ろ盾を
失ったのでした!!
「吉田証言」を最初に報じた朝日新聞元記者を直撃!
1982年9月2日付の朝日新聞大阪本社版
朝日新聞が8月5日の慰安婦検証記事でようやく虚偽だったと認めた、吉田清治氏(故人)の証言。自分が慰安婦を強制連行したと話してきた吉田氏について、朝日新聞は1982年以降、少なくとも16回記事で取り上げている。32年前に最初の記事を報じたのが、現在、帝塚山学院大学で教授を務める
清田治史だ。
1982年当時、大阪社会部記者だった清田氏は吉田氏の講演内容を記事にし、次のように報じている。
〈(昭和)十八年の初夏の一週間に(韓国の)済州島で二百人の若い朝鮮人女性を「狩り出した」〉
清田氏はその後、ソウル支局長や外報部長などを歴任し、2008年には取締役に就任している。
今回の検証記事作成の過程で、朝日新聞の取材チームは清田氏からも話を聞いているが、検証記事では清田氏について、こう触れたのみだった。
〈執筆した大阪社会部の記者(66)は「講演での話の内容は具体的かつ詳細で全く疑わなかった」と話す〉
週刊文春は清田氏を直撃し、話を聞いた。
「今回の検証記事は読みましたよ。思いはありますけど、会社の結論ですから異存はないというか。(82年の自分の記事について)削除とか一部誤報という結論を出しているわけですから、結果はそうだと受け止めているだけです」
自身の誤報について、清田から最後まで反省の言葉は聞かれなかった。
勲章受章の陰で朝日新聞OB会が木村社長退陣要求
裸の王様!?
10月20日、皇居にほど近い一番町の英国大使館で、勲章伝達式が行われた。名誉大英勲章を授与されたのは、木村伊量朝日新聞社長。
「写真撮影が禁止されるなどの厳戒態勢でした」(出席者)
同じ日、朝日新聞のOB会「旧友会」が、ある“檄文”を出した。〈朝日新聞旧友会からの訴え〉と題された文書は、「従軍慰安婦検証報道」に始まった一連の不祥事・不手際の責任をとり、木村氏の1日も早い社長辞任と役員総退陣を求めるもの。宛て先には、全役員だけでなく、上野尚一・村山美知子両社主も含まれている。
朝日旧友会は顧問に社主家が就き、東京、大阪、名古屋、西部の4本社と北海道支社に設置。東京旧友会長は中江利忠元社長、大阪旧友会長は内海紀雄元専務が務めるなど有力OBがトップに名を連ねている。旧友会が経営に直接口を挟み、社長退陣まで迫るのは、異例の事態だ。文書にはこうある。
〈一連の問題は、記者会見などでの本社のまずい対応もあって、読者の信頼を大きく損ねる事態を招きました。全社の旧友会としても、朝日の歴史を傷つける深刻な問題として、深く憂慮しております。
とりわけ池上問題は、言論機関の役割を否定するものとして、会員から強い批判の声が寄せられています〉
中堅幹部が解説する。
「池上彰氏のコラム掲載拒否と吉田調書報道の取り消しによって、リベラル層を中心とした景品を渡さなくても購読してくれていた長年の朝日ファンが、購読を止め始めた。販売店(ASA)は『すべて木村の責任だ』といって不満を爆発させています。その動きを見て、OB会が重い腰を上げたようです」
かつて朝日新聞では、村山長挙(ながたか)社長が慣例を破った手法で役員人事を強行しようとして、社内が混乱。販売店から総スカンを食らい、新聞売上代金の本社への入金を拒否される事件が起こった。
「木村社長が居座り続ければ、今回も同じような動きが出るのではないか」(朝日関係者)
木村社長は、同じ政治部出身で子飼いの持田周三常務を後継にしようとしていたが、頓挫しつつある。念願の勲章を花道に、潔く出処進退を決することができるか。
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