米軍慰安婦で立つ瀬がない韓国
日本を批判も自国内の深刻な差別は
放置 ヘンリー・S・ストークス
置かれ、売春を強制された」として
韓国政府を訴えた
ストークス氏「彼女たちは『基地村女性』『ヤンコンジュ』(洋公主)と呼ばれた女性だ。当時、韓国政府から『ドルを稼ぐ愛国者』として称えられていた。韓国は貧しく、そうした風俗産業で経済が支えられていた。それが65年の日韓基本条約を契機として、(日本の莫大な経済・技術協力が入り)だんだんと経済が発展してきた。そうなると、慰安婦たちが果たした役割は社会から忘れられ、差別だけが残った」
──韓国政府は国策として慰安婦を利用し、見捨てたのか
ストークス氏「元慰安婦が韓国政府を訴えたのは、彼女たちが国や社会から虐げられてきたからだ。私は50年近く、韓国を取材してきた。その中で、とりわけ悲しかったのは、仁川(インチョン)にあった米軍人と韓国女性との間に生まれた子供たちの施設を取材したことだ」
──具体的には
ストークス氏「そこには、金髪で青い目の子供もいれば、エキゾチックな顔立ちをした子供もいた。いずれも驚くほど美しく、深い感銘を受けた。同時に、慰安婦や子供たちへのひどい仕打ちも目撃した。外を歩けば石を投げられ、汚い言葉が浴びせられた。あのような残酷な光景は、日本はもちろん、他のどの国でも見たことがない。社会の根強い偏見と差別のため、母親は子供たちを捨てていた。仁川の施設には当時、5歳から7歳ぐらいの子供たちが住んでいた」
──韓国政府は何もしなかったのか
ストークス氏「中には、米国の養親に引き取られ、新しい人生を始めた子供たちもいた。米国では韓国で受けたようなひどい差別はなく、十分な教育を受けて幸せになった人も多かった。しかし、多くの慰安婦とその子供たちは、取り残されたままだった。父親である米軍人にも、母国である韓国にも捨てられた存在だった」
──韓国政府はそんな悲劇を抱える一方、日本に対しては慰安婦問題で謝罪と賠償を求めている
ストークス氏「元米軍慰安婦に提訴されて、韓国政府は立つ瀬がないのではないか。世界中に日本の悪口を吹聴し、いろいろ要求しながら、自分たちは慰安婦や子供たちを放置してきたのだから。もし、韓国政府に誠意があるのなら、この問題の責任を自覚し、事実をきちんと検証すべきだ。私のような当時をよく知る外国特派員を呼び、証言を取るのも1つの方法だろう。真実の歴史を明らかにすることこそ、現在に生きるわれわれが後世に果たすべき義務なのだから」 (取材・構成、安積明子)
■ヘンリー・S・ストークス 1938年、英国生まれ。61年、オックスフォード大学修士課程修了後、62年に英紙『フィナンシャル・タイムズ』入社。64年、東京支局初代支局長に着任する。以後、英紙『タイムズ』や、米紙『ニューヨーク・タイムズ』の東京支局長を歴任。三島由紀夫と最も親しかった外国人記者としても知られる。著書に「英国人記者が見た 連合国戦勝史観の虚妄」(祥伝社新書)、共著に「なぜアメリカは、対日戦争を仕掛けたのか」(祥伝社新書287)など。
ストークス氏「中には、米国の養親に引き取られ、新しい人生を始めた子供たちもいた。米国では韓国で受けたようなひどい差別はなく、十分な教育を受けて幸せになった人も多かった。しかし、多くの慰安婦とその子供たちは、取り残されたままだった。父親である米軍人にも、母国である韓国にも捨てられた存在だった」
──韓国政府はそんな悲劇を抱える一方、日本に対しては慰安婦問題で謝罪と賠償を求めている
ストークス氏「元米軍慰安婦に提訴されて、韓国政府は立つ瀬がないのではないか。世界中に日本の悪口を吹聴し、いろいろ要求しながら、自分たちは慰安婦や子供たちを放置してきたのだから。もし、韓国政府に誠意があるのなら、この問題の責任を自覚し、事実をきちんと検証すべきだ。私のような当時をよく知る外国特派員を呼び、証言を取るのも1つの方法だろう。真実の歴史を明らかにすることこそ、現在に生きるわれわれが後世に果たすべき義務なのだから」 (取材・構成、安積明子)
■ヘンリー・S・ストークス 1938年、英国生まれ。61年、オックスフォード大学修士課程修了後、62年に英紙『フィナンシャル・タイムズ』入社。64年、東京支局初代支局長に着任する。以後、英紙『タイムズ』や、米紙『ニューヨーク・タイムズ』の東京支局長を歴任。三島由紀夫と最も親しかった外国人記者としても知られる。著書に「英国人記者が見た 連合国戦勝史観の虚妄」(祥伝社新書)、共著に「なぜアメリカは、対日戦争を仕掛けたのか」(祥伝社新書287)など。